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三百五十二話 蛍雪の徒

 天に轟雷を伴って唐突に表れたのは、平安時代の文官装束に身を包んだ、小柄の初老男性。

 学問の神、そして同時に雷を司る日本最大級の祟り神として畏敬される、菅原道真その人であった。


菅公かんこう、お目に掛かれて光栄です。私は麗と申すつまらない女ですが、以後お見知りおきを」


 アイサツはダイジなので、私は手を揃えて綺麗にお辞儀する。

 そう、なにもしょっぱなから喧嘩腰になる必要はないのだ。

 戦う以外の方法で前に進めるのなら、それが一番いい。

 風のような笑顔とともに、スパルタクスがそのことを教えてくれたのだから。


「ほっほ、丁寧な挨拶、痛み入る。おっと、そこな後ろ髪のお嬢ちゃんや」


 ピッ、と道真さまは手に持った木の板、しゃくと呼ばれる筆記用のアイテムで翔霏しょうひを指し。


「おかしな動きはせんほうがええぞ。ちいとばかりきついくらい、痺れてしまうことになりよるからのう」

「ぬ……」


 牽制された翔霏は道真さまの台詞がハッタリではないことを悟り、構えを解いた。

 さっきから周囲を轟かせている雷の連発は、道真さまの力なのだ。

 まるで私たちの居場所を囲むように、今も周囲の木々の間には雷光が走り続けている。

 さながら、雷光の檻であった。


「熊の怪異を倒してくれたのもおっちゃんの仕業なんか。すげーな」

「メェ~~~~……」


 軽螢けいけいは素直に感心しているけれど、前に体毛をチリチリアフロに焦がされたヤギとしては、複雑な気分であるようだ。

 別にいいじゃん、それがきっかけで夏に似合う散髪をしてもらったんだから。

 私も慢性的に肩こりがひどいので、軽めのやつを一発、お見舞いして欲しいかもと思ってしまう。


「ご老人。こちらに危害を加える意図はなさそうだが、なにが望みだ?」


 ド突き合いに持ちこめずストレスを軽く溜めた翔霏が、不機嫌な顔で訊いた。

 それに気を悪くするでもなく、鷹揚な微笑で道真さまは答えた。


「ワシは御大将から、嬢ちゃんらの邪魔をしてくれと頼まれておる。つまるところ、足止めと時間稼ぎじゃな。しばらくこの老人の与太話に突き合ってもらうとするかいのう」


 大将と言うのは、裏麗央那のことだろう。

 七人の中でも武闘派ではなく、知恵が回るタイプの道真さま。

 どうやらスパルタクスとは別の形で、公認の単独行動を許されているようだ。

 よっこらせ、と無作法に道真さまは胡坐をかき、草の上に直接座る。

 百人一首の上の句の図柄で、よく見たポーズだ……!

