第11話 執行
男はナイフを持ったままその場を離れて逃走した。そして私は莉愛が刺された事が俄かに信じがたく、困惑していた。
その現場を近くで見ていた男性が緊急通報して救急車を手配し、到着した救急車に莉愛が運ばれていく。
私は彼女の友人だと伝えて一緒に乗り込み病院へ向かった。
病院に着いてすぐに手術室に運ばれていく莉愛をただ呆然と見つめ、近くにある座席に座り込んだ。そのままじっと待っていたが、長時間待っていたこともあり、疲れが顔を出し膝小僧を抱え込んで楽な体制をとる。
頭の中で莉愛の無事を必死に祈り続けたが、手術室から出てきた医者の瞳を視た瞬間、祈りが粉々に砕かれたことを思い知った。
「残念ですが、出血量が多く出血速度も速かったので出血性ショックを引き起こして、止血が困難な状態でした……」
医師から遠回しに莉愛が亡くなったことを聞かされ頭に霧がかかっていく。
看護師に誘導されて言われるがままに手続きを済ませた後、一度ホテルに戻って休養を取ったほうが良いと推奨されたのでホテルに帰った。
ホテルに戻ってからは疲れているはずなのに、
眠気は全くなかった。
なにがどうして、こうなったのか未だに理解が出来ず寝れる状態ではなかったからだ。
あの男にきつく言わなければ……
もっとあの場を早く去っていれば……
莉愛と旅行に行かなければ……
莉愛が私と出会わなければ……
ベッドに横たわりながら、似通った後悔が頭をぐるぐると廻り続けていると携帯に着信が入ってきた。
携帯の画面を見た際に時刻が目に入ってきて、
既に朝になっていたことを知って驚いたが、
すぐに応答のボタンを押した。
電話をかけてきた相手は警察官だった。
事件の近況報告と事情聴取をしたいので今から会えませんか?と言われてすぐに向かうと伝えて電話を切り、重たい身体をベッドから起こす。
指定された警察署に向かうと刑事が既に待っていた。
「あっ……もしかして村崎さんですか?
私は今回の事件を担当している亀田といいます。立ち話もアレなので中へどうぞ」
挨拶も早々に終わって、警察署内の別室に連れて行かれる。
そして亀田が椅子に座るように手で合図を送り、私が座ってから亀田も椅子に座った。
「この度はお悔やみ申し上げます。
武田さんが搬送された病院から貴方の連絡先を伺いました。急にご連絡して申し訳ありませんでした、驚かれたでしょう。
お疲れのようですので、手短に事情聴取をさせていただきますのでご協力下さい。
事件が起きた時どういう状況でしたか?」
私は認識していることをありのまま亀田刑事に話した。
話していくうちにどうして莉愛が亡くならないといけないのか疑問が頭によぎる。
亀田刑事は口を挟まずに話を聞いた後、口を開いた。
「そうですか……
貴重な情報をありがとうございました。
当たり前のことではありますが、犯人がどうなったのか気になりますよね?
結論から言うと犯人は捕まりました」
犯人が逮捕されたことが耳に入り、彩華の瞳孔が開く。
亀田刑事は事件のその後について淡々と話を進めていく。私は犯人についての情報を聞かされ、
その話を頭で整理して刻み込んでいく。
犯人は莉愛を刺した後は逃走し、
握っていた凶器の刃物は途中に投げ捨てており、警察によって回収されている。
現場にいた第三者が救急の他に警察にも通報していて、現場に駆けつけた警察官によって犯人は逮捕された。
犯人は外国籍の男性であり、刃物を持ち歩いていたことについては果物を剥いたり切ったりして食べる為に常備していたものらしい。
肝心な殺人の動機については、
不法残留(所謂オーバーステイ)が発覚し強制送還が決定されていた。
強制送還になると当分、日本に来ることは出来ない。だったら、今のうちに日本人女性を抱いて思い出作りでもしようと考えてナンパをしていたらしい。
そして私に声をかけたが、相手にされなかった。
それどころか、ナンパした中で強く突き返す言葉を言ったのは私だけだったらしい。
強制送還の事でただでさえ、苛ついていた状態で突き返されてついカッとなり刺してやろうと思った……と犯人は供述していたとのこと。
あまりにも筋が通っていない動機を聞かされて軽く目眩がした。
