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第13話 繋がる断片

 エドガーは、ひやりとした朝の空気を吸い込みながら、王都の外れにある小さな礼拝堂の前で足を止めた。いつもは訪れる人も少なく、時折近隣の住民が祈りに立ち寄る程度だというが、今日は少しばかり張り詰めた空気を感じる。彼がわざわざこの場所を選んだのは、さほど人目に触れず、しかし相手が警戒心を抱きにくいという理由からだった。


 朝早くから、エドガーはいくつもの手段を講じて密かに動いていた。目的はただ一つ、セシリアと接触すること。王太子に庇護されているあの少女がどうしても気になっていた。以前、断片的に聞こえてきた話では、彼女こそがルシアを“悪者”と訴えた張本人らしい。だが、エドガーが探った限り、セシリアがあそこまでルシアを敵視する理由がどうしても見えてこない。むしろ、裏で何者かに利用されているのではないか――そう直感していた。


 今日、礼拝堂で会う手はずになったのは、エドガーが間に一人仲介を挟んで連絡をとったからだ。セシリアに直接会いたいと言っても、彼女はまず断るだろう。しかし「短い時間でもよい、どうしても話を聞かせてほしい」というメッセージを慎重に送った結果、相手も応じざるを得なかったらしい。護衛の兵士や王宮の騎士に知られないよう、ここまで気を配るのは手間だったが、何としても情報を得たかったのである。


 扉を開けて礼拝堂に入ると、そこには質素な装飾の祭壇があり、壁際にいくつか並んだ椅子がある。人の気配はさほど感じないが、奥の方にかすかに揺れる人影を見つけた。慎重に目を凝らしてみると、やや細身の女性が俯いて椅子に腰かけているのがわかった。


「セシリア殿……ですね」

 声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせ、ゆっくり顔を上げた。その目はわずかに赤く、落ち着かない色を宿している。まるで、思い詰めた挙句に逃げ場を探していたような、そんな神経質な表情だった。


「……どなた? あの、わたし……公爵家の方……?」

「私の名はエドガー。ルシアの兄です」

 途端に、セシリアは青ざめた顔をして立ち上がろうとする。だが、そこまで予想していたエドガーは、彼女を強引に引き留めようとはしなかった。少し距離を保ちながら、落ち着いた声で呼びかける。


「怖がらせるつもりはない。私はただ、妹の無実を証明したいだけなんだ。……ルシアが、本当にあなたに何か酷いことをしたのか、それを直接確かめたい」

 セシリアの唇が小刻みに震えた。王太子や護衛の目がない場所に、一人で来たこと自体、彼女はすでに後悔しているのかもしれない。けれど、それでもここへ姿を見せたのは、何らかの思いがあったのだろう。


「……別に、あの方は……わたしを傷つけてなんて……」

 言いかけて、セシリアははっと息を飲む。そのまま言葉を継げば、自分が偽りの訴えをしていたと認めることになるからだ。エドガーはその小さな変化を見逃さない。


「確かに、あなたは王太子殿下に庇われているようですね。でも、ルシアはもともとそんな陰湿なことをする人ではありません。そんな妹が、一体どうやってあなたを陥れたのか、私には到底理解できない」

「……わたし……そんな……」

 セシリアの声は今にも消え入りそうだ。彼女を責め立てれば、きっと逃げ出してしまうだろう。エドガーはなるべく静かな調子を保ち、しかし自分の捜索眼は決して鈍くないと伝えるように続ける。


「あなたの言葉に多少の嘘が混ざっていたのではないか――そう疑わざるを得ない状況です。誰かに脅されているのではありませんか。それを教えていただければ、私の方で何らかの助力ができるかもしれない」

「脅しなんて……そんな……」

 セシリアは曖昧に否定しかけるが、その瞳にははっきり恐怖が宿っている。エドガーは胸の奥で確信を強めた。何らかの力が働いて、彼女を操っている――そもそも、弱々しい彼女が一人でルシアを陥れるような企みを練れるとは思えない。


「セシリア殿、私はあなたを責めに来たわけではありません。ただ、どうしても知りたいんです。ルシアがあのような仕打ちを受ける理由を。そして、その背後で糸を引いている人物がいるなら、なおさら。あなたはその事実を何か知っているのでは?」

「……わ、わたし、何も……」

 しどろもどろになるセシリア。椅子から立ち上がると、後ずさるように祭壇の影へ移動しようとする。逃げ出したいが、エドガーの鋭いまなざしがそれを許さないかのようだ。


「あなたが口を開かない限り、ルシアは誤解されたままになるのです。場合によっては、あなたの方もいつ見捨てられるかわからない。このまま王太子殿下の庇護をあてにし続けるのは危険だと思いませんか?」

「だ、だけど……わたしは殿下が……守ってくれると……」

 セシリアの声には脆い期待が混じっている。王太子の優しさだけを頼りにしているのが痛々しかった。エドガーはあえてその部分には触れず、少し間を置いてから問いかける。


「他の貴族や、あるいはリシャールという人物に、何か言われていませんか? 彼が暗躍していることくらい、私も知っています」

「リシャール……!」

 思わず反応してしまったセシリアは、口元を手で覆い、まずいことを言ってしまったとばかりに視線をそらす。その仕草に、エドガーの胸は小さく高鳴った。やはり、あの男が糸を引いているのだ。


