三百四十四話 紹介するたび、ともだち増えるね!
一人目のイマジナリーフレンドとやらが、一塁側ブルペンゲートからグラウンドに姿を見せた。
「武人か……?」
翔霏が私の身体を半分庇うように前に立つ。
現れた人物は中世日本風の、かなり古めかしい甲冑具足に身を包んでいる。
手には和弓を携え、腰にかなり長い刀を佩いていた。
柄の部分に隙間が空いて透かし造りになっている。
と言うことは、あれは日本刀の中でもかなり古いスタイル、毛抜形太刀と呼ばれるものだろうか?
謎の声が、その謎の武士を紹介した。
『新たな秩序は俺が作る! 古臭い上方貴族の出る幕じゃねえ! 関東の守護者にして日本史上最大最恐の威神、平将門さまだァーーーーーーッ!!』
名を告げられたのは、私のような21世紀関東出身者にもおなじみの、あのお方。
東京駅大手町周辺を強烈な霊力で鎮護しているともっぱら噂の、マサカドさまであった。
私もそっち方面に行く用があるときは、首塚にお参りしてましたよ。
見た感じの雰囲気は、四十前の渋い旦那さんと言う感じ。
鋭すぎる眼光も併せて結構好みのタイプだ。
「って、んなアホな。千年以上前に死んでるって」
史実で亡くなられた年齢とは矛盾なく符合しているけれど、そういう問題じゃねーんだわ。
私が唖然と眺めていると、マサカドさまかっこ仮はそのギラギラしたギョロ目で私をギン! と睨み。
「我は不滅なり」
と、洒落怖なことをおっしゃったのだった。
おっかないおっかない、もう逃げ出したい。
少しでも楽しみにしてた私がバカでした、ごめんなさい、謝るから帰っていいですか。
なんて私の心の声を無視し、続いて三塁側ゲートから出て来たのは。
『人類最初の殺人者は、すなわち人類最強の殺人者だ! アダムの長子にしてアベルの兄、無惨にも神の恩寵を受けられなかった呪われし男、カインが来てくれた!!』
ユダヤの聖書における殺人の起源、物騒極まりないその人だった。
「麦を……麦を食ええええぇぇぇッ!!」
トんじゃった目つきで、穀物を摂食することの重要性を叫んでいた。
もちろん、彼についてなに知らない翔霏である。
「なんだあいつは。大声で言われずとも麦なんて毎日のように食べているが」
「かくかくしかじかで、彼もある意味、被害者だったんだよ……」
説明するのが面倒臭いけれど、私は以下のエピソードを雑に教えた。
聖書において、兄のカインは農作物を、弟のアベルは畜肉を神に捧げた。
アベルの捧げものだけが神に受け入れられた。
その嫉妬と確執からカインは弟のアベルを殺し、人類最初の殺人加害者となった。
罪を負い神に呪われ、住んでいた土地を放逐されたカインは、その後に農耕民族の祖になったとか、鍛冶者の祖になったとか、なんかいろいろ言われているけれど。
「古来から続く農耕民と牧畜民の覇権争いの一幕が、宗教的神話となって残ったとかいう話だけどね。なにせ古い話過ぎてよくわかんない」
私のうろ覚え聖書トークを聞き、軽螢が無自覚に冒涜的なことを言う。
「その父ちゃんであり神さんでもある人がさ、好き嫌いせずになんでも喜んで食ってりゃ、兄弟は喧嘩しなかったんじゃね? 麦だって芋だって美味いだろ。食い方知らんかったんかな」
「そうだけどそれは言っちゃダメな約束になってるの」
信仰というものは、理屈で考えると面倒臭いものなんだよ。
「メ、メェ~~……?」
そんな農耕民代表者カインは、半家畜であるヤギを今にも殺しそうな目で睨みつけて、怯えさせていた。
こいつを差し出して見逃してもらえるなら、いい案かも。
などと変にのんびり考えていても、新たな愉快なお仲間がせわしなくこの場に呼び出されて来る。
『さあお次は東北の奥地でまつろわぬものたちを束ねる、熱き義侠の大波涛! 敵を信頼して降伏したはずなのに、首を斬られるなんて話が違うじゃねえか! 世界に満ちるすべての欺瞞と傲慢に、怒りの鉄剣を振り降ろせ! 蝦夷の酋長、アテルイ!!』
「また微妙な知名度の人が来たもんだねえ」
思わずノータイムで突っ込んでしまった。
奈良時代の東北地方、おそらくは岩手県北部辺りでブイブイ言わせていた、地方軍閥の領袖である。
獣の皮衣を羽織り、手にはナタの化物のようなごっつい湾刀を持っている。
