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美醜と男女が逆転した異世界で、銅貨五枚の「超絶美少女」を買って限界まで溺愛する  作者: ただの学生


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1話

 木の椅子の硬さが、尻の骨にじんじんと響いていた。


 どれくらいここに座っているのか、もう分からない。窓の外の光が白から橙に変わり、やがて消えた。壁に並んだ魔石——と呼ぶしかない光る石——が、薄暗い室内をぼんやりと照らしている。


 銀髪の女性は入れ替わり立ち替わり、別の女性を連れてきては俺に何か話しかけた。三人目くらいから、口調が変わったことに気づいた。命令口調ではなく、ゆっくり、噛んで含めるような喋り方。子どもに話しかけるときの大人みたいな。——いや、たぶん、言葉が通じない相手に粘り強く付き合ってくれているのだ。


 そして、不思議なことが起きた。


 四人目の女性が口を開いたとき、その音の羅列の中に、意味が浮かび上がった。霧の向こうにうっすら建物の輪郭が見えるような、あの感覚。全部じゃない。十のうち一つか二つ。でも確かに——「男」「一人」「どこ」という断片が、頭の中で意味を結んだ。


 ——聞こえた。


 なぜ急に分かるようになったのか、理由は分からない。ただ——頭の中に直接意味が流れ込んでくるような、不思議な感覚があった。耳で聞いて脳で翻訳しているのとは違う。もっと根源的な場所で、言葉の核だけが染み込んでくる。あの暗闇の中で聞こえた声と、何か関係があるのだろうか。


 考えても答えは出ない。IT営業三年の経験が教えてくれる。原因の究明より先に、使えるものは使え。


 俺は必死に耳を澄ませた。


 一晩かけて——たぶん一晩だ。窓の外が薄明るくなり始めたから——言葉はゆっくりと、しかし確実に俺の中に染み込んできた。完璧じゃない。十のうち六か七。でも、会話の大意は掴めるようになった。赤ん坊が言語を覚えるのを早回しにしたような、奇妙な体験だった。


 朝方、銀髪の女性——この詰め所の隊長らしい——が、最後にもう一度俺の前に座った。


「名前」


 短い一語。今度は意味が分かった。


「……蒼真。藤宮、蒼真」


 彼女は眉をひそめた。発音しにくそうに「ソーマ」と繰り返す。


「ソーマ。お前、どこの家の男だ」


 家。たぶん「どの女性のもとにいる男か」という意味だろう。前日の光景を思い出す。男たちが女たちの後ろを、目を伏せて歩いていたあの光景。


「どこの家でもない。一人だ」


 隊長の目が細くなった。隣に立っていた部下と視線を交わす。


「付き添いの女は」


「いない」


「身元を保証する者は」


「いない」


 沈黙。隊長が腕を組んだ。太い腕だった。二の腕の筋肉が、革の袖の下で膨らんでいる。


「……言葉が怪しい。見たことのない服。身元不明。付き添いなし」


 指折り数えるように並べてから、彼女は嘆息した。


「だが——犯罪の痕跡はない。暴れもしなかった。まあ、暴れたところでどうにもなるまいが」


 最後のは独り言だろう。俺の細い腕をちらりと見て、鼻で笑った。——悪かったな、細くて。


「お前を拘束する理由はない。だが、付き添いのない男を町に放り出すわけにもいかん」


 付き添いのない男。その言い方が引っかかった。迷子の犬を保護したときに「飼い主のいない犬」と言う、あの感覚に近い。


「自分で身元引受人を見つけろ。女の保護者だ。三日以内に届け出がなければ、浮浪の罪で改めて拘束する」


 三日。猶予があるだけましか。


「荷物は——」


「最初から何も持っていなかっただろう」


 そうだった。スーツのポケットに入っていたのは財布とスマホだけで、財布は日本円、スマホは電源が入らない。どちらもここでは石ころ以下だ。


 立ち上がると、膝がぎしりと鳴った。一晩中あの椅子に座っていた体が抗議している。


 隊長が最後に付け加えた。


「それから——その格好はどうにかしろ」


 彼女の視線が、俺の首元を一瞬だけ掠めた。ボタンの飛んだシャツから覗く鎖骨のあたり。すぐに目を逸らして、露骨に顔をしかめた。


「慎みというものを知らんのか。男がそんな肌をさらして歩くな」


 肌を——さらす。


 序章の森で薄々感じていたことが、言葉として突きつけられた。この世界では、男が肌を見せることは「慎みがない」行為なのだ。つまり俺の今の格好——ワイシャツの胸元がはだけ、腕まくりで前腕を露出した姿——は、この世界の基準で言えば。