「彼が怖いんですね。だから、本当はルシアを貶めるつもりもなかったのに、従わざるを得なかった。……違いますか?」

「そ、それは……。わたし、どうすればいいのか、何もわからなかっただけで……」

 セシリアは震える声で訴えるように言う。彼女の両手はこわばり、目にはうっすら涙が滲んでいる。自分の言葉が嘘を含んでいることを理解しながらも、周りの圧力に逆らえず、ただ苦しむばかりなのだろう。


「あなたも被害者なのかもしれませんね。だが、妹が受けた仕打ちは取り返しのつかないものです。ルシアは王太子からまるで罪人のように扱われ、心も家も傷ついている。……ぜひ、真相を教えてください」

「……そ、そんな……ごめんなさい……わたし、もう……」

 セシリアの呼吸が乱れ、息も絶え絶えになる。落ち着かせようとエドガーが近づいたその瞬間、彼女は思わず一歩後ずさった。


「ルシア様は悪くないんです……わたしが、嘘を……。……だけど、それ以上は言えません……!」

 かき消すように、その言葉を途切れ途切れに吐き捨てる。エドガーはここが勝負どころと感じ、さらに問い詰めようとするが、セシリアは必死に首を振った。


「許してください……わたし、あの方が恐ろしくて……リシャールが、もしわたしの裏切りを知ったら……」

「やはり、リシャールが関わっているんですね。あの男があなたを……!」

「もう、これ以上は無理……あの人に知られたら、わたしは……! ごめんなさい……本当にごめんなさい!」


 セシリアは今にも崩れ落ちそうになりながら、後ずさる。エドガーは「待ってくれ!」と声を張り上げるが、彼女はそれを振り切るように駆け出し、礼拝堂の扉を押し開けて外へ飛び出してしまった。

 追いかけようかと迷ったが、あまり強引にすれば、相手の心は完全に閉ざされるだろう。エドガーは歯噛みしつつ、その場で立ち尽くす。短い接触だったが、大きな手応えもあった。


「やはり、リシャール……。あの男が今回の婚約破棄に深く関わっているのは間違いない」


 セシリアの一瞬の表情や言葉から、ルシアが真に悪いわけではないと確信できた。もっとも、すでにエドガーは分かっていたことではあるが、この形で本人からそれを聞き出せたのは大きい。問題は、セシリア自身があの男をどれほど恐れているかだ。彼女を説得して真実をすべて話させるには、さらなる策を練えなければならない。


「妹を陥れたのはリシャール……あの情報屋や文献にも、彼の存在がちらついていた。やはり黒幕に近い立場に違いない」


 だが、リシャールがどんな目的でこんなことをしているのか、まだ全貌は見えない。セシリアを利用してルシアを貶めたのは確かだが、それが王太子を思うがままに操るためなのか、あるいは別の陰謀があるのか。エドガーは頭を巡らせながら、扉を押して礼拝堂の外に出た。


 朝日が昇り始め、王都の街並みを照らしている。セシリアの細い影はもうどこにも見えない。彼女も恐怖と後ろめたさで、落ち着きを失っているのだろう。もしリシャールに一切口外するなと脅されているのなら、なおさら下手に手を差し伸べても危険だ。しかし――


「そう遠くないうちに、もう一度接触の機会を作るしかない。セシリアだけが頼りだとは限らないが、彼女が鍵を握っているのは間違いない」


 エドガーはそう決意を固める。セシリアを守る術を考えれば、彼女も心を開くかもしれない。何より、ルシアを苦しめた張本人の裏にある真相を暴くには、リシャールの関与を明らかにする証言が不可欠だ。

 今回は、それが「リシャールが恐ろしい」「ルシアは本当は悪くない」という、ごく断片的な告白にとどまったが、それでもエドガーにとって大きな前進だった。今後は彼女をどう安全に導くか、そしてリシャールからの圧力をかわすかが課題となる。


「ルシア、安心してくれ。もう少しだ……必ず真実を掴み、あいつらの不条理を暴いてみせる。絶対に」


 胸の内でそう誓いながら、エドガーは礼拝堂の敷地を後にする。街が次第に活気づき始める時刻になってきたが、彼の顔は決して晴れやかではなかった。セシリアの怯えた表情が脳裏から離れない。どれほど残酷な手をリシャールが握っているのか、あらためて思い知らされるようだった。

 だが、引き返すわけにはいかない。ルシアの名誉も、彼女の心の安寧も、今このときにかかっているのだ。エドガーは少しばかり渇いた唇を噛みしめて、もう一度だけ街角を振り返った。まるでセシリアの姿を探すように。

 どちらも真実を抱えながら進退窮まっているという点では同じかもしれない。しかし、エドガーは兄としての誇りと、妹を取り戻したい思いに支えられている。一方のセシリアは、誰にも心を許せずに脅え、間違った立場で生きている。二人の思惑は交わりきらないまま、今はただ、わずかな手がかりをエドガーが得たにとどまる。

 けれど、リシャールの名が確かな形で浮上したことは大きい。エドガーの捜査は、これでいよいよ本格的に次の段階へ移るだろう――そう予感しながら、彼は噴水の広場を横切り、王都のにぎわいの中へと足を踏み出した。妹を救うための糸口が、ついに見え始めたのだ。

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