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第4話 入学式でも俺を落ち着かせてくれない。

吸血鬼。


霊魔の中で頂点に君臨する種族だ。

だが、数多くいる吸血鬼の中でも特別な存在がいる。

――純潔の吸血鬼。

吸血鬼の中の王族であり、他を圧倒的に凌駕するほどの力を持つ。


七十年前の『赤雪のクリスマス』という退魔師と吸血鬼による大戦争以来、生存が確認されていない。

吸血鬼の交配種であるサキュバス・インキュバスはいまだに多く確認されているが、その能力や強さは桁違いである。


弥彦の父である芥見享受朗も、吸血鬼との戦争に臨んだが、身体中に吸血鬼から受けた傷が今もなお残っている。

また、当時の芥見家当主――弥彦の祖父である芥見境真は、その戦争にて亡くなっている。


以来、芥見家は吸血鬼には細心の注意を払い、マニュアルとして『焦るな、悟られるな、やり過ごせ』という家訓がある。

無闇に単独で吸血鬼を相手にすると、いくら芥見家の人間と言えど命が危ないからだ。


そんな因縁深き霊魔が、弥彦の隣の席に座っていたのだ。


***


参った……これは本当に参った。


ようやく普通の学生生活を送れると思ったのに、よりにもよって霊魔の王・純潔の吸血鬼がこの学校に紛れ込んでいた。それも同じクラス。


しかも……しかもだ……。


「よろしくお願いします! 私、黛ヴァニラと申します!」


太陽のような笑顔をこちらに向けながら、彼女は挨拶する。


「よ、よろしく……俺は……弥彦って言います」


なんで隣の席なんだよおおおおおおおお!?!?!?!?!?!?


