第五話∶鋼鉄の古参兵と、サバゲー女子の憂鬱
【その迷彩服、解釈違いにつき】
パンドラ本部、男子更衣室。
そこは、硝煙と機械油、そして男たちの汗臭さが充満する、むさ苦しい空間……のはずだった。
「兄貴! だから言ってんだろ! きららちゃんの新曲のカップリング曲は、歌詞の『君』がファンを指してるんじゃなくて、過去の自分へのメッセージなんだよ! このエモさが分かんねーかなぁ!?」
「うるせぇぞ陽翔。戦場は神聖な更衣室だ。アイドルの解釈論争を持ち込むな」
橘鉄男は、分厚い胸板を覆うインナーシャツを整えながら、鏡越しに弟の陽翔を一喝した。
鉄男は、パンドラの戦闘部隊長であり、歴戦の傭兵のような風貌を持つ男だ。その筋肉は伊達ではない。かつて海外の民間軍事会社に所属し、本物の戦場を渡り歩いたという噂もある「ガチ勢」だ。
彼が愛するのは、泥と鉄の味がする硬派な戦争映画と、徹底したリアリズムを追求したFPSゲーム。
軟弱な「萌え」文化とは対極に位置する、昭和の頑固親父のようなオタク。それが橘鉄男という男だった。
「ちぇっ。頭の固いミリオタはこれだから困るぜ。……ほら、忘れ物」
陽翔が放り投げたのは、小さな巾着袋だった。
鉄男はそれを片手で見事にキャッチする。中に入っているのは、彼が戦場でも手放さない「お守り」だ。
「……余計なお世話だ」
「へいへい。んじゃ、先行ってるぜ」
陽翔が出て行った後、鉄男は一人、その巾着袋をじっと見つめた。
無骨な指が、袋の紐を解く。
中から出てきたのは、可愛らしいデフォルメが施された、戦車のマスコットキーホルダーだった。
「……ふん。悪くはない造形だが、履帯の枚数が実物と違う」
独りごちて、彼はそれを大切にポケットにしまった。
彼の中にある「萌え」への感情は、複雑骨折した迷路のように入り組んでいるのだ。
一方、ブリーフィングルームでは、私が新たなミッションの資料と格闘していた。
「――今回の特異点は、千葉県の山中にある国内最大級のサバイバルゲームフィールド『フロントライン・ベース』です」
九条栞さんがモニターに地図を表示する。
広大な森林エリアと、廃墟を模した市街地エリアを擁する、本格的なフィールドだ。
「観測されたノイズの波形は、極めて好戦的かつ……カオスです」
「カオス?」
「ええ。複数の異なる『戦争』の概念が衝突し、融合している反応があります。杏奈さん、あなたの出番よ。この混乱した戦場の『ルール』を解読できるのは、雑食のあなたしかいないわ」
「了解です。……でも、鉄男さんが一緒なんですよね?」
私は、資料に記載された編成リストを見て溜息をついた。
今回のバディは、橘鉄男隊長。
私とはオタクとしての「思想」が最も遠い人物だ。
「あの人、『魔法少女』とか『異世界転生』とか見ると、すぐ『物理法則がおかしい』とか『戦術的にありえない』って説教してくるんですよ……」
「あら、いいじゃない。リアリストとドリーマー。最高の凸凹コンビになりそうよ」
栞さんは楽しそうに笑うだけだ。
私は不安を抱えつつ、プロテクトスーツのファスナーを上げた。
現場に到着した私たちが目にしたのは、まさに「悪夢」と「夢」をミキサーにかけてぶちまけたような光景だった。
鬱蒼とした森の中、本来なら迷彩服を着たサバゲーマーたちが隠れているはずのブッシュ(茂み)には、なぜかファンシーなピンク色の花が咲き乱れている。
廃墟の壁には、スプレーアートで描かれたような魔法陣が輝き、空には第二次世界大戦時代のレシプロ機と、近未来SFアニメに出てくるような重力制御戦闘機が入り乱れて飛んでいる。
「……なんだ、このふざけた戦場は」
鉄男さんが、こめかみに青筋を浮かべて唸った。
彼が構えているのは、愛用のカスタム・アサルトライフル。その銃口が、行き場を失って彷徨っている。
「隊長、落ち着いてください。ここはノイズによって『戦争』の定義が書き換えられた空間です」
「戦争だと? 笑わせるな。こんなものは戦争じゃない。ただのお遊戯会だ」
