三百四十五話 敗者復活戦
一、坂東の怒れる新皇、平将門。
二、嫉妬と殺意をはじめて結びつけた人間、アダムの子カイン。
三、裏切られた義士、蝦夷の長アテルイ。
四、魔女として狩られ裁かれた数多の女たち、その怨嗟の集積。
五、都を畏怖させた天満天神、菅原道真。
六、荒れ狂う叛逆の血しぶき、剣闘奴隷スパルタクス。
七、暴虐不倒の覇王、項羽。
八、神剣持つ東征の皇子、ヤマトタケル。
以上、尋常ならざるものたちが紹介された。
「これが痛快アクション映画の導入なら、どれほど良かったでしょう」
私が痛む頭を抱えてボヤく横で、翔霏が呆れる。
「で、愉快なお仲間をこんなに並べてなにがしたいんだ。せっかく広いんだし玉打ちごっこでもするのか?」
埼玉県にありそうなドーム球場の内野に、まばらに立つ面々。
まさか今ここで野球しようぜー、なメンバーではないだろうけれどさ。
そう言えば私、保育所時代は結構男子にもモテて、ボール遊びとかよく誘われてたんだけどな。
小学校に入って以降はトンとそんなこともなくなりましたね、と唐突に思い出して寂寥。
運動音痴ながら野球は結構見てたんで、ルールにも詳しいです。
翔霏の言う玉打ち遊びってのは、野球よりもゴルフやゲートボールに似た遊戯だというのは、今はどうでもいいことだ。
マイクを持つ謎の魔女が仕切っているようだけれど、さあ彼らの目的はいったいなんなのか。
『私たちの望みは先ほどもアナウンスした通り、世界のやり直し! もっと象徴的に言えば、運命の敗者復活戦であります!』
大げさに彼女が言うと、他の七人の豪傑が気持ち、視線を上げて私たちを見た。
「うっわ……」
感受性の強い軽螢はその圧力を受けて、腰をすっかり後ろに砕けさせてしまった。
目力だけで軽く一国は滅ぼせそうなオーラが、場にいる七人から放射状に突き出ているようだ。
けれど今のところ、彼らにこちらへの害意はないようで。
『んじゃ、まだ到着してないスパルタクスさんを迎えに行ったり忙しいので、いったんお別れです! 虐げられたものたちが奏でる史上最大、空前絶後の腹いせハーモニーを楽しみに、震えて眠ってください!』
勝手なことを言い放ち、マイク女たちはまとまりもなく撤収し始めた。
「まったく意味がわからねーよ! 人の迷惑考えろ! あと秩父神社やこのドームとか片付けて帰れ!!」
思わず叫んで呼び止めた私に振り向き、女は「はっ」と鼻で笑った。
『意味が分からないのは、お前たちが今、幸せだからだ!』
「はぃ……?」
いきなりそんな認定をされると思っていなかったので、反応に困る。
まあイエスノーの二択で質問をされれば、確かに幸せとは言えるけれどもさ。
仕事もあるし、紆余曲折の果てに邑にも帰ってきたし、周りには仲間もいるし。
長年の頭痛や不眠症や夢遊病とも、徐々にお別れしつつあるくらい、心身ともに充実してるからね。
私の平和な困惑を叱りつけるように、女は声をとがらせて言った。
『お前たちが笑ってる裏には、必ず同じ数だけ不幸な人間がいる! 私はそんなすべての敗者たちの願望を一身に受けて、こうしてお前たちの前に立っている! こんな世界を否定して、新しい世界を創り出すために! もう誰一人として、負けて泣く哀れな子を生み出さないために!!』
「な、なに言ってんだァ、あいつ……?」
不可解と恐怖から私の後ろに隠れた、腰抜け軽螢が尋ねる。
私にもなにがなんだかわからないけれど。
「とりあえず、あいつらが敵だと言うことはわかるな。どんな戦いになるものかは知らんが」
翔霏が相手を睨みながら発した言葉に、同意するしかなかった。
「幸せに生きてる私たちに、歴史の敗者代表選手たちが復讐しようとしている、とかかな……」
自分で口にしたけれど、イマイチしっくりこない見解だ。
ホント、やるなら余所でやってくれという話でしかない。
その不十分を指摘するように、覆面の奥のドヤ顔が透けて見える楽しげな声色で、女は告げた。
『これは勝負でも戦いでもない! 新たな秩序の再生であり、救いである! これから始まる次の世界に、敗者は存在しないのだから!』
女は気持ちよさそうに両手を広げ、顔をドームの天井に向け。
実に優しげで穏やかな口調に変わって、こう宣言した。
