夜更けの調べと仕掛けられた罠
「セラ、どうしたの?殆ど迷わなくなったじゃない!」
エリシアに言われ、セラは思わず得意げな顔になった。
「そう思う?」
「そりゃそうよ!少し前まで食堂にも辿り着けなかったのに!」
そう言われると頭が痛い。レオに絵のことを教えてもらってから、何故覚えられなかったのかと不思議に思うぐらいだった。
「ほんと...自分でもよく分かんないよ。」
「何かあったの?」
「んー、絵で覚えるようにしたの。」
「なるほど、いい考えね。これで一人立ちできるわ!」
「エリシアのおかげよ。ありがとう」
「正直話し相手がいて私としては楽だったんだけどな。ま、また一緒になることもあるでしょ。」
「うん。もっと堅苦しいと思ってたからエリシアでほんとよかった。」
「私もセラが噂通りの悪女じゃなくてよかったよ。話が先に来てたからさ。」
「そうなんだ?」
「うん。今度新しい子が来るから指導しなさいって。殿下に目をかけられてる子に粗相したらやばいと思ってたの」
「ないない。」
エリシアとそんな話をしながら歩いていた。
バリンッ!
重く鈍い音。曲がってすぐのところからだ。
「なんか割れたのかな、すぐそこだよね。」
曲がった先には飛び散った破片と中央にうずくまる侍女の姿があった。
「カルラ!大丈夫?」
かけよるエリシアを横目に落ちている破片に目を向けた。表面、断片と触れてみる。
その時、後ろから低い声が聞こえた。
「何があった?」
カルラが進み出た。
「殿下!も、申し訳ありません。不注意で壺を割ってしまいました。罰は受けます。」
「こんな壺、一つや二つ構わない。それより中に何か入ってなかったか?」
「いえ、それは何も....」
「そうか?中を見ていたからてっきり何か入っていると思ったがな?」
「中を見てなどおりませぬ!お許しを....!」
「まあいい。ここの片付けだけはしておけ。」
口を開きかけて目が合った。その目を見て、セラが言おうとしていることは必要ないと悟る。
「セラ。お前は俺と来い。エリシア、借りるぞ。」
「私に断りなどいりませぬ。いつでもご自由に。セラ、後でね。」
「うん。」
執務室に入ったレオはいつになく険しい顔をしていた。
「さっき何か言おうとしてたな。なんだったんだ?」
「あの壺が贋作ではないかと。ですがご存じのようだったので。」
「知ってるも何も贋作を置いたのは俺だからな。何故気づいた?」
「釉薬が浸透し切っておらず、変色もない。断面の粒子も均一でした。ですので贋作ではないかと。あの侍女が狙いだったのですか?」
「流石だ。あの侍女だと分かっていたわけじゃない。壺に近づくやつを探していた。」
「中に何かあったのですか?」
「近頃軍の部隊長の1人がふらつく、幻覚などの症状を見せるようになった。どう考えても麻薬以外ありえない。聞けばその男は侍女の1人と恋仲だと言う。それがさっきの侍女だろうな。」
「壺を麻薬の取引場所として使ったと?」
「あの様子だと当たりだな。軍部に近く、目につきにくい場所だ。」
「それはまた厄介ですね。」
「近頃麻薬が流行っている。どこから手に入れたのか知らないが、聞いてみないといけないな。」
「どうやって証拠を?」
「俺にあの壺の場所を知られた以上、場所を変えるために必ず会うはずだ。他の部屋の鍵は全てかけて屋敷の一室だけドアを僅かに開けておいた。引っかかってくれるといいが。」
「分かりやすすぎやしませんか。」
「麻薬中毒者の思考は驚くほど回っていない。恐らく大丈夫だろう。」
「しかし何故私に話すのです?関係ないと思うのですが。」
「ちょっと手伝ってもらいたいことがあってな。今すぐじゃないんだが。それに贋作に気づいていただろう。」
手伝ってもらいたいこととは。あまりいい予感がしない。
セラの顔に気づいたのだろうか。宥めるようにレオが言った。
「そう気負わなくて大丈夫だ。それより道に迷わなくなったか?」
「はい。レオ様のおかげです。」
「それはよかった。つらいこともないか?」
「特には。そんなに気にしていただかなくてよいのですが。」
「そういうわけにもいかないんだ。理解してくれ。」
「はあ.....」
心配されるのが嬉しくないわけじゃない。でもこれに慣れたくもないのだ。
「そんな顔をするな。今日から夜呼ぶ。仕事に戻れ。」
「分かりました。失礼します。」
自軍と屋敷のものが恋仲であるーーー
これは仕方ないとしてもそもそも麻薬はどこから出てきたのか。こんなことが自邸で起きるとは気の毒な気もする。だが仮に偶然でなかったとしたら?それは厄介を通り越して問題だ。
「あれ、セラ戻ったの?」
「うん」