***


「一応、芥見って言わないでおいたから正体はバレてないはず……」


弥彦は入学式を迎える前に、トイレで一人息を整えていた。

先程鈴代から襲われたことから学習し、自身の『芥見』という名を伏せた。

額から伝う汗をハンカチで拭き取り、鏡に向かった。


「状況を整理しよう。あれだけの目立つ容姿をしていながら、なんで注目されないんだ……?」


しばらく推考すると、思いついたのは吸血鬼の特性である『意識を逸らす』能力だろう。


「なるほど……前にインキュバスとやり合ったことがあったけど、あいつと同じか」


インキュバスも相手を惑わし、また相手の意識を逸らすことのできる厄介な霊魔であった。

過去に弥彦はインキュバスと対峙した際に苦労した思い出がある。

そんな経験もあってか、弥彦はあの教室内で一人だけ彼女に注目することができたのだ。


「でも、あの子から敵意や殺意なんてものは一切感じられなかったな……まあなんにせよ、俺の学生生活の平穏を守るためなら、警戒を怠らない方が良さそうだ」


弥彦は慣れない手つきで髪を整え、トイレから出て行った。


***


 入学式は、七十周年らしく妙に格式ばっていた。

 体育館の壇上には歴代校長の肖像がずらりと並び、吹奏楽部が校歌を丁寧に奏でる。

 春の光が高窓から差し、埃が金粉みたいに舞う。

 弥彦は式次第の文字を目で追いながら、横顔だけは見ないように努めていた――黛ヴァニラを。


 校長の挨拶。来賓の祝辞。生徒代表の宣誓。

 どれも真っ当で、どれも長い。

「学校って感じでいいなぁ……!」と、弥彦は感慨深そうにするも、やはりヴァニラの存在からか気は抜けない。

 ちょくちょく、鼻を掠める匂いを確認した。血の匂いではなく、紅茶のような微かな香りがした。


 閉式のアナウンスが流れ、拍手が体育館を満たした。

 解散のざわめきの中、弥彦は列から離れようとすると、袖を軽く引かれた。


「ね、ねえ……この気配って……」


 鈴代姫花。声は落ち着いているのに、瞳だけが鋭い。

 弥彦は一拍置いて、小さくうなずいた。


「ああ……俺のクラスに、吸血鬼がいるんだ。しかも、純潔の」


 鈴代は短く息を吸い、目線だけで体育館の隅をさらう。

 見えない、というより、視線が滑る、あの現象。


「……一旦、様子を見るしかないわね。掟は場所を選ばないけど、常識は選ぶから」


「……助かる」


「気を付けて……とは言わないでおくわ」


 軽い皮肉を残して、鈴代は人の波に紛れた。

 弥彦は胸ポケットの式次第を折りたたみ、教室へ戻る列に加わる。


 ***


 午前の終わり、担任の自己紹介を挟んで、恒例の“クラス自己紹介タイム”になった。

 前の席から時計回り。緊張と笑いが交互に跳ねる。

 黛ヴァニラの番は、俺のひとつ手前だった。


「黛ヴァニラと申します!紅茶派です。よろしくお願いします」


 簡潔。微笑。何も特別じゃない言葉なのに、教室の空気が一瞬だけ柔らかくなる。


「紅茶派! たしかにそんな感じする~!」

「俺はコーヒー派! でも牛乳入れないと飲めない!」

「それカフェオレじゃん」


クラスの皆、白髪白肌赤眼の浮世離れした美少女が立っているというのに、彼女の養子に対しての言及がない。

 弥彦は瞬時に、やっぱり“逸らして”いる。気配の角が、丸くなるみたいに、と悟る。


 続いて弥彦の番。

 ここで苗字は出したくない。

 弥彦は喉を鳴らし、できるだけ自然に言った。


「や、弥彦です……えっと……緑茶派です」


――――やってしまった、自己紹介を考えておらず、流れから紅茶派→緑茶派と言い換えてしまった。


 担任が軽く笑う。

 やめろ!今は、そのノリはやめてくれぇぇ! と弥彦は願うも。


「おいおい!いくら下の名前で呼んでほしいからって、ちゃんと苗字も言えよな~芥見!」


 教室の笑いが弾ける。

 背中を冷たい汗がつっと滑り落ちる。

 横を向く勇気は、ない。


 だが、隣からの視線は来なかった。

 ヴァニラは、黒板の隅に貼られた避難経路図を、ただ静かに見ていた。

 気づいていないのか。あるいは――わかっていて“見ない”のか。


「芥見か!よろしくな~」

「ここで緑茶派はギャグセン高い」

「よろしくなー弥彦!」


 クラスの声が重なり、担任は次の席へと進める。

 心臓はまだうるさいが、授業用のプリントを配る音が、日常を上書きしていく。

 弥彦は深く息を吐き、机の端を一度だけ握りしめてから離した。


 ***


 放課後。

 新しい連絡網、初回の課題、行事予定。

 情報だけで少し疲れて、俺は正門を出た。

 門柱の影が長い。春の夕方は、やさしい顔で刺してくる。


 帰り道の角で、鈴代が一瞬こちらを見た。

 目が合う。

 大丈夫、と口だけ動かすと、彼女はうなずいて別の方向へ歩いた。

 彼女の掟と、俺の平穏が、たまたま今日は同じ方角を向いている。


 腹が減った。

 気苦労で、体が軽く空っぽだ。


「……よし屋、行くか」


 通い慣れてきた大通りの手前、ビル風が少し強い。

 看板の赤が夕陽に溶け、暖簾の隙間から湯気が逃げていく。

 カウンター席は半分ほど埋まっていた。


「いらっしゃいませ」


「えっと、牛丼並で。生卵もお願いします。あ、あと味噌汁も」


 返事は短く、手は速い。

 丼が置かれる音が、今日いちばん安心した音だった。

 箸を割る。湯気の向こうで、たれの香りが鼻に届く。


 一口目で、肩の力が抜けた。

 甘い。しょっぱい。あたたかい。

 家訓にはないけれど、弥彦の平穏には、丼が効く。


***


 丼を空にし、湯呑を置く。

 顔を上げると、壁のテレビでローカルニュースが流れていた。

 薄く聞こえた言葉――連続失踪――に、ほんの一瞬だけ心が引っかかったが、今は振り払う。


 会計を済ませ、外に出る。

 

「こんなに美味い牛丼に卵と味噌汁つけて700円台とか……よし屋は神だな」


安い・早い・美味いの三拍子のコンボに幸せを感じている弥彦は予想だにしていなかった。


本日最大の衝撃が待ち受けていることに。


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