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黒の兵科章  作者: べりや
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透明な壁

 森の中にぽっかりと開けた場所に居た自分と瓜二つの存在にオガタは茫然と立ち尽くしてしまった。

 そしてナイアラの、もし自分がドッペルゲンガーだったら? という声が生々しく蘇る。


 総身に鳥肌が立ち、歯がかみ合わずにカタカタと震え、それは徐々に肩へ、胸へ、原へ、太ももへと伝染していく。

 冷や汗が頬を伝い、開かれた瞳孔がもう一人の自分を凝視する。


 もう一人の自分はただ暗い相貌でオガタを見つめると、再び外套を翻して森の中に消えて行った。

 その姿が消えると、そこに誰かが居たなど疑うような静寂が戻る。そしてオガタは思った。先ほど見たのは自分の幻なのではないかと。

 そう思っていると背後からバタバタした足音が近づいてきた。ハスタ達だ。



「ココロ! どうしちゃったの!?」

「……ハスタ少尉」



 その声にオガタはいつも通りの日常が返ってくるような安堵感に包まれた。

 それは確かに日常の形のそれであり、先ほどまで自分が居た、もう一人の自分がいるとういう非日以上を打ち消してくれるにはうってつけだったのだ。



「ひ、人影を見たもので」

「人影? ……いないようだけど」

「み、見間違えたようです。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」



 腰を折って謝罪をするとハスタもその部下達もそれ以上、言及する事無く元居た場所に戻り始めた。

 オガタは一度だけ、背後を振り返ったが、そこには誰も居らず、ただただ静かな森が広がるだけだった。


 やはり先ほどの影は幻か、そうオガタは思った。


 確かにナイアラの事やタケナガの事で心が張りつめていたのは確かだ。その疲れが緩んだ瞬間に見た幻影。

 そう思うとしっくりと腑に落ちた。やはりあの男とは関わらない方が良いとオガタは確信すると、頬を流れていた冷たい汗をぬぐう。


 だが、本当に幻だったのだろうかという疑問が完全に払拭されたわけではない。

 それを払拭するにはどうすればよいか? いや、どうしてそれを確認する必要がある。

 それをしてしまえば自分の信じるモノが瓦解するかもしれないと言うのに、オガタはもう一人の自分が居たかどうかを確認したいと思っていた。

 とは言え、その理由を心の中を探しても彼女の中にはそれが見つからなかった。だが、何故かそうした方が良いという想いがこみ上げてくる。

 だからオガタは歩き出した。先ほどまであの影が居た場所に向かって。


 そう、あの幻が立っていた場所に行けばいいのだ。


 そこに誰かがいたのならその痕跡が残るはずであり、幻であれば残らないという単純な方法を試みるために歩き出す。

 しかし、オガタは怖かった。知りたいと思う予感と恐怖心がせめぎあい、足を止めようとするのだが、オガタは自分の中にある衝動に負けて足を動かし続けた。



「…………確かめなくちゃ。確かめなくちゃいけない――」



 そう自分に言い聞かせながらオガタは一歩、一歩と森を行く。

 緊張と恐怖に震えながら歩む一歩は長距離行軍の演習よりも堪えたが、それでも歩みを止めることはない。

 だがその歩みは突然止まった。いや、止まらざるをえなかった。

 なぜならオガタは壁にしたたか頭を打ちつけたような痛みに襲われたからだ。



「いたッ!? な、なに!?」



 額を押さえてその場にうずくまり、ジンジンと鳴り響く痛みと戦っていると先ほどの決意はいったいなんだったのかと思った。

 痛みで閉じた目を開けると、そこには壁など存在せずにただ開けた森が広がっているだけだ。

 もちろんオガタが木にぶつかったわけではない。強いて言うなら空間(・・)にぶつかったと言うよう。



「な、なんだ?」



 右手をつきだして手探りをするように動かすと、その空間に触れられた。

 そえは地面から垂直に立つ壁だった。

 だが壁の向こう――開けた森を一望できている。それにその光景は壁の向こうの森を模写したのではなく――証拠に風と共に木々が揺らいでいる――、まるで透明なガラスに遮られているような錯覚に陥る。


 それでもその壁はガラス等ではない。

 触って見ると外気によって多少は冷えているが、いたって冷たくも暖かくもない。表面もツルツルしているが、ガラスのそれではなく、どこか金属を思わせる。



「なんだこれ?」



 叩いてみると鈍い音はするが、金属のような甲高い反響は無い。おまけに大分硬質だったようで壁を叩いたオガタは叩いた手を抱きしめるようにうずくまった。



「――ッ。な、なかなかやるではないか」



 それは負け惜しみと言うより自身への羞恥心から出た言葉だったが、それを聞く者は居なかった。

 オガタ手の痛みも収まると立ち上がり、今度はその壁伝いに手を突きながら歩きだした。大きさをはかるためだ。

 それは緩やかに弧を描きながらカーブしており、オガタは先ほどまであった衝動を霧散させながら元居た場所に戻ってしまった。

 どうやら円形であるらしい。



「なんなの? 妖怪?」



 だがオガタの記憶にあるそれは進行方向を完全に遮断するもので、円であるとは聞いたことが無かった。

 それよりもオガタはこの未知なる現象に動じていない自分に驚いた。おそらく昨日からのドッペルゲンガーの一件でどこか、心が麻痺してきたのかもしれないと考えながら腕を組んでいると、再びハスタから声がかけられた。



