03.The beginning memorable.
【03.The beginning memorable.】
あなたとの始まりは本当に驚く程単調で、僕はすんなり溶け込めた割りに随分違和感を覚えたモノだった。
「侑生」
その名の由来は僕の『オリジナル』から来ていた。と言うか『オリジナル』本人のものだった。
若きバイオリニストがいた。将来を嘱望された美しきバイオリニスト。
彼は一度死に、再び世に見えたが、またこの世から消えた。────正確にはこの二人は“別人”なのだと、認める人間は何人いるのだろう。僕の[器]はそのバイオリニストに似た『彼』の、模写だった。
圭が。
圭が似せて造ったんだ。
それでも性格はまるで違うのだと、彼女は言った。その顔は得意気に親の前で胸を張る子供のようだった。しかし眼差しは、その子供を微笑ましく見守る母親の輝きだった。
僕が起動したあの日。圭との生活が始まった日。初めて見た圭の表情は今でも忘れられない。
泣きそうな笑いたそうな。
悲しそうなうれしそうな。
揺れた瞳は喜色に満ちていた。唇は何かを告げたがっていて。眉尻は下げられていて。僕はかなり経った今だって忘れることが出来そうにない。
こんなにも、曖昧な記憶を刺すような鮮明さはそう簡単にぼやけてはくれないだろう。
「侑生? 何を考えているの?」
圭が僕の背後にやって来て、僕の座るソファの背凭れに手を置いた。僕は気の無い返事をする。
「考え事」
「……。データ処理?」
「似たようなもの」
追憶、などと言う単語は『ドール』たる僕には不似合いだ。だからこう答える。感傷的なこの行為は人間がやるならばきっと、追憶と呼ぶのが正しいのだろう。生憎僕は『ドール』、生体機械で人形だったからこの呼び方は烏滸がましいのだ。
「……」
今背凭れに手を置き、僕を覗き込んで話し掛ける彼女の腹には別のイキモノが宿っている。
現在は亡き若きバイオリニストの遺伝子を継いだ子供。けれどバイオリニスト本人の子ではなく、複製である『彼』の子供だ。
どんな子が生まれ出づるのだろう。
「お早う─────『侑生』……」
目覚めた僕に彼女は、その名を口にするのを躊躇った。
その名を付けることを、躊躇った。
僕はあの日から『侑生』になり、今はいなくなった『彼』の代わりを務め始めた。
『彼』が若きバイオリニストの複製だったように、僕も同様に『彼』の代用品だった。大きな違いは『彼』は複製、つまりはバイオリニストそのものとされ、僕は『代用品』、要は代わりであっても僕は『僕』とされたところだった。
個を認められないことは最大の不幸だと圭は笑った。その笑みは慈悲深くしかし最高に蔑視を伴っていた。
奇しくも『彼』が圭に身の上を話したときの表情に似ていたようだった。
僕を見た圭。いろんな感情の滲んでいた彼女は、泣きたかったのだろうか。
笑いたかったのだろうか。
悲しかったのだろうか。
よろこびたかったのだろうか。
僕は訊けないでいる。圭が子を胎内に孕んでも尚訊けないでいる。
多分一生訊けないだろう。
訊くか否か、考えてしまう時点で僕にはそんな権利、どこにも無いんだから。
【Fin.】
忘れようが無い。
あなたとの始まり。
あなたからの始まり。
僕の始まり。
2009.01.28(執筆公開)