知識の牢獄を抜けて、ページの囚われから飛び立つ
深夜零時を告げる古時計のチャイムが、闇の底に静かに溶け込む。満月は天窓を通してひそやかな銀光を地下聖域へと注ぎ、重厚な石の廊下を淡く照らした。ラピュリア中央図書館の最深部──そこには、年に一度の「知識収穫祭」を執り行う禁域があった。幼い頃から、秋月沙智はどこか不可解な視線を感じていた。雨の降る午後の書架裏、家庭教師の沈黙の面差し、夢の中に浮かぶ無機質な書庫の映像──すべては影の番人たちによる長年の観察だった。
その夜、沙智はいつものように研究資料を抱えて図書館を後にしようとしていた。だが廊下の先に見慣れぬ仮面をつけた一団が立ちはだかる。仮面の奥からは、感情を削ぎ落とした声が響いた。
「収穫の刻印を受けよ」
声は冷たく、無慈悲だった。沙智が抗おうとする間もなく、数名の騎士団員が彼女を囲み、押し進める。驚きと恐怖が胸を締めつけるが、身体は微動だにしない。すべては、あらかじめ定められた運命の一幕──彼女は「収穫対象」として選ばれていたのだ。
廊下を抜けると、そこは神聖を宿した円形の祭壇室。大理石の台座を取り囲むように、古代ルーンの石板が不気味に佇む。そのひとつひとつに、幼少期の沙智が無意識に記憶してしまった知識の断片が刻まれていた。石板の表面には、人間の手では掘り尽くせないほど深い刻印がなされ、淡い蒼光を放っている。
儀式執行官たちは台座に彼女を立たせ、厳かな詠唱を紡ぎ始めた。合図はひと言――
「今ここに、知識の収穫を――異界への扉を開かん!」
声が重なった瞬間、ルーン石板がいっせいに青黒く光を強め、床に巨大な魔導円陣が浮かび上がった。まるで大地そのものが呼応するかのように、微かな振動が闇を貫く。沙智の胸中に眠る国会図書館級のデータベースが、一斉に轟音のようなシステム音を響かせた。
痛みはなかった。だが、意識は確実に引き裂かれた。視界は光の洪水に飲み込まれ、それ自体が思考と感覚を遮断していく。最後に耳に残ったのは、誰ともつかぬ古い紙片がふわりと床に落ちるかすかな音だけだった。
――次の瞬間、沙智は見知らぬ石造りの病舎に横たわっていた。
漆黒の闇から解放された視界には、壁一面に並ぶ書架だけが静かにそびえている。
「ここは……どこ?」
問いかける唇に、鈍い痛みとともに収穫儀式の残響が蘇る。
床に落ちた古紙の端を拾い上げると、そこにはかすれたルーン文字が一行刻まれていた。
「知識は得られし者にとっても、経験とは別のもの……」
沙智はその言葉を胸に、静かに目を閉じた。
未知の世界──エリュシオンでの物語が、今、幕を開ける。
[学習ワード]収穫儀式 [裏設定コラム]影の番人は幼い沙智を密かに監視していた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回のプロローグでは、沙智が“知識の収穫祭”によって異世界へと飛ばされる瞬間を描きました。
エリュシオンでの彼女の成長や、新たな出会いの数々をぜひお楽しみに!
もし「続きを早く読みたい!」と思っていただけましたら、 ブックマーク登録 をよろしくお願いします。
あなたの応援が次回更新の大きな力になります!
――次回、第1話「囚われの書架」でお会いしましょう。