鉄男さんが唾を吐き捨てたその時。
前方の茂みがガサリと揺れた。
「敵襲! 2時の方向!」
鉄男さんの反応は神速だった。
瞬時に膝をつき、ライフルを構え、流れるような動作でトリガーを絞る。
乾いた発砲音が響き、BB弾ではなく、実体化したエネルギー弾が茂みへ吸い込まれる。
着弾。
しかし、そこから聞こえてきたのは、悲鳴でも断末魔でもなかった。
『きゃる~ん☆』
「……は?」
鉄男さんの動きが止まった。
茂みから飛び出してきたのは、迷彩服を着た屈強な兵士……ではなく。
頭にネコ耳をつけ、フリルのついた軍服を着て、巨大な注射器のような武器を持った、二頭身のマスコットキャラクターのようなノイズだった。
「な、なんだそのふざけた姿はぁぁぁ!!」
鉄男さんの怒声が森に響く。
彼の放った弾丸は、敵の周囲に展開されたハート型のバリアに弾かれ、キラキラした星屑になって消えていた。
「隊長! 攻撃が通じません! あいつら、『萌えキャラ補正』がかかってます!」
「萌えキャラ補正だと!? 戦場でそんなふざけた理屈が通ってたまるか!」
鉄男さんは乱射するが、すべて「ぽよん」という気の抜けた音と共に弾かれる。
対する敵は、注射器からピンク色の怪光線を放ってきた。
「くっ、回避!」
私たちは泥だらけの塹壕に飛び込んだ。
頭上をピンク色の光線が通過し、背後の大木がハート型にえぐり取られる。
威力だけは、笑えないほどガチだ。
「おい天野! どうなってる! 俺の弾が当たらない理由を説明しろ!」
塹壕の中で、鉄男さんが私に詰め寄る。
泥にまみれたその顔は、理解不能な事態へのストレスで鬼の形相になっていた。
「えっと、つまりですね……この空間は、『リアルな戦争』の物理法則よりも、『アニメ的な演出』の法則が優先されているんです!」
私は必死に脳内データベースを検索し、現状を分析する。
「敵は『マスコット・コマンドー』。たぶん、女児向けアニメとミリタリーアニメの悪魔合体です。彼らには『可愛さは正義』という絶対ルールがあって、可愛くない攻撃、つまり隊長の『ガチすぎる射撃』は、世界観にそぐわない異物として無効化されちゃうんです!」
「可愛さは……正義だと……?」
鉄男さんが、信じられないものを見る目で私を見た。
彼の腕の中で、冷たく重いアサルトライフルが、どこか寂しげに見える。
「俺が積み上げてきた射撃技術も、戦術理論も、ここでは無価値だと言うのか。……可愛くないから、という理由だけで」
「……悔しいですけど、今のルール(メタ)ではそうです」
鉄男さんは奥歯を噛み締めた。
その目には、怒り以上に、深い悲しみが宿っていた。
彼が愛してきた「鉄と硝煙の世界」が、理解できない新しい価値観に上書きされ、否定されている。
それは、古参のオタクが、時代の変化に取り残された時に感じる孤独に似ていた。
「……撤退するぞ、天野。俺の攻撃が通じない以上、ここに勝機はない」
鉄男さんが、苦渋の決断を下そうとした時だった。
塹壕の外から、新たな地響きが聞こえてきた。
ズシン、ズシン、ズシン……。
見上げると、森の木々をなぎ倒し、巨大な人型の兵器が姿を現した。
全身がピンクと迷彩柄のパッチワークで塗装され、右腕にはガトリングガン、左腕には魔法の杖を装備した、悪夢のようなハイブリッド・ロボット。
『殲滅……オ掃除……』
無機質な機械音声と共に、ガトリングガンが回転を始める。
まずい。撤退すら許してくれない。
「チッ……! ここが俺の墓場か。……ふざけた棺桶だ」
鉄男さんが覚悟を決めたように立ち上がる。
その背中を見て、私は思った。
(違う。この人の「好き」は、こんなところで否定されていいものじゃない)
鉄男さんが愛する「リアリティ」と、この世界を支配する「ファンタジー」。
それは、本当に相容れないものなの?
どっちかが正しくて、どっちかが間違っているの?
(ううん、違う。オタクなら……両方愛せよ!)
