第1話「その男、煩悩ゼロにつき」改稿版
千年に一度、人間界に派遣される“魔王候補”。
その大役を担った魔界第七層の貴族リリス。
使命は、人間界のどこかに存在するという“選定の宝”を見つけ、
魔王となる正統性を得ること。
選定の宝が何かはわからない。だが、その手がかりは──
子どもの頃、父の書斎で見つけた“古文書”
誰も触れるなと言われ厳重に管理された書棚。
父が留守の隙にこっそり取り出して読んだのは、今でも私の大切な思い出だ。
古びた外装を開くとそこには人間界の様々な内容が記されている。
私が幼いころから夢中で読み込んでいた貴重な本だ。
古文書には人間界の“戦術”が描かれていた。
複数の男が、一人の女をめぐって争い……
ときに、壁際で女の肩を押さえつけるように、男が手を突く動作があった。
その瞬間には必ず『ドンッ』という文字とともに、キラキラしたエフェクト。
周囲の女たちは「キャーッ!」と叫びながら遠巻きに見守っていた。
恐らく精神干渉の結果なのだろう。
結界術か、威圧術の一種……!
……読んでいると、胸がドキドキしたが、
きっとそれも魔術的干渉の副作用だったに違いない。
……人間界、侮れぬ。
さらにその古文書には、「ガッコ」と呼ばれる施設と、その次に「テラ」という建造物が登場していた。
いずれも精神修練と心の操作に関係する場のようだ。
まずは「テラ」
そこに“選定の宝”に至る鍵があると確信した私は、人間界に降り立った。
向かう先は、東京郊外。
静かな町にたたずむ、古びた“テラ”──寺である。
支配し、選定の宝を見つける。
それが、魔王への第一歩だ。
……そのはずだった──
「……南無阿弥陀仏……」
読経の声が、風のように本堂から流れてくる。
私は無意識に引き寄せられ、戸を開けた。
そこにいたのは、ひとりの僧侶だった。
白い衣、黒い髪、姿勢の整った背中。
動きも音も静かで、そこだけ空気の密度が違っていた。
思わず足を止めてしまった。
……なんだ、この感覚。
胸の奥が、じん、と熱くなる。
(まさか、結界……?)
「……あれ? どなたかいらっしゃいましたか?」
彼がこちらを見て、そう言った。
よく見れば、彼の横顔は整っていて、睫毛が長く、目元が静かに涼しい。
(…………ちょっと顔が良い)
(いやいや違う、油断するな。これは外見による一種の幻惑。敵の防衛術かもしれない)
(見すぎると逆に洗脳されるかも……危険。だいぶ……気になる)
「参拝の方ですか?」
声まで穏やかで、耳に残る。
いや、これは音質が特殊なだけ。きっと共鳴率の問題。
それに、あくまでこれは任務。心を乱されてはいけない。
「わ、我は……この寺を…支配し…至宝を…」
「支配……?」
「違う! 誤解だ! ちょっと下見というか文化調査で! そう! 文化調査です!!」
やばい、顔が熱い。思考も回らない。
でもこれは気温のせい。地上は暑い。
──そのとき、彼がふっと笑った。
やさしく、やわらかく、ふにゃっと。
(………………笑った)
(なに今の。音じゃない。光? 癒やし? 脳にやさしい……)
(うん、危険。これは、極めて危険。絶対なんかある)
(もっと観察が必要だ。追加調査を申し入れよう)
「仏様も、あなたを歓迎しておられますよ」
その声が耳に届いた瞬間、息が止まりそうになった。
(は……?)
心臓がどくんと跳ねる。
目が合った。
温度が上がる。
なにこれ。
(なんなの、この反応……? え、これ本当に何?)
(……精神干渉?……もしかして毒?)
(やっぱりこの寺、めちゃくちゃ危険だ!!)
このまま放っておけない。
観察対象として、非常に……気になる。深掘りすべき。
攻略のために。
うん、攻略のために。
こうして私は、彼の元を去らずにすむよう、週に一度通うことに決めた。
もちろん、恋とかではなく。
ただの、戦略的接近。
……たぶん。
煩悩ゼロの僧侶と、恋愛経験ゼロの魔王候補生の物語が────今、始まる。
理由付けなど改めて再考し、初回エピソードを加筆、改稿しました。