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第16章 斬撃の橋

 フランソワ率いる軽歩兵小隊・ラ・ルーブ・ブランシュ・レジョンは、アッダ川にかかる200メートルにも及ぶ木の橋を渡ろうとしていた。


 川面はまだ夜明け前の薄闇に沈み、霧が白く漂っている。

 川霧は幻想的なほどに静まり返っていたが、その奥に潜む影がすでに血と硝煙の匂いを(はら)んでいるのを、兵士たちは感じ取っていた。


 橋の対岸には、黒々とした軍勢が列をなしていた。

 炎を孕んだような影が蠢くのは、オーストリア軍――14門の大砲と、1万2千の兵。

 敵は木の橋を射程内に収め、橋を渡る者を撃退できる絶好の陣形を整えていた。


「……まるで、俺らを待ち構える死神だな」


 一人の兵が震える声でつぶやく。

 だが、ナポレオン軍はこの橋を正面突破しなければ前進できない状況に立たされていた。

 選ばれたのはラ・ルーブ・ブランシュ・レジョン。100名ほどの若き軽歩兵たち。

 飢え、寒さ、戦の疲れを抱えながらも、迅速に動き敵陣を攪乱(かくらん)するために最も頼りにされる部隊だった。


 命令は簡潔で冷酷だった。――「先陣を切れ!」


 その言葉が下された瞬間、兵士たちの顔に緊張が走る。誰もが、これは自分たちが(おとり)となることを意味するのだと悟った。

 フランソワはこの理不尽ともいえる命令がなぜ出されたのか理解している。王党派の反乱鎮圧の件がまだ響いているからだ。


「また俺たちかよ……」

「沈黙しろ! 命令だ」


 だが、恐怖を隠せない囁きが、列の中に走る。


 フランソワは彼らの視線を真正面から受け止めた。

 長い金髪を軍帽の下に隠したその瞳は、高級貴族の令嬢であった気品を帯びながらも、戦場の炎に焼かれた強さを宿していた。


「恐れるな」


 彼女は静かに言った。


「私たちが開く道が、フランスの勝利に繋がる。たとえ命を捨てても、私たちの戦いは未来へ広がる」


 兵たちは一瞬息を呑み、そして胸を張った。


「ウイ!」

「司令官に従う!」


 声が重なり、霧の中にこだまする。


 やがて空が白み始める。

 まだ明けきらぬ早朝、ラ・ルーブ・ブランシュ・レジョンは木橋へと駆け出した。


「突撃きぃぃぃぃ!」


 掛け声とともに兵士たちが走り出す。

 間を置かず、轟音が大地を揺らした。

 対岸から大砲の一斉射撃が吐き出され、橋板が砕け、破片が空に舞う。


「うわあああ!」


 兵士の一人が叫びを上げながら川に落ちる。血混じりの水飛沫が霧の中に散った。

 続けざまに銃弾が降り注ぎ、橋は血と煙に包まれた。

 それでもフランソワは先頭を駆ける。


「怯むな! 私に続けー! 敵陣を奪うのだ!」

「突撃ぃ!」


 兵たちの喉が裂けるような叫びが続く。

 小隊は橋を渡り切り、敵陣へと雪崩れ込んだ。

 そこから先は……まさに地獄だった。

 長槍が突き出され、銃剣が閃き、混戦となった狭い空間で悲鳴と怒号が交錯する。


「押し返せ!」

「やられるな! 一歩も退くな!」


 フランソワは剣を抜き、必死に敵兵の刃をいなしながら叫ぶ。


「陣形を崩すな! 私を信じろ!」


 その中で、やはり光るのはソンエイの活躍だった。

 彼は中国武術の達人であり、フランソワの師でもある

 高級貴族の御令嬢であった彼女の護衛を務めていたその男は、いまは戦場で彼女を守る盾となっている。


「将軍を守れ!」


 低く唸る声とともに、ソンエイは敵の銃を弾き飛ばし、槍を素手で掴んでへし折る。

 蹴りを一閃、襲いかかる敵兵が数人まとめて吹き飛ぶ。


「な、なんだあの東洋人は!……?」

「化け物だ!」


 肉弾戦になると、彼は俄然能力を発揮した。

 獣のような動きで、次々と襲い掛かる敵兵を倒していく。無双状態である。


 もう一人の英雄は、フランソワの部下であり、彼女の思い人でもあるアンドレだ。


