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王妃の後宮は、だいたい国家中枢である

ヴァルディア王国の王城は、遠くから見ると白い山のように見える。


丘の上に幾重にも重なった城壁と、その内側にさらに押し込まれるように立つ塔や宮殿は、どう考えても「人が住む家」の規模ではない。王城というより、ひとつの都市を丸ごと高台の上に乗せたような造りだった。白い石灰石でできた壁は春の陽を受けてやわらかく光り、巨大であるくせに妙に上品で、ああなるほど、大国の見栄というのはこういうふうに石になって現れるのか、などとレイナ・アストレアは馬車の窓からぼんやり考えた。


資料では知っていた。地図も頭に入っている。門の数、塔の配置、後宮の位置、おおまかな動線まで、出立前にかなり詰め込まれた。外交婚姻で嫁ぐ以上、何も知らずに行くのはただの無能である。まして相手は大陸でも有数の強国、ヴァルディア王国だ。小国アストレアの第三王女がぼんやりした顔だけで送り込まれてきたと思われるのは、国としてあまりに具合が悪い。


もっとも、知っているのと実際に目にするのとは別だった。


大きいな、とレイナは素直に思った。


ただ大きいだけではない。動いている。城門の前に並ぶ衛兵は微動だにせず、槍の角度まで揃っているくせに、その向こうの世界は絶えず人が行き交っていて、書類を抱えた役人、荷を運ぶ使用人、馬を引く兵士、どこかへ急ぐ文官らしき男たちが、門の向こうを小さくせわしなく動いている。ここは王の家であると同時に、この国の脳みそなのだろう。そんな感じがした。


馬車が止まる。


扉が開く前に、レイナは一度だけ膝の上で手を組み直した。爪先、袖口、襟元、髪。乱れていないのを確認する。緊張していないわけではない。ただ、こういう時に緊張した顔をしていても得なことはあまりない。少なくとも最初は、明るく、柔らかく、扱いやすそうに見えたほうがいい。そういう判断くらいはする。


扉が開いた。


春の風が入ってくる。石の匂いと、湿った土の匂いと、遠くの庭園から流れてくる花の匂いが混ざっている。レイナはゆっくりと外へ降りた。


城門前には侍女たちが控えていた。中央に立つ女性は四十代半ばほど、濃紺の衣装をすきなく着こなし、背筋が一切たわんでいない。ああ、この人が侍女長だろうな、と空気で分かる。


女性はきれいに礼をした。


「ようこそ、ヴァルディア王城へ。後宮侍女長マルグリット・ド・サンセルにございます」


レイナも同じ深さで礼を返す。


「この春の佳き日に、かくも壮麗なヴァルディア王城へ足を踏み入れることが叶いましたこと、深く光栄に存じます。アストレア王国第三王女、レイナ・アストレアにございます。未熟ではございますが、本日よりどうぞよろしくお願い申し上げます」


マルグリットは顔を上げ、こちらをひとつ見た。その目は、露骨ではないが、挨拶の仕方と声の調子を見ていた。レイナもにこやかな顔のまま、その視線を受ける。少なくとも、「何も分かっていない小娘」ではないと伝われば十分だ。


侍女長はわずかに頷いた。


「長旅でお疲れのところ恐れ入ります。まずは後宮のお部屋へご案内いたします。その後、夕刻に歓迎の席を設けております」


「ご配慮に感謝いたします」


いきなり王妃と対面ではないらしい。


まあ当然である。


ヴァルディア第一王妃エレノア・ヴァルディア。王都に来る前から嫌というほど耳にした名前だ。王妃でありながら宮廷運営の中枢にいて、王宮貴族の利害調整から官僚機構の掌握まで手を伸ばしている。王と並ぶ権威を持つ、とまではいかなくとも、少なくとも「王妃だから飾りです」で済む人物ではない。


新しい側室が着いたからといって、城門で笑顔のお迎えをするような立場ではない。まずは後宮に通し、身を落ち着けさせ、然る後に顔合わせ。そちらのほうがずっと自然だった。


レイナはマルグリットの後ろについて歩き出した。


門をくぐると、王城の内部は外から見た以上に広かった。噴水のある大庭園、そこから枝分かれする石畳の道、広い芝生、回廊、政務棟、礼拝堂らしき尖塔、役人の行き来。視界のどこを切り取っても「人がたくさん働いている城」で、王が暮らす場所というより巨大な役所にも見える。いや、役所にしては装飾が多すぎるし、花も多いが。


