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黒の兵科章  作者: べりや
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起こり

『本日、所定の訓練を終えて帰投中に正体不明の不明機と接敵。

 不明機の形状は葉巻のような円柱であるが、大きさは全長五十メートルほど。主翼、および尾翼に該当するものなし。飛行船に類似した形状をしていたが、プロペラも見当たらず。されど速度は時速百キロを超す高速で飛行しており、飛行船にあるまじきものなり。

 また訓練飛行前の管制官からの報せで当該空域には他の軍及び民の飛行許可は出ていないと聞いていた為、規則に則った行動を行う。されど不明機からの返答無し。

 やむなく威嚇射撃を行うも不明機からの応答無し。

 そのため不明機を敵機に認定。敵機を攻撃するも敵機は飛行を継続し、攻撃の成果を確認する事出来ず。

 なお、敵機は追撃中に姿を見失う。周辺空域を捜索するも発見叶わず。

 我が方に損害無し。敵機撃墜未確認』


 タカマガハラ公国海軍第四五一海軍航空隊戦闘詳報より





 時は三月。春の到来を告げる春雷を腹に持った暗雲が空を覆っている。

 その部屋は静かで、部屋の片隅に置かれた薪ストーブとその上に乗っかった薬缶が出す音以外はデスクにすわったオガタ・ココロ上等兵がめくる雑誌の音だけだった。


 座っていてもその小柄さとその童顔さから非常に若々しく見えるが、その詰襟軍服の着こなしから短くない時間を軍で過ごしてきた事を伺わせる。

 しかし、軍に長く居た者なら戦闘の際に邪魔にならないように短く切られるはずの髪は長く、その首筋を隠すほどである。

 そんな矛盾の塊のような彼女は昼休に入ると下宿先で作ってくれた弁当を早々に食べ終え、残った時間を悠々と読書に費やしていた。

 オガタの黒い瞳が小刻みに雑誌の上を泳ぎ、ページを持つ手に力が加わる。彼女が集中してそれを読んでいる証拠だろう。


 その静かな空間にコツコツと規則正しい靴音を響かせながら男が入って来た。マモリ・シュウスケ少尉だ。

 茶色いダブルボタンの外套を着こんだ彼は背を高くした軍帽を脱ぎながらオガタを一瞥する。

 その相貌は青年将校と言って差し支えない若者だった。

マモリはオガタの背後に歩み寄り、彼女の読んでいた雑誌をすくう様に取り上げた。



「わッ! お、お戻りになったのですね少尉……」

「まったく、油断しすぎだ。とりあえず茶をくれ」



 マモリ乱雑に外套を脱ぐと自分のデスクにどっかりと座り、オガタから取り上げた雑誌をめくりだす。

 オガタはどこか居心地が悪そうにストーブの上に載っていた薬缶から熱湯を急須に注いだ。



「まったく。こんなゴシップ雑誌に読みふけるとは娑婆っ気が抜けていないんじゃないのか?」

「あはは。面目次第もありません。ただ、その雑誌に原隊が取材されていて、つい買ってしまったんです」

「原隊? そういえば貴様は二十五連隊からの出向だったか」

「そうです。まあ、徴兵の連中は兵役が終わっているので、知ってる顔も少ないんですけどね」



 急須から立ち上る湯気に乗って鼻孔をくすぐる茶の香りが沸き立った。

 その熱い液体をオガタが湯呑に移す間、マモリはオガタが読んでいた雑誌をパラパラとめくっていく。

 タイトルは『冥王』と言い、オガタの言った通り原隊――二十五連隊の特集が乗っていた。

 そのコーナーでは月ごとに各地の連隊を取り上げて紹介しているらしい。

 マモリは何の気なしにとあるページで手を止めた。そこには『複体の哲学的考察』と書かれた小さなコラムが乗っており、ナイアラという記者がこれを書いたと書いてあった。



『読者の皆様方にはまず、複体という言葉をご存じだろうか? 英国語で言えばダブル。独国の言葉を使えばドッペルゲンガーとも言う。

 これは読んで字の如く、生きて居る人間の生き写し――複製体が現れる現象である。

 我が国でも文明開化以前には影の病、影患いという名称であたったため、こちらの方がよく聞くかもしれない。

 つまりこの世に自分という存在が複数存在してしまう怪奇現象である。そして東西を問わず不吉の印とされているのは、聡明な読者の皆様方ならご存知のはずだ。

 しかし、識者は文明開化より五十年以上も立つ我が国においてこのような時代錯誤な道聴塗説のような物をと怒りをあらわにするだろう。

 しかし、ここは紙面。空想の自由はあって然るべき。ならば人間の複製体――即ち複体について考察してみたい。

 外見が瓜二つというと、まず双子が思い浮かべられる。それは遺伝子という生命の設計図がまったく同一のため外見が同じとなるのである。

 現代はその研究も中々進んでおり、盟友独国の物は目を見張るものがあると言えよう。

 この技術が進めば好きなように遺伝子を組み合わせる事ができ、究極的に言えば同じ遺伝子を持った人間――同一の形をとった人間を創れる日が来るのかもしれない。

 では、中身はどうであろうか? 双子とはいえ、経験や知識が違う故にそれぞれ個性が出ると言物。

しかし頭の中身まで精工に作られた複体ならば、それは元となった人と同一の存在と言えるだろうか? 例えば脳は外界からの刺激を記録する器官である。その器官に外科的な手法を持って精工に複製した場合、それは同一の知識や経験を兼ね備えた同じ『意識』が生まれるのではないだろうか?

 これはこの世に一つしか無い己という席に同一の者が二人現れる事になる。己とはこの世で一人しかいないはずなのに二人いる。

 複体を見た者は近々不幸な最期を遂げるというが、これはこの矛盾に触れる為、世界の意志が出会ってしまった複体を消そうとしているのかもしれない。』



「お茶が入りましたよ」

「……うむ。だが、なんだこの雑誌。複体?」

「あぁ、それですか。なんでも、執筆者が最近の科学情勢を哲学的に論じるコーナーだとか」



 物好きな奴もいるもんだとマモリはシゲシゲとその本文を読んでいたが、途中で理解するのをやめた。



「バカバカしいな」

「そうですか? わたしは面白いと思いますけど……」



 オガタは苦笑を浮かべながらマモリのデスクに湯気の立つ湯呑を置く。

 そこからゆらゆらと天井に向かう湯気を見ながらマモリは「お前な……」と呆れたように言う。



「天下の憲兵がこんな物に凝ってどうする。そんな事をしているからお前はいつまで経っても補助憲兵なんだ。今年の憲兵学校への受験に失敗したら補助憲兵の推薦は取り消されるんだぞ。

 勉強しているのか?」

「ぐ、わ、わたしだって試験勉強くらいしてますよ!!」



 オガタは自身の襟についた朱色の兵科色を隠すように、そしてマモリの黒い襟章を羨ましそうに眺めた。

 オガタは元々、歩兵連隊――原隊から推薦を受けて補助憲兵となった口であり、この部隊で本職の憲兵を手伝いながら憲兵学校入学のための勉学を積んでいるのだ。そのため歩兵を表す鮮血の朱色をした襟章を付けている。

