第六話:鏡の中の黒歴史(ドッペルゲンガー)
【封印されし禁断の魔導書】
パンドラでの激務の合間。私は大学のキャンパスで、久しぶりにサークルの友人から段ボール箱を受け取っていた。
「ごめんね杏奈! 実家の大掃除してたら、あんたが中学の時に忘れていった荷物が出てきてさー。ついでだから持ってきた!」
「えっ、中学? あー……ありがとう。助かる」
受け取った箱は、ずしりと重かった。
中学時代。それは私にとって、オタクとしての自我が確立した黄金期であり、同時に、記憶から抹消したい「暗黒期」でもあった。
(嫌な予感がする……)
パンドラ本部の自室に戻り、恐る恐るガムテープを剥がす。
中から出てきたのは、懐かしいアニメ雑誌の山と、ラミネート加工された推しのポスター。
そして、底の方に、禍々しいオーラを放つ一冊の大学ノートが埋もれていた。
表紙には、銀色のポスカで大きくこう書かれている。
『創世記~選ばれし者の覚醒~ 設定資料集』
「ひっ……!」
私は短い悲鳴を上げ、ノートを取り落とした。
見てしまった。
あれは、私が中学二年生の時に、世界の理を全て理解した気になって書き殴った、オリジナル小説の設定ノートだ。
主人公の名前は「リュシフェル・アンナ」。右目には邪気眼、左腕には封印された魔竜の力。世界政府の陰謀と戦う、孤独な堕天使。
「燃やさなきゃ。今すぐ、この世から消滅させなきゃ……!」
冷や汗をダラダラと流しながら、私はその禁断の書を、焼却炉へ持っていこうとした。
その時だった。
「あら杏奈さん。何その面白そうなノート」
背後から、研究開発室長の九条栞さんが現れた。彼女の手には、見慣れない携帯型スキャナーが握られている。
「ひゃいっ!? い、いえ、これはただの古紙でして!」
「古紙? でも、ものすごく強力な『妄想エネルギー』の残留思念を感じるわ。ちょっと分析させて?」
「やめてください! これを見られるくらいなら死を選びます!」
抵抗も虚しく、栞さんのスキャナーがノートの表紙を撫でた。
瞬間。
ピピピピピ、ガガガガガッ……ドォォォォン!!
スキャナーが異常な電子音を発し、爆発した。
それと同時に、ブリーフィングルームの警報が鳴り響く。
『緊急警報! 本部施設内に特異点発生! レベル4の空間歪曲を確認! これは……なんだ!?』
モニター越しに、一条さんの焦った声が聞こえる。
栞さんが真っ青な顔でノートを見つめた。
「まさか……このノートに込められた杏奈さんの『過去の情熱』が、私のスキャナーの解析波と共鳴して、局地的なノイズ空間を生成した……!?」
「は……はいぃぃぃ!?」
私の黒歴史が、物理的に暴発しただと!?
