闇の森にて
しばらく続いたタケナガの慟哭も終わり、ただ月が照らすだけの車内はただただ静かだった。その静けさに軍用車のエンジンの音のみが虚しく響く。
「オガタ……」
その静けさを破ったタケナガにオガタは視線だけ向ける。
月に照らされたタケナガは目元を力の限り拭うと、言った。
「行こう。このふざけた事を終わらせよう」
「終わらせるたって、そりゃ気持ちはわかるよ。わかるけど――」
「なら、後生だ。頼む。その拳銃を貸してくれ」
タケナガはアラキを撃つつもりだ。オガタは直感的にそれを悟った。
タケナガの気持ちもわかる。人生を奪われ、想い人を奪われたのだ。
それは相手を殺すだけでは済まないほどの怒りだろう。
だから――。
「ダメだ。アラキ大佐は軍法の下で裁かれなくちゃいけない」
「でも――」
「でも――。そう、それでも、これを復讐で終わらせちゃいけないんだ」
オガタは強く叫ぶと、タケナガの肩を掴み返した。
「確かに兵士は上官の、国の命令で戦って、時には戦死する。あの大逆事件の時も上の命令で死んだ仲間が居た。
でも人生の全てを奪われるような事をされて良いわけじゃないんだ。
だからこそ軍法の下でアラキ大佐の行いを白日の下に晒してこんな理不尽な事がまかり通るような事があってはならない事を示さなくちゃいけないんだよ!
憲兵の兵科色は何者にも染まらない黒だ。それは私利で倫理を踏みにじる者にも、復讐に猛る者にも染まらず、ただただ厳正な軍法の下で軍紀を守らなくちゃいけないんだ」
だからこそ、オガタは拳銃を渡せなかった。
タケナガは茫然としたように力なくオガタの肩から手を下すと、「それじゃ、どうすりゃ良いんだよ」と言う。
「殴れば良いよ」
「は?」
「タケナガの受けた苦しみはちゃんと軍法会議で晴らされるよ。でも、それだけじゃ許せないからね。一発ぶん殴ってやれば良い」
タケナガはお前な、とか思ったが、言わない事にした。
そう、コイツはそういう奴だ。
根は真面目なのだが、三人組の中でもっとも奇抜な発想を持っていて、とても面白い事をしてくれるような気にさせてくれた。
それ故に発想を肉付けする参謀役が必要で、それを実行に移す実行役もいる。
そうやってここまで来たのだ。
「アレでも上官だぞ。殴ったら反逆罪で銃殺とかシャレにならん」
「え? 情状くらいつかないかな?」
「あー。知らん。てか、そういうの知らないのか? それでよく憲兵目指したな」
「うるさいやい」
頬を膨らましてそっぽを向くオガタにタケナガはだから童顔、童顔と言われるのだと思ったが。これも言わない事にした。
今はただ、どこか少年のようにワクワクしてきた胸の内をそっと感じていたい。
「そいじゃ、行くか」
「うん」
道路に対して斜めに停車していた軍用車は一度、大きく震えると危なげなく走り出す。
暗い闇を二筋の光が通り過ぎ、森の木々が走るように遠ざかる。
そうしてオガタは今朝、車を止めた場所に同じように軍用車を止めた。
昼間と打って変わり、夜の森は不気味さをたたえてオガタ達を出迎えてくれた。
口のようにぽっかりと開いた森への入り口に立つと寒さとは違う震えが二人を襲う。
「懐中電灯は何本ある?」
「二本だよ。これはタケナガの分」
オガタはタケナガに銀色に輝く円柱状のそれを渡す。
オガタはそれに次いで腰のホルスターから細身の小型自動拳銃を取り出すと、それにマガジンを入れてスライドを引く。これで安全装置をはずせばいつでも撃てる。
オガタはそれを右手に、左手には懐中電灯を握って森の中に歩を進める。
オガタは目印にした木々を注意深く確かめながらゆっくりと、それでも確実にあの透明な壁のある場所に向かった。
何度か目印を見失いそうになったり、タケナガが何故か進路をそれようとするが、それでもオガタ達はあの場所にたどり着く事ができたのは彼女が山歩きに慣れているからだろう。
