第五章 華燭の出会い
Ⅴ ~華燭の出会い~
フランソワが16歳を迎えた年、ついにその日がやってきた。
社交界へのデビュー!。
舞台はフランスが誇る絢爛たる宮殿、ヴェルサイユ。
無数の燭台が黄金色の光を放ち、天井画には神々の戯れが描かれている。
どこまでも続く大理石の床は磨き上げられ、楽団の奏でるワルツが壁に反響して甘美な余韻を生み出していた。
フランソワは父・リシュリュー公爵の腕を取り、舞踏の間へと足を踏み入れる。
その瞬間、会場の空気が変わった。
視線が一斉に彼女へと注がれる。
純白のドレスに包まれたその姿は、まるで月光を身にまとった女神のようだった。
透き通るような肌と、青い宝石を思わせる瞳。繊細に結い上げられた金の髪は燭火に煌めき、どの令嬢よりも眩しく映った。
「……あれがリシュリュー公の娘か」
「なんという……、まるで絵画の中から抜け出したようだ」
囁きが飛び交い、貴族たちの注目は彼女ひとりに集まる。
傍らの公爵は誇らしげに顎を上げ、周囲の反応を楽しんでいた。
彼の胸にはひとつの確固たる思惑があった……。
それは、愛娘を通じてブルボン王家にさらに近い血筋と縁を結ぶこと。
今日の舞踏会は、その第一歩に他ならなかった。
しばらくして、フランソワは両親に伴われ、王と王妃の前へと進み出た。
黄金の椅子に腰かけるのは、若き国王ルイ16世と、その妃マリー・アントワネット。
国王はフランソワを見るなり、息を呑んだ。
その美しさに一瞬、言葉を忘れ、ただ呆けたように見つめてしまったのだ。
隣に座るアントワネットが小さく咳払いをすると、ルイは慌てて視線を逸らした。
危ない……。
自らの心が揺らぐのを、国王は必死に取り繕った。
一方でアントワネットは、違う感情を抱いていた。
少女の美貌だけではない。その瞳に宿る、不思議な強さ。
それは未来を切り開く力を秘めた光のようで、妃の胸に説明できぬ不安を呼び起こした。
『この娘は……私にとって脅威となるのかもしれない』
アントワネットはそう直感した。彼女自身の終焉を告げる予兆のようにも思えた。
こうしてフランソワのデビューは華やかに始まった。
彼女は幾人もの貴族の若者たちと踊り、見る者すべてを魅了した。
跳ねるような若さの輝きと、淑女としての完璧な所作。
彼女と踊った相手は、皆どこか恍惚とした表情を浮かべ、すっかり屈服してしまう。
観客の令嬢たちもまた、嫉妬と憧れをないまぜにした眼差しを送った。
完璧なデビュー。誰もがそう思った。
だが、そんな中でただ一人、フランソワに目もくれない人物がいた。
舞踏会の隅、壁際の椅子に腰かけるひとりの若者。
下級貴族の息子で、爵位は男爵にすぎない。年齢はフランソワより二つ上。まだ少年めいた顔立ちで、粗末ではないが飾り気のない黒の礼服を纏っていた。
彼は誰とも踊らず、ただ黙って場を観察している。
多くの青年貴族がフランソワに熱心に言葉をかける中、唯一、彼だけは興味を示さなかった。
『不思議ね……』
フランソワは自然と惹き寄せられていった。
「こんばんは。踊らないの?」
声をかけられた男爵は、驚いたように顔を上げる。
彼女の存在を本当に意識していなかったらしく、その反応は実に素朴だった。
「……僕は場違いなんだ。君のような人と踊る資格はない」
低く静かな声。だがその瞳には、どこか異質な炎が宿っていた。
会話を重ねるうちに、フランソワはすぐに彼が他の青年たちと違うと悟った。
彼はパリ出身ですらなく、宮廷に縁のない地方貴族。だが、ある人物の口添えで舞踏会に招かれたのだという。
その人物は……後に革命の旗手となる男。
つまり、彼は宮廷の実態を知るための「目」としてここにいた。
少女のフランソワに彼の目論見はわからない。だが、興味を持ったのは事実で、無意識に笑みを浮かべてしまった。
「……人は生まれながらにして平等だ」
ふと、男爵がつぶやいた言葉に、フランソワは息を呑んだ。
その言葉は、この時代の貴族社会では禁忌に等しい。
「しっ……!」
慌ててフランソワは彼の口を手で塞ぐ。周囲を見回すが、幸い誰も聞いていない。
「何を考えているの。そんなことを口にすれば……!」
彼はかすかに笑った。
「やがてこの世界は変わる。『自由、平等、博愛』その旗のもとに、ここで笑っている貴族どもは皆、地に這いつくばるだろう」
熱を帯びた言葉。
フランソワは呆れたように首を振る。
「あなたも貴族の一人でしょうに」
「だからこそだ。僕は……変わらねばならないと思っている」
その瞬間、フランソワの胸に、理解不能な衝動が広がった。
彼の言葉は危険で、無謀で、愚かにさえ思える。だが同時に、心を震わせる真実の響きがあった。
『私はなぜ、彼の言葉に惹かれるのだろう……』
彼女の血の奥底には、乱世を生き抜きたいという熱が渦巻いていた。
理由は分からない。だが近い将来、フランス社会が大混乱に陥ることをどこかで知っているかのように感じていた。
その時こそ、自らの力を発揮できる。
そんな熱い予感があり、情熱が胸の奥で鳴動している。
目の前の男爵は、誰もが恐れて口にしない未来を語った。
そしてフランソワ自身もまた、心の奥底でそれを望んでいる。
『この人は、違う』
そう確信した瞬間、フランソワは小さく笑った。
「あなた、uniqueね」
それが、二人の出会いの始まりだった。
第六章 偽りネーム に続く




