第45話「手の届く距離」
──天明寺・山門前。
「……では、参りましょうか」
「う、うむ」
門を出ると、秋の風がふわりと吹き抜けた。
色づいた木々が枝を揺らし、石畳には落ち葉が舞う。
参道を包む空気は、静かでどこか懐かしい。
(し、自然に歩き出せた……これは“散歩”というやつじゃな?)
リリスは平静を装いつつも、一歩ごとに胸の内がざわついていた。
ただ隣を歩くだけなのに、魔力の流れが妙に不安定だ。
「……今日は、寒くないですか?」
蓮がふと隣を見て、穏やかに声をかけてくる。
「へっ!? い、いや……うむ。我は寒さなど、ものともせぬっ!」
(な、なにを動揺しておる我……!?)
声が裏返りかけたのをごまかすように、リリスは無理やり胸を張った。
「そうですか。けれど、肌寒い季節には、温かい茶がよく合いますから」
蓮の言葉は変わらずやわらかく、歩幅もリリスに合わせてややゆっくり。
そのさりげない気遣いに、リリスの胸はまた高鳴った。
風が吹くたび、蓮の袂がふわりと揺れる。
ふと、その袖の隙間から──手が見えた。
大きくも、小さくもない。
けれど、不思議と安心できそうな形。
(……この手に、触れられたら……)
(もし、寒いって言ったら……あの手で温めてくれた……のかな?)
リリスの指先が、ほんのわずかに動く。
歩幅ひとつ分、横にずれれば、きっと届く距離。
けれど──
怖かった。
(もし“勘違い”だったら……?)
(拒まれたら、もう──二度と、この距離には戻れない気がする)
たった数センチの差が、いまのリリスには、遠すぎた。
彼女はそっと、自分の袖口を握るように手を重ねた。
(……魔王になるには、力がすべてだと思っていた)
(でも──強さだけでは、届かぬ場所もあるのだな……)
胸の奥に小さく鳴る鼓動。
それは戦意でも魔力でもない、ただの女の子の音。
「……リリスさん?」
「っ……あ、ああ……なんでもない」
顔をそらしたリリスの耳には、秋風よりも熱い赤みが差していた──。
──参道沿い・甘味処「花時屋」
古い木の扉をくぐると、ほのかに香ばしいきな粉の香りが漂ってきた。
店内は落ち着いた灯りに包まれ、窓の外には紅葉が額縁のように広がっている。
「こちらでよろしいでしょうか」
蓮が奥の席を選び、リリスに向かって軽く会釈をする。
「う、うむ……」
席に腰を下ろした瞬間、どこか緊張が抜けるのを感じる。
ふと顔を上げると、蓮がさりげなく湯呑に手を添えていた。
「冷えていると思ったので、どうぞ」
「……ありがとう」
湯呑から立ちのぼる湯気が、ほんの少しだけ心をほどいてくれる。
やがて、お盆に乗せられた甘味が運ばれてきた。
ほかほかと湯気を立てる、きな粉と餡のおはぎが二つずつ。
「おはぎは、お好きですか?」
「……うむ、食したことはある。我の領域にも似たような“穀霊菓子”が……」
と、言いかけて──
(ち、違う……今はそんな言い回しはしなくても……)
「……うん、好き……だと、思う……」
ぽつりと、肩の力が抜けたように言う。
蓮はその変化に気づいたのか、少し微笑んでから、箸をとる。
「……では、いただきましょうか」
「う、うむ……いただく」
一口食べると、想像以上にやさしい甘さが広がった。
もち米の歯ごたえと、なめらかな餡の舌触り。
(……こんなに……ほっとするとは)
しばし沈黙が流れる。だが、それは気まずさではなく、どこか心地よい静けさだった。
──そして。
湯呑をそっと置いた蓮が、ふいに声を落とす。
「……先日のあの姿」
リリスの指先が、ぴくりと止まる。
「……あれはっ、そのっ!雅に修練を──」
「……綺麗でした。」
「ぇ──?」
言葉にならない声が喉に詰まる。
おはぎの甘さとは別の熱が、胸にじんわり広がる。
「氷の結晶も、髪も、まるで……神秘的な光景を見ているようでした」
───心臓の鼓動がうるさい。
(“綺麗”などと……言われるなど、初めて……)
気づけば、おはぎを握る指に力が入りすぎて、もち米がわずかに崩れていた。
「ぁぅ……ありがとうございます」
ようやく絞り出したその言葉は、いつもの“魔界の姫”らしからぬ
か細い声だった──。
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