三百四十二話 跳んだ埼玉
「なんだこりゃあ」
突然驚いている私の名前は、北原麗央那。
彩のくに埼玉県生まれ、もうじき満年齢で18歳のぴちぴちやさぐれ系乙女。
訳あって、いや訳も分からずにいわゆる「異世界」なるところへ飛ばされてしまった経歴を持つ。
そう、まさしく剣とか魔法とか、龍神とか皇帝陛下直属の軍隊とかが当たり前に存在している世界。
一目置かれる辺境領主や、妙に味のある悪役令嬢……みたいなのも一応、いないことはない、あの「異世界」である。
冒険者ギルドはまだ見たことがない。
けれど私の友人に一人、SSSランク級のモンスターハンターは実在する。
かように住まう人々がみな、古式ゆかしい伝統的な暮らしを送っている神聖にして不可思議なこの大地。
私は麗央那と少しだけ変えた名で、学生らしく勉強をしたり、その合間に様々な仕事や冒険や放火や復讐や戦争や、なんやかやを経験して過ごしてきた。
その波乱万丈の内実は、こまめに日誌にまとめておきましたので、お時間のある方はそちらを参照ください。
うん、これはこれで、悪くないじゃないかと思っていた。
フィールソーグッド、イッツマイウェイ。
これが私の人生なのだという現実を、私は心から前向きに捉え、やりがいや喜びを見出すことができた、その矢先に。
「なんで埼玉の神社が、この世界にあるのよ」
目の前の荘厳な木造建築物を前に、私は力なく呟く。
ここはまごうことなき異世界。
昂国翼州の北部にある、神台邑と言う小さな集落の脇にある丘。
常識的論理的経験則的に考えて、秩父神社がこんなところにあるわけはないのだ。
けれどその問いに正しい答えを与える相手はいない。
応軽螢という、いかにも細かいことは気にしなさそうな名前の男子が、社殿の構造に感嘆しているのみだ。
「柱の表面も板の間もつるっつるだ! ささくれ一つねえよ! わっはは床が滑りまくるっておい! すっげえ腕の良い大工が建てたんだろなこれ! いったいどこのお大臣が住む家だ!? ひょっとして俺が住んでいいの!?」
あーあー神社の中で、あろうことか土足ではしゃいじゃって、罰当たりものめ。
ちなみに彼と私の関係は、私が異世界に転移して来てから、最初にお世話になった邑にたまたまいた男の子、というだけです。
決して色っぽい話とかいやらしい話とかありませんので、そこんとこ誤解なきよう、お願いします。
けれどあのテンション上げっぷりを見るに。
日本の宮大工がいかに匠の技を駆使してこれを建てたか、軽螢にはすぐにわかるようだね。
彼は神台邑の長老の孫として生まれたので、土木建築には一家言あるのだ。
秩父神社はお参りするための拝殿と、神さまの居住地である本殿が左右に連結されて、ひとつながりになっている構造である。
そのため、一つの建物として単純に面積が広い。
外観も横に大きく立派で、威圧感というか、荘厳な佇まいを醸し出している。
凄い偉い人のためのお屋敷に、見えないこともない。
「まさか本物のわけないよね……?」
浮かれている軽螢を見ていたおかげで、少し冷静さを取り戻した。
私は二拝し靴を脱いで、社殿の中に立ち入る。
まずは観察しなければなにもわからないし始まらない。
とは言っても由緒正しい神社の中に普段は入ることがないので、これが本物の秩父神社なのかどうか、私には判別しかねるのだけれど。
板の間に落ちていた、一枚のA4らしき紙っぺらを私は拾い、書かれている内容を確かめる。
「……なになに? 令和✕年、春の御田植祭のご案内、ってかぁ。お母さんとおじいちゃんと、一緒に拝観する予定だったやつじゃんこれ。高校の合格祝いに」
そこには今からちょうど二年前、まさに21世紀の日本国埼玉県秩父市で行われたはずの、四月のお祭りの情報が書かれていた。
「マジか……」
私は体の力を失い、その場に尻餅をつくように座り込む。
埼玉が、私の生まれ育った故郷が。
誰にも知られた有名で伝統あるモニュメントの一つ、聖殿とされる秩父神社が。
異世界に、跳んで来た。
「メェ……?」
私の様子を心配した非常食と言う名のヤギが、傍に寄って顔色を窺って来る。
「ど、どしたんだよ麗央那。具合でも悪いンか?」
