第10話 希望
彩華と莉愛は勤めている風俗店の事務所にいた。
「これ、お客さんから回収したお金と、借りた残りのお金です。これで全額返済で間違いないですか?」
店長は彩華から渡された札束を手に取って計算する。
客から回収した料金から、店の取り分と彩華の取り分の一部を返済に充てて、残ったお金が彩華の懐に入るシステムになっていた。
「……うん、金額も合ってるしこれで全額返済だね。しかし、痛手だよ。
まさか奏音ちゃんまで辞めるなんて。これからまたキャスト募集しないとね」
「すみません、もうちょっと早く言えば良かったですね……」
「店長、今までありがとうございました。
いきなり大金を貸して欲しいって無茶な要求を呑んでもらって、本当に助かりました」
「いやいや、その分しっかり働いてくれたし。
欠勤とか問題も無かったしこっちも助かったよ。奏音ちゃんも今までありがとうね!」
「こっちこそ、お世話になりました!」
二人は退店の手続きをして、お店を後にする。
莉愛は介護の仕事も辞めようと決意したが、
転職先が見つかるまではそのまま勤務を続けて
簿記の資格を取得した。
その後、転職活動も上手く言って介護の仕事を辞めて、中小企業の経理部に転職できた。
未経験ということもあり、面接で何度も落ちたが諦めずに受け続けてようやく受かった。
彩華も勤めていた警備会社を辞めて、消防設備士として働いている。
警備会社に勤めているおじさん達からは別れを惜しむ声が上がったと同時に、若人がようやく道を見つけたと安堵し喜んでくれた。
消防設備士とは建物内に設置されている火災報知設備や消火器設備、スプリンクラー設備などを点検または交換をする仕事である。
何故、私が消防設備士を目指したのかというと、警備会社勤めの時によく同じシフトに入っていたおじさんが副業で消防設備士をしていて、
ホテルの巡回と同じで基本は一人で作業をするので気がラクだしそこそこ稼げるなど、
業務内容を聞かされていたから、そこそこ興味があり自分なりに調べて資格を取り事務所を経由して仕事の案件をもらっている。
そしてゆくゆくは独立して、一人で仕事を出来るようになれば良いなと考えている。
心機一転の為に新しいマンションに住みたいと 莉愛の要望もあって、住み慣れ始めた物件から離れて、前よりも広い物件に引越しした。
二人でこれから真っ当な生活を暮らせるようにと願いを込めて生活の基盤をゆっくりと作り上げていき、約三年の月日がゆるやかに流れた。
そのゆるやかの中には時にくだらないことで喜んだり、喧嘩もした。
時にサプライズをして驚かせたり、一緒にいて気を遣うこともなく気持ちが楽になることも多々あった。
自身は執行猶予の状態であり、いつその日が来るのかわからない。
だからこそ、その日が訪れるまで自分を満たす為に生きる。ということを信条として日々を過ごしていくことにお互い充足感があった。
「前から旅行に行こうって話してたけど、大阪に行かない?」
国内旅行に行くことは前々から計画していたのでそれに合わせてお互いに休暇を抑えている。
ただ、どこに行くのかは中々決まらず、有耶無耶のまま保留になっていたが、候補で大阪の名前が挙げられた。
莉愛が大阪に行ってみたいと前々から言っていた。関西といえば大阪の印象が強いらしく、私も大阪には一度も行ったことは無いので、いつか行ってみたいと考えていた。
私の頭の中では関西といえば京都を思い浮かべるが、高校生の時の修学旅行で観光していたので、今回は見送ることにした。
ホテルと乗り物の予約状況や、行って帰ってくる時間を考えると大阪は好都合なので大阪に決めて、興味の赴くままに大阪の観光スポットやグルメのサイトを見て回った。