 ——露出狂。


 俺は、異世界に来て最初に受けた社会的評価が「露出狂」だった。もう笑うしかない。


 詰め所を出ると、朝の光が目を刺した。


 思わず腕で庇って、数秒かけて目を慣らす。空は澄んでいた。昨日と同じ深い青に、あの琥珀色の天体が北の空に淡く浮かんでいる。


 石畳の通りには、すでに人が行き交っていた。


 朝のレームブルクは、活気に満ちていた。荷車が石畳を転がる音、どこかの鍛冶場から響く鉄を打つ音、食堂から漂う焼きたてのパンの匂い。これだけなら、中世ヨーロッパの町と大差ない——と思った。


 通りの向こうから、三人の女が連れ立って歩いてきた。全員背が高く、肩幅が広い。革のベストの下に分厚い腕が覗いていて、談笑しながら大股で歩く姿は迫力がある。


 そのうちの一人が、俺を見た。


 足を緩めて、じろじろと全身を眺め回す。隣の女の肘を突いて、俺を指差して何か言った。


 三人がにやにや笑い始めた。


「おい、見なよ。あの黒い髪」


「珍しいねえ。どこの男だい」


 声を張って——通りの向こうから——話しかけてきた。


「一人? ねえ、一人で歩いてるの? あたしんとこ来る?」


 ——は?


 足が止まった。何が起きたか理解するのに二秒かかった。


 今、ナンパされたのか。俺が。道端で。見知らぬ女に。朝っぱらから。


 返事ができずに立ち尽くしていると、三人組は笑いながら通り過ぎていった。最後の一人が振り返って、ひゅう、と口笛を吹いた。


 ——口笛。


 日本なら工事現場のおっさんがOLに投げるやつだ。それを、がっしりした体格の女が、通りすがりの男に向かって。


 何とも言えない気持ちで歩き出す。頬が熱い。恥ずかしいのか腹が立っているのか、自分でもよく分からない。ただ、これが「日常」なのだということだけは理解した。


 通りを歩くにつれ、この町の「普通」が見えてきた。


 大通りに面した店は、ほぼすべて女性が切り盛りしている。肉屋のカウンターの向こうで巨大な肉塊を鉈で叩き割っているのも女だし、酒場の入り口で客引きをしているのも女だ。荷運びも、建物の修繕に足場を組んでいるのも、全部女。


 男はいる。でも、みんな建物の中にいた。パン屋の奥で生地をこねている男。仕立て屋の窓辺で縫い物をしている男。食堂の中で食器を拭いている男。全員が長袖を着て、首元をストールやスカーフで隠し、表に出るときは必ず女の隣を歩いている。


 目が合った男がいた。パン屋の裏口から出てきた、若い男だ。彼は俺の格好——はだけた胸元、むき出しの前腕——を見て、目を見開いた。それから慌てて視線を逸らし、自分のストールをきゅっと首元に寄せた。


 まるで、露出狂に遭遇した女性の反応そのものだった。


 ——やめてくれ。俺だって好きでこんな格好してるわけじゃない。


 居心地の悪さを抱えながら角を曲がると、広場に出た。噴水を囲むように屋台が並んでいる。野菜、果物、干し肉、布地。活気のある市場だ。


 広場の端に、大きな看板が立てかけてあった。何かの宣伝だろう。手描きの絵が目を引いた。


 女性の肖像画だった。


 ——これが、美人、なのか。


 描かれていたのは、褐色の肌にがっしりした肩幅の女性だった。角ばった顎に太い眉、高い頬骨。筋肉質の腕を組んだポーズで、どこかの化粧品か——いや、鍛錬具か何かの広告らしい。背景に金色の装飾が施されていて、明らかに「美しい女性」として描かれている。