私の脳内で、二つの相反する回路がスパークする。
硬派な戦争映画のワンシーンと、魔法少女アニメの変身バンク。
その二つを繋ぐ、禁断の接着剤。
「隊長! 諦めないでください!」
私は叫んだ。
そして、鉄男さんのアサルトライフルに手を伸ばす。
「私が、隊長の『リアル』を、この世界に通じるように『翻訳』します!」
【戦場における萌えの再定義】
「翻訳だと? 何をする気だ!」
「いいから私に合わせて! 隊長は、いつも通りの『ガチ射撃』をしてください! ただし――」
私はスキルを発動させる。
今回の憑依対象は、特定の一人ではない。
数多のアニメ作品で、無骨な兵器を可愛く、かつカッコよく描き続けてきた、伝説のメカニックデザイナーたちの魂!
『概念武装・痛車モデリング』!
「――演出は、私が被せます!」
私の手から放たれた光の粒子が、鉄男さんのアサルトライフルを包み込む。
黒一色の無骨な銃身が、瞬く間に変形していく。
形状はそのままに、カラーリングがパステルピンクに変化し、銃床には可愛らしいウサギのマークが刻印され、銃口にはリボンの装飾が追加される。
「な、なんだこのふざけた銃はぁぁぁ!?」
鉄男さんが悲鳴を上げる。
「見た目はふざけてますけど、中身は隊長の愛銃のままです! これなら、この世界の『可愛い判定』をすり抜けつつ、隊長の『ガチ弾道』を叩き込めます!」
「俺に……こんな魔法のステッキみたいな鉄砲で戦えと言うのか……!」
屈辱に震える鉄男さん。
しかし、敵のガトリングガンが火を噴いた。
ピンク色の弾丸の雨が降り注ぐ。
「ええい、背に腹は代えられん!」
鉄男さんは、パステルカラーのライフルを構えた。
その構えは、完璧なCQB(近接戦闘)フォーム。
ギャップがすごい。凄すぎて、逆に新しい「萌え」が生まれそうだ。
「喰らえ!」
トリガーが引かれる。
発射音は「ズキューン☆」という電子音に変わっていたが、飛び出した弾丸の軌道は、風読みと偏差射撃を完璧に計算した、プロのそれだった。
弾丸は敵ロボットのハート型バリアに接触。
今度は弾かれない。
バリアが「可愛い」と誤認して弾丸を受け入れ、その直後、内部で実体化した運動エネルギーが炸裂した。
ドカンッ!
「……通った!」
鉄男さんの目が輝いた。
敵の装甲が砕け散る。
「いける……! 見た目は最悪だが、手応えはいつものままだ!」
鉄男さんが走り出す。
泥濘を駆けるその足取りは、歴戦の兵士そのもの。
しかし、その周囲には私が追加効果で発生させた、花びらと音符が舞っている。
「総員、突撃!」
鉄男さんは、遮蔽物(巨大なキノコのオブジェ)から遮蔽物(テディベアの石像)へと飛び移りながら、正確無比な射撃を繰り返す。
敵ロボットも魔法の杖で応戦するが、鉄男さんの動きは「アニメ的なお約束」を無視した、ガチの軍事機動。魔法の爆発範囲をミリ単位で見切り、爆風を利用して加速する。
「すげぇ……」
私は後方で、演出の維持に集中しながら見惚れていた。
これが、本物の技術。
どんなに世界観が変わろうとも、磨き上げられた「本物」は色褪せない。
敵ロボットがバランスを崩し、膝をついた。
チャンスだ。
「隊長! トドメです! 必殺技をお願いします!」
「必殺技だと!? 俺にそんなものはない! ただ確実に急所を撃ち抜くだけだ!」
「それじゃダメなんです! この世界では『技名』を叫ばないと威力がカンストしないんです!」
「なっ……!?」
鉄男さんが絶句する。
敵は再起動作に入っている。時間がない。
「なんでもいいから! カッコよくて、強そうで、でもちょっと可愛い名前を!」
「無理難題を言うな!」
鉄男さんは顔を真っ赤にして、引き金を絞りながら、記憶の底にある単語を必死に探した。
彼が隠し持っていた、あの戦車のマスコット。
深夜、こっそり見てしまった、姪っ子が好きな魔法少女アニメのセリフ。
それらが、極限状態の脳内で、硬派なミリタリー用語と化学反応を起こす。
「くそっ、これしか思いつかん……! 笑うなよ天野!」
鉄男さんが吠えた。
パステルピンクのライフルから、最大出力のエネルギーが充填される。
「食らえ! 『超重戦車級・ラブリー・インパクトォォォォ!!!』」
ズドォォォォォォン!!!