さっきまで楽しさMAXだった軽螢も、不安げな顔で私を見た。
どこから拾って来たのか、お祓い棒を手に持っている。
男子ってばなにか棒状のものが落ちてたら拾って振り回さずにはいられないのかしら。
いつまでたってもお子ちゃまだこと。
私は大人の淑女なので努めて冷静に澄ました顔を作り、軽く言ってのける。
「体調は悪くないけど、なにやら嫌な予感がしてきたのう。まず邑のみんなのところに戻ろっか」
呆然自失している場合ではない。
自分を奮い立たせ、私は帰り路を進む。
「もう少し探検したかったけどな。まァいつでも見れるか」
「メェッ」
名残惜しそうなことを言いながらも、軽螢とヤギは聞き分けて私の後に続く。
「いつまでも残ってもらわれちゃ困るんだワ、こんなもん……」
聞こえない程度の小声で、私はそうボヤくのだった。
丘を降り、水濠を越え土塀の門をくぐり、邑の中に。
「全員、集合ーーーーーーーーーーーーーッ!!」
戻るなり、私は大声を邑中に響き渡らせた。
広い邑ではないので、隅から隅まで私の声ならしっかり届くのだ。
「どうした麗央那。軽螢になにか嫌なことでもされたか」
真っ先に走って駆け付けたのは、私にとってかけがえのないソウルフレンド、紺翔霏である。
私より一歳年上の女の子で、ここ神台邑の生まれ育ち。
おそらく世界で一番、殴る蹴る、長い棒でブッ叩くなどの喧嘩が強い。
一介の邑人でしかない彼女がなぜそんなに強いのか。
それは昂国七不思議の一つとして、今まさに人々の間に語られ広まっている真っ最中である。
「人聞きの悪いこと言うなよ。藪の中におかしな建物があってサ」
弁解と説明を適切に併存させた巧みなトークで、軽螢が集まった面々に告げる。
この邑は以前に不幸な事件に見舞われて、焼き滅ぼされた過去がある。
災厄を生き残って今、集まっている面子もティーンエイジの若者を中心に、五十人足らずしかいない。
「むしろなにもないほうが変だけどな」
「きっと軽螢が腰抜けなんだよ。せっかく俺たちが二人っきりにしてやってるのに」
少年たちの中から聞き捨てならない無責任発言が飛び交う。
今は無視。
後で覚えてろよ、このマセガキどもめ……。
大方のメンバーが顔を合わせてたむろする前で、私は命令する。
「はい注目ぅー! 翔霏を中心に一組、邑の外の東側を念入りに調べてちょうだい。もう一組は軽螢を中心にして、邑の西側を。見慣れない変なものを発見したら、すぐにここに知らせに来て。陽が落ちる前に帰って来てね。怪魔に十分気を付けるように。以上!」
邑の外側のエリアには、獣がさらに恐ろしくなったような「怪魔」という厄モノが徘徊していることもある。
もっとも、この子たちはそれらクリーチャーの対処に慣れているので、私もあまり心配はしていない。
一方的な言いつけに反感を持った何人かが、やいのやいのと抗議の声を上げた。
「もう夕飯じゃねーかよー」
「ちょっと偉くなったからって。人使い荒ぇな?」
「麗央那は都の空気に染まっちまったんだ……」
はいはい、となだめるように私は両手をかざして言った。
「今日は、その都から持ち帰ったご馳走をたくさん、晩餐に準備して待ってるから。思う存分食って寝て、明日も土木作業は休みでいいよ。邑の周囲を引き続き、ちょこっと調べてもらうだけで」
「ホントかよ!」
「ヒャッハー! 早く行こうぜ!」
「やっぱ麗央那サンこそ俺たちの親分にふさわしいよな!」
まったく現金で調子の良いことを吠えながら、少年たちは邑の外へ調査に走った。
「一応、邑の長老は俺なんだけどなァ……」
「メェ~……」
軽螢は肩を落としながら、ヤギに慰められていた。
少年たちが出払った後、一人の老紳士が私の傍へ来て尋ねる。
「麗くん。なにか気になることでもあったのかい?」
彼は籍重狛と言う名の学者さん。
私たちの農業分野での教師兼、神台邑の農地管理監督である。
今まで国の北部で作付けを試したことのなかった野菜や穀物の品種は、まだまだ多い。
彼の指導でこの邑は、それらの作物を他の邑に先駆けて生産する、農業試験場的な国策の場として機能しているのだ。
私は籍先生の問いに上手く笑顔を作れず、歪んだ表情で答えた。