 日本の感覚で言えば——格闘技の選手のポスターだ。


 いや、それは失礼か。でも、正直な感想がそれなのだから仕方がない。目の前を通り過ぎる町の女たちを見回す。彼女たちの目がその看板を見上げるとき、そこには確かに憧れの色があった。


 ——美醜の基準が、逆だ。


 一人の女が広場を横切っていった。背が高い。百八十近い。短く刈り込んだ黒髪に、日焼けした肌。二の腕の筋肉が日差しを受けて艶めいている。顔立ちは彫りが深く、鼻が高く、顎が角ばっている。


 周囲の男たちの視線が、さりげなくその女を追っているのが分かった。頬を染めている者もいる。


 ——あれが、この世界のモデル体型。


 くらっとした。いや、物理的にじゃない。価値観が。二十五年かけて築いた「美しいとはこういうこと」という感覚が、根底からぐらぐら揺さぶられる感じ。酔いに近い。


 頭を振って、広場を横切ろうとした。


 腹が減っていた。最後に食べたのは——もう考えても仕方がない。日本円は使えない。この世界の金もない。とりあえず水だけは詰め所でたっぷり飲ませてもらったから、すぐに死にはしない。三日以内に身元引受人を見つけなければ拘束される。そっちのほうが切実だ。


 酒場の前を通りかかったとき、中から怒声が聞こえた。——女の怒声だ。


 扉が勢いよく開いて、赤ら顔の女が一人、よろめきながら出てきた。朝から酒臭い。体格のいい女だったが、足元がふらついていて目が据わっている。


 その酔っぱらいの視線が、俺を捉えた。


「おお……?」


 女がにたりと笑った。口元が歪んでいる。


「いい男じゃないか。見ない顔だね……その髪、黒い。珍しい」


 酒焼けした声。足を引きずるように近づいてくる。俺は反射的に一歩下がった。


「一人かい? こんな朝早くから、保護者はどうした?」


「あの、俺は——」


「ねえ、ちょっと触らせてよ。その髪、本物? 染めてるの?」


 手が伸びてきた。


 太い指が俺の髪を掴もうとする。避けた。女が前のめりになってバランスを崩し、今度は俺の腕を掴んだ。——力が強い。日本の酔っぱらいのおっさんに絡まれた経験は何度かあるが、この女の握力はその比じゃない。


「ちょっ——離してくれ!」


「まあまあ、そう怒んなよ。あたしは別に悪いことしようってんじゃ——」


「いいから離せって——!」


 周囲の視線が集まっている。通行人たちが足を止めて見ている。だが誰も助けに来ない。——いや、何人かは笑っている。酔った女が男に絡む光景は、この世界ではよくある風景なのかもしれない。


 腕を引いた。抜けない。焦りが胸の底からせり上がってくる。この世界の女はみんな力が強い。俺が非力すぎるのか、それとも——


「はいはい、そこまで。離しなよ、朝から見苦しい」


 声がした。低くて、よく通る女の声。


 酔っぱらいの女の肩に、後ろから手が置かれた。大きな手だった。それが軽く押すと、酔った女はあっさりと俺から手を離してよろめいた。


「なんだよ、あんた——」


「あたしだよ。ガレアだよ。ティーナ、あんたまた朝から飲んでるのかい。旦那が泣くよ」


「う、うるさいな……あたしの勝手だろ……」


 ティーナと呼ばれた酔っぱらいは、ぶつぶつ言いながら酒場に戻っていった。


 俺は、助けてくれた女を見た。——わずかに見上げた。


 背が高い。俺が百七十五だから、俺より少し高い。それだけでも日本の感覚だと十分に長身の女性だ。褐色の肌に短い茶髪。琥珀色の目が、面白そうにこちらを見下ろしている。太い眉の下で、目尻に笑い皺が刻まれていた。


 この世界の美の基準で言えば、たぶん「いい女」の部類だろう。引き締まった体、堂々とした立ち姿、日焼けした健康的な肌。腕まくりした袖から覗く前腕には、労働で鍛えた筋肉がしっかりついている。