【顕現せし漆黒の堕天使】
パンドラ本部の廊下は、地獄絵図と化していた。
無機質な壁は、どす黒いレンガ造りの古城のように変貌し、天井からは鎖が垂れ下がっている。
そして、壁のいたるところに、赤ペンで書かれた痛々しいポエムが浮かび上がっていた。
『くくく……我が右目が疼く……』
『血塗られた運命からは逃れられない……』
『近寄るな、火傷するぜ……?』
「うわぁぁぁぁ! やめてぇぇぇ! 見ないでぇぇぇ!」
私は頭を抱えて絶叫しながら駆け抜けた。
これは精神攻撃だ。物理的なダメージはないが、SAN値(正気度)がゴリゴリ削られていく。公開処刑なんてレベルじゃない。
「おい雑食! なんだこの趣味の悪い空間は! お前の脳内かよ!?」
「……趣味悪い。ポエム、痛い」
「戦場は、お遊戯会じゃねえぞ……!」
駆けつけた陽翔、雫、鉄男さんの三人も、この惨状に顔をしかめている。
「みんな、ごめん! 私の黒歴史ノートが暴走して……!」
「黒歴史ノートだと!? お前、そんな爆弾を抱えて生きてたのか!」
陽翔が呆れたように叫ぶ。
その時、廊下の突き当たりにある巨大な扉――元は更衣室だった場所――が開いた。
ゴゴゴゴゴ……。
中から溢れ出したのは、漆黒の瘴気と、厨二病全開のBGM(自作のプレイリスト)。
そして、玉座に足を組んで座る、一人の少女の姿があった。
黒いゴシックドレスに、片方だけの翼。右目には眼帯。腕には包帯。
その顔は――私と、瓜二つだった。
『ククク……よく来たな、愚民ども。我は漆黒の堕天使、リュシフェル・アンナ。この腐った世界の理を壊す者……』
「ブフッ!」
「……ぷっ」
「こ、こいつは……!」
陽翔と雫が吹き出し、鉄男さんが顔を背けて震えている。
『何がおかしい! 貴様ら、我が魔眼の力を見ても、まだ笑っていられるか!』
ドッペルゲンガー――「リュシフェル」が立ち上がり、包帯を巻いた左腕を掲げた。
包帯が解け、その下に描かれたマジックペンの魔法陣(手書き)が怪しく光る。
『喰らえ! 封印解除! 『終焉の黒炎竜』!』
彼女の腕から、黒い炎の形をしたエネルギー波が放たれた。
それは物理的な熱量こそないが、当たった対象の「精神的恥ずかしさ」を増幅させる呪いの炎だった。
「うわっ!? なんだこれ、体が……動かねえ!? 昔、俺がアイドルオーディションに応募した時の履歴書が脳裏に浮かんで……恥ずかし死ぬッ!」
「……やめて。私が初めてネットに投稿した、下手くそなイラストの記憶が……」
「ぐぅぅ……! 新兵時代、上官の前で盛大にコケた記憶が蘇る……!」
直撃を受けた三人が、悶絶しながら床に崩れ落ちる。
これは、過去のトラウマを強制的に思い出させる精神攻撃だ!
『ハハハ! 見ろ、これが世界の真実だ! 貴様らの薄っぺらい仮面など、我が前では無力!』
リュシフェルが高笑いする。
その姿は、紛れもなく中学時代の私自身。
痛くて、幼くて、でも誰よりも「自分は特別だ」と信じていた頃の、私。
私は、震える足で彼女の前に立った。
顔から火が出そうだ。穴があったら入りたい。
でも、仲間たちが苦しんでいる。
「あんた……いい加減にしなさいよ!」
私は叫んだ。
『ほう? オリジナル(本物)の私が、このレプリカ(偽物)に意見するか? 面白い。貴様も、己の罪深き過去に溺れるがいい!』
リュシフェルが眼帯を外す。
その右目がカッと開き、金色の光が私を射抜いた。
『邪気眼発動! 『魂の回廊』!』
【上書きされる黒歴史】
直撃を受けた私の脳内に、中学時代の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
深夜、親に見つからないように書き続けた小説。
授業中、ノートの隅に描いた魔法陣の設定。
「フッ、またつまらぬものを斬ってしまった……」と、傘で素振りをした雨の日。
「やめて……! 思い出させないで……!」
私は頭を抱えてうずくまった。
恥ずかしい。消えてしまいたい。
あんなの、今の私とは違う。あんな痛い過去、なかったことにしたい。
『否定するな! それが貴様だ! 世界を憎み、自分だけが特別だと信じ、孤独に酔いしれていた、哀れな道化師! それが貴様の本性だろう!』
リュシフェルの言葉が、私の心の最も柔らかい部分を抉る。
そうだ。私は、現実が嫌いだった。
退屈な学校、理解してくれない大人たち、何も持っていない自分。
だから、物語の世界に逃げ込んだ。そこでなら、私は特別になれたから。
でも、今は違う。
今の私には、推しがいる。仲間がいる。守りたい日常がある。
(……違う?)
ふと、疑問が浮かんだ。
本当に、違うのか?
中学時代の私が求めていた「特別」と、今私が推し活で得ている「充足感」。
根っこにあるものは、同じじゃないのか?
