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王弟が愛した娘 —音に響く運命—  作者:


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市で買った香りと、ほどけていく距離

「ねえ、今日市に出ない?」

そうアメリスが言い出したのは夕刻。仕事も終わりに差し掛かったところだった。

エリシアが答える。

「市?何買いに行くの?」

「香油が切れちゃったの。新しいリボンも欲しいし。」

「こんなところでお洒落してどうするのよ」

「出会いなんていつあるか分かんないんだから常に万全な状態でいなきゃダメよ!セラなんて香油すら使ってないでしょ!」

まさか飛び火してくるとは思っていなかった。

アメリスは真剣そのものだが。

「私は気にしてないから」

「ダメよ!今日いいの教えてあげるから試してみなさい。人生が変わるわ。」

そこまでではないと思う。思っても圧に負けて口にすることは出来ない。

「まあいっか。たまには市も悪くないしね。今日は仕事も早く終わったし。」

エリシアの一言で市に出ることが決まった。

通行許可証をもらい、出た市の賑わいは久しぶりで人知れず高揚してしまう。

「んー、これぞ解放!って感じよねえ。ずっとお屋敷にいたら潰れちゃうわ。」

「アメリスは貴族だよね?働かず結婚も出来たんじゃないの?」

「浮気した婚約者を詰って引っ叩いたのよ。そしたら働いて出直してこいって追い出されたの。」

「浮気されたんならそれくらいいいと思うけどねえ」

「でしょ?ほんと頭固いのよ!」

貴族の世界は面倒くさい。婚約者を決められた上に浮気されたなど踏んだり蹴ったりもいいところだ。

「いい人見つけなきゃね。」

「そうよ!折角軍部が近いんだから出会いが欲しいわ。貴女たちもどう?一緒に。」

「私は遠慮しておくわ。」

「私も。」

「セラはともかくエリシアまで...なんでそんなにつれないのよ。」

「私は家族のために働かないといけないから。」

普段明るいエリシアだが、覚悟を決めて働いているのだ。

「働く理由なんて様々よねえ。セラは?なんで働いてるの?」

まさか弟探しの一環でレオに手伝ってもらってるからなどと言えるわけがない。

「私も家族のためだよ。王都内の方が給金もいいしね。」

「そっかあ....あ、店着いた。」

香油を売っている店に着いた。

棚一面に並ぶ小瓶に反射する光と匂いの入り乱れる店内は酔ってしまいそうだ。

「エリシアはどれ使ってるの?」

「私はラベンダーが多いかな。」

「ならアメリスはローレル?」

「よく分かったわね。」

「匂いが言われてみればそうだと思って。」

「艶がよく出ていいのよ。セラは....そうね、カモミールかアーモンドなんかはどうかしら?」

「効果だけで言えば鎮静効果や抗菌作用もあるカモミール一択だけどね。」

「セラ、目的は髪を美しく見せることよ。目を向けるところはそこじゃないわ。」

アメリスは呆れているが仕方ない。職業病だ。

「私のおすすめはアーモンドよ。花も入っていて香りもいいから殿下も気にいるわ。」

「アメリス、声が大きい。」

エリシアの言う通りだ。王弟の侍女が市にいるなど、周りにバレてはいけないしそこじゃない。

「ならアーモンドにするわ。リボンも買うんでしょ?」

「そうね。行きましょ。」

「リボンはどこで買うの?」

「近くの小間物屋よ。あそこは可愛いのが置いてるわ。」

追い出されたとは言え貴族のアメリスは庶民が入るには少し敷居が高い店に容易く入っていく。

「どっちがいいかしら?ピンクと水色。」

「ピンクなら可愛く見えるし水色なら清楚に見えるかな。」

「この店かわいいね。私も何か買おうかな....」

エリシアは隣で髪留めを眺めている。

「セラならどっちを薦める?」

「んー.....こっちのパープルピンクはどう?可愛いけど大人に見えるわ。」

「あら、それいいわね。そうするわ。」

外に出ると市賑わいは落ち着き始めていた。

「遅くなったね。早く戻ろ。」

「そうね。」

帰ったのは門限ギリギリだった。

「危なかったね」

「ほんと。過ぎたら大目玉よ。」

「じゃあ私こっちだから。おやすみ。」

「おやすみ、アメリス。」

「じゃあ私も。またね。」

エリシアとアメリスに別れを告げ、部屋に戻る。買った香油を塗り櫛を通してみると確かに通りがいい。こんな通りのいい髪は久々だ。1人で感嘆していると戸を叩く音がした。もうそんな時間か。 

「今参ります。」

「殿下がお呼びですよ。」

「分かりました。」

レオは部屋に行くといつも髪に触れたがる。最初は恥ずかしい気もしたがいつの間にか慣れて心地いいとすら思う。しかしよく考えたら香油の感触は嫌いではないだろうか....

「香油、つけるようになったのか?」

部屋に入り、座らせたセラの髪に触れた開口一番、出てきたのはその言葉だった。

「はい、半ばアメリスの押し売りで買ったのですが....お嫌いですか?」

「いや、梳きやすくていい。匂いも少し甘くて...自分で選んだのか?」

耳元で囁くのはやめて欲しい。身震いする身体を悟られぬよう平静を装って答える。

「アメリスに薦められたものから選びました。特にこだわりがなかったので。」

「そうか。アメリスは確か貴族の侍女だったな?」

「はい。浮気した婚約者を引っ叩いたら働いてこいと家から追い出されたそうです。」

「なるほど、気の強そうなあの娘らしい。仲がいいのか?」

「そうですね。嫌味もなく、裏表もないので私は好きですが。」

「それならいい。お前は....なんというか、あまり友達がいるタイプには見えないからな。心配になる。」

「まあ確かにあまりいませんが。特に困ってないので大丈夫です。」

「お前は変なところ頑固だよな。菓子、食べるか?」

「いただきます。」

「ほんとこれだけは食いつきがいい。」

呆れられてもこれだけは特権だと享受していた。バターと砂糖、蜂蜜と卵を混ぜて焼かれた菓子はこの世にいる喜びを感じさせてくれる。

「美味いか?....なんて聞くまでもないな。俺と話してる時もそんな顔見せてくれてもいいんだぞ?」

「菓子は人と違って感情もなければ話もしないので遠慮がいらないのです。うーん、美味しい。」

「俺は菓子以下か.....」

「評価の基準が違います。王族の方にこんなことを言うべきではないのかもしれませんが、レオ様には気を抜いている方です。」

「本当か?」

「少なくとも髪を触られて心地いいとはあまり思いません。」

菓子を食べると素直になるのは気のせいではない。ぱあっと明るくなるレオはまるで犬みたいだ。いつもは気まぐれな猫みたいなのに。

「菓子は毎日用意しておくからな。楽しみにしておけよ。」

「この味に慣れた後が怖いですね....」

「俺が一生味わわせてやるから心配するな。」

それはどういう意味だとは怖くて聞く気にならなかった。

「そろそろ弾きますか?」

「お前話逸らしたな....まあいいだろう。弾いてくれ。」

夜も更けた部屋をハープの音と静寂が覆う。それはきっと、生まれてから1番平和な時間だ。そんなこと、口にはしないけれど。この時間を失うのが怖い。レオから逃げようとした最初、怖かったものの正体はこれなのかもしれない。セラに平安を与えるこの人との時間は永遠ではない。その事実から、何よりも目を背けたかった。


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