『さあ、幸せなディストピアを始めよう。敗者の怨念で創造された、けれど誰もが笑って暮らせる世界を。もう二度と、敗れて挫けて泣くものが生まれない、そうあるべきと望まれた新世界を……』
余韻だけを残し、魔女は去った。
やつらが姿を完全に消したとき、私たちの退出を邪魔していたゲートシャッターが自動でガラガラと開いていった。
みんな混乱して、なにをどうしたらわからない顔をしているけれど。
「とりあえず、邑に戻ろっか。別のおかしなことが起きてるかもしれないし」
やっとの思いでその言葉を捻り出し、私はゲートを出るために足を向けた。
あえて、雑にまとめるなら。
この世界を否定している「なにか」が存在する。
そいつらは、新しい世界を創り出そうとしている。
その手始めが翼州神台邑周辺に、突如として現れた「埼玉的な要素」なのだろうか。
「麗央那、ちょっと気付いたことあンだけどさ」
帰り道、珍しく真面目に考える様子を見せていた軽螢が言った。
「どんな?」
「あいつら、怪魔とか亡霊のたぐいじゃないみたいだ。そういうのだったら俺、ある程度は気付くし」
「確かにそうだね。他にはなにかある?」
今回は軽螢が吉凶ソナーとして持ち歩いている、黄色い水晶玉になんの反応もなかった。
だからこそみんな油断していて、驚かされたのだ。
「うーん、そりゃおっかねえ雰囲気の連中だったけどサ。でも街にいるガミガミオヤジをうんと膨らませたようなもんで、ちゃんとした、この世のもんだったと思うぜ。阿突羅さまに似てる感じかな」
「夢や幻のようにさっさと消えて欲しいものだが、そうもいかんというわけか」
希望ゼロの観測を翔霏がうんざり口にした。
とは言っても基本的に楽観主義なのが神台邑勢の良いところで、絶望するほど深刻に捉えている人はいない。
「ま、麗央那さんがなんとかしてくれるよ」
「なにせ皇さまから白青の衣を賜った俊英だからな!」
人任せにしていちゃろくな大人になれんぞ、ガキども。
彼らが気楽に話すのをBGMにして、私たちはひとまず神台邑に帰還した。
私たちがいない間に、荷馬車の集団が邑に来ている。
その中にいるよく知った顔から、声をかけられる。
「よう、いつにも増して難しい顔してるな」
「な、なんか、た、大変な、ことに、なってる、みたい」
私はタイプの違う美青年二人に、曖昧な笑顔で返す。
「椿珠さんに、鶴灯くん、いらっしゃい。ああそうか、肥料を届けてくれたんだね」
邑の復興資材もろもろを、椿珠さんたちは港からここまで運んでくれているのだ。
シャチ姐たちが船にたんまり積んだ東の海のお宝は、角州の港で降ろされて昂国全土にピストン輸送されている。
中でも肥料原料になるリン鉱石は主要品目で、これを欲しがらない地域はないと言っていい。
リンが採掘される無人島の権利の一部を鶴灯くんが持っている縁から、神台邑に優先的に分けてもらっているのだ。
あ、ちゃんと適切な支払いはされていますよ。
私は海沿いからここまで荷物とともに移動してきた、その二人に質問する。
「角州ではなにか変なことなかった? 見慣れない巨大な建造物が、いきなり知らない間に現れてたとか」
私の質問に、椿珠さんは鶴灯くんとしばし目を合わせて、答えた。
「天を摩るどころじゃない、天を突き破りそうなほどに高い、真っ赤に尖った鉄塔が建ってたぜ。港の外れだ。押しかけた現物人で足の踏み場もなくて、参ったぜ」
「今度は東京タワーかよ……」
どうやら連中の作りたい新世界は、埼玉メイン、ときどき東京、らしい。
顔を歪ませる私の肩に優しく手を置き、翔霏が促す。
「そろそろ話してくれてもいいんじゃないか。麗央那が知っていることを」
「そうだね。隠すつもりもなかったし。まとまらない話になるかもしれないけど、みんなに聞いてもらおうか」
私は主だった面子を邑の中央にあるお堂に集めた。
そこでまず、ドーム球場の中で起こったことをざっくりと話した。
「またイカれたやつらのお出ましかよ。お前さんはよっぽどそういう連中に縁があると見える」
「椿珠さん、余計な茶々入れなくていいから」
私はみんなの前に、大きなボロ布を広げた。
そこに墨筆で、二つの円を描く。
片方の円に「此方」と、もう片方の円に「彼方」と書いた。
こちらとあちら、という程度の意味だ。
そして、伝わるかも、信じてもらえるかもわからない説明を始めた。