「姫様は王都にお越しになるのは初めてでいらっしゃいますか」


歩きながらマルグリットが尋ねた。


「はい。王都は初めてです。話にはたくさん聞いていましたけれど、実際に来るとやっぱり違いますね」


「さようでございましたか。どのあたりが?」


「忙しそうだな、と思って」


侍女長の口元がわずかにほころぶ。


「ええ。王城は常に忙しゅうございます」


「後宮も?」


「ご安心ください、後宮はもう少し静かですよ」


「それは助かります」


レイナが素直に言うと、後ろについた若い侍女の一人がほんの少し笑いをこらえた気配があった。侍女長は振り返りこそしないが、たぶん気づいている。それでも何も言わないあたり、極端に張り詰めた人ではないらしい。


歩きながらレイナは周囲を見る。建物の配置、警備の場所、使用人の流れ。もちろん今すぐ何かに役立つわけではない。ただ、知らない場所に入ったときは、なるべく早く地図を頭の中に作っておくに越したことはなかった。前世の記憶なんて大げさに言うつもりはないが、まあ、そういう癖は昔からあった。初めて行く職場でも学校でも店でも、まず出口とトイレと人の動線を見るタイプだったのだ。王城でもやることはあまり変わらない。


後宮へ向かう道は、中央の政務棟から少し離れるにつれて空気がやわらいでいった。役人の数が減り、庭の割合が増える。花壇、低木、陽を受ける回廊。建物の窓も大きくなり、壁面もわずかに装飾が増す。完全に生活のための空間だ。


「ご存知かとは思いますが、後宮には現在四名の側室様がおられます」


マルグリットが言った。


「伺っております」


もちろん知っている。


王国財務官マルティナ・グラーツ。

敵国出身の外交官ソフィア・エルメリア。

宮廷魔術師長リュシア・オルフェン。

そして諜報局長カサンドラ・ナイト。


最初に一覧を見たとき、レイナはちょっと変な笑い方をしてしまった。王の側室の名簿というより、国家機関の責任者一覧だったからだ。後宮という言葉から一般に想像するものと、ずいぶん違う。


しかもその中心にいるのが王妃エレノア。


国の中枢が後宮に偏っていませんか、と資料に向かって言いたくなったが、口には出さなかった。小国の姫が大国の制度に対して気軽にツッコミを入れるべきではない。たとえ心の中でいくらでも入れるとしても。


「今夜の歓迎の席では、側室様をはじめ、王妃様も足を運びます」


「あら、早速お会いできるのですね。嬉しゅうございます、楽しみにしておりますわ」


「緊張はなさっておりますか?」


「半分くらい」


するとマルグリットが初めて明確に笑った。


「それでは、残り半分は?」


「好奇心です」


「なるほど」


後宮の正門をくぐる。


そこから先はさらに空気が変わった。兵士の姿はなく、代わりに後宮付きの侍女と女官が出入りしている。建物は王宮本体より背が低く、横に広く、窓辺には春の花が植えられていた。静かだが、死んだような静けさではない。水を運ぶ音、遠くで何かを片づける音、誰かの話し声。人が生活している音のする場所だった。


案内された部屋は、十分すぎるほど整っていた。暖炉つきの居間、奥の寝室、衣装部屋、小さな書き物机、庭に面した窓。荷はすでに運び込まれており、花まで飾ってある。


「歓迎の席まで少々お時間がございます。お着替えと休憩ののち、お迎えに上がります。どうぞごゆっくりおくつろぎください」


マルグリットが礼をして下がる。若い侍女が二人残り、荷解きや衣装の確認を始めた。


レイナは窓辺へ歩き、庭を眺めた。


ここが自分の新しい部屋らしい。


王の側室として。外交婚姻で送られてきた、小国の第三王女として。


不思議と、嫌な気持ちはしなかった。もちろん楽観しているわけではない。ただ、息苦しさのようなものがない。少なくとも今のところ、この後宮は「閉じ込められる場所」というより「様子を見るべき場所」に思えた。


ノックの音がした。


若い侍女が茶を運んでくる。二十歳前後だろうか、少し緊張した顔をしている。


「お名前を聞いてもいいかしら?」


「エミーと申します」


「よろしく、エミー」


たったそれだけで、彼女の肩が少し下がるのが分かった。


レイナは内心で少し笑う。こういうのは簡単だ。偉い人に名前を呼ばれると、たいていの人は少し安心する。もちろんそれだけで信頼が得られるわけではないが、最初の空気としては悪くない。