持ち柄の端っこが野草のワラビのように丸くなっていることから、蕨手刀と呼ばれるもので、確か東北地方で流行ってた形式の武器だったな。
肌は浅黒く目鼻立ちの彫りは深く、眉毛は太い。
ザ・男子! というような彼の相貌を見て翔霏が呟いた。
「どことなく、斗羅畏に似ていないか」
「え? ああ、そうかも。目つきがそう感じるのかな」
世俗の汚れに染まっていなさそうな、どこまでも美しく真っ黒なアテルイの瞳。
和平を望んで大和朝廷に降伏した矢先、騙し討ちのような形で斬首された悲劇の武将なのに。
そうとは思えないほど、キラッキラとした深く輝く眼の持ち主だった。
やはりひとかどの人物、眼が良いし、顔も良い。
美男子とか整ってるとかじゃなくても、顔つきから放たれるオーラって、あるよね。
アテルイ個人のパーソナリティに関しては、わたしゃ教科書やネットに載ってるくらいのことしか知らんけど。
「はあ、どでんしたなも。はっかはっかするなすってよぉ」
「え、なんて?」
球場を見渡して放ったアテルイの言葉を、私はまったく聞き取れなかった。
『コホン、失礼。言語のあれこれに不調があったようですので、改めて調整します!』
アナウンス嬢もアテルイの台詞の意味を理解できなかったようだ。
ミョミョミョ~~ン、と怪音波的なものがスピーカーから響く。
「ああびっくりしたぜ。まだドキドキしてらあ。ここはどこだ?」
好奇心に満ちた目で、アテルイは言い直した。
不思議な力が働いて、翻訳の問題は強引に改善された。
うーん、精悍でありつつ少年のような無邪気さもある声が、なお良いな。
謎のアナウンス女、男の趣味だけは良いじゃねえかとちょっと胸の内で褒めていた矢先。
『今回のメンバーでは紅一点! 罪がないのに裁かれる! 悪でもないのに追いやられる! まるでこの世のすべての災いを、その小さな体に背負わされたかのように! 無数の無力な名もなきものが、神の名のもとに裂かれ、打たれ、焼かれ、沈められた! おおよそ人が考え得る限りの、ありとあらゆる殺され方をだ!』
叫び声とともに現れた、一人。
顔を隠す長衣のフードマントを着込み、口元もマフラー状の布で見えない状態ながら。
手にマイクを持って、自分で自分を紹介する、変な女が現れた。
『歴史の闇に葬られた、魔女狩りという冤罪の被害者! 私の墓標に名前はない! 万を数える死した名もなき魔女たち、その代表だーーーーーーーーーーーーーッ!!』
偽善と独善と大衆狂気に彩られた、歴史に悪名高い魔女裁判。
中世ヨーロッパで行われた印象が強いけれど、どっこい21世紀でも、世界各国で魔女の烙印を押され、迫害されている人々はまだいるのだ。
罪を着せられ処刑された無辜の民は、数万人とも数百万人とも試算されている。
その怨念を一身に受け、小さき女の形を作ったのが、彼女だというのか……。
「って、プロデューサーは姿を見せないんじゃなかったのかよ」
『臨機応変、君子豹変! エンタメというのは機を見て敏に移りゆくもの! ほらほらお客さんたち、もっと驚いてくれてもいいんだよ!?』
魔女の煽りに対し、翔霏も軽螢も「あの可哀想なやつはなんだ?」と言いたげな、微妙に憐れんだ表情を見せるのみだった。
「なにかこう、いろんなところ、いろんな時代から恩讐の念が集まって、こういうことになっちゃってる、のかなあ?」
今わかる情報で私は予測を立てるけれど、自分で言っててピンと来ない。
「なにが気に入らんのか知らんが、私たちに八つ当たりされても困る」
翔霏が冷めた声で言う通りである。
地球の恨みつらみを発散させたいなら、地球でやってくれやという話だ。
なんで関係ない昂国、こっちの世界に来るんだよ。
私たちが迷惑がっているのをお構いなしに。
マイクの主である今回のプロデューサー兼アナウンサー、自称「名もなき魔女」が調子良さそうに呼び出しを続ける。
『さあ、あとは申し訳ないけれど、大トリまで巻いて行きます! 時間が押してるので! 菅公、ちょいと一発かましてアピールをどうぞ!!』
「うむっ」
菅公、と呼ばれた男は、ゲートから痩せた姿を現すなり。
「怨ッ!」
一言叫んだ、そのとき。
バチィィィィィン!!
