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第28章 邂逅ワタル

 玄関の重たい扉を押し開けると、磨き込まれた木の匂いが鼻を打った。

 俺は(かまち)で靴を脱ぎ、黒光りする床に足を乗せる。木の感触は冷たく、わずかに湿り気を含んでいるように思えた。

 10年という歳月を経ても、この屋敷の空気はほとんど変わっていない。


 右手には和洋折衷の応接室。

 引き戸が開け放たれ、奥のソファには父の叔父スグルが腰を下ろして煙草をふかしていた。長い足を組んで、なんと様になっている姿。

 灰皿に落ちる火の粉が小さく音を立てる。

 彼は視線をこちらに寄越すこともなく、煙の向こうで静かに時を過ごしている。俺が屋敷を見て回るのを黙って待つつもりらしい。


 左手には廊下。まっすぐ伸びる回廊のような造りで、古い旅館のような風格を残している。

 10年前、俺はこの廊下の先の和室に泊まった。そのさらに奥に、(かわや)があったはずだ。

 思い返すと、当時は夜中に厠へ行くのが怖かった。足音のような音を聞いた気がして、戸を開けても誰もいなかったことを今も覚えている。

 子供だった俺にとって、それは小さな怪談のような記憶として残った。


 実際に歩いてみると、その場所は今や新しいトイレに改装されていた。

 木の香りのする和風の内装に、洋式の便器が収まっている。旅館に作り替える計画の途中らしく、清潔で使い勝手も良さそうだ。

 到着してからまだ用を足していなかったので、俺はそこで一息ついた。

 当時のように不審な音はしない。子供時代の記憶など、案外思い込みの産物なのだろう。


 廊下に戻ると、雨戸が閉じられていて外の庭は見えなかった。木と畳だけの閉ざされた空間に、足音が一定のリズムで響いている。

 今回、俺が最も確かめたかったのは――滝のある部屋だ。

 10年前、奥の和室のさらに奥に、岩壁から水が流れ落ちる小さな滝があった。

 机や注連縄まで備えられていて、不思議な雰囲気を漂わせていたのをよく覚えている。

 旅館への改装が進む今も、その部屋が残されているのかどうか、確かめずにはいられなかった。


 渡り廊下に差しかかると、下からの間接照明がほんのりと灯っていた。

 木の格子を透かす光は、古い屋敷の意匠を一層引き立てている。

 少し傾斜のある廊下を上り、右手に折れると、格子戸が見えてきた。


 ――やはり、あった。


 耳を澄ませても、かつてのような水音は聞こえなかった。 

 俺は足を止める。

 格子戸の前には(かんぬき)が掛かり、中へ入ることはできない。


 10年前の記憶では、30畳ほどの広さの和室。その奥の岩壁から水が流れ落ち、小さな滝を形づくっていた。

 湿気で畳は波打ち、触れれば冷たかった。注連縄や机があり、どこか神聖な空気すら漂っていた。


 だが、今の部屋は様子が違う。

 格子戸越しに見える空間は、思っていたより狭い。

 ただし、室内に明かりがないため、細かいところまでは見えない。それでも畳は伸長してあるのはわかる。

 なにより、部屋に湿気はまるでない。


 奥の岩壁に穴が開いているのが微かに見えるが、水は一滴も流れていない。

 注連縄は張られているが、それ以外の調度品は一切なく、ただ空虚な和室が広がるだけだった。

 こうして見ると、座敷牢のようにも見える。ひょっとすると、昔は実際に牢屋として使用したのかもしれない。

 滝があった岩壁も牢屋として考えると自然な感じがする。

 ただし、人が通れるくらいの漆黒の穴が口を開けているが。


「……どう使用するか、検討中ってところか」


 そう呟いてみても、答えは出ない。旅館へと改装する過程で、扱いに困る部屋のひとつなのだろう。

 期待していた光景がそこになかったことに、俺は少し落胆を覚える。

 何故なのか、こことフランソワが繋がっているような気がしていたが、自分の想像力が作り上げた誇張だったのかもしれない。


「……大したものは、ないじゃないか」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 期待が外れ、心のどこかが冷めていく。ここまで来たのに、答えは無かった、といったところだ。


 (きびす)を返そうとしたその瞬間、俺の視界の端で何かが動いた。


 『穴の奥……?』


 あの真っ暗な深淵に、白い人影が立っている。

 俺の心臓がひときわ強く鼓動した。

 全身の血が逆流する。呼吸が止まる。脳裏に、十年前の「ヒタヒタ」の記憶が閃光のように蘇る。


 幽霊だ――! 


 そう思った瞬間、体が動かなくなった。

 背中に冷たい汗が流れ落ちる。

 穴から、得体の知れない「何か」がこちらを覗いている。

 目が離せない。釘付けだ。


 廊下からの薄暗い灯りにもかかわらず、その「何か」は徐々に輪郭を帯びていく。

 髪がゆらりと揺れる。顔は見えない。だが、確かに「人の形」をしている。


 輪郭をはっきりと確認したとたん、俺の喉から、勝手に悲鳴が漏れた。

 受け入れがたいものを確認してしまったからだ。

 脳がパニックを起こす!

 心臓を鷲掴みにされたような衝撃が俺を襲い、世界が急激に遠のいていく。


 その刹那、俺は意識の許容範囲を超え、気を失った。



  第28章 邂逅フランソワ に続く


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