三百五十一話 次なる男
目に見えて気落ちしている斗羅畏さんの肩に、軽螢がぽんと優しく手を置く。
「くよくよすんなって。あの兄ちゃんは孫ちゃんのおかげで、満足してあの世に還ったんだ。祝福してやろうぜ」
「ああ、だと良いがな……」
「もったいねえなあって気持ちもわかるけどサ。いないやつをいつまでも惜しんだってしょうがねえだろ。他にも孫ちゃんとウマの合うやつはどっかにいるよ」
斗羅畏さんと軽螢、規模は違っても一つの土地と人員をまとめる、リーダーとしての共通点がある。
人の上に立つ彼らから見れば、スパルタクスのように常に機嫌が良く、メンタルが安定している人材は本当に貴重なのだ。
そういう人がいてくれるだけで場の空気が整うし、なにか問題ごとが発生したときも、常に冷静で前向きな人というのは相談役としてうってつけなわけだ。
だからこそ斗羅畏さんはスパルタクスの採用にこだわったし、それが叶わなかった失望も大きい。
落ち込んでいるようだし、からかうのは控えてそっとしておきましょう。
「スパルタクスは消えちゃったし、私たちも翼州に戻りますね。あまりボヤボヤしていられない、不安なことを抱えていますので」
戻る準備を始めた私に、斗羅畏さんが引き止めの声をかける。
「おい。そっちの国でおかしなことが起きているという噂を聞いたが、さっきの消えた男もその関係なのか」
「そうなんですけど、斗羅畏さんもお忙しいみたいだし、関わらない方がいいですよ。私たちでちゃんと始末を付けますんで」
いつもいつも迷惑かけ通しで申し訳ないという、私の気持ちもあるのよ。
けれど彼は私のそんな気遣いを無視して、細かいことを聞きたがるのだった。
「説明くらいしてから帰れ。なにも訳が分からんうちに、こっちにまでおかしなことが飛び火してきたらかなわん」
「まあ、そう言うことなら」
請われて私は、謎の埼玉県西部にあるはずの半ドーム型球場が神台邑の近く現れたことと、そこに現れた七人の面白メンバーについて語った。
「ははは、なんだそれ! わけわかんねー!」
倭吽陀の小学生並感想が、実に的確に真意を突いていた。
私たちも、わけが分かりません。
「少し、待て。情報が、多い……」
斗羅畏さんも難しい顔で、こめかみを押さえていた。
わかる。
気を回した翔霏が、問題の核心をシンプルに表現してくれる。
「要するにおかしな連中が、私たちの国でおかしなことをしようとしているということだ。災厄の規模としては、一人一人が除葛や覇聖鳳に匹敵しうる覇気や狂気を放っていた。一対一の白兵戦に持ち込めるなら私の敵ではないが、そう上手くはいかんだろう」
向こうの軍師、参謀役が私の裏側面である以上、翔霏を好きに暴れさせてはくれない。
そして翔霏は「各個人との戦いなら勝てる」と説明したけれど、厳密に言えばそれはハッタリだ。
七人のうち、少なくとも項羽だけに関して言えば、さすがの翔霏でも「まともにやり合えば、自信はない」と冷静に分析していた。
斗羅畏さんを無駄に心配させないために、そこは伏せておく。
話を聞き終わった斗羅畏さんは、腕を組んでしばし黙考して。
「俺も今や、昂国とは軍事同盟を結んだ間柄だ。皇帝陛下から特別のお達しがあるのなら、兵を引き連れて馳せ参じるのもやぶさかではないが……」
なんて気が早いことを申し出た。
私は慌てて手を振りながら答える。
「いや、まだなにも決まってないんで、そこまでしなくてもいいですよ。とりあえず私たち、これから皇都に行ってお偉方にお話だけしようと思ってるんで、斗羅畏さんや突骨無さんはその後で出かたを決めてくれればいいです」
あなたも自分の領地経営や方々への挨拶回りで忙しいんだから、そんなにこっちのことばかり気にしないでください。