大気をつん裂く恐ろしい音が鳴り響く。
「メメメメメェェェェ~~~~~~ッ!?」
私たちから少し離れた座席通路にいたヤギに、雷が落ちた。
「や、ヤギぃぃぃぃっ!」
軽螢がダッシュで駆け寄る。
私は驚きのあまり腰をほぼ抜かして動けなかったけれど。
あれは死ぬだろ、という雷撃を直に受けてもヤギはその四本の足で、しっかりと立っている。
「メ?」
体毛が、全部ちりちりのアフロになっただけだった。
「ギャグ漫画時空かよ。しかも古いわ」
『フフフ、これが我々の実力、雷神たる菅原道真さまの、まさにご威光だ! 小粒でもピリッと辛くて痛いぞ!』
どうやら五人目は、学問の神さま、天神さまとも天満さまとも呼ばれる道真公だった。
私も高校受験の前、湯島天神にお参りに行きました。
時間が押しているという言葉に嘘はないのだろう。
名もなき魔女は早口気味で紹介した。
『はいはいそして六人目ですけど、ちょっと事情があってまだここには来られません! でも名前だけはお伝えしておきますね!』
「いないんかーい。段取りちゃんとしとけよ」
がっくりと肩透かしに遭う私。
翔霏はとうとうあくびをかいて、軽螢は仲間の少年たちと手持ちのお菓子を分け合っている。
『文句言わない! 剣闘士奴隷としてローマ帝国に叛逆し、イタリア半島全土を震撼させたあのスパルタク』
「スパルタクスの生きてた時代は帝政じゃなくて共和政ローマだよ!」
ついつい、脊髄反射的に突っ込んでしまった。
『うるせえ! ちょっと言い間違えただけだろが! 水差すんじゃねえよ! とにかく最強剣闘士にして最恐反逆者のスパルタクスさまだ! てめーらそのお姿を見たらおしっこちびっちゃうんだからな! すっごい強いし怖いんだぞ! ヤベーからねマジで!』
そんな語彙力崩壊で大丈夫か?
しなくてもいい心配までする私の横で、頬杖をついてだるそうにしている翔霏。
「あとどれだけいるんだ。いつ終わるんだ」
相変わらず、数字の把握は苦手なご様子。
「あと二人だと思うよ。あの変な魔女が自分を勘定に入れてるのかどうかは知らないけど」
八人出て来る、というのならこれからの七人目と八人目で終わりだ。
名だたる英傑が次々に登場しているけれど、翔霏は緊張していない。
彼ら一人一人の脅威度はそれほど高くない、ということなのだろうか。
こんなに思いもよらない状況に見舞われて、翔霏も考えることを放棄しているのかもね。
けれど、私たちの弛緩した空気をあざ笑うかのように。
七人目を招くため、魔女は実に良い声で、聞き覚えのある詩を口にした。
『力は山を抜き、気は世を蓋う!』
彼女がそう詠み始めた途端に、私の全身には鳥肌が立ち、背筋から内臓まで冷たいつららでもブッ込まれた悪寒が走った。
『人の戦に負けたのではない! 天が我を滅ぼしたのだ!』
ゲートに立つスモークの奥から、大きな、とても巨きな男が、その体格に似合う雄々しい巨馬に跨って進んできた。
『騅よ逝くぞ! 虞よ見ておれ! 江東の大覇王、項羽の武をしかと見よ! 命あるものすべて、この暴威に畏れ震えてひれ伏すがよい!』
中国史、いや世界史全域、全時代の「最強武人ランキング」において。
常にトップ層に名前の挙がる、規格外天井知らずの大豪傑。
楚の項羽が、そこにいた。
その生涯で始皇帝亡き後の秦帝国軍、そしてライバルの劉邦軍と幾度となく戦い、傷を受けることもなく勝利し続けた。
その最期は五十万とも伝わる大軍に押し寄せられて、それでも衆寡敵せず戦い続け勝利を重ね。
果てに「手足疲れて敵の手にかかるよりは」と自ら首を刎ねた、剛にして狂の代名詞。