二人でキャリーケースに荷物を埋めていくだけですでに楽しい。
大阪旅行の当日になり、二人とも仕事が終わって家に帰ってきたが出発するまでまだ時間がある。
莉愛とソファーにもたれかかっていると、
強烈な睡魔が襲いかかってきて負けてしまった。
そのうち、莉愛の寝相から放たれる無意識の蹴りで目が覚めていく。
「痛っ……??今何時!?ちょっと、起きて」
「あっ……寝ちゃってた。もうこんな時間!?」
私達は飛び起きて、逃げるように家から出発して駅へと走っていく。
始発の時間帯に電車に乗り込む。
初めて始発の電車に乗ったが、思っていたよりも人が多く、人間観察をしていると身なりや年齢などから様々な人間がいて、一日の始まりである始発に乗って何処に向かうのかと耽っていると、
大きな駅に着いて新幹線が来るホームに移動した。
久しく乗っていない新幹線に乗り込み、私達の気分は高揚していく。
眠気がピークを過ぎてハイテンションに変わったことも大きく影響している。
新幹線は二人を抱えて動き出し、二人でダラダラと話をしているとあっという間に大阪の梅田駅に到着した。
出勤時間と重なって人混みに押し流されて、今度は梅田駅内が迷路のような造りになっていることにかなりの体力が奪われていくが、時間をかけて迷路を脱出して予約したホテルへと向かう。
ホテルに到着してキャリーケースを預けたことで身軽になり、
ようやく大阪を満喫する体制に入った。
大阪の地に足を踏み入れてすぐに粉もんを食べたいと莉愛が連呼するので、適当にお好み焼き屋に入って食事を済ませてから、観光スポットなどを満喫した。
電車を乗り継いで色々な観光スポットを巡ったりカフェに入って休憩などを挟んでいると、
すっかり日も落ちて夜になっていた。
二人で繁華街に向かい、様々なお店に陳列されている商品を見ながらああでもない、こうでもない、と言いながら私達は歩く。
莉愛は駆け足で様々な商品を追いかけるように見て回っている姿がまるで子どものようだと思い、目の先にいる莉愛を微笑ましく見つめていた。
「オネエサン、コレカラアソビマセンカ?」
後方から拙い日本語を話す男に声をかけられた。
「……ナンパなら結構です」
私は軽く一蹴するが、聞く耳を持たず何度も話しかけてくる。
ナンパされることは時折あり、大阪に来てからも男性グループに声をかけられたのでナンパはそれほど特別なことでは無かったが、その男は格別にしつこかった。
ナンパをされると不快感とほんの少しの恐怖を感じるが、この男には恐怖を通り越して怒りを抱き、無視をやめて言い返した。
「しつこい!日本語わかりますか?断ってますよね?簡単な日本語もわからないなら、ちゃんと勉強したほうがいいですよ」
思っていたよりも強い口調で言い放った自分自身に内心は驚いたが、駆け足でその場を離れて、
目と鼻の先にいる莉愛と合流して耳打ちした。
「後ろにいるあの男がしつこく声かけてきて気持ち悪いからもうホテルに帰ろ」
莉愛は咄嗟に状況を把握して、その場から離れようと脚を動かした。
その男を横目で見ると、目が合い母国語であろう言葉をぶつぶつと言っており違和感を感じたが見過ごした。
いちいち見なくていいよ……と彩華に言われて二人は駆け足で繁華街から離れていくが、莉愛の違和感は目に見える形となって現れる。
「……危ない!!」
振り返った莉愛は反射的に彩華の身体を横に突き飛ばした。
男はナイフを持って彩華に向かって突進しており、彩華が横に突き飛ばされたことで標的を失ったナイフは莉愛の身体に真っ直ぐに刺さる。
男はナイフが莉愛に刺さってしまったことに動揺して咄嗟に刃を莉愛の身体から抜いた。
莉愛は既に気絶しており、裂けた胸からは血が溢れ出し、血の水溜まりがものすごい勢いで地面を塗り替えていた。