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第17章 出発進行

 気がつけば、俺はバス停の前に立っていた。


 どうやってここまで来たのか、正直よく覚えていない。妄想に耽っていたのは確かだ。

 俺はいつものように、自分が作り出したフランソワになりきり、剣を振るって戦場を駆け回る空想に没頭していた。

 そのあまりにもリアルな想像の中で、血煙を浴び、敵兵を切り裂き、馬の蹄の音に心を震わせていた。

 だから、川べりを歩いていたことにも気づかず、気がつけばバス停にいたのだ。


 おかしなものだ。意識は確かに空想の中にあったはずなのに、現実の俺は問題なく歩けていた。

 すれ違う人々や、前を横切る自転車にぶつかることもなく、無意識のうちに避けていたのだから。


 傍から見て、俺はいったいどう見えていたのだろう? 

 ふらつくこともなく、普通に歩いていたようにしか見えなかったのかもしれない。誰からも声をかけられなかったのだから。

 まあ、道行く人間が俺のことなど気にかけるはずもない。皆、自分のことで精一杯だ。知り合いだって、声をかけなかっただろう。

 それでも、バス停に立っているということは……「バスに乗れ」ということなのだろうか……。

 半年ぶりに外へ出てきた俺に、予感めいたものが告げていた。


 思えば、俺はこの半年、完全な引きこもりだった。国道沿いのコンビニにすら行けず、部屋の中で息を潜めるように生きてきた。

 それが、今こうして自然に川べりを歩き、バス停まで来られたのだ。

 これはもしかしたら、何かが「次の道」を示しているのではないか。

 そんな風に考えると、不思議と胸が高鳴った。


 とりあえず、バス停の路線図を眺めてみた。

 目についたのは――「豊田駅」。

 豊田駅? そこからなら中央線に乗れる。東京駅まで直通だ。


 頭の中でひとつの線がつながる。

 東京駅――北陸新幹線――金沢――在来線――羽咋(はくい)――そして祖母の実家へ。

 地図の上を指でなぞるように、ルートが浮かび上がった。

 そうだ! 行けるのだ。祖母の実家まで。

 さっきスマホで調べてみたら、片道6時間ほど。料金も1万7千円程度だった。

 決して払えない額じゃない。しかも今は午前10時半。到着は夕方5時前後だ。十分に明るいうちに着ける。


『これはもう、行けということじゃないのか……』


 考えるな。いや、考える必要なんてない。

 胸の奥に芽生えた衝動に素直に従えばいい。


 そのとき、前方から白い車体が近づいてきた。

 バスだ。

 フロントガラスの上に掲げられた行き先表示には、はっきりと「豊田駅」とある。

 俺の心臓が跳ねた。


 バス停に立つ俺の目の前で、バスはウインカーを点滅させて減速し、吐き出すようなエアブレーキの音とともに停車した。

 乗車ドアが、プシューッという音とともに開く。

 俺は何も考えずに、乗車段に片足を乗せた。そして乗り込む。


 車内は昼間のせいか、がらんとしていた。数人の乗客がまばらに座っているだけだ。

 俺はICカードをかざし、奥の席へと腰を下ろした。

 ふと気がつく、スマホも財布も無意識のうちに持参していた。


 窓の外には、いつもの見慣れた町並みがある。だが、不思議と違う世界のように感じられた。

 半年ぶりに外へ出て、気づけばバスに乗っている。

 この流れは、もはや俺が考えて動いているのではなく、何か大きな力に導かれているように思える。

 まるでフランソワが戦場で運命に突き動かされるように、俺もまた、運命の手に背中を押されているのかもしれない。


 車窓から差し込む光は眩しく、俺の中の閉ざされた時間を少しずつ溶かしていく。

 引きこもっていた半年間、俺は自分を外の世界から切り離し、空想の中にだけ居場所を見つけていた。

 だが今、俺は現実の世界で動き始めた。


 バスはやがてエンジン音を響かせながら、ゆっくりと発車した。俺を、まだ見ぬ未来へと運んでいく。

 その先に何が待っているのかは分からない。だが確かなことはひとつ――俺はもう立ち止まらない、ということだ。

 そう心に決め、俺はシートの背にもたれた。

 バスの揺れが心地よく、胸の奥で眠っていた何かが静かに目を覚ましていくのを感じられる気がした。



  第18章 親愛なる手紙? に続く


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