「グレータ様がセラが戻ったら執務室へだって。ついに一人立ちかな?」
「そうかなあ。さっきの侍女....カルラは?」
「医務室で休んでるよ。精神的ショックが大きかったみたい。」
「そっか。カルラ以外に誰かいなかったっけ?最近よく水飲んでる子。」
「アンナじゃない?そんなに乾燥してるかな?」
「さあ、私はそう思わないけど。グレータ様のところ行ってくるね。」
「うん、行ってらっしゃーい」
途中でアンナを見かけた。はたきで埃を落としながら唇をしきりに舐めている。足早にグレータのところへ向かい、ドアの前に立った。
コンコン。
「お入りなさい。」
「お呼びと聞きました。」
「ええ。ようやく迷わなくなったそうね?」
「なんとか。お手間をかけました。」
「いいわ。貴女もこれで1人で仕事ができるわね。」
「はい。」
「助かるわ。最近仕事の効率が落ちているのよ。」
「というと?」
「カルラ....今医務室にいるわ。以前は仕事もできる子だったんだけど。それにアンナもね。どうも集中力がなくて。どうにか生産性を上げたいのよ。」
「精一杯努めます。」
「頼むわね。話はそれだけよ。今日は風呂に入れる日でしょう?それまでに仕事を終わらせなさい。」
「分かりました。」
グレータの言葉に今日が風呂の日だったことを思い出した。温かい香草湯は疲れた身体に染み渡る。旅をしていた頃にはなかったささやかな楽しみだ。
1人旅の時よりずっといい生活をしていた。食事も3食あって風呂まである。なのに無性に旅に出たくなる衝動と度々戦わねばならなかった。
仕事を終え、順を待って風呂に入る。
ローズマリーとラベンダーの香る湯気を汚れた身体が拒否しているようで湯を流していく。
湯船に浸かる。このまま沈んでしまえたらいいのにな、と毎回思う。無理な話だけれど。
普段髪は自然乾燥派なセラだが今日は他の侍女たちがするように暖炉前に行ってみた。
ここは噂の宝庫だ。
カルラとアンナの姿はない。
「セラ、ここに来るなんて珍しいね。」
そう声をかけてきたのはアメリスだ。彼女とは洗濯や掃除の作業で一緒になりよく話すようになっていた。
「ちょっと寒くなってきたから。アメリスはいつも来てるの?」
「うん。髪は女の命よ!大事にしなくちゃ」
母がそんなことを言っていた気がする。もうとうに忘れてしまった概念だけれど。
「アメリスの髪、綺麗よね。」
「セラだって元がいいんだから手入れすれば絶対綺麗になるのに」
「したところでなあ。」
「殿下が目をかけてるっていうからどんなのかと思ったら貴女は気にしなさすぎよ!そこが逆にいいのかしら?」
「それはないでしょ。アメリスは恋人いないの?」
「いないわ。カルラなんて部隊長と付き合ってるのよ?それもイケメンの!なのにあんなフラフラになっちゃって、可哀想ね。」
「いつからあんな感じだったの?」
「数週間前からかしら?話しかけても返事しなくなったりしたのよ。あんなんじゃ恋人にも逃げられるわ。」
その恋人が元凶だとは知らないのだから仕方ない。
「セラは?恋人。いないの?」
「影も形もないわ。」
「殿下は?」
「は?」
「愛人ならありじゃない?大事にしてもらえそうだし。」
「何言ってるの」
「セラ綺麗だしねえ。嫉妬してたのにあまりにも気にしないから逆になんとかしてあげたくなっちゃった。」
この堂々としたところがアメリスの魅力だ。中には未だセラを見て嫌味を投げかけてくるものもいる。エリシアやアメリスのような存在は貴重なのだ。
「セラ、こちらへ。」
かけられた声に振り返ると風呂上がりでも威厳あるグレータが立っていた。
「じゃあね。」
小声でアメリスに別れを告げ、着いた先はレオの寝室だった。
例の2人を捕まえる作戦のことだろうか。
「殿下、セラを連れて参りました。」
「入れ。」
「さ、入りなさい。」
「グレータ様は?」
「私は外で待機しています。くれぐれも粗相のないように。」
「承知しました.....失礼します。」
寝巻きで緩んだ姿のレオがいる....かと思いきやいたのは軍服のままで厳しい顔をしたレオだった。
甘い匂いが鼻についた。ローズと...ジャスミンか。レオから普段匂う渋くて深みのある匂いとは随分違う。夜は気分が変わるのだろうか。
「来たか。」
レオの顔が緩む。
「湯浴みは済まされたのですか?」
「ああ。だが今日言っていたこと、覚えてるな?」
「はい。2人の証拠現場を押さえると。」
「そうだ。お前にも手伝ってもらいたい。」
「何をすればいいのでしょう?」
「屋敷に響くぐらいの音でハープを弾いてくれ。いつものラップハープではないが、弾けるよな?」
「はい。」
