表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/94

第86話「魔族と犬」

階段を一段、また一段と踏みしめる。

考えまいとしても、心の中で渦を巻く。


明子様──。

その名を思い浮かべた途端、不安が鋭い爪を立てる。

このままでは、きっと……。


足を止めることが怖くなり、自然と駆け足になる。


鳥居をくぐると、こじんまりとした寺が現れた。

本堂、その近くの宿舎らしき建物。

こんな夜更けにも明かりが灯り、人の気配を示している。


その時、戸が開き、一人の男が姿を現した。

「……どなたですか?」

低い声。警戒の色を隠そうともしない。


───咄嗟に、私はいつもの仮面を被った。

口角を上げ、芝居がかった所作で一礼する。


「申し遅れました。私の名は──シュワリンガー・ネスタール。

第五層ネスタール領を治める、魔王候補にございます」


その言葉に自ら酔うように笑みを貼りつけた、その刹那。


──『信じて』。

あの小さな少女の声が、頭の奥で反響する。


信じろ? 信じられるものか。

仮面を被らねば、人は妬み、嫉み、嘲笑する。

演じなければ……

演じなければ、誰も私を見ようとしない。



『ワンッ』


不意に背後から声が響く。

振り返ると、そこに姿はない。けれど確かに聞こえた。


そうだ、私は……。


胸の奥に、冷えきっていたものを溶かすような温かさが流れ込む。


「……もし宜しければ。これから行く先についてきていただけないでしょうか?」


芝居がかった笑みではなく、ただ真っ直ぐに言葉を紡ぐ。


──断られるだろう。

そう思った。

魔王候補同士、敵対する立場にある自分が、要件も告げず「ついて来い」と言うなど、常識で考えれば有り得ない。




「……わかりました。行きましょう」


返ってきたのは、意外にも静かで揺るぎのない答えだった。


「………」

声が出ない。

どうして……? 私は敵であるはずなのに。


胸の奥で、長年つけてきた仮面にヒビが走る音がした。


「支度をしてきますので、少々お待ちください」

振り返ることもなく、男は足早に家の中へ向かっていく。


「な、何故です……? 罠かもしれない……のですよ?」


自分の口から零れる言葉は震えていた。


ぽろぽろと音を立て、仮面が崩れていく。


戸に手をかけたまま、彼はふと振り向いた。

月明かりに照らされる横顔は、真剣そのものだった。


「……困っていることがあるのでしょう?

誰かを救えるのなら、それはどんな理屈よりも大切なことですから」


仮面が音を立てて崩れる。

ポロポロと、長年積み重ねてきた殻が剥がれ落ちていく。


「どうか……どうか……」

胸に押し込めていた思いと共に、堰を切ったように涙があふれ出す。


「……明子……っ……様を……」

途切れ途切れに、押し殺してきた声が震えながら漏れる。

隠していた感情が、一気に解き放たれていく。


「チロ……が……託してくれた……彼女を……どうか……助けて……ください……っ」

言葉は涙に溶け、嗚咽に混じりながら、それでも必死に紡がれていく。




◆◆◆


「──その後、行きすがら状況をお話し、今に至ります」

語り終えると、シュワリンガーは深々と頭を下げた。


「この度は……他の魔王候補でありながら、ご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます」


言葉を区切り、さらに深く頭を垂れる。

その背に決意が滲んでいた。


「私の命はどうなっても構いません。どうか……どうか明子様だけは……お見逃しください……」


声が震えても、最後まで言い切る。

頭を下げたまま動かない。


その時──


ポタ、ポタ、と静かな空間に音が落ちた。


思わず前を向く。

そこには、涙をこぼすリリスの姿があった。

気に入っていただけたら、評価・ブクマで応援してもらえると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