茶を一口飲む。軽い葉茶だ。花の香りが穏やかで、長旅のあとの喉にやさしい。


「歓迎の席って、どんな感じなの?」


エミーは一瞬言葉を選んだ。


「ええと、皆様がお集まりになって、軽いお食事を……」


「軽く、では終わらなそう」


「……そうかもしれません」


正直でよろしい。


レイナは少し笑いながら窓の外を見た。回廊の向こうに、一瞬だけ人影が見えた。侍女ではない。すらりとした女性で、上質な衣をまとっている。こちらを見たような、見ていないような、そんな距離だったが、すぐに回廊の角へ消えた。


後宮は静かでも、無人ではない。新しい側室が着いたとなれば、そりゃ気になるだろう。


レイナはカップを置いた。


歓迎の席まで、あと少し。


さて、どんな人たちなのだろう。



歓迎の席は、思ったより宴会ではなく、思ったより会議でもなかった。


夕刻、エミーたちに整えられて案内された先は、後宮の一角にある広間だった。食事の場にしては机が小ぶりで、会議の場にしては花が多い。窓の外には夕暮れの庭が広がり、長い卓ではなく、ゆるく円を描くように低い机と椅子が配置されていた。いかにも「堅苦しくしませんよ」という顔をした空間だが、そういう配慮が露骨な場ほど、実際にはそれなりに緊張する。


先に来ていたのは四人だった。


ひと目で誰が誰か分かる。


資料で見た肖像画より、全員だいぶ生きていた。


最初に立ち上がったのは、赤みのある茶髪をまとめた女性だった。年は二十代半ばくらい、知的で、少しきつめの顔立ちだが、美人である。衣装は華美ではなく、むしろ実務家らしい線の細いデザインで、宝石よりも書類のほうが似合いそうな人だった。


