私に、拒否権などなかった
私に、拒否権などなかった。
[夕刻、賢者の間で]
そう書かれた紙を受け取ったのは昼過ぎだった。
紙の送り主が誰か、アマリエルには分かっていた。誰か1人を想う男の顔が、忘れられなかった。
隣で眠る王。私が、望んだわけでは無い生活。
生まれは何の変哲もない貧乏な平民の家。何かに誘われるかのように舞を踊った。街祭りの日、音の鳴るままに踊っていたら1人の女に呼び止められた。
『ねえ、貴女うちの一座に入らない?』
子沢山で子を育てるのに苦労していた親は預かってくれると言う一座の提案を喜んで受け入れた。
一座に育てられ、踊り子として前で踊るようになった。
ある日のことだった。
『アマリエル、貴女に宮廷から招待が来てるわ。』
『宮廷?』
『王が貴女を見初めたそうよ。心して行きなさい。』
考えたこともなかった。この国の王が、私を見初めるなんて。
踊れと言われて踊った。緊張して、何を踊ったかも覚えていない。
踊り終わり、王が発した言葉はそれだった。
『アマリエルよ、我が妃となれ。』
『……今、なんと、』
『我が妃となれと言ったのだ。さあ今日からここがお前の家だ。好きな物は何でも与えよう。』
『で、ですが私はただの踊り子です。妃になるような教養はありません。』
『我が良いと言えば良い。其方は美しい。我が妻に相応しい。』
軍国コアルシオンで、側妃を持つことは何も珍しいことではない。だが平民で何の力も持たぬアマリエルが王宮に入れば何が待っているのか分からぬほど愚かではなかった。
逃げ出したい。逃げ出せる物なら。だが逃げると言うことは王命に背くと言うこと。それは即ち処刑を意味する。
頷くこと。それ以外の選択肢はアマリエルになかった。
王はアマリエルのところに毎晩どころか入り浸るようになった。
『ああ、愛しいアマリエル……其方がいれば我は心が休まるのだ。』
そう、求め続けられる毎日。宮廷中の視線の痛さ、毒を確認する癖はすぐについた。すぐに変わるだろうと思っていた寵愛は予想を裏切った。数年経った時、身体に違和感を覚えた。
月のものが、来ない。
血の気が引いた。もしこれが男の子であれば―――
国中から殺意を向けられるのは明白だった。懐妊を知った王は心から喜んだ。
『アマリエルよ、産んでくれるな?必ずやその子は我が国の宝となろう。』
王の喜ぶ顔に怖くなった。子が流れることを願い、階段から落ちた。それでも子は流れなかった。
やがて生まれた子は不幸中の幸いというべきか、女の子だった。セレリアと名付けられた子は自分の境遇も知らず成長して行った。愛らしい娘を見た時、この子を守らねばならないと思った。子が生まれた後も王の寵愛が止むことはなかった。そのことによって国が腐敗して行っていることも、正妃が身体を壊したことも知っていた。だが、アマリエルに何ができたのだろう?
愛されたことが罪だというのなら。
それならば悪女となろう。それでこの子をまもれるのなら。王の寵愛が続く限り、この子は守られる。例えそれで、国が傾くとしても。
だがある日、宰相アンツェルーシュが言った。
『王はまたそちらですか。』
『ええ、そうですわ。』
『王の寵愛はいつまでも続くとお思いで?』
『……続かせてみせるわ。でなければ私はあの子を守れない。』
『母は強いですねえ。……しかし、ご存知ですか?腐敗した王、使い物にならない王太子、国は今やアラリック王子を王にとクーデターを起こす勢いです。』
『そんな……』
『そうなれば間違いなく貴女方は処刑の対象でしょうねえ。何より国を傾かせたのですから。』
『それは……!私のせいでは……」
『ええ、知っていますよ。貴女に拒否権などなかった。ただ、王の寵愛を受けた。それだけです。貴女に非などない。』
アンツェルーシュの言う言葉はアマリエルが長年言いたくても言えなかった言葉を代弁しているようだった。
『ですからあまりにも不公平でしょう。もしもアラリック王子が王になり、貴女が刑を受けるとしたら。』
『それは……』
『取引しませんか?私は今の王系を崩すつもりはありません。貴女の地位は守られる。その代わり貴女にはビジネスを手伝っていただきたいのですよ。』
『ビジネス?』
『コアルシオンの宝石……王から賜ったことがあるでしょう?』
『あれは採掘量も少ない貴重な物です。ですが酷似した物ならば作れる……貴女には宣伝していただきたいのですよ。その宝石の美しさを。』
『酷似した物……贋作を売ると?』
『ええ。そうですよ。』
何の悪意も含まない声。まるでそれが正当なことであるかのように。
『ですがそのようなことをすれば罪に問われます。』
『ですからバレないようにやりましょう。もしくはバレても誰も何も言えない状況を作ればいい。貴女は来る外交官、貴族相手に美しい宝石の誘惑をするだけでいい……簡単でしょう?』
『……私が断ればどうなるの?』
『そうですな。私が実権を握った暁には……」
細い目が、ニヤリと笑う。
『娘共々消えていただきましょう。王を腐敗させた張本人として。』
それは脅しという名の交渉だった。まただ。またアマリエルには拒否権がない――――
『……分かりましたわ。お受けします。』
『懸命な判断です。軍事部にある立ち入り禁止の塔……あそこが宝石の製作所です、ですが貴女は来てはなりませんよ。』
『何故ですか?』
『見られては困るからです。いいですね。では私はこれで。』
去る男の背を拳を握り見ることしかアマリエルにはできなかった。




