第48話「商店街のユウ者」
「今は、ただの主婦よ」
くまのエプロンを両手で軽くつまみながら、花子はやわらかく笑った。
その笑顔には、かつての凛とした雰囲気がほのかに残っている──が、今はどう見ても、近所の親しみやすい“おばちゃん”である。
「いやいやいや……マジっスか。元・勇者って……」
バルは目をぐりぐりとこすりながら、現実を受け入れようと必死だった。
「ふふ、信じられないかもしれないけど……」
花子はふと、どこか遠くを見るように空を仰ぐ。薄曇りの秋空の下、その横顔がほんのり切なく映った。
「──あの頃は、身の丈以上の大きな剣を背負って、あちこち走り回ってたのよ」
「マジっスか!? 花子さんが剣をっ!?」
「えぇ、事実よ。私たちも若かったもの。話し合いで解決出来ないときは、よくぶつかり合ったわ」
そう笑ったのは、横にいたグラントだった。
「それにしても……ほんとうに久しぶりね。連絡してくれれば、迎えに行ったのに」
「ありがとう。でも今回はね、ウチのリリちゃんが魔王候補に選ばれて……それで、人間界に来てるのよ」
「ふふ、リリスちゃんならこの間お話ししたわよ♪ 最後に会ったのはまだ小さかったから、私のことは忘れてたみたいだけど」
「あら、そうなの? まぁ……そうよね。あの頃は、まだ──」
「でも……あの小さかった女の子が“彼氏”のためにお買い物だなんて──」
「ア”ァン?」
空気が凍りついた。
目の前のグラントが、わずかに眉をひそめただけで――世界の重力が変わった。
「……リリスに、彼氏………だと?」
低く、地を這うような声とともに、魔力が滲み出した。
それは熱ではなく、圧。重圧。心臓の奥を直接握り潰すような存在の気配。
ぴしり、とバルの足元のアスファルトに細かいひびが走る。
呼吸すら忘れそうなほどの威圧感に、バルの背中から冷たい汗が噴き出した。
「ひ、ひぃ……っ!?」
膝が笑い、ガクガクと震える。足に力が入らない。
ただの一睨みで、身体が勝手に戦慄していた。
(れ、蓮兄ぃは彼氏とかじゃなくて、あれはその……)
必死に言い訳を考えるも、視線をグラントから逸らすことができない。
逃げようとしても逃げられない。まるでその場に縫いとめられたかのようだった。
「コラっ!」
パン、と軽い音と共に──買い物袋から取り出したネギで、花子がグラントの頭を叩く。
「ほんと、アンタは昔から変わらないわねぇ……無鉄砲で、過保護で──まったく」
凍りついていた空気が、ようやく緩んだ。
「しかしなぁ……リリスに彼氏だなんて……」
「子どもは、成長するものよ。
リリスちゃんが選んだ相手なら、信じてあげるのが親ってもんでしょっ!」
「ぐぬぬぬ……バル。貴様、後で話をじっくり聞くからな?」
「……あっ………終わったッス」
バルは項垂れ、諦めたように空を仰いだ。
秋の空はどこまでも高く、雲ひとつない蒼が広がっている。
まるで、天の裁きを受け入れる者の祈りのように。
────そのとき、通りの一角。
甘味処の暖簾がふわりと揺れ、二つの影が店の外へと姿を現した。
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