第11章 一歩前に
俺は気づいていた。いま、自分が何をしていたのかを。
妄想に耽っていた――けれど、それだけじゃない。
夢のように流されるだけの妄想じゃなく、もっと積極的なものだった。
意識して物語を組み立てていた。構想を練って、人物を動かして、筋書きを編んでいたのだ。
「……俺、物語を作っていた……」
自分で自分に驚いて、つぶやいてしまう。
俺の頭に浮かんでいたのは、フランソワという少女の物語だ。
彼女は男装してナポレオン軍に志願し、戦場で鮮烈な活躍を見せる――そんな姿を思い描いていた。
それが当たり前だった。妄想はいつもそうだった。無意識のまま流れる映像をただ追いかけるように、空想の世界に沈んでいた。
けれど今は違った。自覚的に物語を編んでいたのだ。
『どうしてだろう……』
思い当たる理由があった。
俺はいま、自宅の居間にいる。半年近く自室に引きこもっていた俺が、父と母と話をしているのだ。
きっかけは、父に祖母の実家について尋ねたことだ。羽咋市にある屋敷――古い家系の名残を残す「ウメド家」。
父にその話を聞いているうちに、深く考え込んでいるうちに、ふと妄想の流れが戻ってきたのだ。
「ワタル」
母の声が俺を現実に引き戻す。
「お昼ごはん、ここで食べる?」
その一言は何気ないようでいて、母にも俺にも意味があった。
半年間、俺は引きこもりの生活を続けてきた。
食事はいつも母が部屋まで持ってきてくれる。家族と同じテーブルで食事なんて、もうずっとしていなかった。
だから、もし今日、日曜の昼食を家族と一緒に食べられたなら――それは大きな出来事になる。
母にとっては、息子が引きこもりから抜け出す兆しに見えるはずだ。
「……ああ」
曖昧に答えた。
決意を示すほど強い声じゃなかったけれど、心の奥では考えていた。
『ここまで来たんだ。もう一歩、進めるんじゃないか』
昨夜、俺は決めた。祖母の実家、羽咋市の屋敷を訪れる、と。
もちろん、引きこもりの俺にそんな大それたことができるはずがないとわかっている。
けれど、部屋から出て、居間まで来て、両親と話すことができた。ならば、その勢いで屋敷へ向かうことだって、不可能じゃないのかもしれない。
意を決して、父に聞いた。
「おばあちゃんの実家、ウメド家へは行ける?」
父は驚いたように目を見開き、聞き返す。
「今から?」
「そうだね」
俺はうなずいた。
今日は日曜日。父は仕事が休みだ。今日しかない。
明日になれば、また俺は元の引きこもりに戻ってしまうかもしれない。
だから――『今しかない』と思った。
「できれば……」
声は小さかったけど、気持ちは真剣だった。
父は腕を組み、ぶつぶつとつぶやく。
「今、10時だからな……羽咋は田舎だし……」
「6時間」
俺は即座に言った。
「何が?」
と、父。
「羽咋まで6時間ほどかかる。東京駅から北陸新幹線で……」
そう言いかけたとき、父はスマホを取り出した。
「車で行くと……」
検索を始める。
数分後、答えが出た。
「7時間半、か……」
夕方に着いてしまう。日帰りは難しい。
父の表情から、「今日は無理だ」という空気がはっきり伝わってきた。
「無理すれば、行けるんじゃない」
母が、ここが正念場だと、父に発破をかける。
だが、無理と言ってしまった段階で無理なのだ。
俺も理解した。現実的に考えれば仕方がない。
けれど、心はざわついた。
「計画を練ってから行くことにしよう」
父が提案する。
その言葉に、思わず口走っていた。
「いいよ、自分で行くから」
それが勇気だったのか、反発だったのか、自分でもわからない。
ただ、とにかくもう待っていられなかった。
すっと立ち上がって、居間を出ようとしたとき。
「ご飯はどうするの?」
母の声が追いかけてきた。
ふり返らずに答えてしまう。
「ああ……部屋に持ってきて」
その瞬間、胸の奥に重いものが落ちた。
『結局、俺は前に進めないのか』
半ば諦めるような思いが広がっていく。
部屋に戻れば、またいつもの日々だ。ベッドの上で妄想を繰り返し、現実に足を踏み出せないままになる。
だけど、ほんの少しだけ違っていた。
今日は部屋を出た。居間まで来て、父と母と話をした。そして「行きたい」と言えた。
その小さな一歩が、いつか大きな一歩に変わるんじゃないか。
俺はそう信じたかった。
頭の中では、フランソワが馬にまたがっている。軍服に身を包み、戦場を駆け抜け、恐れることなく未来を切り開こうとしていた。
「……俺も」
居間を出つつ、かすかな声でそうつぶやいた。
第12章 アンドレアップ に続く