 だが憲兵であるマモリの襟章には何者にも染まらずに正義を執行する黒い襟章がついているのだ。



「お前がここに来て一年か。去年の入学試験に合格していれば良かったものを……。今年落ちたら推薦取り消しで補助憲兵の資格をはく奪されて原隊送りだぞ。

そもそも、志願兵とはいえ原隊に居ればお前、そろそろ満期除隊だろう。職業軍人として生きるにしても普通にしていたら普通に階級だってあがる。

 わざわざ補助憲兵として憲兵隊に入らなくてもよかったんじゃないのか?」



 マモリはオガタが原隊から離れるように憲兵を補佐する補助憲兵になった事を知っていた。



「憲兵の方が歩兵よりお給金は高いですし、原隊にいてもわたしのような田舎者は昇進しても先が知れているので……。

 それなら、少しでも高い方に行かないと家族がやっていけないので」

「そうか……。そういえば去年は冷害で大変だったそうだな」

「そうですね。だからその分、稼がないといけないのですよ」



 あはは、と乾いた笑いを浮かべるオガタにマモリはその話題はもう出さない事を決めてデスクに乗った書類達に視線を向ける。



「オガタ。俺の代わりに――」

「ダメですよ。補助憲兵に任せないでください」

「……今年こそ憲兵学校に行ってくれ」



 オガタは苦笑しながら自分のデスクに戻る。時計はまだ昼休みの域であったため、彼女はデスクの中から多くの栞が挟まれた参考書を取り出した。

 使い込まれたそれはページがクタクタになっており、彼女のこまめな一面が見て取れる。

 オガタはその参考書に鉛筆を走らせようとしたその時、「失礼するよ」と声が聞こえた。

 茶色い詰襟の軍服に『憲兵』と刺繍された腕章をつけた眼鏡の中尉がひょっこりと顔を出す。



「か、カンバラ中尉! お疲れ様です」

「やぁ上等兵。今日も可愛いね。お、勉強中だったか。今夜どう? 俺、外泊許可出てるんだ。勉強を見てやるついでに――」

「間に合っています。それで、何か?」



 「上等兵が冷たい」と肩を落として「二人とも大佐殿が御呼びだよ」と言った。



「ヤマナカ大佐が? どうして……?」

「調査任務だと。他の奴らは例の未確認機捜索に出払ってるからな」



 オガタはそういえば海軍の航空隊が未確認機を攻撃した事件についてかと思い出した。

 この部屋には他にも同僚がいるのだが、その未確認機の調査を行っていて、自分達は留守番をしているのだ。



「そういや、上等兵は二十五連隊の出身だったな」

「そうですけど……」

「それならナイアラ・トテフって記者を知らないか?」

「ナイアラ? いえ、知りません」



 オガタは原隊に居た頃の記憶を引っ張り出すが、『ナイアラ』という人物に心当たりは無かった。

 だが、その名前が一瞬脳裏を横切ったが、オガタがその記憶を捕まえる前にカンバラが口を開いたことで逃してしまう。



「そうかい。なら上等兵がうちの憲兵分屯所に来てからなのかな? まあいいや。

 そのナイアラって記者が二十五連隊について大佐を訪ねてきたと思ったら大佐があんたらを呼んで来いとさ」

「そうですか。わかりました。行くぞ」



 マモリはオガタが淹れてくれた茶を一口だけすするとコツコツと長靴の底を響かせながら歩き出す。

 オガタもその後を追って小走りに後をついていく。

 部屋を出てすぐわきの『所長執務室』と名札の下がった部屋の扉をマモリが叩くと、すぐに入室の返事が返って来た。



「マモリ憲兵少尉並びにオガタ上等兵です。失礼してもよろしいですか?」

「入れ」



 重い扉を開けると禿頭の人の良さそうな笑みを湛えた大佐と、その笑みを百八十度変えたように作られたような笑みを湛えた浅黒い肌の男が居た。その男の服装も黒いスーツとあり、オガタは真っ黒い男だな、と感じた。