「向こうには俺がゆっくり音楽を聴いてると思ってもらわなきゃならない。警備もあえて緩めてある。俺がここに戻るまでお前は演奏していてくれればいい。」
「それだけでよいのですか?」
「十分に大役だ。お前の演奏を聴かせてやるのは癪だが仕方がない。頼むぞ。」
「分かりました。」
「とはいえ始めるにはまだ少し早い。風呂、入ったのか?」
「はい。」
「髪、乾いてないな。」
「今日は暖炉前に行ってみたのですが。やはり中々乾きませんね。近いうちに切ろうと思っています。」
「切る?」
「はい。肩ぐらいまで切れば手入れもラクになるので。」
「それは....やめてくれないか。」
「何故ですか?」
「お前の美しい髪が減るのは耐えられん。それに、長い方が似合う。」
「洗うのは私なのですが.....」
「乾かすのが面倒なら夜はここの暖炉で乾かせばいい。いくらでも付き合ってやる。」
たかが髪に何故こんなに必死になるのかはよく分からない。
だがそこまで言われると切った時に心残りになる気がした。
「そこまでしていただかなくて構いません。切りませんから。」
「そうか。よかった。」
「今日から1人で仕事をしていいと言われました。レオ様のおかげです。」
「それはめでたいな。これで心置きなくお前を呼べる。」
「そこですか。」
「そこだ。ほら、こっちに来い。髪乾かしてやるから。」
暖炉前に座ると、レオが髪をいじっている。
人に髪を触られるのはいつ以来だろう。梳かれる指が心地いい様な、気恥ずかしい様な。
「そうすれば乾くのですか?」
「いいや?妹が癖毛を憎んでいたのを思い出した。たまに髪を結ってやったりしたな。」
「ご兄妹で仲はよかったのですか?」
口にしてから野暮な質問だったなと後悔した。王族の兄妹仲など詮索するだけ無意味だ。
「悪くなかったんじゃないか?妹だけは母親が違ったが、後妻で側妃とかいうわけじゃなかったから、俺たちも気にしたことはない。年も離れていたしな。俺と姉の仲はあまり良くないが。まあなんだ、同族嫌悪だ。」
「珍しいですね。王族と言えば派閥で争ったりと面倒ごとも多いイメージでしたが。」
「俺が王になる気が全くなかったからな。周りはうるさかったぞ。今もうるさいがな。兄が王になる。それが兄妹の総意だったことが大きいだろう。」
「お姉様と妹様は今も国内におられるのですか?」
「いや、姉は遊牧民族の王に、妹は隣国のエイマールに嫁いだ。しばらく会っていないな。」
「兄妹とは不思議なものですね。あれだけ近くにいたのに気づけば遠く離れている。」
「本当にな。お前は弟だけか?」
「妹がいました。それこそ折り合いはあまりよくありませんでしたが。」
「意外だな。」
「性格が違いすぎたのでしょう。仲が悪かったわけでもありませんが。」
「兄妹なんてそんなものかもな....よし、できた。」
「?」
「鏡、見るか?」
鏡を覗き込むと髪が丁寧に編み込まれていた。侍女でもないのに器用なものだ。
「上手いだろう?妹に好評だった。」
「可愛い。これは好評になるのも納得です。」
「気に入ったか?」
「はい。でも髪は乾きませんね?」
「編んだまま寝るとまた次の日髪が巻かれていいらしいぞ。」
「そうなんですか?やってみます。」
「ああ。それでまた明日見せてくれ.....そろそろだな。」
レオの顔が仕事の顔に戻る。用意されているいつものラップハープとは違う、本来のハープを見る。これを弾くのはいつ以来だろう。弾けるかどうか少し不安になる。
「緊張してるのか?」
「あ、いえ....大きなハープは久しぶりなので。」
「少し弾いてみろ。すぐに慣れるはずだ。」
その言葉にゆっくりと弦を弾いてみる。ラップハープの高く天に響くような音とは違う。部屋を震わすような振動と響きは久々の快感だった。
「あ、そうだ。」
「ん?」
「お伝えし忘れていたのですが、侍女のアンナももしかしたら中毒症状が出ているかもしれません。」
「ほう。それはどこから?」
「脱水症状とは違うようですが、最近しきりに喉が渇いたそぶりを見せ、集中力にも欠けているようです。」
「そうか、助かる。しかし王弟の屋敷で麻薬とは。いい度胸だ。」
笑っているが目は笑っていない。捕まったものたちの行く末を思わず案じてしまった。
ハープを鳴らしていく。王家にある楽器はやはり名器だ。響きが違う。
目を閉じ、逡巡したレオが目を開ける。
「さて、行ってくる。戻るまでやめるなよ。」
「はい。」
行くレオの背が影に溶け、揺らめく暖炉の火が部屋を灯していた。どうせ屋敷中に聞こえている。どうせなら騒音だったと言われぬよう努力しよう。それでも部屋に1人、響く音は虚しかった。
レオがセラを部屋に呼ぶようになりました。ある意味レオは今から大変です。