「……ううん。違わない」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
恥ずかしさで涙目になりながら、私は自分のドッペルゲンガーを睨みつけた。
「確かに、痛い! 恥ずかしい! 今すぐ記憶を消去したい! でも……」
私は、胸のポケットに入れていた、ルージュ様のアクスタを握りしめた。
「あの時の私がいたから、今の私がいる! あの時、必死に物語を紡ごうとした情熱があったから、私は今、こんなにもたくさんの『好き』に出会えたんだ!」
黒歴史は、汚点じゃない。
それは、私が私になるための、通過儀礼だ。
『な、何を言っている……!? 貴様、己の闇を直視しても狂わないというのか!?』
リュシフェルが狼狽える。彼女の力の源は、私の「羞恥心」だ。私がそれを肯定した瞬間、彼女の存在基盤が揺らぎ始めた。
「私は、もう逃げない! あんたも、私の大切な一部だから!」
私は一歩踏み出した。
スキル発動。
今回の憑依対象は、他の誰でもない。
目の前にいる、過去の私自身――「漆黒の堕天使リュシフェル・アンナ」!
『バカな! レプリカがオリジナルを取り込むだと!?』
「上書き(オーバーライト)してあげるわよ! もっと洗練された、最新版の『私』でね!」
私は、リュシフェルに向かって手を伸ばした。
接触。
瞬間、強烈な光が私たちを包み込む。
脳内に流れるのは、あの中二病全開のBGM。
でも、今の私には、それが勇壮なテーマ曲に聞こえた。
(右目が疼く? 上等じゃない! それは世界を見通す覚悟の証!
包帯の封印? 解放してあげるわよ、その有り余る自意識を!)
私は、過去の痛い設定を、一つ一つ、今の私の解釈で「再定義」していった。
それは否定じゃない。
愛あるツッコミと、肯定だ。
光が収まると、そこには一人の少女が立っていた。
眼帯も包帯もない、いつもの私。
だが、その背中には、うっすらと、だが確かに、漆黒の翼が広がっていた。
『スキル・アップデート:【中二病の覚醒】』
「……ふっ。またつまらぬものを浄化してしまったわね」
私は、中学時代に憧れたあのセリフを、今度は堂々と口にした。
不思議と、恥ずかしくはなかった。
部屋の歪みが消え、元通りの無機質な廊下が戻ってくる。
倒れていた陽翔たちが、よろよろと起き上がった。
「……おい、雑食。お前、なんか雰囲気変わったか?」
「……痛々しさが、一周回って貫禄になった、気がする」
「まったく、人騒がせな覚醒だ」
三人は呆れたような顔をしていたが、その目には、少しだけ私を見直したような色が混じっていた。
事態が収束した後。研究室で、栞さんが深刻な顔でモニターを見つめていた。
「……杏奈さん。今回の現象、ただの事故じゃないかもしれないわ」
「えっ? 私の黒歴史が爆発しただけじゃ……」
「きっかけはそうだけど、そのエネルギーを増幅させ、歪曲空間を固定化した『外部干渉』の痕跡があるの」
栞さんは、複雑な波形グラフを指さした。
「この波形パターン……第七話で遭遇した『ステンドグラスのノイズ』、つまり『マエストロ』の配下と思われる個体と酷似しているわ」
「マエストロが……私の黒歴史を利用したってことですか?」
「ええ。奴らは学習している。私たちの精神的な弱点、過去のトラウマを狙い撃ちにする方法を。……次の戦いは、もっと巧妙で、残酷なものになるかもしれない」
栞さんの言葉に、背筋が凍る。
私の「痛い過去」すらも、敵にとっては武器になる。
私は、自分の掌を見つめた。
でも、今の私は、その「痛さ」すらも力に変えた。
過去の自分を受け入れた私は、きっと昨日までの私より強い。
「望むところです」
私は顔を上げた。
その瞳には、かつて「邪気眼」と呼んでいた頃の、根拠のない自信とは違う、確かな覚悟の光が宿っていた。
(第六話 完)




