第75話「月下の音楽室」
白目をむいたままぴくりとも動かない雅を見下ろし、場に微妙な沈黙が落ちていた。
雫は雅の頭をぽんぽんと撫でながら、ひょいと手を挙げる。
「しょうがないし、うちに置いてくるよぉ」
「それしかないかのぅ……」
リリスが渋々うなずくと、
「んじゃ、自分が背負うッスよ〜」
バルが元気に名乗りを上げ、ひょいっと雅を担ぎ上げた。
「んじゃ行ってくるねぇ」
雫はケラケラ笑いながら伴走し、二人は校門の向こうへ消えていく。
──数十分後。
「おまたせぇ〜」
雫が両手をひらひらさせながら戻ってきた。
「ベッドに放り込んできたから安心安心。寝顔はかわいかったよぉ〜」
「布団に入った瞬間、スヤァって顔してたッス」
バルも胸を張る。
「……コホンっ。よし、仕切り直しじゃ」
リリスは小さく咳払いをし、きりっと顔を引き締める。
「七不思議の調査を始めるぞ」
「おーッス!」
バルが指先に小さな火を灯し、ぼんやりと廊下を照らした。
「夜の学校、改めて……ぞくぞくするねぇ〜」
雫は肩を揺らし、愉快そうに微笑む。
リリスは月光に浮かぶ校舎を仰ぎ見、深く息を吸い込む。
「……さて。“動く絵画”の噂――確かめに行くとするか」
───天ヶ原高校、音楽室。
ギィ……と重たい扉を押し開けると、かすかに古い木材とチョークの匂いが鼻をくすぐった。
月明かりが窓から差し込み、譜面台や机の影を長く伸ばしている。
昼間は何気なく通り過ぎたはずの場所が、夜はまるで舞台装置のように不気味さを纏っていた。
「……ここがそうじゃな」
リリスが低くつぶやく。
「何だか……ほんとうに雰囲気ある場所ですわね……」
レミアムは肩を寄せるようにリリスに付き従い、無意識に裾を握りしめる。
「おっ、なんスかこれ?」
バルは教壇脇の大きな黒い物体に目を丸くする。
「それはピアノだよぉ〜」
雫がくすりと笑って答える。
「指で弾くと音が鳴る楽器だねぇ。ほら、こんなふうに……」
ポロン――。
澄んだ音が夜気に響き、静寂を大げさに切り裂く。
一音に過ぎないはずなのに、誰もがびくりと肩を震わせた。
「っ……!」
レミアムはリリスの袖をさらに強く掴む。
リリスは眉をひそめ、壁際に並んだ肖像画へと視線を走らせた。
月明かりに浮かぶ彼らは、不自然なほど“こちら”を見ているようだった。
「七不思議――“偉人たちの動く絵画”。……検めるぞ」
リリスは壁際に並ぶ絵画へと歩み寄った。
月明かりに照らされた肖像画は、どれもこれも威厳のある顔立ちをしている。
「ふむ……特に変わった事はなさそうじゃな…」
リリスは真剣な面持ちで一枚一枚を覗き込み、眉をひそめた。
「だ、大丈夫ですの……?動いたりしません?」
レミアムが青ざめてリリスの腕にしがみつく。
「これは………」
「どうした、バル。何か気付いたことでもあるのか?」
「…………変な髪型の人が多いッス」
「………貴様っ」
リリスのこめかみに青筋が浮かぶ。
「はぁ〜い、落ち着いてぇ」
雫はのんびり笑いながら、肖像画の前でピースしてみせる。
「せっかく来たんだし、みんなで記念写真くらい撮ってみよぉ〜」
「写真か……まぁ、記録という意味では悪くないな」
リリスは渋々うなずき、袖の中からスマホを取り出す。
「ほらほら、集まってぇ〜」
雫が手を振ると、バルが元気よく駆け寄り、レミアムをぐいっと抱えて前に出す。
「ちょっ、わ、わたくしはお姉様と二人で……!」
「まぁまぁ、一緒に撮るッスよ〜!」
「む……これか? いや、違うな……“あぷり”…? む? ……これか?」
リリスは不慣れな指さばきで画面を連打し、何度も謎のフィルターやスタンプを起動させては首を傾げる。
「おっ……おお、ようやく光ったぞ!」
怪しい操作の末、なんとかカメラを起動するリリス。
「よし、では撮るぞ。動くでないぞ?」
パシャッ
「お、撮れた撮れた……むっ?」
スマホの画面に映ったのは、肖像画の厳めしい顔とバルの能天気な笑顔が、見事に入れ替わった姿。
「な、な、なんですかこれッス!?自分の顔が特徴的な髪型の人になってるッス!?」
「ぎゃあああっ、化物ッッ!!」
レミアムは絶叫し、反射的に掌から小さな竜巻のような風魔法を放った。
「ちょ、ちょっとま───」
バルの声も虚しく、勢いよく窓から吹き飛ばされ、夜風にのって校庭へと消えていく。
「ふ、フェイススワップのアプリ……起動しちゃったみたいだねぇ」
雫は音楽室の窓の外を見ながらのんびりぽつりと呟いた
──バル、脱落
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