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三百五十三話 王佐

 今までさんざんな目に遭って来たのだから、今度こそ自分は報われるべき。

 まったく勝手な都合で新しい世界を熱望する恥ずかしい私の半身、通称で裏麗央那の言い分だ。

 そんな彼女の創世をすぐ横で支え、かつて果たせなかった「ただの知恵者ではなく、宰相として」の全力を振るいたいと願っている菅原道真。

 まさに、欠けたもの同士だからこそ完璧に噛み合う二人の間。

 不思議な雷の力に囲まれて暴力では戦えない今、私はあえて、言葉によって楔を打ち込まなければならない。

 私なんかでは到底かないっこない、知の巨人に対し、言葉の力しか行使できない無理ゲーな状況にあってもなお、だ。


「梅の季節は、とうに終わったようじゃのう」


 周囲を見渡し、道真さまがのんびりと呟く。


「梅、お好きなんでしたよね」


 こちふかば、においおこせよ梅の花

 あるじなしとて、春な忘れそ


 道真が遺した歌の中でも、百人一首に収録された「もみぢのにしき」と並んで有名な作品だ。

 散る桜よりも、落ちる梅や紅葉を愛したところが、彼なりの美意識の表れなのだろうか。


「桜も愛でぬわけではないがの。あれは心をむやみに騒がしゅうするでな」

「あは、確かに」


 日本人なら誰もが共感できる感覚だね。

 理性の人である道真さまは、舞い散る桜の魔力に陶酔することを意図的に避けていたのかもしれない。


「さてあいにくの黒雲じゃが、それでも探せば趣は見つかるもの。曇り空の下に重く黒く立つ松林。雷と嵐を恐れてか、獣たちも息をひそめておるような気はせんか。果たしてそれは今この場限りの不安であるのか、それとも未だ見えぬ先のことを暗示しておるのか」


 道真さまは自分で呼び寄せた雷雲の曇天を自虐しながら、周囲の木々や小動物たちの動きを観察する。

 つい気を取られて質問してしまう私。

 

「なにか浮かびそうですか」

「うむ。当然の話じゃが、風の香りも虫の声もみやことは違うからの。それが上手く筆に乗ればええのじゃが」


 思いがけず、歴史的名歌が誕生する瞬間に立ち会える予感……!!

 なんて、和やかで文化的な時間をまったり過ごしている場合じゃねえんだワ。

 翔霏しょうひ軽螢けいけいも後ろから難しい顔で私を見ている。

 どうにかしないといけないのは分かっているけれど、どうしたらいいのか分からないのだ。

 気を抜いたら油断して弛緩してしまうこの空気を、私からあえてブチ破って行かないと。


「ええと道真公。やはりここはどうしても、私から話さなければならないことがあるんですけど」

「松の葉落ちて……鈍色翳り……暗すぎじゃな。松林まつばやし、童ども待つ……歯切れがイマイチじゃのう。東林の、松葉の原の夕闇に……われ、露に濡れ、山羊とたわむる…………なんして山羊がいきなり出てくるんじゃい、ナシじゃナシじゃ。上手いこといかんの」

「メェ~?」


 ガチで歌詠みモードに入っちゃってるよ、このおじいちゃんってば。


「えーとあの、聞いていますか道真公?」

「ええとこなんじゃ。後にしてくれ」


 意図せずに、やりとりしたのは短歌調。

 詳しく言えば、字余りだけど。


「って、詠んどる場合かーーーーーーーーーーーーッ!!」


 私は叫んでビンタをかまし、道真さまが手に持って書き物をしているしゃくを弾き飛ばす。


「イテッ」


 飛んで行った笏は軽螢の頭に直撃したみたいだけれど、無視。

 突然の無法に目をパチパチさせた道真さま。

 彼がなにか言うのを待たずに、私は感情のままにまくしたてた。


「道真公! あなたは間違っている! なにが間違いなのかと言えば、自分の心に嘘を吐くこと以上の間違いは、この世界のどこにもない! あなたほど賢明で偉大なお方が、そんな大きな間違いに足を踏み入れていることに気付かないわけがないでしょう!?」