人の形をした荒れ狂う暴風、人類史上最強の存在が、私たちを言葉もなく睨んでいた。
「ふむ」
真面目な顔に戻った翔霏は、項羽を見て短く呟いてから。
「麗央那、そろそろ逃げるか。他のやつはともかく、あいつはダメだ。まるで尋常の範疇にいない」
「そんなに?」
翔霏が敵を一目見て、ワンチャンすら勝つ見込みがないと言ったのは、これがはじめてである。
「ああ。どんな強大な怪魔でも、あいつ前にしては地の果てまで逃げるだろう。生きているものなら、神だって殺してみせるとでも言いそうな眼だ。魔でも獣でも、神でもない、もちろん人でもない。なにか別のものなんだろう」
翔霏が真顔でそんなことを言う。
「おいおい冗談じゃねえって」
「メェ~~~~ッ!」
軽螢以下、同行して来た少年たちもみんな怯えて逃げ出す構えに入った。
アフロのヤギが視界に入るたびに気が抜けそうになるんで、どうにかしてほしい。
私たちの撤退準備を見て、マイクを持った自称魔女が慌てる。
『ちょーっちょっちょっちょ! まだ帰んないでよ! 今日は顔見せだから変なことしないってば! 最後の八人目までちゃんと見てって!?』
その言葉に従うかのように、球場の外に出るゲートがガッシャガッシャンと音を立てて閉じて行く。
逃げられない。
閉じ込められた。
どうあっても、八人全員を紹介したくてたまらないらしい。
スパルタクスは準備が間に合わなかったくせに……。
私は相手を刺激しないように、努めてユルい態度で応えた。
「はいはい、わかりましたよ。つってもこの七人だけでかなりお腹いっぱいだけど。マサカドさまや項羽のあとに紹介されて、その人も気の毒じゃないかな」
『ふん、そう言ってられるのも今のうち。彼を見てびっくりして頭がおかしくなっても知らないから』
ずいぶんと自分からハードル上げるじゃん。
最後の八人目はよほどの人物だって自信があるんだね。
って、そうなると処女のお母さんが馬小屋で産んだ人とか、一代にして人類史上最大の領域を手に入れた草原の覇者くらいしか、パッと思い浮かばんけど。
名もなき魔女が喚んだ男性は、そのどちらでもなかった。
『邪魔する敵は薙ぎ払い、父なる王の威名の下に、新たな土地を切り拓く! その果てに哀しい定めが待っていようとも! 龍神の腹から出でし剣を手に、神にも王にも遠ざけられた皇子は今も闘い、彷徨い続ける!!』
八人目は、私たちのいるちょうど真反対、バックスクリーンの真下である外野グラウンドから、ゆっくり歩いてきた。
いつの間にか、そこにいたらしい。
白い上下服に身を包んで、左右に分けた長い髪を顔の横で結んでいる。
手には、両刃の青銅剣。
イメージ的には、奈良時代よりさらに古い、古墳時代の日本人のような。
「龍神の腹から……って、ヤマタノオロチ?」
私は驚いて呟く。
神話において、ヤマタノオロチを討伐したスサノオは、その体内から非常に素晴らしい宝剣を手に入れた。
名を、アマノムラクモと言い、その別名は。
『草薙剣よ! 彷徨える彼の魂にのため、再び運命を切り拓き、新たな安らぎの郷を与えたまえ! 彼と私が作る、新しき往生楽土の夢を叶えたまえ!!』
神剣草薙を持ったそのお方。
神話と歴史のはざまに生き、そして哀しい死を遂げた悲劇の英雄。
私のイマジナリー初恋相手でもある彼は、ピッチャーマウンドまで歩き他の面子の中央に立って。
「ヤマトタケルである。すべての美しき女よ。余の情けを身に宿し、勇ましき子を産め。すべての醜き男よ。余の見える前から消えて失せよ」
最低な自己紹介を、堂々と言ってのけた。
こんなやつに、いっときでも恋していたなんて。
この麗央那、一生の不覚!!