「ココロ!? なにやってんの! 捜索は再開してるんだよ!!」



 その声にオガタは迷った。

 このよく分からない壁のような物を報告すべきだろうか?

 軍の規定ならやはりハスタに知らせるべきだ。だが、オガタの中でこれがドッペルゲンガーとつながっているような気がした。

 それは直感のような確証の無いものだったが、これがドッペルゲンガーとつながっているのであれば二十五連隊の件とも関わってくる。それはオガタとマモリの案件であり、ハスタを絡ませるのはまずい。



「今行きます!!」



 オガタは周辺の地理を把握しながらハスタ達の元に戻り、不明機の捜索を再開した。

 その捜索で先ほどの透明な壁の所に行くのではないかとオガタは思ったが、ハスタの思い付きで捜索ルートを変更してしまったので終ぞハスタ達が透明な壁を知ること無かった。

 その後は日暮れと共に捜索も終了し、分屯所に戻る事になった。そしてオガタはいつも通り通常の業務をこなしてから退勤する。



「さて、と……」



 その手には軍用車の鍵が握られており、オガタは車をゆるゆる走らせながら町を巡った。

 そして三つほど店を回った後、とある軽食屋に入っていたタケナガを見つける。



「タケナガ!」

「おぅ。先にやってるぞ」



 そういうタケナガはカウンターに腕を突っ伏しながら徳利を振った。

 ほんのりと赤身の差した頬にオガタは溜息をつくと、颯爽と財布を取り出す。



「お、おい、何するんだ?」

「大将。お勘定」

「待て。まだ飲み始めたばかりなんだ。お前も飯食ってないだろ?」

「軍の食堂でお握り作ってもらったから」



 オガタは肩をすくめながら勘定を済ませるとタケナガを引きずるように連れ出す。



「もう少しゆっくりしても良いだろ? それとも、何か進展でもあったのか?」

「タケナガがダラリとしている間に進展があったよ」



 思わず皮肉ってしまったが、オガタとしてはタケナガの醸し出す日常然とした雰囲気に心が和んでいた。

 おそらく、この件に首を突っ込まなければこのまま平穏に暮らせる。そう後ろ髪を引っ張るような思いが湧くほどタケナガの存在はオガタの心を慰めた。

 しかし自分に与えられた任務を全うしなくてはならないし、何よりオガタはあの幻影の事を知りたくなる自分がいた。

 確かに真実を知るのは怖い。怖いが、それでも知りたいと思ってしまう。

 それがどこから芽生えてくるのかオガタには分からなかったが、それでも知った方が良いと言う予感がある。例え足が震え、恐怖に凍り付いても知りたいと思うのだ。

 だからオガタはタケナガを連れ出すとすぐに車を出した。目的地はもちろんあの森である。

 オガタは一度、ホルスターに収められた自動拳銃に手を添えてから鍵を回した。



「で、そろそろ事情を話してくれ」

「実は――」



 森での一件を伝えると、オガタはチラリとタケナガに視線を向けた。まだ頬が赤いが真剣な眼差しで車窓を見ている。



「少尉殿からは?」

「え?」

「だから、少尉殿には報告したんだろ? なんて言った?」



 タケナガはオガタの表情からこの事を自分以外に打ち明けていない事を悟った。

 オガタの顔はそれほどギョッとしていたのだ。



「どうして伝えない。これは指示を仰ぐべきじゃないのか?」

「う……。確かに」



 そこでオガタの足がアクセルから離れそうになるが、完全に離れる事は無かった。

 そしてオガタの顔はギョッとした顔から青色へと変わる。



「どうしよ。連絡先聞いてない」



 だがマモリはオガタに帝都での連絡先を伝えようとしていた。だが、それはある男に阻まれてしまうのだ。

 オガタはあの薄い笑いを浮かべた記者に腹を立てたが、もう後の祭り。



「……もうね、アホかとね」

「ぐうの音もでません」



 先ほどまでの決意はどこへやら。オガタは力なくハンドルを操る。



「これだからお前、補助憲兵止まりなんじゃないのか?」

「だからぐうの音も出ません。どうしよ……?」

「どうするもあるか。お前、補助でも憲兵なんだろ? お前が捜査の必要性を感じたらすればいいさ。

 まぁ、軍規上、それが許されるかは知らないけど」



 どこか無責任なタケナガをどつきたくなったオガタだが、その両手はハンドルを握っているために不可能だったし、何より自分の失態が大きすぎて殴りに殴れない。

 だが、タケナガの言う通り今、どうするかを決めるのはオガタの職務だ。