「あんた、見ない顔だね」


 女——ガレアが、俺を頭のてっぺんからつま先まで観察した。昨日の巡回隊にも同じことをされたが、この女の目には敵意がなかった。代わりにあるのは、純粋な好奇心。


「その髪——黒いね。珍しい。どこの出身だい?」


「……遠いところから来た」


「ふうん。言葉がぎこちないね。異邦の人?」


 俺は曖昧に頷いた。「異世界」と言ったところで信じてもらえるとは思えない。


「一人で歩いてるのかい。付き添いは?」


「いない」


 ガレアの眉が上がった。驚いたというより、ますます面白がっているような表情。


「付き添いなしの男が一人で町を歩いてる。しかもその格好」


 彼女の視線が俺の首元に落ちた。慌ててシャツの襟を掻き合わせる。


「……事情があって、着替えがない」


「事情ねえ」


 ガレアは腰に手を当てて、くっくっと喉の奥で笑った。


「あんた、面白いねえ」


 その一言に含まれた感情は、嘲笑ではなかった。本当に、純粋に、面白がっている。珍しいものを見つけた子どもの目だ。


「腹は減ってないかい?」


 唐突な質問に、答えに詰まった。減っているどころの話じゃない。胃が背中にくっつきそうだ。でも見知らぬ人間の施しを受けるのは——。


 腹が盛大に鳴った。


 ガレアが吹き出した。遠慮も何もない豪快な笑い方だった。


「はは! 正直な腹だ。いいよ、ついてきな。うちの商会はすぐそこだ。飯くらい食わせてやるよ」


 ついていくべきか。見知らぬ女の誘い。この世界のルールもろくに分からないのに。


 でも選択肢がない。金もない、知り合いもいない、三日以内に保護者を見つけなければ拘束される。この女が唯一、今のところ敵意を見せていない人間だ。


「……すみません。ありがとうございます」


「堅いねえ。あたしはガレア。ガレア・マルディス。この町で商売をしてる」


「蒼真です。藤宮蒼真」


「ソーマね。変わった名前だ。いいね、覚えやすい」


 ガレアは大股で歩き出した。俺は早足でその背中を追う。百七十六センチの堂々とした体躯は人混みの中でも目立っていて、見失う心配はなかった。


 商会は大通りから一本入った路地にあった。石造りの二階建て。入り口の上に木の看板がかかっていて、商会の名前らしき文字が刻まれている。読めないが、ガレアの横顔に浮かんだ誇らしげな表情が、彼女の店であることを教えてくれた。