「マモリ君、急にすまないね。あとココロちゃんも」



 初老も終わりくらいのヤマナカ大佐はにこやかに二人を手招きしたが、マモリは呆れ気味に眉をひそめた。



「それでヤマナカ大佐。何用でありますか?」

「やれやれ。兵は拙速を尊ぶとは言うけどね、君。急いては良い女は捕まえられないよ」



 ヤマナカが眉間に皺を作っているとスーツの男が「くくくッ」と口角を吊りあげて不自然な笑みを浮かべる。

 オガタはその笑いをどこか不吉な物と思ったが顔に出さないように無表情を貫くことを決めた。



「初めまして。わたくし、大帝都出版のナイアラ・トテフと言います。『冥王』って雑誌に記事を書いているんですが、御存じありますか?」

「『冥王』? お恥ずかしいですが、軍人生活をしているせいか娑婆の事はよく存じ上げません」



 マモリは反射的に知らないと答えたが、先ほど読んでいたオガタの雑誌がそれである事に気が付いていた。

 ただ、マモリはこの男を警戒してか、それとも関わりを持ちたくなかったのか、連れない返事をしたのだ。

 オガタはマモリの言葉に無表情を壊されそうになるが、寸での所でそれに耐える事が出来た。

 そしてナイアラと名乗った黒い男は顔色を変えることなく薄く笑って「気にしないでください」と肩を落とす。



「いえいえ。良いんです。まだまだ売り出したばかりなので」

「それでだな、マモリ君」



 コホンと咳をついてヤマナカが話を持ち出した。



「ナイアラさんの言う所によると、彼は二十五連隊の取材をしていたそうなのだ」

「取材を、ですか」



 その言葉にオガタは先ほどの『冥王』の特集を思い出す。

 なるほど、哲学以外にも記事を書いているのかと一人納得していた。

 オガタがそう納得しているとヤマナカは自分で話すのではなく、ナイアラを一瞥する。それを受けた彼がヤマナカの言葉を引き継いだ。



「とある情報筋から聞いた話なんですけどね、二十五連隊で叛乱の兆しがあるとか、無いとか」

「……叛乱ですか?」



 オガタとマモリの顔が急に険しくなる。

 それが事実なら国家への叛逆を未然に防ぐためにも憲兵が動かなければならない。



「その情報源ってのは何ですか? 事実を確認せねばなりません」

「それを言う訳には行きません。わたくしはそれで飯を食っていけるのですから」



 オガタはマモリがヤマナカに目線で事の審議について尋ねたが、ヤマナカは小さく首をふった。

 ナイアラの情報が正しいのか、はたまたただの妄言なのか確証が無いということだ。



「それで、ナイアラさん。その情報を詳しくお聞かせ願えますか?」

「そのためにここに来たのです。

 情報を手に入れたのは二、三か月前です。あの(・・)歩兵第二十五連隊が叛乱を起こすようだと聞いたのです。

 首謀者は連隊長のアラキ・ジュウゾウ大佐だとか」



 意味ありげにナイアラが身を乗り出しながらアラキの名をだすとヤマナカは溜息をついてから語りだした。



「アラキ大佐は知っての通り大逆事件の粛清人事で参謀本部から地方連隊に飛ばされた皇権派の軍人だよ。

 ココロちゃんは知っているだろう? 君も大逆事件鎮圧に参加しているのだからね」



 唐突に話を振られたオガタは戸惑いのせいか、どこか上の空のような返事をしてしまった。

 しかし、ヤマナカはそれについては特に気に留めるでもなく話を続ける。



「マモリ君は知っているかな? わしはね、憲兵分屯所(ここ)に来るまでは二十五連隊の連隊長をしていた――アラキの前任者というわけさ。