 タケナガはただの歩兵であり、オガタは補助とは言え憲兵の端くれ。指揮権を考えるならオガタがタケナガより上位にいるのは確かと言えよう。



「捜索に行く」

「反対はしないけどよ、夜の森は危なくないか?」

「懐中電灯は持って来たよ。それによく場所を覚えて来たから迷いなく行けると思う」



 そうか、とタケナガは返しながらフロントガラスの向こうを見やる。

 町の明かりは後方に消え、何かを隠しているような闇の世界が眼前に広がっている光景を見ると、森へ行くのに尻込みしたかった。

 だが、タカマガハラの軍人であるタケナガは逃げるという行為を忌避していたし、何より逃げたくなかった。

 自分の弱さに逃走を図る屈辱を味わいたくなかった。



「で、武器は? あるのか?」

「け、拳銃が一丁」

「……もうね。バカかとね。もしアイツ等と遭遇したらどうするんだ」

「ぐうの音も出ません」



 タケナガは大きく肩を落とすと、ふと連隊での生活を思い出した。

 何かを起こしたいと発案するのはオガタなのだが、彼女は案を出すだけでどこか思い付きだけで行動する節があった。そのため同期のクニキダが案の中身を決める参謀役であり、タケナガがオガタをサポートする実行役。

 なんやかんやでこの三人は軍規違反スレスレの事もやってのけたし、下らない事に情熱を燃やしたりもした。

 それが急に懐かしく思えた。タケナガにとってそれらはまさに昨日の、それこそ手を伸ばせば届きそうな距離にあったというのに、気が付くと一年もの歳月が経っていたのだ。まさにどこかの昔話の世界だ。

 だからこそ、タケナガは己にあって当たり前の事を取り戻したいと強く思った。



「仕切りなおすには、時間がな。武器を手に入れようにもこの時間だと、刃物なんかを売っている店は閉まってるだろ」

「やっぱり明日にする?」



 そこでタケナガはしばし目をつぶって考えるが、恋い焦がれるほどにあの日常に帰りたいと思う気持ちは変わらなかった。



「しょうがねーな。とりあえず、その壁? って奴を見てから判断するか。最悪、木の枝を折って武器にするさ。

 あと、交戦は避けよう。あの化物が出てきたら即、逃げるぞ」



 タケナガはそう言いつつ、アラキと会話のような事をしていたあの蟹のような化物を思い出して背筋が震えた。

 あの異形の存在を思い出すだけで鳥肌が立つ。二度とアレとは会いたくなかったが、日常を取り戻すためならと、奮起する。



「そういや、クニキダはどうした? アイツも入れ替わられていなければ仲間にならないか?」

「クニキダは……」



 オガタは言葉に詰まった。これを言ってはならない、そう思った。

 タケナガはその言葉の隙間に違和感を覚え、それは最悪の想像へと至る。



「まさか、なんかあったのか?」

「……うん」

「何があった!? あのクニキダが!? そんなわけないだろ。ドジな一面もあったが、あいつは――。それとも病か!?」

「違う。違うんだ。別に不幸があったわけじゃないんだ。その、逆なんだ……」



 その言葉にタケナガは安堵するが、顔色の優れないオガタに疑問を覚えた。



「逆? 不幸の逆って……。結婚したのか!?」

「う、うん」

「相手は? お前がそんなに顔色を悪くしているって事は、相手はそんなに悪い奴なのか?」

「いや、たぶん、とても良いんじゃないかな」



 オガタは良心が悲鳴をあげるほどの苦しみを覚えた。

 真実を言うとタケナガは傷つく。だから敢えて言わないようにしていたのだが、それもここまでだ。

 オガタは重い口を開けた。



「クニキダの相手は、タケナガだよ」

「……は?」

「だから、タケナガと結婚して、寿除隊している。去年の五月に――」



 その時、オガタは自身の肩を強く掴まれた。その衝撃でハンドルが滑り、車は大きく蛇行して、止まった。

 オガタは高鳴る心臓を抑えて両肩を掴んだタケナガに視線を向ける。

 『危ない』と怒鳴ろうとして、それは言葉にならなかった。



「そんな……。去年? 去年の五月に、タケナガ(・・・・)と? そんな、そんなのって、無いぜ。

 なぁ、嘘だと言ってくれ」

「――嘘じゃ、無いんだ」

「こんな事、許されるわけ、無いだろ?

 アレは、偽物なんだろ? 俺の贋作なんだろ?

 どうして――。どうして偽物なのに本物(おれ)が居るべき場所に平然と俺が居るんだ? どうして、どうしてなんだよ、オガタ……」


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