「なんだこれ。ガラス――じゃないよな」
「うん。金属のような気もするけど、よくわからない」
二人は物音をたてないように気をつけながらその壁を一周する。
だが二人とも懐中電灯をつけたままであり、隠密行動をしているのか甚だ疑問を感じる。
それでもこの不気味な建物を観察するにはどうしても光が必要だった事は否め無い。
「それで、これ、なんだ?」
「さぁ?」
「さぁって、お前な。確かに透明な壁っていうのは不気味だけどよ、それがどうしたって話になるんだが……」
オガタとしてもタケナガの指摘を否定できなかった。
確かに二十五連隊と関係がありそうだと思ったのだが、と思いつつ周囲に向ける。
暗い闇の中を一閃が照らしていく。
闇が切り払われ、冬の寒さに耐える樹木達が見え、そして薄赤い殻に覆われたモノがこちらを見ている。
「……ん!?」
素早くライトをそれに当てる。
それは一メートルと五十センチほどの大きさ。鋭い鍵爪がついていた三対の手足。コウモリのような翼。頭部に当たる部分には渦巻きのような模様に多数の触覚がついている異形のモノがオガタ達を見ていた。
オガタは時間が止まったようにそれを見つめるばかりだ。
タケナガはオガタの異変に気づいて光りの先にいるそれに視線を向けた。そして同じように凍り付く。
こお世のモノとは思えない異形のそれに目を奪われた二人だったが、その化け物が動き出した事で我に返った。
化け物はすばやく木々の間を移動してオガタ達に迫る。
「う、ああああ!!」
オガタは反射的に拳銃の引鉄を引く。
だが迫りくる化け物の姿に恐怖して撃ち出された弾丸は周囲の樹皮や地面を削るだけで化け物には掠りもしない。
「オガタ!!」
タケナガがそう叫ぶとオガタは少しだけ深呼吸する間ができた。
その間を使い、オガタは照準を調整すると、撃つ。
その一撃は化け物の体に飛び込み、体液を滴らせた。しかし化け物はひるまない。
オガタは続けて拳銃を撃つとスライドが後退して止まった。弾切れだ。
オガタは素早く予備のマガジンを腰から引き抜き、再装填するが、それよりも早く化け物がオガタめがけて鋭い鍵爪を振り落とす。
「オガタ!!」
だが凶刃がオガタに届く前にタケナガが身を挺してオガタを突き飛ばす。
「あ、タケナガ!? 怪我は?」
「心配ない。かすっただけだ。くそ、少尉殿から借りた服なのに!」
そんな事を言っている場合かとオガタは思ったが、それよりも拳銃の照準を化け物――ミ=ゴに合わせる。
「くらえ――あれ?」
だがミ=ゴはオガタの照準から逃れるように闇の中に姿を消す。
オガタはあわててその姿を追うように懐中電灯を向けようとして気がついた。
その手に握られたのが拳銃だけだったからだ。
慌てて視線を地面に向けるとあらぬ方向を照らす懐中電灯が転がっていた。
それを拾おうと手を伸ばす。しかしすぐにタケナガがオガタの首筋をつかんだ。
「バカ! 地面を見てどうする!? 拳銃持ってるんだからいつでも撃てるようにしろ」
「でも、相手が見えなきゃ撃てないよ」
「オレが照らす。お前はいつでも撃てるようにしてろ」
タケナガはミ=ゴが再び自分達を襲ってくる確信があった。
それにオガタが一撃を与えたのだ。
生き物であれば自分に危害を加えるモノに防衛本能が働く。
だからタケナガは冷たい汗をかきながらせわしなく懐中電灯を動かす。
その時、ガサリと草木が揺れた。その方向に光が差すと薄赤い甲殻類を思わせる化け物がいた。
「居たぞ!!」
オガタは返事も返さずそれに銃弾を叩き込む。
だがそれは縫うように木々に隠れると、背中の翼を震って飛び上がった。
バキバキと枝が折れる音に続いて鳥とは比べ物にならない羽音を出して飛び上がったミ=ゴは爆撃機のようにオガタを襲う。