 あの大逆事件――皇権派青年将校のクーデター事件の鎮圧を任されたのが私の二十五連隊だったのだよ。

 ココロちゃんもその作戦に来ていたはずだ。まぁ、大逆事件に関しては終わった事だ。

事件後、皇権派と対立する管制派の軍人が賊軍の汚名を着こんだ皇権派軍人に左遷人事を行ったのは承知の事実だと思う。

 その一環として当時、参謀本部作戦課長のアラキ大佐を地方の連隊に飛ばした。

 二十五連隊に飛ばされた理由は事件鎮圧に参加した国への忠誠が厚い部隊だからアラキを頭にしても叛乱の恐れは無いと判断したからだ」



 その叛乱の恐れの無いと思われていた二十五連隊でクーデターの噂が出てしまい、それが外部組織――それも記者に知れてしまった事はまさに陸軍の汚点と言える。

 しかし、その情報は本当に正しいのだろうか?



「それで、その裏は取れているのですか?」



 マモリの言葉にヤマナカは渋い顔を、ナイアラは笑顔のまま首を振った。



「確証まで至れませんでした。それで二十五連隊の駐屯地に近いこの憲兵分屯所に来たのです。

 これは国家の一大事。ネタのために隠していても益が無いのでこちらに伺ったのですよ」

「あいにく、他の連中は任務で回せない。

 それにココロちゃんにとって二十五連隊は古巣だからね。営内の勝手もわかるだろう」



 つまり手の空いている暇人がいるなら調査という名目で出払わせるのが目的なのだろう。



「さて、お話は以上です。わたくしはこれで失礼します。当分はこの町の旅館――確か、松屋という旅館です――そこに宿泊していますので、何かあればそこに連絡をください」

「情報提供をありがとうございました。送らせましょう」

「いえ、大丈夫です。大佐殿。この度はお時間を頂いでありがとうございました。それでは」



 一礼すると黒いスーツを翻してナイアラは立ち上がる。

 一度、オガタに視線を投げるが、それは一瞬すぎてオガタが反応する暇も無いほどだった。

 「お邪魔しました」という言葉を残して執務室の扉から出ていく。

 彼の足音がカツカツと響き、だんだん小さくなり、やがて彼の存在をうかがわせる気配が消える。

 それを見計らうようにヤマナカ口を開いた。そこに先ほどの朗らかさなど微塵も無い。



「やれやれ。まったく、最近の文屋は困ったものだ。特高は何をしているやら」

「先ほどの話、本当なのでしょうか。それに本当に記者なんですか?」

「わからん。カンバラに奴の尾行を命じようと思っている。

 しかしだ。アラキの奴はそろそろ定年だ。地方連隊に飛ばされてしまえば昇進も見込めないから階級を上げて予備役編入を阻止する事は出来ないだろう。

 そうなると予備役になる前に事を起こすかもしれぬ。それに皇権派への粛清人事を奴は未だに根に持っていると聞く。

 だが全て状況証拠でしかない。わしの二十五連隊を手籠めに出来たとも思えん。

 だから話の信憑性を確かめるためにも調査するだけの価値はあると思うね。

 もし、仮にでも叛乱が起これば陸軍は面目丸つぶれだよ。ただでさえ先の事件のせいで海軍や国民から激しい追及を受けているのだ。今後の失点は陸軍全てに関わる重要事項だ。

 だから万が一のために動いてくれ。

 だが事の自明が判明するまで極秘に動け。誰にも気取られるな。特に海軍の連中には特に、な。

 故にこれは非正規の任務となる。諸君の働きに期待しておるぞ」



 その言葉に二人は頷いた。


ナイアラ・ホテフ……いったい何ラトテップなんだ!?




ちなみにナイアラはニャル様ではありません。

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