第8話「“すき”という現象について調査しただけ、なのに」
寺に下宿するようになって、数日が経った。
人間界の生活にも、少しずつ慣れてきた。
電気ポットの使い方も覚えたし、炊飯器のタイマーも怖くなくなった。
スマホも、なんとか触れるようになってきた。
──ただひとつ、まだ慣れないものがある。
「天川 蓮」その人、である。
ごはんを作ってくれる。
困っていると察してくれる。
笑いかけてくれる。
……仏像に話しかけている姿すら、絵になる。
(な、なんで……こんなに気になるのか)
(なぜ私は、あの人の笑顔を思い出すと……魔力が乱れるのか……)
(これって、体調不良?人間界特有のウイルス?)
──わからない。
私は、魔界生まれ魔界育ち。
感情の制御は常に“理”によって管理されてきた。
なのに今、この胸のもやもやは──
言葉にできない。
「……仕方ない、調査だ」
私は、スマホを手に取った。
“任務用資料収集”という名目で──
ひとつの単語を、検索した。
『 すき 』とは
──表示された画面。
「……多すぎない……?」
《“好き”とは、対象に対して抱く好意。心が引かれること。》
《恋愛感情の入口ともされ……》
《片想いの心理状態には以下のような傾向が……》
《すきって何?気づいたら始まってる恋のサイン♡》
(……恋!?!?)
(いやいやいやいや、これはちが……!)
(これは調査であって、べつに、私は蓮が……)
私は思わずスマホを閉じ、うずくまった。
(やばい……まさか……私、ほんとうに……)
(いや、待て──検索ワードが悪かっただけかもしれない)
(よし……“すき 症状”で再検索だ!)
『 すき 症状』
《胸が苦しい・息が浅くなる・顔が熱くなる・食欲がなくなる(または増す)》
《つい相手のことを考えてしまう》
《距離感がおかしくなる・視線を向けたくなる・目が合うとうれしい》
(……全部、当てはまる……)
(え、私……まさか……)
画面を見つめたまま、私は震える指で最後のページをめくった。
《“好き”とは、脳内ホルモンの変化によって引き起こされる、恋愛的情動である》
《なお、仏門においては煩悩とされ、抑える修行対象にもなります》
(煩悩!?)
(……ああ……やっぱりこれ、仏教的にNGなんじゃ……)
(僧侶相手にこの感情って……まずいのでは……?)
──その時、ふすまの向こうから、声がした。
「リリスさん、お茶淹れました。今行きますね」
私は思わずスマホを投げた。
「な、なにしてるのかね!? 我は!! 普通だし!! 任務だし!!!」
ふすまが開く。
蓮が、にこりと笑って、湯呑みを手渡してきた。
「大丈夫ですか? 顔が赤いような……?」
(うっ……近い……)
(ああ……また心臓が……また検索項目が増える……!)
──たぶん私は、認めてしまったのだ。
これは任務じゃない。
魔力の乱れでも、文明ストレスでもない。
私がこの人を「すき」と思っている──かもしれない、ということを。
でもまだ言葉にはしない。
だってこれは「現象の調査」だから。
……たぶん、きっと、まだ。