 急いで戻りたい私たちの都合を知ってて、それを邪魔をするというのであれば、なにかしらそこから逃れる攻略法を考えなければならないのだけれど。


「尊敬している道真公とお話ができるなんて、とても光栄です」


 大人しく座って話を聴こうとした私に、軽螢が突っ込む。


「おいおい、ここで落ち着いちゃっていいんかよ」

「メェ!」


 自然な反応である。

 けれど目の前の道真さまをどうにかする手段が見つからない以上、今は情報収集しかすることがない。

 そもそも裏麗央那の「世界改造計画・神さまブッコロ作戦」も、事態の展開が唐突過ぎて、わかることが少ない状況なのだ。


「慌てない慌てない。神のまにまに、だよ」

「なんだそりゃ」


 軽螢を適当に言いくるめて、私は向かい合う道真さまを見る。

 自分が詠んだ歌の一節を引用され、道真さまははにかむように笏で口元を隠して微笑していた。

 尊敬しているからこそ、誤魔化しのない直球な質問を私は投げる。


「失礼な問いをお許しください。なぜ今、道真公は恨みもないこの地に騒乱をもたらし、崇められている神々をしいしようとまでなさるのでしょうか」

「確かに、まさに神をわしらは亡きものにしようとしとるわけじゃが、なにも生前の八つ当たりをしようというわけではないぞえ。他の連中は知らぬが、少なくともワシは違う」

「では、どうして」


 問い重ねる私にふふっと優しく笑い、彼は言った。


「神の手から人の手にこの世を取り返し、新しく作り変える。新天地をワシらが作るのじゃ。なんとも痛快な仕事であることか」

「ああ、なるほど……」


 私は一つの仮定に行き当たり、納得の吐息を漏らす。

 彼の仕事は、戦うことではない。

 裏麗央那が天上天下から神を放逐し、次の世界を創造するときのためのまさに右腕、右大臣道真として呼ばれたのだ。

 武から離れた宰相としてだけの資質で言えば、あのきょうさんであっても全盛期の道真さまには敵うまいよ。

 まるで師のように優しい口調で、道真さまが私に問答を仕掛けた。


「嬢ちゃんもワシと同じく、知の魔物に憑りつかれ、学びの怪異に呪われた仲間じゃろう。さて、人はいったい、なんのためにそこまでして学ぶのであろうかな?」

「それは……いろいろなことを学べば、自分の人生を明るい方向へ切り拓けるからだと思います」


 私の解答に道真さまは及第点をくれず、首を振って続けた。


「己一人が生きて幸福になるには、必ずしも知恵や技術は必要なかろう。まったくないのでは立ち行かぬが、そこそこ、ほどほどでいいはずじゃ。下手に知恵を付けたせいで、不幸が忍び寄って来ると言うことは、古今を問わず多く見られるのではないかな」


 重い、箴言であった。

 菅原道真と言う日本史上きっての賢人は、その知識見識があまりにも高すぎて、誰もが想像する以上の高位に出世をしてしまった。

 そのせいで天皇、上皇、藤原氏を中心とした宮廷闘争に、不本意ながらも巻き込まれたのだ。

 政争に負けた彼は地の果てである大宰府に左遷され、およそ功績のある老文官への仕打ちとは思えない、過酷な環境に留め置かれた。

 非業の死を遂げ祟り神にまでなったのは有名な話だ。

 その彼から、問われている。

 なぜ、学ぶのかと。

 ほどほどで満足して、笑って毎日を送れるのなら、それで良いではないかと。

 一理どころか百理あるような、まったく正しい人の定めのようにすら思われた。


「人が、今よりもさらに高みを目指して学ぶのは……」


 偉大過ぎる試験官、まさに神の前で、私はやっとのことで答えを捻り出す。

 後宮の侍女暮らしで満足していれば、私だって覇聖鳳はせおを殺した葛藤に苦しまずに済んだはずだし。

 姜さんの死を背負うことだって、きっとなかったはずなのだ。

 それでも私は、こう答える。

 一人の人間が、私と言う小さな存在が、知のブロックを高く強固に積み上げたいと思う、その純粋な動機の源を。


「私以外の誰かを、幸せにするために学ぶんです。たくさん学ぶことで、それが他の誰かの役に立つと信じているから。私以外の誰かの笑顔に繋がると強く願っているから、私はいつまでも飽きることなく、嫌気が差すこともなく、楽しく学び続けられるのだと思います」


 そう、私は。

 なんだかんだこの世界と、そこに生きる人々が好きなのだ。

 みんなが笑って暮らせる明るい未来が訪れて欲しいと、本心から願っているのだ。

 裏麗央那が「誰も不幸にならない新世界」を熱望しているのと同様に、私も「一人でも多くの人が、幸せに生きられる世界」を心の底から欲している。

 だから、勉強するのだ。

 自分だけのためではなく。

 どこかで飢えて傷付いて苦しんでいる人たちのために。

 助けを必要としている人の前で、役立たずの自分でいないために。


「そうさのう」


 満足げに言った道真さまは、手に持った笏になにかしらをメモとして書き留める。

 そして今までより幾分か厳めしい、右大臣としての面持ちで言った。


「人が学ぶのは、世があるからこそである。禽獣と同じ暮らしをして生きるならば、学ぶことに意味などはあるまい。しかし人は野の獣にあらず。己が命を永らえるのみに生くるにあらず。隣人となりびとと手を取り合い、ともに生きるためにこそ学ぶのである」