鋭い角度で切り込んできたミ=ゴをオガタが辛くも避ける。
ミ=ゴは地面をかするように再び上空へと姿を消した。
「嘘! 飛べるの!?」
「森の中に逃げるぞ! こう、開けた場所にいちゃ、格好の獲物だ!!」
オガタはその言葉に従って木の陰に走り込む。その際に懐中電灯をつかんだ。
「あれは? どこ行ったの!?」
「わからん! それより懐中電灯を消せ」
「いや、なんか、あの化け物――ミ=ゴの顔みたいな所には目が無かったから大丈夫だと思う。それより声を――」
上空を大きな羽音が通過した。
とっさに口を閉ざすと羽音は遠ざかる。
「ほらね」
「ほらねって、お前、あいつを知っているのか?」
オガタはナイアラから聞いたミ=ゴの情報を告げると拳銃からマガジンを抜いて残弾を確かめる。
「あと何発ある?」
「三発。予備のマガジンはあと一本」
「もっと無いのかよ」
「戦争をしに来たんじゃないんだから。
でも、こんな事なら短機関銃くらいもってくるんだったな」
オガタはぼやきながら三発の弾丸が入ったマガジンを新しい物へと取り替える。
「このまま静かにしてればやり過ごせるかな?」
「さぁな。でもよ、奴が執念深かったらどうする? それに車のエンジン音に気づいて追ってくるかもしれないぞ」
どうした物かと思っていると、再び羽音が聞こえた。
二人は押し黙ってそれをやり過ごそうとするが、たまたまミ=ゴが懐中電灯の光の中に現れた。
その異様な姿にオガタは思わず「ひぃ」と悲鳴をあげてしまった。
「ば、おま!」
「静かに!!」
オガタの声の方が大きかったが、どちらにしろミ=ゴは二人の存在に気がついてしまった。
鋭い爪が振り上げられると共にオガタは引鉄にかかる人差し指に力を込める。
静寂に包まれた森に発砲音が連続して広がった。
ついにミ=ゴはフラフラとよろけるように倒れ、オガタによって吹き飛ばされた触覚がヒクヒクと力無く動くだけだ。
「や、やった」
「やったぞ! 勲章ものだ!」
互いに手を打ちならして喜びを分かちあいながらオガタが倒したミ=ゴに近寄る。
タケナガは手頃な枝を折ると、それでミ=ゴの体をつつく。
「……反応無いな」
「うん……」
オガタはもう一度、拳銃からマガジンを引き抜いて弾数を確認すると、マガジンの中には二発しか弾が残っていなかった。
「そいつ……ミ=ゴは死んでるよね?」
「ん? みたいだぞ」
その返事を聞くとオガタは懐中電灯を地面において先ほど交換した三発の弾丸が残ったマガジンを取り出す。
残った弾を一本のマガジンにまとめるのだ。
そうすれば無駄に装填する動作が減る。
これでマガジンには五発。拳銃の薬室に納められた一発の合計六発。
「こんな物か……。でも、もう一度ミ=ゴと遭遇した場合は戦えないな」
「戦えって言われてもイヤだけどな」
心底うんざりと言いたげにタケナガは首を振った。
オガタはその姿にワラったが、そのまま凍り付いた。
倒したはずのミ=ゴが起きあがったのだ。
「た、たけ、たけ――!!」
「お、おががが――!!」
ミ=ゴはフラフラとよろけながらあの透明な壁まで体を引きずるように近づいていく。
その姿に恐怖から二人はひきつった顔のままそれを眺める。
すると、ミ=ゴが透明な壁に前足のような腕を重ねると、急に四角い扉のような物が出現した。
その扉にミ=ゴが近づくと扉が無言で開く。
扉の中にミ=ゴが踏み入ろうとしたとき、ミ=ゴの体から力が抜けたように崩れ落ちた。
地面にぶつかるグシャリと湿った音が二人の耳に飛び込んで一気に不快な気持ちがあふれ出そうになる。
「う、が、我慢できない」
オガタは森の端に駆け寄ると胸の奥から溢れ出す不快感をぶちまけた。
そして水筒を持ってくるべきだったと思いながら彼女は入り口のようなそれに視線を向ける。
縦に二メートル、横に一メートルと少しくらいだろうか?