私は優しいので、それくらいの気は遣えるのよ。
「そう言うことなら今は余計なことはしないでおくがな。どのみち俺はこの後、黄指部の大人たちに馬の礼をしてから、白髪部の突骨無のところに行く予定だ。親爺の墓がもうじき完成するので、祝典の話し合いがある」
「それはおめでとうございます。ちゃんと工事は進んでたんですね」
忙しくてすっかり忘れてたわガハハ。
「ああ。環家の優男が資材と人手を遅滞なく手配してくれたおかげでな。祝典にはお前たちもろもろも俺の客として招待するつもりだ。厄介ごとはそれまでに片付けておけ」
椿珠さん、私たちが知らないところでちゃんと仕事してたんだねえ、やりおる。
「まあ嬉しい。飛ぶ鳥を落とす勢いの斗羅畏さまの公賓扱いだなんて。光栄が重くて腰が曲がりそう」
「やはりお前、俺をバカにしているな……?」
「いえそんなことは決して」
苦い顔のまま斗羅畏さんは馬に乗り。
「言うまでもないことだが、死ぬなよ。危険だと思ったらいつでも北方に逃げて来い」
そう言って、手勢を引き連れその場を去って行った。
「へんなねえちゃんたち、またなー」
新しい駿馬を手に入れた倭吽陀も、機嫌良く手を、と言うか腰から抜いた剣を振って帰って行った。
「って、誰が変な姉ちゃんだあのクソガキめ」
「目つきや挙動が、どんどん覇聖鳳に似てきたな。どんな大人になることやら」
私と翔霏が少年の成長を心配する横で、軽螢は別のことに感心していた。
「孫ちゃんも丸くなったよなあ」
「メェ~」
確かにね。
はじめて会ったときは触れたら怪我しそうな、尖って角ばった石みたいな人だったわ。
それだけ私たちにも心を開いてくれたのだと思いたい。
斗羅畏さんたちに迷惑をかけないためにも、さっさと厄介ごとは片付けないとね。
「で、麗央那。次はどうするつもりだ? すぐに都に行くのか?」
おやつの干し杏を頬張りながら、翔霏が訊く。
「だね。行く途中で情報を集めながら、かつ迅速に河旭に向かおっか。騒ぎが大きくなってないことを祈りながら」
そうは問屋が卸してくれないだろうと思うけれど。
私のぼんやりとした想定では、敵がこれから採用する作戦、その可能性は大きく分けて二つ。
裏麗央那とすべての英霊たちが常に一緒に行動し、神さまを一柱ずつ確実に仕留める作戦と。
そうではなく勢力を分けて、同時進行で一度に複数の神さまを仕留める作戦。
後者の場合、向こうの人数は七人なので、あまり細かく隊を分けるとは考えにくい。
せいぜい三人と四人の二つに分ける程度だろうか。
なんてことを話しながら、たまに慣れっこの野宿をしながら私たちは南下し、昂国との国境近くまで辿り着いた。
「向こうは雨か」
翔霏が空模様を眺めて言った。
どんよりとした濃灰色の分厚い雲が、国境の峯にかぶさるように浮かんでいる。
ゴロゴロゴロ、と稲妻の重低音がここまで聞こえた。
「降らないうちに。翼州の砦に着けると良いんだけどナ」
「メェっ」
馬代わりにして乗っているヤギの尻を叩き、軽螢が先を急がせる。
雨雲は徐々に頭上に迫り、昼間だったはずなのに林の中は真っ暗と言っていい状態になった。
「麗央那、飛ばすぞ。しっかり捕まってろ。怪魔の気配がする」
翔霏がそう言って、私たちの乗る馬をトップスピードまでけしかけた。
「え? 大丈夫そう?」
「そこそこ大物のようだが、相手をしている時間が惜しい。空模様も良くないしな。駆けてやり過ごした方がいいだろう」
「了解。その方向でお願いします」
馬とヤギが負けじと懸命に走り、林の中を抜けて行く。
けれどその途中で、軽螢がうんざりした声で報告した。
「二体いるみたいだぜ、怪魔。道を先回りされてる気がするわ」