「ここは俺に任せろ!」


 アンドレはサーベルを振るい、敵兵の刃を次々と弾き落とす。

 下級貴族の出身である彼は、幼いころから剣術に親しみ、部隊随一の腕を誇っていた。

 庶民上がりの敵兵など、彼にとっては相手にもならない。


「フランソワ様を守れ! 俺に続け!」


 その声に兵たちは奮い立ち、敵陣深くへと斬り込んでいく。


「アンドレ! うしろ!」


 フランソワが叫ぶと同時に、アンドレは身をひねり、背中に迫った敵を切り伏せた。


「心配無用だ、俺は死なない!」


 その笑顔は血煙の中でも凛々(りり)しく輝いた。

 しかし――そこは多勢に無勢であった。

 ラ・ルーブ・ブランシュ・レジョンは暴れまわり、敵陣を混乱させていたが、敵はなおも数で圧倒してくる。


「くっ……押し返される!」

「隊列を保て! まだ戦える!」


 やがて小隊は徐々に押され、川に追い詰められていった。

 木橋の方を振り返れば、橋板は砲撃で焼け焦げ、崩れ落ちそうになっている。退路はすでに断たれていた。


「ここまでか……!」


 フランソワが息を呑む。

 100名いた小隊も、すでに半分以上が地に倒れていた。

 血に濡れた土の上で、呻き声が消えていく。


「フランソワ様、下がってください!」


 兵士たちがフランソワに撤退しろと迫る。


「いいえ、みんなを置いては退けない!」


 フランソワ自身も剣を握る手が震え、肩口には深い傷を負っていた。


「ここまでか……」


 諦めかけたその刹那――地鳴りが響いた。


 川の浅瀬から、新たな軍勢が雪崩れ込んできたのだ。


「ルイ将軍だ!」


 誰かが叫んだ。

 ナポレオンの副官であるルイの騎兵隊が、轟音を立てて突入してきた。

 馬蹄が水を蹴り、川を渡るたびに白い飛沫が舞い上がる。


「フランソワを救え! 一気に突っ込め!」


 ルイの怒声が響く。

 ラ・ルーブ・ブランシュ・レジョンの活躍で、オーストリア軍の大砲部隊は混乱し、砲撃できずにいた。

 その間隙(かんげき)を縫って、ルイ率いる騎兵隊が川を渡り、敵陣に雪崩れ込んできたのである。


 槍を構えた騎兵たちが列を組み突き進み、敵の隊列を粉砕(ふんさい)する。

 火薬の煙と血潮の中、鉄の嵐が突進していく。

 ルイは叫んだ。


 「フランソワ! どこにいる!」


 その瞳は戦場の喧噪(けんそう)を超えて彼女を探し出す。

 フランソワはその声に振り向き、血に濡れた顔を輝かせた。


 「ルイ! ここよ!」


 ルイはフランソワのナイトであると自認している。そのため、彼女の危機に際して身を()して駆けつけたのだ。


「すまない、遅くなった。でも、もう大丈夫だ!」


 騎兵の刃が敵を切り裂き、フランソワの周囲に押し寄せていた圧力が一気に消える。


「ルイ! ありがとう!」


 フランソワの声が戦場に響いた。


 これにより、フランソワは危機を脱した。

 敵陣は混乱の極みに陥り、統制を失った兵たちは次々と後退を始める。

 怒号と悲鳴が入り乱れる中、やがてオーストリア軍は退却の鐘を鳴らした。


「勝った……!」


 アンドレが叫び、血濡れのサーベルを掲げる。

 フランソワは剣を握りしめ、なお燃え上がる戦場を見渡した。

 ソンエイは彼女の背に静かに立ち、「よく生き残ったな……」と低くつぶやいた。


 ルイは馬上で彼女に微笑みかけ、言葉を口にする代わりに、ただ剣を振り上げた。

 歓喜の歓声があたりに響く。

 斬撃となった戦場で、呆然とたたずむフランソワに朝日があたり、女神のように輝いている。

 生き残った兵士たちは彼女に向かい跪き、感謝の言葉を口々に呟いた。


 アッダ川の戦いは、こうして、フランソワ小隊、ラ・ルーブ・ブランシュ・レジョンの血と勇気によって勝利に転じたのである。



  第17章 出発進行 に続く


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