放たれたのは、ピンク色の、しかし戦車の主砲並みの質量を持った極太ビームだった。
それは敵ロボットの装甲を紙のように貫き、背後の森を数百メートルにわたって消滅させた。
「…………」
静寂が戻る。
敵ロボットは光の粒子となって霧散し、歪んでいた空間も正常な森へと戻っていく。
ピンク色の花畑が消え、泥臭い土の匂いが帰ってくる。
鉄男さんは、湯気を立てるパステルカラーのライフルを持ったまま、立ち尽くしていた。
その背中は、勝利の余韻というよりは、何か取り返しのつかないものを失った男の哀愁が漂っていた。
【解釈の和解】
本部への帰還ヘリの中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
鉄男さんは座席の隅で、膝を抱えるように座っている。
さっきの「必殺技」の記憶が、トラウマとしてリフレインしているのだろう。
「……あの、隊長」
私が恐る恐る声をかけると、彼はビクッと肩を震わせた。
「……忘れてくれ。頼む。俺の威厳に関わる」
「いえ、その……すごく、カッコよかったです」
お世辞じゃなかった。
あの瞬間、鉄男さんは自分の殻を破った。
自分の美学を守るために、あえて対極にある美学(萌え)を受け入れた。その柔軟さと覚悟こそが、最強の武器だと思ったから。
「……ふん。慰めはいい」
鉄男さんは顔を背けたが、その手には、あの戦車のマスコットキーホルダーが握られていた。
「だが……まぁ。食わず嫌いも良くない、ということか」
彼はポツリと呟いた。
「あのアニメ……意外と、装甲の厚さや避弾経始の理論はしっかりしていたな」
「えっ?」
「魔法のエフェクトで隠されていたが、敵の動きには理があった。……作った奴は、それなりに『分かっている』人間かもしれん」
鉄男さんは、少しだけ口元を緩めた。
それは、新しいジャンルの扉を、ほんの少しだけ開いた人の顔だった。
「でしょ!? 今度、私のコレクションからオススメの『萌えミリ』作品、貸しますよ! 考証がガチなやつ!」
「……一応、検討だけはしておいてやる」
ツンデレか。
この厳ついおじさんがツンデレなのか。
パンドラの福利厚生、やっぱり最高かもしれない。
その時、インカムに陽翔くんの声が割り込んだ。
『おい兄貴! 聞いたぞ! 通信ログに残ってた『ラブリー・インパクト』って何だよ! 爆笑もんなんだけど! これ着ボイスにしていい!?』
「……陽翔。帰ったら貴様のコレクション、全て焼却処分にする」
『えっ、ちょ、マジで怒ってるトーンじゃん! ごめんて!』
鉄男さんが、いつもの鬼軍曹の顔に戻る。
でも、その空気は以前よりも少しだけ柔らかい。
私は、窓の外に広がる夕焼けを見つめた。
これで、陽翔くん、雫ちゃん、そして鉄男さん。
チーム全員との連携が繋がった。
バラバラだった個性が、一つのチームとして機能し始めている。
だが、胸の奥には、栞さんがブリーフィングの時に見せた、険しい表情が引っかかっていた。
『ノイズが統率されている』
『複数の概念を衝突させている』
まるで、誰かが実験をしているような。
異なるジャンルを混ぜ合わせて、何が生まれるかを楽しんでいるような、悪意ある演出家の影。
(マエストロ……)
名前も知らない敵の首領。
彼(あるいは彼女)がタクトを振るう次の楽章は、きっとこんな「お遊戯会」では済まない。
もっと残酷で、もっと私たちの「好き」を根底から揺るがすような試練が待っているはずだ。
私は、隣で眉間にしわを寄せながらもマスコットを撫でている鉄男さんを見て、密かに誓った。
どんな理不尽なシナリオが来ようとも。
私が、みんなの「好き」を守るための、最強の攻略本になってやる。
ヘリコプターは夕日に向かって、東京の空を切り裂いて進んでいった。
その回転翼の音は、来るべき決戦へのドラムロールのように聞こえた。
(第五話 完)




