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あの日の花は散り、それでも想いは枯れないまま  作者: ぱる子


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第17話 届かぬ想い

 朝の光が薄く王宮の広間を照らす中、レオンハルトは深く息を吐き出していた。舞踏会の夜から数日が経ち、ようやく王宮内の混乱はひと段落を迎えつつある。けれど、自分が引き起こしてしまった過ちの重さが、胸の内でずっしりとのしかかっていた。


 今日は、王や高官たちが列席する公の場で、リシャールの企みが白日のもとにさらされる。それだけではない。自分がどれほど深刻な過ちを犯し、ルシアを傷つけてきたのか――その罪を正式に認め、頭を下げる必要がある。

 厳かな空気の張り詰めた広間には、すでに多くの貴族や侍従が並んでいた。リシャール本人はすでに幽閉され、取り調べが続いているものの、王国を揺るがしかねない騒動を起こした真犯人として断罪されるのはほぼ確実だ。だが、ここに至るまで、レオンハルトは自らが犯した過ちを見過ごしてはならないと痛感している。


(あのとき、俺はルシアの叫びを、一度でも真剣に聞こうとしただろうか)


 広間の中央で、王家の紋章を背に並び立つ人々。その視線が自分に集まるのを感じながら、レオンハルトは静かに前へ出た。何もかもが胸に突き刺さるような痛みを伴い、落ち着かない。けれど、王太子として責任を果たすと決めた以上は逃げられない。


「各々方、よくお集まりくださいました」


 声が響き渡ると、人々のざわつきが一旦収まる。そこへ執務官が進み出て、今回の件の概要を報告し始める。リシャールが暗殺未遂を企て、公爵家の娘・ルシアを不当に陥れたこと。その動機に王太子を掌握する意図があったこと。長々と続く説明を、レオンハルトは俯きながら聞いていた。

 やがて報告が終わり、今度は自分が話す番だ。張り詰めた沈黙が広間を支配する。奥に立つ父王や諸侯が、鋭い眼差しでこちらを見ているのを感じた。深呼吸をして、口を開く。


「皆の者、今回の事件では、結果として、名門公爵家の令嬢であるルシアを疑い、大勢の前で彼女を貶める形となりました。その背景にリシャールの陰謀があったのは明らかですが……」


 一拍間を置く。頭の中がぐらりと揺れそうになるほどの罪悪感に耐えながら、視線を正面に固定した。


「それでも、疑念を抱きながらも彼女の訴えに耳を貸さなかったのは、ほかでもないこの私です。幼い頃から心を通わせてきたというのに、短絡的な“証拠”を信じ、彼女を悪者扱いし、深く傷つけてしまった。これは、私が王太子としても、一人の人間としても大きな過ちを犯したことにほかなりません」


 堂々とした声を保とうとしても、どこか震えが混じる。それでも視線を逸らさず、腹の底から声を絞り出す。人々の中には驚きの眼差しを向ける者もいる。

 その中央で、ルシアの姿が見えた。彼女は大勢の列に混じり、まっすぐにこちらを見ている。まるで心を凍らせたような静かな表情だが、その瞳には深い悲しみが宿っているのを、レオンハルトは感じ取った。


「ルシア。私はあなたを裏切り、あなたの家を危険にさらしました。そこにどれほどの苦痛と屈辱があったか……想像すら及ばないでしょう。ですが、今、私はここで宣言します。私のせいであなたが受けた不名誉と疑いは、すべて晴らされるべきだと」


 目頭が熱くなるのをこらえながら、レオンハルトは一瞬、言葉を詰まらせる。しかし、王太子としての威厳を失わないよう、何とか踏ん張り、続けた。


「私は間違っていた。あなたを守るどころか、傷つけてしまった。この罪をどう償えばいいのか……正直、わかりません。それでも、今あなたの名誉を回復することこそが、私がすぐにできる最初の一歩だと思います」


 少しざわめきが起こる。だが、広間にいる誰もがレオンハルトの言葉を聞き逃すまいとして、息を詰めている様子だ。

 すると、不意に小柄な令嬢の姿が、列の横から進み出た。セシリアだ。彼女は緊張でこわばった面差しを浮かべながら、レオンハルトの隣に並ぶと、周囲に向かって頭を下げる。


「わたしは……婚約を解消します。殿下と結ばれる資格など、わたしにはありません。実際には、リシャールに脅されて嘘をついていました。ルシア様が悪だなんて、そんな事実は何もなかったんです」


 明確な言葉が、広間に静かに響く。セシリアの手は震え、今にも足元が崩れそうなほど不安定に見える。けれど、その瞳には覚悟の色が宿っていた。


「ルシア様、あなたには取り返しのつかないことをしてしまいました。もし、もし許されるなら、本当にごめんなさい。わたしがもっと早く真実を言えていれば、あなたがこんなに傷つくことはなかった……」


 その告白に、貴族たちは騒然とする。セシリアを“新たな王太子の許嫁”と評していた人々は眉をひそめ、あるいは口をつぐむ。反対に、内情を知らない者にとっては衝撃の事実だ。レオンハルトは固い表情のまま、ただ静かにセシリアの言葉を聴いていた。

 一方、ルシアは変わらず静かなまなざしを保っている。周囲から視線が集まる中、彼女は一歩だけ前に出て、セシリアに対して小さく頭を下げた。


「あなたもまた……苦しんでいたのでしょう。私がその苦しみを取り除いてあげることはできないけれど、少なくとも、あなたがこうして真実を話してくれたことには感謝します」