「私たちが生きているのは『此方』の円の中の世界。昂国や東海の島々や西方の小獅宮があって、北には戌族が暮らす草原があって、おそらくその周囲、遠くには私もよく知らない国がたくさんある。みんなも当たり前に知っている、この世界です。昂国の四方には神さまがいますし、気味の悪い怪魔がたまに出て、軽螢の緊縛みたいに特殊な法術を使える人がちらほらいたりします。遠い国にはまた別の怪魔や神さまがいるのかもね」
「説明されなくても分かるよ、んなこと」
「メェ」
核心に入る前から、早くも退屈し始めた軽螢。
ジト目で睨み、私は次の説明に移る。
「で、それとは異なるのがもう一つの『彼方』の世界です。神さまはいないし、法術を使える人もいないし、その代わり恐ろしい怪魔もいません。人が作った金属の鳥が空を飛んだり、押さなくても馬より速く動く鉄の車があります。遠く離れている知り合いと、わざわざ会いに行かなくても会話ができたりします。手紙は音よりも速く届きます」
「彼方」の説明を始めた途端、場にいる全員が訝しげな顔を浮かべた。
ま、いきなりこんなことを言われても混乱するかもしれない。
私の向かいに座っていた籍先生が、おずおずと訊いてきた。
「素人の質問で恐縮なのだが、それはなんと言おうか……昂国とは違う地方の神話や伝承の類かね? 私はそちらの方面は不勉強なもので、今まで聞いたことのない物語のようだが」
「別の世界の、けれど現実の話です。私はみんなが住んでいるこの世界とは別の、向こう側、彼方から来ました。ここではない別の場所、別の時代は、確実にあるんです。信じられないのも無理ないですけど」
言葉だけでは説得力がないので、私は奥の手を出し、みんなに見せた。
荷物入れの中に大事に仕舞っていたのは、私がこの世界に転移したときに身に付けていた、伊達メガネ。
真ん中から左右に割れて壊れている。
最初に怪魔に襲われたとき、転んで割ってしまった。
覇聖鳳に邑が焼かれたときも、肌身離さず持ち歩いていたこれだけは失わずに済んだのだ。
「こ、これは、眼鏡のようではあるが。素材はいったい、なんだね……?」
「鼈甲でも琥珀でもなさそうだ。動物の骨にしちゃツルツルしすぎてるし、傷のつき方からして硝子でもないな……」
レンズもフレームも石油系プラスチックで精巧に加工されているそのアイテムが、この世界のどこにも存在しないことを、籍先生や椿珠さんなら理解できる。
なおかつ私たちと一緒にドーム球場を実際に見た少年たちは、これに似たプラスチック製品をその目で実際に見たのだ。
なにか似ている、通じるものがあると一目で察した彼らは、揃って無言で息を飲む。
謎の品を私が持っていたという現実を目の前に突き付けられて、まさか、という表情を揃って浮かべるみんな。
私は彼らに向き合い、確度の高い予測を告げる。
「今、この地で起きている異変は、私が元々いた世界の連中が、こっちの世界に乗り込んで来たせいで発生しています。どう言う意味かは分かりませんけど、あいつらはこの世界を創り変える、やり直すと言っていました」
「な、なんで、そ、そんな、ことを?」
鶴灯くんが放ったとても真っ当な疑問に、私は首を振って理解不能の意思表示をするしかない。
けれど一つ、確実なことがある。
誤魔化すつもりもないし、しらばっくれるわけにもいかない、まさに火を見るよりも明らかな一つの確証。
愛すべき隣人たちに、私はそれを正直に打ち明けた。
「こんなことが起きてるのは、きっと、私のせい。私が原因で、おかしな建物が増えて行ってるし、おかしなやつらがこの世界にやって来たんです」
そして。
認めたくないけれど、疑いようもなく直感できる答えを、問われる前に導き出した。
「この大がかりな狂言を仕掛けた首謀者は、一人のおかしな女。名無しの魔女と名乗るそいつは間違いなく……」
タメを作りたいわけじゃなかったけれど、思わず溜息が漏れる。
泣きたくなるような絶望を胸に、締め付けられるような痛みを頭に、私はやっとの思いで絞り出す。
「私が以前に切り離した、私の中の無意識。私の心の奥底に静かに眠っていた、なにかなんです。それがなぜか今、形を持っちゃって、この世界を滅茶苦茶にしようとしてる……」
どうしてこうなった。
大事なことだから、もう一度、いや何度でも自問したい。
どうして、こうなった!?