「ようこそ、偉大なるヴァルディアの後宮へ。私はマルティナ・グラーツ。この国のお財布を預かってる女よ。……まあ安心して、あなたを売り飛ばす予定は今のところないわ」


王国財務官。


声が切れる。余計な語尾がない。


「レイナ・アストレアです。それを聞いて安心しました。まだ売り物としては値がつかないと思っておりましたので」


礼をすると、マルティナはじろりとこちらを見て、それから思ったよりやわらかく言った。


「長旅で疲れてるでしょうけど、今さら帰れないから諦めて」


レイナは一瞬だけ目をぱちぱちさせ、それから笑ってしまった。


「はい」


「うん。よろしい」


次に、金に近い淡い髪を持つ、気品のかたまりみたいな女性が口を開く。姿勢が美しいというより、姿勢が美しいのが当然みたいな立ち方をしていた。


「ソフィア・エルメリアと申します。遠きアストレアよりようこそお越しくださいました、レイナ姫。ヴァルディアの後宮へ、心より歓迎いたします」


敵国出身の王女にして外交官。さすがに礼のひとつまで完成度が高い。


「お目にかかれて光栄にございます、ソフィア様。アストレア王国第三王女、レイナ・アストレアでございます。こうしてお迎えいただきましたこと、心より感謝申し上げます」


レイナが返すと、ソフィアはごくわずかに眉を和らげた。


「礼儀はきちんとしていらっしゃるのですね」


「一応、首が飛ばない程度には」


その瞬間、マルティナが吹き出し、ソフィアが目を丸くし、部屋の隅で本を読んでいた黒髪の女性がようやく顔を上げた。


たぶんこの人がリュシアだろう、と思う。目の下にうっすら隈があり、髪も少し乱れている。宮廷魔術師長というより、徹夜続きの研究者である。


「飛ぶの、首だけならまだまし」


ぼそり、と彼女は言った。


「リュシア・オルフェン」


「レイナです」


「知ってる。よろしく、かわいいお姫様」


そこまで言って、リュシアはまた本に視線を戻した。歓迎する気があるのかないのか分からない。だが敵意がないことだけはなんとなく伝わる。


最後の一人は、最初からずっと壁際に立っていた。黒に近い濃紺の髪をひとつにまとめ、表情がほとんど動かない。情報が歩いているような目をしている。


「カサンドラ・ナイト」


短い名乗り。


諜報局長。元暗殺者。噂の密度が一番高い人だ。


「はじめまして、レイナ・アストレアです」


「聞いた」


短い。


だがその視線は冷たいというより、単純に観察しているだけだった。仕事柄、人を見るのがそういう癖になっているのだろう。


四人に囲まれる形になって、レイナはひとまず座るよう勧められた。


料理は意外なほど控えめだった。


籠には焼きたてのヴァルディア式小麦パン。

透き通った春香草の澄ましスープ。

淡い琥珀色の林檎果実酒〈ポム・シードル〉。

そして皿の中央には、細かく刻んだ香草と岩塩で焼き上げた若鶏の香草焼きが並んでいる。


ヴァルディアの宮廷では、初対面の席に重い料理を出さないのが慣わしだという。

腹を満たすより、まず言葉を交わすためのきっかけ作りを。そんな意味を持つ料理だった。


歓迎の宴というより、あくまで顔合わせを円滑にするための食卓である。


最初の数分は、ごく普通の話だった。旅はどうだったか、道中に問題はなかったか、部屋に不足はないか。だが話し方や目線の置き方に、それぞれの性格が出る。


マルティナは相手の返答の速さを見ている。


ソフィアは言葉遣いと礼の質を見ている。


リュシアは見ていないようで、たぶん断片的に面白がっている。


カサンドラはぜんぶ見ている。


なるほど、と思う。後宮というより採用面接である。


「思ったより平気そうね」


スープを口にしたあと、マルティナが言った。


「小国からの輿入れだもの。もっと泣きそうな顔で座ってるかと思ったわ」


「泣いたほうがよかったですか?」


「別に。面倒が増えるだけ」


「ふふ、そしたら平気そうにしておきます」


「しておくって……」


「実際、半分は緊張してるので」


そう言うと、マルティナは喉の奥で笑った。ソフィアも目を伏せて、わずかに口元を緩める。緊張ゼロのふりをするより、このくらいのほうがいい。


「アストレアでは、どのような教育を?」


と、ソフィアが尋ねた。


「普通の王女教育に、外交儀礼と、少し言語を」


「少し?」


「はい。母国語に加え、ヴァルディア語と、旧帝国語と、魔種族語、あとは近隣の交易用の共通語と……」


「……それは、少しとは言いません」


「上には上がいますので。嫌になるほど身に染みていますわ」


ソフィアはそこで初めて、明確に感心した顔をした。


「謙遜なのか、本気なのか判断に困りますね」


「半分ずつです」


「便利な方ですね」


「よく言われます」


言われたことはないが、今後言われそうではある。便利、なるほど。小国だてらに磨きあげられた容姿に、潤沢な資金を投じられた教育。「たかだか」その程度の投資でヴァルディアとの繋がりが得られたのだ。母国にとって私はたしかに便利な人だろう。