「ええ。ひょっとすると、今までで一番に最悪のことが」
「まさか。きみの口から、そんな恐ろしいことを聞きたくはないよ……」
私は、自慢じゃないけれど勘が鈍い方である。
今回も大外れであってほしいと、心の底から願った。
私と籍先生は得体の知れない恐れを自分の中から追い出すかのように、夕食作りに没頭し、仲間たちの帰還を待った。
「やべーって麗央那とんでもねーってなんだあれどうなってんだ俺は夢でも見てんのかそれとも死んだ後の世界にいるンか!?」
「メェェ~~~~~~~ッ!?」
西側の探索を任せた軽螢たち一行。
割とすぐに、驚きこの上ないというほど焦って邑に戻って来た。
往復でこの時間と言うことは、邑を出てから彼らは5kmも歩いていないだろう。
それほど近い距離に「なにか」が存在して、見つかったのだ。
「なにがあったの?」
鹿肉煮込みの大鍋をぐるぐるかき混ぜながら、私は訊き返す。
南部名産の米酒を多めに入れ、西方山岳地帯から採れるミネラルたっぷり岩塩で味付けした。
コクとパンチがありつつも、まろやかな旨味がふんだんに溢れる逸品に仕上がりました。
味のわからない田舎のガキどもに食わせるのはもったいないくらいだよ。
軽螢はそんなご馳走に喰らいつく前に、身振り手振りを交えて私に伝えた。
「と、とにかくでっけーんだよ! 首都の城壁みたいにどこが端っこなんかわっかんねーくらいにさ! あれはなんだよ? 麗央那は知ってるんか?」
かなり大きいものを目にしたけれど、その正体がわからない、ということか。
少し考えて、私は短い質問を軽螢に投げかける。
「色は? 形は?」
「え……? あー、な、なんつうかな。白っぽいっつうか。綺麗な鉄が光ってる色みたいな。そ、そうだ! 戌族の、天幕張ってる家みたいに、ふんわり丸い感じだったぜ!」
昂国の外で暮らす北方騎馬民族は、戌族と呼ばれる。
彼らが好んで使うのは、ドームテント型の布製家屋。
短い時間で組み立て、据え付けが終わるので移動や引っ越しに便利な代物だ。
それにどこかしら似通った、けれどとてつもない巨大な建造物。
残念ながら、私には強烈に思い当たる節があったのだった。
「所沢の野球場、ドーム球場かあ……」
埼玉県所沢市に本拠地を構える、獅子の名を冠するプロ野球チーム。
そのホームスタジアムが、神台邑の目と鼻の先に、突如として現れた。
かく言う私のレオナと言う名前も、獅子を意味するレオと、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチの両者にあやかって命名されたものである。
野球好きなお母さんに連れられて、小さい頃からドーム球場で何度も試合を見たことがあった。
だから私はサッカーよりも野球派である、と言うのは今やどうでもいい与太話。
軽螢と一緒に戻った少年たちの報告を聞き集めるに、この想定は正解だろう。
そして、翔霏が戻って来た。
彼女が報告するところによると、こうだ。
「いつの間に誰がこさえたか知らんが、金網でぐるりと広い範囲の土地が囲まれていたぞ」
うんざりしながら、私は翔霏にも確認する。
「その金網は薄緑色で、人の背の高さくらい?」
「よくわかるな。さすが麗央那だ。別に乗り越えて中を調べても良かったんだが、メシどきだし明日でいいかと思ったから帰ってきた」
「うん、そうしてくれて良かった。とりあえずみんなで食事にしよう」
はー、と溜息を吐き、私は料理のよそい分けを他の仲間に任せ、一人で頭を抱えた。
神台邑の東側、金網に囲まれているという区画にあるものは。
「入間の航空自衛隊だ……」
私の実家から、歩いて行ける距離にある自衛隊基地。
やはり小さい頃から、基地のお祭りで足しげく通った場所だ。
これら、翼州神台邑近辺に突如として現れた「埼玉要素」について、考えを巡らせるまでもなく。
嫌な勘よ外れてくれ、との強い思いは徒労に終わり。
私は、声に出したくもない、認めたくもない目の前の状況を、こう表現するしかなかった。
「埼玉が、昂国を侵食している……?」
まるで、蚕が桑の葉をもっちゅもっちゅと食べるように。
私の生きるこの世界が。
現在進行形で。
埼玉に、食い荒らされている!!