「これは怪なることを申す。嬢ちゃんに、果たしてワシの心のなにがわかるというのじゃ。ワシが一体、どのような嘘で己の心を騙しておるというのじゃな?」


 興味深げに値踏みするような目つきで、道真さまは問うた。

 対する私は、大声で答える。

 翔霏が避けられぬ戦いを前にして、北方の平野で好敵手に投げかけた、その言葉と同じ句を。


「あんた、こんなことをして、こんなやり方で本当に楽しいんか!?」


 言わずには、いられなかった、その言葉を。

 それを聞いた道真さまの顔が一瞬だけ曇る。

 お構いなしに私は畳み掛ける。


「私は、本で読んだだけのことしか道真さまのことを知りません。けれどあなたが貴族たちとの陰謀に敗れて、望まぬまま地の果てに放逐されて失意の中で死んでしまったと知って、あなたに感情移入してしまった! なんて可哀想な人だろうと、私の心はあなたを依怙贔屓してしまった! けれど、けれど!」


 鼻の奥にツンとこみ上げるものを我慢し、私は叫ぶ。


「それは私の、大きな間違い! 傲慢な思い込み! 誇り高き菅家の英才、右大臣道真ともあろうお方が、私みたいなチンケな小娘に『可哀想だ』なんて思われたくないはず! あなたは、他の誰にも憐れんでほしくないはずなんだ!!」


 人が絶望するのは、惨めな環境にいるからではない。

 惨めなのだという認識で、自分の心を満たしてしまうからなのだ。

 まだ冷静さを顔に演出させて聞き続ける道真さまの前で、私は思いのたけを声に出す。


「誇り高く全うした自分の生き様を、あなただって、いいえ誰だって、他人からの憐憫と言う形で否定されたくないはずだ! 結果として望むところまで届かなかったかもしれない。けれど、あなたも自分の生を『生き切った』はずだ! 市井の多くの人がそうであったように、名もなき民衆がそうしたように、あなただって自分のできる限りのことを、やって、やって、やり尽くして終わったはずなんだ!」

「どうしてそう思う。それも嬢ちゃんの思い込み、決めつけではないのか」

「うるせえ! まだこっちの話すターンは終わってねえんだ! 最後まで聞きやがれ!」


 小さな狂女、偉大な賢人の正論を大声で封じ込めるの巻。

 ここで冷静になってしまっては、私は自分の発言の正当性に疑問を持ってしまい、巧みな話術で丸め込まれてしまう!

 だからこのままの勢いを殺さずに、突っ走ることにする!


「私の裏存在、無意識から生じた私の半身が今やろうとしていることはなんだ!? 本来なら必要な手順をすっ飛ばして、世の中の道理をイカサマで曲げようとしていることじゃないか! 神さまを殺して、この世界を好きなように創り変えるだなんて、一体誰がそんな突拍子も伏線もないやり方を認めるんだ! 少なくとも私は認めてないし微塵も理解しようと思ってない!」


 その言葉に、道真さまは明確に不快感を露わにした。

 ここが彼にとっての「核心」なのだと「確信」して、私は尚も怒鳴り続けた。


「それは、ズルって言うんだよ! あなたが負けた藤原氏の貴族たちが得意としてた、横紙破りの規則ルール違反なんだよ! ズルや依怙贔屓に負けて追いやられたあなたが、今度は自分がズルをする側に回るのか!? 一生懸命、小さな力を尽くして真面目に生きているすべての人々を置き去りにして、自分たちだけ特別に作られた裏道近道をすり抜けようとするのか!?」


 がなり続けて枯れつつある喉を、唾を飲んで整え直す。

 はあ、はあと息を小刻みに吐いて、私は絞り出す。


「……そんなの、絶対にあとで自分をみじめに思うに違いない。どうしてこんなことをしてしまったんだって、自分を嫌いになるに決まってる。道真さまだって、世のため人のためになりたくて、若い頃から少しずつ、一生懸命に勉強して来たんでしょ。その努力の日々が、結局はズルをする連中に負けちゃうなんて。そんな残酷な答えを出すことに、他でもない自分が加担してしまうなんて」