 人間は社会的動物である、ということだ。

 一人で生きているのではないから、誰かに生かされているのだから。

 他の誰かの役に立たなければならないという話だね。

 役に立つために学ぶ。

 学んだことを役立たせられるのは社会、道真さまの言う「世」があるからこそである。


「壊したのちには、常に創造がある。創造には知と技が必ず求められる。それこそが、学びの果てに行きつくついの天地。その明日を思えば、なんと誉れであることか……」


 新しい社会を作り上げるために知と技を尽くしてこそ、学問に憑りつかれた自分たちは真の意味で報われる。

 道真さまは、そう言いたいのだろう。

 位人臣を極め、当代並ぶものなき賢者と讃えられた道真さまも、その能力を十全に使い切ることができずに死んでしまった。

 彼の恩讐は、壊すことではなく新しく創ることによって果たされるのだ。

 誰だって、自分のできる限りをやり尽くしてから、最後を迎えたいに決まっているのだから……。


「この世界が道真公にとっての、かつて強く焦がれたのにとうとう行くことができなかった、唐の都なんですね……」

「痛いところを突くでない。老人の恥をほじくり返すのは感心せんぞ」


 しゃしゃしゃと笑われ、たしなめられた。

 若い頃から、遣唐使として大陸へ旅立つことを目標に学んでいた道真さまだ。

 政治情勢が良くなくてその夢を諦めたとは言っても、死ぬまでの心残りになっていただろうことは想像に難くない。

 それまでピンと来ない顔で話を聞いていた翔霏が、一つの見解を差し挟んだ。


「今、この地にいる神々を殺さずとも、新しく良い世の中は作れるだろう。そのために麗央那は日夜懸命に勉強しているのだし、ご老人と麗央那は同じ方向を見ていると、私には思うのだがな」

「そうだよ。おっちゃんは話せばわかる人みたいだし、なにがなんでも今の昂国こうこくをメチャクチャにしなきゃならない理由はないだろ。むしろ麗央那と上手くやって、これからどうしたらいいのかを教えてくれる師匠さんみたいになればいいじゃんか」


 軽螢も翔霏に乗っかり、道真さまをこちら側に引き入れようとする。

 その誘いに気を良くしたのか、道真さまは鷹揚に笑う。

 けれど、決してそうはならないのだと、淡々とした口調で説いた。


「この地に暮らす民が、いきなり出てきたワシらの言うことなぞろくに聞き入れることもあるまい。嬢ちゃんも頑張っておるようじゃが、そうさな……あと三、四十年経ってやっとこさ、嬢ちゃんの声が広く国の隅々に届くようになるのが関の山じゃ。ワシらの御大将は、それほど悠長に待っていられぬのよな」


 ぐうの音も出ない正論である。

 私たちが、人として普通に頑張って昂国や周辺を豊かにしようとしても、結果が出るまでには膨大な時間を要する。

 けれど、神を殺すまでの大げさなことを成し遂げたなら。

 多くの人はソイツの言うことを、すんなり聞いてしまうだろう。

 少なくとも、無視はできないはずだ。

 その状況を整えれば、世界を創り変えることなど、容易い。


「当然のことだけど、向こうの私も考えてやってるんだな……」

「だからこそ、ワシらも従っておるというもの。すまぬがここは大人しく、御大将が好き放題やり遂げるまで、のんびりうたでも詠みながらこの年寄りと過ごしてもらうぞえ」


 道真さまはそう言って筆を執り、周囲の木々を眺めながら思索に入った。

 理屈でこの人を説き伏せるのは、無理なのだろうか。

 裏麗央那が提示するビジョン以上の魅力的な案を、私は道真さまの前に開示することはできないのだろうか。


「あ、あるかも」


 私はたった一つの冴えたやり方を思い付き。

 それでも、これを口に出してしまってはきっと後戻りができないのだと。

 自分の中の恐怖と逡巡に向かい合い、それをどうにかなだめるのに必死になるのだった。



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