「なにぃ? クソッ、七面倒臭い……」
翔霏は馬を急停止させ、自慢の武器、おなじみの鋼鉄棍を構える。
今までいろいろな得物を使い分けてみたけれど、最終的にはまっすぐで丈夫な普通の棍が一番しっくり来るようで、ここに来る前に椿珠さんから受け取っていたものだ。
「二人とも、馬体の陰に隠れていろ。馬が怯えて逃げないように樹に縛っておいてくれ」
「わかった。気を付けてね」
翔霏が普通の怪魔を相手にするのを見るのも、なんだか久し振りだな。
などとのんきなことを考えながら、私は軽螢と身を寄せ合い、周囲の物音に耳を澄ませる。
ドドォン、グラグラ……。
割と近い距離で雷鳴が起こり、風に揺られた枝葉もざわめいている。
どこから化物が来るのか、イマイチわかりにくい。
「ゴアァァァァァーーーーーッ!!」
最初に目の前に飛び出して来たのは、山のように大きな片目の熊の化物で。
「グバァァァァゥッッ!!」
次に私たちの来た方角から現れたのは、赤毛のやはり巨大熊の怪異だった。
ただでさえ暗いのに、巨体の怪魔二頭に挟まれて、余計に影が濃くなってしまった。
「翔霏がいなかったらおしっこ漏らしてるかも」
「汚い話やめろよォ」
念のために必殺毒串を胸元で構え、頼もしい親友の闘いを見守る。
軽螢もへっぴり腰で銅剣を抜いたけれど、まあ期待はしていません。
心意気だけは買うよ!
「急いでるんだ。サクサク死んでもらうぞ!」
まずは赤毛熊の方に狙いを定めて、矢のように飛び出した翔霏。
合理的な彼女にとって、目標はいつだって急所への一撃である。
熟練の職人芸もかくやと言うその無駄のない動きに、つい見入っていると。
ドカアアアアアアアアアアアアアアンッ!!
「な、なんだ!?」
突然に轟音が鳴り、翔霏が急ブレーキをかけて立ち止まった。
「アガ、ゴォァウ……」
見れば、翔霏が相手をしようとしていた赤毛熊の化物が、体中の穴と言う穴から煙を吐き、白目をむいて痙攣していた。
「雷が落ちた、のか……?」
ドズゥゥンと地を揺らして倒れ込む怪魔。
その頭をゴツンと棍で叩き、それ以上の抵抗がないことを確認して翔霏はもう片方の敵へと向かい合うけれど。
「ギャワーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
二対目も、稲光の直撃を受けて悲鳴を上げつつ昏倒していた。
労せず危機を脱した私と軽螢は、ぽかんと呆気にとられて。
「こんな偶然、ある?」
「俺にわかるわけねえだろがよォ」
そう話して、お互いに雷の被害がないことを確認する。
釈然としない顔の翔霏も、武器を納め馬の手綱を執り、言った。
「運が良かったな。早く屋根のあるところへ入ろう。もう少し走れば国境の砦のはずだ」
ちょうどそのとき。
道の先から、急に人の声が聞こえた。
「獣が手向かう山、ここも手向山かのう。紅葉の錦……にはまだちぃと、時期が早いようじゃが」
散歩でもしているように。
のんびり、ゆったりとこちらへ近付いてくる、背の低い男性。
手には細長い木の板のようなものを持ち、黒くてゆったりとした和服に似た衣装に身を包んでいる。
てっぺんがにょきっと飛び出した特徴的な帽子を被り、髪の毛はその中にくくられ仕舞われているようだ。
昂国や北方の民に、こんな衣装を着る習慣などあるはずもなく。
私は消去法で確信した解答を、無意識に呟く。
「す、菅原、道真公……」
「ふふん。また会ったのう、嬢ちゃんたち。いかにもワシが、右大臣道真である」
七人いる敵ボスの一人が。
味方も連れず、完全な単独行動でいきなり、私たちの前に現れた。
頭上の天はずっと分厚く黒く曇っていて、誰かの怒りを表しているかのようにグラグラと啼いていた。