話が途切れた、そのときだった。


広間の空気が、すっと変わった。


扉が開く音は大きくなかった。誰かが大仰に名を告げることもない。ただ、それでも全員が自然に視線をそちらへ向ける。


入ってきた女性を見て、レイナはひとつだけ思った。


ああ、なるほど。


光を吸い込むような艶を帯びた黒髪は頭を一周するように編み込まれ、冠のような輪を作っていた。

瞳は淡い灰色で、宝石のように輝きながら、静かな水面のように落ち着いている。


深い藍色のドレスは、王城でも最高級とされる絹で仕立てられている。

胸元から肩にかけて、細い銀糸の刺繍が夜空の星のように控えめに散っていた。

装飾はほとんどないが、布の落ち方、腰の絞り、袖の線、そのすべてが完璧に計算されている。


歩みはゆっくりでも、急いでいるわけでもない。

一定の速度で、まっすぐに進む。

その歩き方には迷いがなく、廊下でも庭でも同じ速さで歩いてきたのだろうと分かるような自然さがあった。


背筋はすっと伸びている。

だが威圧するための姿勢ではない。

ただそこに立つことに、何の躊躇もない人間の姿勢だった。


そして気づく。


その人が部屋に入った瞬間、誰も命じていないのに、場の重心がわずかに移っている。

声も動きも変わらないのに、いつの間にか空気の中心がそこへ集まっている。


威圧感はない。

むしろ、凪いで静かだ。


それでも、部屋の中心は確かに彼女のものだった。


これがエレノア・ヴァルディア。


第一王妃。


「お待たせいたしました。可愛いお姫様たち、楽しんでいたかしら?」


四人が立ち上がり、レイナもそれにならう。


エレノアの視線がこちらへ向く。


一瞬、短い沈黙。


はっと気づき、レイナはすぐに礼をした。


「アストレア王国第三王女、レイナ・アストレアにございます。このようにお迎えいただきましたこと、深く感謝申し上げます。本日よりどうぞよろしくお願い申し上げます」


エレノアは少しだけ微笑んだ。


「ようこそ、レイナ姫。第一王妃エレノア・ヴァルディアです。長旅、お疲れさまでした」


資料の上の名前が、ようやく実体を持った気がした。


王妃は席に着き、他の面々も座る。エレノアが加わったことで場が急に張り詰めるかと思ったが、意外にもそうはならなかった。もちろん軸は彼女に移ったが、空気が固くなるのではなく、むしろ整う感じだ。


会話の流れが自然にまとまっていく。


歓迎の言葉を改めて述べ、部屋に不自由はないかを聞き、旅路の無事を喜ぶ。それらは王妃として当然の振る舞いなのだろうが、不思議と定型だけに聞こえなかった。相手の目を見て、返答を拾って、間を合わせている。人の扱いがうまい人だな、とレイナは思った。


そして、俗っぽいが、やはり美人だった。


いや、肖像画でも分かっていたのだが、実物はもっと生々しく整っている。顔立ちの派手さではなく、全体の釣り合いがいい。線が無駄なく引かれているような美しさだ。


「後宮を、多少は見て回れたでしょうか。何か気になることはありますか?」


と、エレノアが尋ねたとき、レイナは一瞬迷ってから言った。


「ええと……思ったより、皆様やさしくて、安心しました!」


沈黙が二拍ほど落ちる。


最初に反応したのはマルティナだった。肩を震わせて笑いをこらえている。ソフィアが軽くため息をつき、リュシアが本から顔を上げ、カサンドラがかすかに視線を細める。


エレノアは笑った。


「それは何よりです」


「もっと怖い場所かと思っていました」


「怖くありませんよ。みな分をわきまえ、能力を生かし、満たされた毎日を、のびのびと過ごしています」


王妃が穏やかに言うと、マルティナがすかさず横から入る。


「言うだけなら何とでも言えるわね、正妃様?」


「マルティナ」


「はいはい」


やり取りが自然すぎて、レイナは少し驚いた。王妃に対して財務官がここまで気安い口をきくのか。いや、口をきける関係だからこそ、ここにいるのかもしれない。


「そうですね、ですが、レイナ姫は、ずいぶん落ち着いていらっしゃるのですね」


エレノアがそう言った。


試されている、というほど露骨ではない。ただ、確認はされている。


レイナは少し考えたふうに首を傾げる。


「緊張はしています。でも、来てしまったものは仕方ありませんし」


「往々にして、それは正しい姿勢です」


「それに」


レイナは続けた。


「知らない場所ほど、最初はよく見たほうがいいので」


その瞬間、カサンドラがこちらを見た。マルティナも。エレノアだけが、わずかに目を細める。


「何を見ましたか」


問われて、レイナは少し笑う。


「侍女長が優秀そうだな、とか。庭がよく手入れされてるな、とか。みなさまが、私を泣かせる気は今のところなさそうだな、とか」


マルティナが今度こそ吹き出した。


ソフィアまで肩を揺らし、リュシアが小さく「面白い」とつぶやく。エレノアの笑みも、ほんの少し深くなった。


「安心してください」


王妃は言った。


「少なくとも、今夜は泣かせませんから」


「……それは少し怖いですね」


「冗談です」


たぶん半分くらい。


そう思ったが、口には出さなかった。


その夜の歓迎の席は、結局、穏やかに終わった。誰かが露骨に敵意を見せることも、意地悪な質問で追い込むこともなかった。とはいえ、完全に油断していい場ではないとも分かった。ここにいる女性たちはみな賢い。賢い人間は、だいたい優しいだけでは済まない。


だが同時に、レイナは奇妙な安心も覚えていた。


この後宮は、思っていたより息がしやすい。


そして何より、王妃エレノア・ヴァルディアは、噂よりずっと――面白そうな人だった。


レイナは転生者ですが、前世の知識を「無双」に使うタイプではありません。

どちらかというと人の見方に前世の影響が強く残っています。


もし面白いと思っていただけましたら、

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