 私はここでとうとう、両目のダムを決壊させて。

 びちょびちょに顔を塗らしながら震える声で結んだ。


「そんなの、そんなの、ここまで頑張った甲斐が、ないじゃんかよぉ~~~~~~~…………」


 道真さまの立場に重ね合わせながら、私は自分自身のことと捉えて泣いていた。

 ここに来るまで、この日を迎えるまで、いっぱい、いっぱい、頑張って来たんだよ。

 その頑張った道のりを、涙と笑いと出会いと別れの日々を。

 他でもない私自身の一側面が否定しているという現実が。

 たまらなく、どうしようもなく、哀しい……。


「ふむん……」


 べそかき虫になった私を前に、道真さまは言葉を探しているような吐息を漏らした。

 助け船を出すように、私の後ろに控えて座っていた翔霏が話す。


「ご老人。貴方は麗央那の分身とやらに、一人でここに行くように指示されたのだと言っていたな」

「いかにも。御大将は他の仕事の段取りがあるでな。ここに来ておるのは正真正銘、ワシ一人じゃ」


 道真さまの言葉を否定するように、翔霏は首を振った。


「それはていの良い言い訳だと、私は考えている。麗央那の分身は、そもそも北方に来るのが嫌なのだ。自分ではやりたくもない仕事を、話が通じそうなあなた一人に、都合良く押し付けているだけなのだ」

「はて、そう思う根拠はなんじゃな」


 道真さまの問いに、翔霏は優しい声で返した。

 私の背中を撫でてくれながら。


「麗央那の分身は、そもそもこの北の地で起きたモヤシ軍師との闘いに耐え切れず、逃げ出して切り離された存在だ。彼女にとってここは死地であり、足を踏み入れたくもない忌わしい地獄なのだ。そして、麗央那の分身は仲間と共に死地を進むつもりはないと言うことを、今こうして証明しているわけだな。貴方一人を遣わせているのだから……」


 そう、翔霏の言う通り。

 裏麗央那は、一人ぼっちの、捻じ曲がった私の一面。

 仲間と一緒なら、どんな苦難でも怖くない、そんな風に覚悟することができなかった私の、もう一つの可能性なのだ。

 翔霏の意見を捕捉補強するように、軽螢も呟く。


「今、じいちゃんと一緒にいない裏の麗央那を信じても、楽しいことなんて待ってないと、俺は思うぜ。仲間ってのは、辛いとき、苦しい場所でこそ一緒にいるもんだろ……」

「メェ……」


 自分は一人ぼっちなのだと思い込んでしまった、ある日の私。

 自分は一人きりじゃないと思えるようになった、今ここにいる私。

 この戦いは徹頭徹尾、私自身の弱さとの戦い。

 しゃくりあげの収まった私は、キッと強い目線で道真さまを見据え、宣言した。


「絶対に、こっちの方が楽しいですよ。私たちの仲間になってくださいませんか、道真公」

「無茶を言いおる。それこそ道理の通らぬことじゃ。御大将に逆らえば、ワシはこの地に存在しておられんくなるのじゃぞ。それくらいわかろう」


 拒否の言葉ではなかった。

 道真さまも、揺れ動いているのだ。

 チート行為に及んで無双しようとしている裏麗央那と、みっともなく泣きわめきながらでも、一歩一歩闘い続ける私たちと。

 どっちと一緒にいれば、楽しいのか。

 彼にとってやりがいのありそうな仕事は、どちらなのか。

 その天秤を傾けるために、とっておきの秘策を開陳する。

 きょうさんとの戦いを途中で放棄した裏麗央那には、決して使えない禁断の一手。

 それはもちろん。


「道真公。ご心配には及びません。私に良い考えがあります」

「ほう。聞くだけ聞いてみようかの。面白き話じゃとええな」


 こうなったときの、覚悟が決まった私は、強いよ。

 裏の麗央那よ、震えて眠れ。


「私の頭に、身体に、意識の中に、乗り移ってください。こう見えて私、死者を乗り移らせるのは玄人です」


 道真さまを私の「中」に隠し持ってしまえば。

 きっと、裏麗央那も手を出せないはず。

 私と裏麗央那の意識は今、完全に分断されていて、お互いに干渉できない不可侵領域となっているのだから。

 あんぐり、と道真さまは口を開けた。

 尊敬している賢者を少しは驚かせることができたようで、私は気分が良かった。

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