 中に入ると、一階は倉庫兼店舗だった。棚に雑貨が並び、布地が積まれ、壁際には樽が何列か。二、三人の女性——従業員だろう——が荷の整理をしている。


「おーい、飯の支度を頼むよ。二人分ね」


 ガレアが声を張ると、奥から「はいよ」と返事があった。


 二階に上がると、テーブルと椅子が置かれた部屋に通された。応接間と食事部屋を兼ねているようだ。窓から朝日が差し込んでいる。


「座りな」


 言われるまま椅子に腰を下ろした。詰め所の木椅子よりはるかにましだ。背もたれに体を預けた瞬間、どっと疲労が押し寄せてきた。


 ほどなくして、料理が運ばれてきた。


 厚切りのパンと、肉と根菜の入ったスープ。干し肉の薄切り。それと、水差し。


 見た目は素朴だ。でも——匂い。スープから立ち昇る湯気に含まれた、肉と香草の匂い。腹が再び鳴った。


「遠慮しなくていいよ」


 ガレアが向かいに座って、自分もパンをちぎりながら言った。


 俺は手を合わせた。習慣で。


「いただきます」


「何だいそれ、祈りの言葉?」


「まあ……そんなところです」


 スープを口に運んだ。


 ——旨い。


 体中の細胞が喜んでいるのが分かった。温かい食事がこんなにありがたいものだとは知らなかった。東京でコンビニ弁当を食べていた頃には一度も感じなかった感覚だ。


 黙々と食べた。ガレアは何も言わず、ときどき水差しから俺のコップに水を足してくれた。


 パンの最後のひとかけらまで平らげて、ようやく人心地がついた。


「ごちそうさまでした」


「はは、いい食べっぷりだ。気持ちいいね」


 ガレアが頬杖をついて、琥珀色の目で俺を見た。


「さて、ソーマ。あんたのこと、少し聞いてもいいかい」


「……俺に答えられることなら」


「どこから来た。レームブルクの人間じゃないだろう? その言葉の訛り、この大陸のどの方言とも違う」


 迷った。正直に話すか。異世界から来た、なんて。


 でも嘘をつく頭も回らない。一晩寝ていないし、疲労で思考がぼやけている。


「信じてもらえないかもしれないが——俺は、遠い場所から来た。この世界のことを、ほとんど何も知らない」


 ガレアの表情が変わった。面白がっていた目が、少し真剣になる。


「……渡り人、かい」


「渡り人?」


「別の世界から来た者。おとぎ話に出てくるやつさ。百年に一人いるかいないかって言われてる」


 おとぎ話。ということは、概念としては存在するのか。


「信じるかどうかは別としてさ」ガレアはスープの残りを啜りながら言った。「あんたの話は筋が通ってる。言葉がたどたどしいのも、その変な服も、町の仕組みを何も知らないのも。嘘をつくにしちゃ下手すぎるし、本当のことを言ってるにしちゃ突拍子もない。——あたしは商人だからね。人を見る目には自信があるんだ。あんたは嘘をついてない」


 ありがたい話だった。


「この世界のこと、教えてもらえますか」


「ずいぶん率直だね。いいよ、ざっくりとならね」


 ガレアは椅子の背にもたれて、足を組んだ。


「ここはヴェルメイア。女王陛下が治める国の、レームブルクっていう地方の商業都市だ。この国では——いや、あたしの知る限りどの国でも、社会を動かすのは女の仕事さ。政治、軍事、商売。女が外で働いて、男は家を守る」


「男は家を守る」


「そう。家事、育児、それから——まあ、夫としての務めだね。いい男っていうのは、慎ましくて、貞淑で、料理が上手くて、妻に尽くす男のことだ」


 貞淑。


 その言葉が、妙にずしりと響いた。


「あんた、さっきから肌をさらしすぎだよ。この町じゃ男は首から下を隠すのが常識だ。あんたの今の格好は——まあ、はっきり言って、品がないと思われる」


「……それは詰め所でも言われました」


「だろうね。さっきのティーナみたいな酔っぱらいに絡まれたのも、あの格好のせいだよ。挑発してるように見えるんだ」


 ——挑発。


 日本で女性が露出の多い服を着て「挑発してる」と言われる、あの理不尽。それがそっくりそのまま、性別を入れ替えて、今の俺に降りかかっている。


「それと」ガレアが付け加えた。「男は一人で外を歩くもんじゃない。付き添いの女がいるのが当たり前だ。身元を保証してくれる女がいない男は——まあ、不審者扱いされても文句は言えない」


「女の保護者がいないと、まともに暮らせない」


「そういうこと」


 俺は目を閉じた。


 ——全部、逆だ。役割も、貞操も、美醜の定義も。日本とは鏡写しに、何もかもが。


 目を開けた。ガレアが、じっと俺を観察していた。


「飲み込みが早いね」


「……飲み込んだというか、呑み込まされたというか」


「はは。あんた、やっぱり面白い」


 ガレアがテーブルに身を乗り出した。


「ねえ、ソーマ。あんた、これからどうするつもりだい?」


「三日以内に身元引受人を見つけろと言われました」


「だろうね。当てはあるのかい」


「ない」


「正直だねえ」


 ガレアが顎に手を当てて、しばらく考え込んだ。琥珀色の目が、商人の目つきに変わっていた。損得を計算する目。でも、それだけじゃない。そこには確かに、好奇心もあった。


「あんたが本当に渡り人なら——別の世界の知識がある、ってことだよね」


「知識……まあ、多少は」


「商売ってのはさ、新しいものに敏感じゃなきゃいけないんだ。この町の商人が知らない品物の知識、この大陸にない発想。あんたの頭の中には、そういうものが詰まってるんじゃないかい?」


 俺はIT営業だ。物を売る知識ならある。マーケティングの基礎、顧客心理の読み方、プレゼンの組み立て方。——この世界で通用するかどうかは分からないが。


「提案があるんだ」ガレアが言った。「うちの商会で働かないかい。部屋と飯は出す。給金も、まあ最初はお試しだけどね。あんたは異世界の知識であたしの商売を手伝う。あたしはあんたの身元引受人になる。悪い話じゃないと思うけど」