そんなくだらないことで、莉愛は殺されてしまったのか。犯人の動機についてこれっぽっちも理解できる箇所はなかった。
その後も亀田刑事と事件のことについて話をして、一通りの聴取が終わって退席する流れになり席を立った際に亀田刑事が言葉を溢す。
「こういう仕事をしていると、人ってのはある日突然その人の目の前から消えるものだと嫌でも思い知らされます。
それは自分も同じで、その時はいきなりやってくる。だから、
その時が来る瞬間まで足掻きたいものです。
だから貴方も生きてください」
自分がこれから死ぬのではないか?と思われている気がしたので修正したくなった。
「……私が今から死にそうに見えますか??」
「いや……そこまでではありませんがかなり思い詰めているようでしたので……」
「いえ、大丈夫です。」
私は警察署から出てホテルに戻った。
ホテルの部屋には莉愛の私物が所々に置かれていてまだ莉愛がいなくなったという実感が湧かない。振り向けば莉愛が居そうな感覚に襲われる。
そうしていると亀田刑事の話が脳裏に浮んだ。
人は死を先送りにしてそれまで生きる余裕を与えられているだけなのだと。
そして先送りの時間は不明瞭で突然刈り取られるのだと莉愛のことで痛感させられた。
大阪から離れる為に荷造りをしていると病院から連絡があり、内容は莉愛の葬儀のことについてだった。
莉愛に親族はいないので、私が莉愛の遺体を引き取ると伝えて、自宅から近い葬儀場で火葬することとなった。
強烈な睡魔が訪れて気絶するように眠りについた。ホテルを睡眠の為に丸一日使って、あっという間に翌朝になり、ホテルを退出した。
自分用と莉愛のキャリーケースも引っ張り、ようやく自宅に辿り着いた。
もう夕暮れになっていて、時の流れはあまりにも早い。
玄関に着くと、小旅行だと軽い気持ちで自宅を離れた過去の自分を思い出した。
もし、過去の自分に出会えるなら全力で旅行を阻止してみせる。
そんな現実逃避をしながら自宅のドアに鍵を入れた。
家の中に入ると莉愛の匂いを感じた。普段は感じることがなかったが、今は確実に匂いを嗅ぎとれる。そしてこの匂いも数日で消えてしまう。
本当は持って帰ってきたキャリーケースの片付けや洗濯などやることは山積みだが、身体と気持ちは動かず、全てを放棄した。
シャワーを浴びてベッドに横たわり、莉愛が使っていた枕の上に頭を乗せて、呆然としているとゆっくりと眠りに落ちて目を覚ました時は朝日が昇っていた。
昨日の夜は一切のやる気が出なかったが、数時間も伏せていると莉愛の葬儀に連なる流れは調べておかなければならないと思い、ベッドの上でネットで情報を集め始める。
最低限の身支度をして家を離れ、役所に莉愛の死亡届を出して
役所の職員に段取りを教えてもらい後日、火葬を行なうことになった。
莉愛の遺骨は一定期間を経て私が受取人となり、遺骨を受け取った。
有給休暇を消化して一連の手続きを行なっていたので、そろそろ仕事をしなければならない。
私の日常は一変して彩を失ったのに、世界の日常は彩を変えずに流れ続けている。
そう考えた時に、別の考えが頭をよぎる。
私の日常が彩づいていない時には、誰かの日常が彩づいて
私の日常が彩づいた時には、誰かの日常が彩を失う。そうやって日常の彩はグラデーションのように変わり続けている。
だからこそ、彩が灯っている間にやりたいこと、やれることを精一杯やり通して、
喜んだり、大いに楽しんだりするべきなのだと。
自分の生きる意味をこれからも問い続けたい。
そう思えたのも何故か、莉愛が教えてくれたような気がした。
まだ心の整理はついていないから、部屋に置かれている莉愛の物は整頓出来そうにないし、当分はこのままで良いと思う。
私の生はまだ止まることなく進んでいる……
莉愛が亡くなってから十数年が経った。
あれから私は自分の心の赴くまま好き勝手に生きて人生を謳歌した。後悔はさほどない。
ある日、意識を失って病院に運ばれた。
診断結果を聞くと、どうやら私は癌を患った。
今まで目に見えなかった執行猶予が見えるようになり、残された時間をどう使おうか考えている。
……執行されるその瞬間まで生きる
その意思が私の背中を押していた……