 ルシアの言葉に、セシリアは安堵の息をつくように涙をこぼす。しかし、その後ろにはまだ大きな溝が横たわっているのを、レオンハルトは痛感していた。

 何より、自分とルシアの関係が、あの舞踏会の夜以来、すべて崩れてしまったことに変わりはない。いくら公に謝罪しても、彼女の胸の奥に刻まれた深い傷は、そう簡単に癒えるわけがないのだ。


「ルシア……どうか、私の謝罪を聞いてほしい」


 広間の視線が再び集まる。レオンハルトは意を決して彼女に向き直った。下手に取り繕った言葉では足りないのはわかっている。それでも今、自分が声を上げなければ何も進まない。


「あなたを疑ったこと、あなたの訴えに耳を貸さなかったこと……すべて私の不明と短慮のせいです。本当に申し訳なかった。何度謝っても足りないだろうし、許されないと思う。それでも、俺は……あなたに償いたいと願っています」


 大きく息をつくと、視界の端が滲んでいるのがわかった。多くの人々の前で、王太子の威厳をかなぐり捨てるような行為かもしれないが、レオンハルトはもう構わなかった。ルシアの痛みを思えば、これくらいの屈辱など微々たるものだとさえ思う。


「殿下……」


 ルシアがかすかに呟く。その瞳は揺れている。けれど、すぐに彼女は視線を落とし、唇を強く噛んだ。心中の葛藤がひしひしと伝わってくる。それほどまでに、彼女は傷ついているのだ。

 やがて、ルシアは声を絞り出すように言った。


「言葉だけでは、何も救われません。あなたが謝ってくださるのは、確かにありがたい。でも……私の中にある痛みは、あまりにも深くて、今すぐにどうこうできるものではないんです」


 周囲の人々が息を呑む。レオンハルトもまた、複雑な感情に胸を締めつけられる。謝罪すれば元に戻れるなどと思っていたわけではない。だが、こうして拒絶されると、自分が彼女に犯した罪の重さが一層際立って感じられるのだ。


「ルシア、俺は……」


「殿下、今は何も言わないで。あなたの言葉を聞けば聞くほど、私は昔の日々を思い出してしまう。あの頃は、本当に信じていたんです。あなたと二人で、国を、未来を……」


 ルシアの瞳から、大粒の涙が一筋落ちた。周囲にいる貴族や宰相らも、何も言えずに見守っている。セシリアは肩を震わせ、顔を伏せていた。これが、彼女と殿下が結んだ悲しい結末の場なのかもしれないと、誰もが思っているようだった。

 レオンハルトは拳を握りしめながら、どうにもならないもどかしさに息を呑む。今ここで、無理に手を伸ばすことが正解だとは思えない。むしろ、今は彼女にこれ以上の負担をかけてはいけないのだろうと痛感する。


「……わかりました。今すぐにあなたに許してもらえるとは思っていません。でも、俺は本当に、あなたの尊厳を取り戻したい。いつか、いつか本当に……」

「それまでに、私の心が折れてしまわないといいのですけれど」


 無情にも響く言葉。冷たいわけではなく、むしろ深い苦しみを宿した声だった。レオンハルトは何も言えず、ただ俯いて唇を噛む。まるで胸の奥を刃でえぐられるような痛みに、彼はわずかに身体を震わせる。


 こうして、王太子による公式の謝罪は人々の前で行われた。セシリアは泣き崩れるように婚約解消の意志を示し、貴族たちは戸惑いながらも、ようやくルシアが罪なき存在だったことを知る。陰謀に加担していた者も、リシャールの失脚によって及び腰になり、会場の空気は急速に「ルシアに詫びを入れねば」という方向へ傾いた。

 それでも、彼女の心には深い傷が残ったままだ。何より、最も信じたかった王太子に疑われ、見放されたという事実は簡単に消えはしない。それを痛感しているのは、他ならぬレオンハルト自身だった。


(取り返しのつかないことをした……俺はどうやって償えばいいのだろう。あの温かい笑顔を、もう一度見られる日は来るのか?)


 レオンハルトは人々に囲まれながら、遠ざかっていくルシアの背を見送る。まだ完全な決着には程遠い。国の混乱は収まりかけているものの、彼女と自分の関係にはいくつもの亀裂が刻まれている。

 だが、その痛みを知ったからこそ、王太子として、そして一人の人間として歩む道があるのだと思いたい。今はただ、はがゆい想いを抱きながら、広間の中で人々の謝罪や祝福を受け流すしかない。


 こうして王太子の謝罪は大勢の前で行われ、セシリアの懺悔も相まって、ルシアが浴びせられていた汚名は晴れつつある。とはいえ、心が癒えるわけではない。あまりにも大きな亀裂を生んだ一件は、まだ二人の間に暗い影を落としていた。

 広間を後にするルシアの横顔には、涙の跡がうっすらと残っている。それでも彼女は気丈に背筋を伸ばし、自分が築き上げた尊厳を取り戻すために歩み出すのだろう。レオンハルトはそう信じるしかなかった。今、彼にできることは、彼女の罪を拭う環境を整え、いつか本当の意味での和解を願うことだけ。

 だが、ハッピーエンドというには程遠い現実。深く沈んだ切なさが、王太子とルシアの間に横たわっている――それが、広間の中に漂う静かな余韻だった。

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