 悪い話じゃない——どころか、願ってもない話だ。衣食住と身元保証が一度に手に入る。


 だが、旨すぎる話には裏がある。営業マンの本能がそう告げている。


「なぜ、ここまでしてくれるんですか」


 ガレアは一瞬きょとんとして、それから声を上げて笑った。


「あはは! 疑り深いね。いいね、あたしは好きだよそういうの。——理由はさ、簡単だよ。あんたが面白いからだ。珍しいものが好きなのは、商人の性分でね。黒い髪の異世界人が目の前に転がり込んできたら、そりゃ拾うよ。拾わない商人がいたら、そいつは二流だ」


 そう言って、右手を差し出した。


「どうだい?」


 俺はその手を見た。大きくて、分厚くて、労働で硬くなった手。爪は短く切り揃えてある。日本の女性の手とは全然違う。でも、今朝あの酔っぱらいから俺を引き離してくれたのは、この手だ。


「よろしくお願いします」


 握手した。握力が強い。でも、不快じゃなかった。


「よし、決まり。今日からあんたはうちの居候だ。——その前に」


 ガレアが俺の格好を改めて眺めた。


「着替え。まずはそれだ。あんたの肌が丸出しなの、見ていてこっちが落ち着かない」


「……すみません」


「謝ることじゃないよ。文化が違うんだから。でも、この町で暮らすなら、この町のルールに合わせな。男用の服は見繕ってやるよ」


 そう言って立ち上がると、ガレアは階下に降りていった。残された俺は椅子に座ったまま、窓の外を見た。


 レームブルクの通りが見える。行き交う人々。大股で歩く女たち。その陰に控えめに寄り添う男たち。


 ——ここが、これからの俺の世界だ。


 しばらくして、ガレアが長袖のシャツとズボン、それに薄手のストールを持ってきた。


「従業員のお古だけど、サイズはまあ合うだろ。着替えな」


 言われるまま、別室で着替えた。長袖のシャツは麻の混じった布で、少しごわつくが肌触りは悪くない。ズボンは足首まで隠れる丈。ストールを首に巻くと、鎖骨から首筋が覆われて——なんだか、落ち着いた。


 鏡はなかったが、自分の腕を見下ろすと、手首から先だけが覗いている。たったそれだけなのに、不思議と「ちゃんとした格好をしている」という感覚があった。


 ——この世界の感覚に、もう馴染み始めているのか。


 少しだけ怖くなった。


 夜。


 ガレアが用意してくれた二階の小部屋に、一人きりで横たわっていた。


 簡素な木のベッド。薄い毛布。枕は藁を詰めたもの。硬いが、詰め所の椅子に比べれば天国だ。


 窓から入る夜風が、カーテンをわずかに揺らしている。その向こうに、あの琥珀色の天体が浮かんでいた。月とは違う。もっとぼんやりとした、温かみのある光。


 目を閉じた。まぶたの裏に、今日見たものが次々と浮かんでは消える。


 筋骨たくましい女の衛兵。通りで口笛を吹いてきた女。目を伏せて歩く男たち。美しいとされる褐色の肌の女の肖像画。酔っぱらいの太い指。ガレアの琥珀色の目。


 ——ここは、俺の知っている世界じゃない。


 ドラゴンや魔法がある派手な異世界じゃない。もっと根深い。「男であること」「美しいこと」——そういう人間の土台ごと、ひっくり返っている世界。


 布団を引き上げて、鼻先まで覆った。


 ここでは何もない。金もない、知り合いもいない、この世界の常識すら昨日まで知らなかった。ガレアの好意がなかったら、今頃どうなっていたか分からない。


 でも——少なくとも今日、ガレアは俺を「面白い」と言った。酔っぱらいから助けてくれた。飯を食わせてくれた。寝る場所をくれた。


 それが同情でも、商売の打算でも、今の俺には十分すぎるくらいありがたかった。


 琥珀色の天体の光が、窓から細く差し込んでいる。


 ——明日から、か。


 目を閉じた。体が鉛のように重い。意識がゆっくりと沈んでいく。


 この反転した世界の最初の夜が、静かに更けていった。


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