広々としたその入り口にオガタは言いようのない恐ろしさを感じた。
だが、それと同時にあの中に入った方が良いという心の声を聞いた。
だがそのまえには盛大に四肢を投げ出したミ=ゴがいる。
「中に入るのか?」
「うーん……」
「決めるのはお前だぜ、憲兵殿」
タケナガの顔はひきつっていたが、それでも彼の冗談めかした言葉にオガタは肩の力を抜くことができた。
そして死骸となったミ=ゴを観察すると、どこか一回りほどそれが小さくなっているような気がした。
よくよく観察すると体が小さくなったというより、形が崩れて小さく見える事に気がつく。
「ねぇ、こいつ――」
「あぁ。オレも気がついた。なんつーか。分解されてる?」
タケナガも同じ事を思っていたのか、二人はしばらく朽ちゆくミ=ゴを見守っていると、がんばって飛び越えれば入り口の中に入れそうな場所をオガタは見つけた。
「……タケナガ。跳躍は得意?」
「おいおい。コレを飛び越えるって言うなよ。誤ってアレを踏んだらどうする」
「でも、このままだと朝が来ちゃうよ」
その言葉にタケナガは腹をくくり、助走をつけると力強くに地面を蹴った。
「ふ。こんなもん、余裕だな」
危なげなく着地したタケナガにオガタは「ふむ」と鼻を鳴らす。
「なんとも無いようだね。見えない壁かなんかあったらどうしようと思ったんだけど、安心して跳べる」
「おい、てめぇ! オレを実験台にしたな!?」
「まぁまぁ。それじゃ、行くよ」
「待て。お前の使っている拳銃って九四式だよな? 着地の衝撃でシアがはずれて暴発しないか? 弾を抜いてから跳べ」
オガタはその言葉通り拳銃から弾丸を全て抜くと、助走をつけて跳び立つ。
だが目測を誤ったのか、彼女の編上靴はベシャリとミ=ゴから流れ出す体液を踏んでしまった。
その際に飛び散った液が大々的にオガタ軍袴を濡らし、タケナガにもそれがかかってしまう。
「……おい」
「待って。何も言わないで。今すごく泣きたい」
そして静かに時が流れるのであった。
初めての本格的戦闘でした。
神話生物ファイル
ミ=ゴ
薄赤色の甲殻類のような見た目の生き物だが、その性質は菌類に近い。三対の手足があり、鍵爪をもっている。
背中には蝙蝠のような翼が生えており、宇宙空間の航行や大気圏内での飛行に使われる。
ユゴスの支配者にして特殊な鉱物を採取するため地球に訪れている。その起源は古く、人類誕生よりもはるか昔、先住種たる古のものを北方から駆逐している。
現代でも目撃情報があり、ヒマラヤ山脈の雪男はミ=ゴでは無いかと言われている。
ミ=ゴの科学技術は高く、とくに外科手術には秀でいる。人間の脳を生きたまま摘出し、特殊な容器に入れて保存しておくことが出来る。その間、肉体は特殊な処理が施されて加齢しない。




