第18章 親愛なる手紙?
フランソワのもとに、一通の手紙が届けられた。
前線の幕舎に吹き込む風はまだ冷たく、外では兵士たちが銃の整備に余念がない。
そんなざわめきの中で、彼女は蝋封された封筒を手に取り、重みを確かめていた。
傍らでは、侍女のマリーが椅子に腰かけ、軍服の裂け目を針と糸で繕っている。
彼女は顔を上げずに、ぶつぶつと小言を漏らした。
「お嬢さまは淑女なんですから、もう少し身体をお労わりくださいませ。こんなに布地が裂けるなんて、どんな戦い方をなさっているのやら……」
その声音には呆れと心配が入り混じっていた。
フランソワは苦笑いで応じる。戦場に立つこと自体が、すでに“淑女”という枠からはみ出しているのだから。
差出人の名に目を落としたとき、彼女の表情は思わず強ばった。
――ミッシェル・ド・ルシュリュー
兄の名である。公爵の称号を持ち、今は亡命先のオーストリアで家の当主を務めているはずだった。
父と母、そして兄は、フランス革命後に母の伯母であるマリア・テレジアの縁を頼ってウィーンへ逃れた。
そこでもリシュリュー公爵家の地位は保たれているらしい。父はすでに隠居し、兄ミッシェルが公爵位を継いだのだという。
フランソワと兄ミッシェルとの関係は決して良好ではなかった。
一緒に暮らしていた頃から、兄は尊大で鼻持ちならない人物だった。彼女はむしろ兄を毛嫌いしていたほどだ。
とはいえ、その裏には彼の劣等感が透けて見えていたのかもしれない。
フランソワは、女でありながら武芸にも学問にも優れ、何よりも庭師であり師でもあったソンエイから、中国武術と戦いにおける戦略を学んでいた。
兄よりも優れている、と陰で囁かれることもしばしばであったのだ。
凡庸な嫡男と、非凡な妹。そこにある確執は、子供のころから続いていた。
フランソワは軍服の胸元を握りしめ、封を切る前にひとつ深く息をつく。
きっと、この手紙はナポレオン軍の諜報部によってすでに開封されているだろう。
封は閉じられているが、目立たぬ細工で読み取られた痕跡がある。つまり、自分は“兄と秘密裏に通じている”と勘ぐられているかもしれないのだ。
とはいえ、開いてみなければ内容は分からない。
フランソワは慎重に蝋を割り、手漉き紙を広げた。
そこには、兄ミッシェルの癖のある筆致で、流麗な言葉が並んでいた。
《親愛なる妹フランソワへ》
長き沈黙をお許しあれ。パリ郊外で我らが別れてからというもの、私の胸は空虚な痛みに苛まれている。あの時、我らは共にオーストリアへ赴くはずであった。しかし、父上が強硬に申されたのだ――ソンエイは東洋の出自ゆえ、帝都ウィーンへ伴うことはならぬ、と。
そなたがソンエイ、そして侍女マリーと共に馬車を降りたとき、私の心は引き裂かれるようであった。何度も父上に懇願した。『妹を連れ戻してくれ』と。けれども父上の意志は揺るがなかった。私はただ、遠ざかる馬車の窓から、そなたの背を見送るしかなかったのだ。
いかに私が胸を痛めたか、そなたには想像もつくまい。あの夜、私は眠ることもできず、妹を失った慟哭を日記に綴り続けた。ああ、我らが別離が永遠でなきことを、神に祈り続けたのだ。
今、我らはウィーン郊外に屋敷を構え、優雅な生活を送っている。音楽と舞踏が絶えず響き、我が家には王侯貴族が列をなし、社交の光に包まれている。妹よ、どうか安心してくれ。リシュリューの名は異国にあってもなお輝きを失ってはおらぬ。
さらに伝えねばならぬことがある。私は、王室の血を引く皇女を妻に迎えた。これにより我が家は、ハプスブルク王室とも強き絆を結ぶに至ったのだ。リシュリュー家は新たなる栄光の道を歩んでいる。
されど、その栄光を共にするべき妹が、未だ戦場に身を置いていると聞き及び、私の胸は痛む。そなたの勇名はここウィーンにまで届いている。女ながら軍を率い、武勲を立てるその姿は、驚愕と称賛をもって語られている。
妹よ、そなたは我らの家の誇りだ。しかし、それと同時に私は恐れる。戦場は容赦なく命を奪う。リシュリューの血を継ぐ者が、剣戟の中に倒れることを私は望まぬ。
ゆえに、この手紙をもって懇願する。フランソワ、ウィーンへ来てくれ。我らが屋敷はそなたを迎える準備がある。さらに、ここに書くのもためらわれるが、そなたには王家の貴族との婚姻が約束されている。これは家の未来を守るためのものであり、そなた自身の安寧のためでもある。
どうか、剣を置き、我らと共に新しき人生を歩んでほしい。神の御加護がそなたにあらんことを。
――ミッシェル・ド・ルシュリュー
第19章 考えるな に続く




