第9話:罰(その1)「メス豚」
翌日から、サマルティアの王子のムーンベリクの王女に対する態度は一変していた。
公の場では、これまで通り仲の良い夫婦を装い、誰が見ても理想的な関係に見える振る舞いを続けていた。微笑み合い、並んで歩き、王族としての品位を保つその姿に、周囲の誰も違和感を抱くことはなかった。
しかし、二人きりになると、王子の態度は豹変した。
「おい、メス豚。」
その呼び方に、王女は言葉を失った。
「なぜ黙っている?自分でそう名乗れ。」
王子は冷たく命じた。その言葉に彼女は震え、目を伏せたまま小さく声を絞り出す。
「私は……そんな……。」
「僕が何を言っているか分からないのか?」
王子はさらに詰め寄り、彼女を睨みつけた。
「僕が君の望みであるムーンベリク家再興のためにどれだけ犠牲を払ったと思っている?君は僕の心を裏切っただけじゃない。僕の努力を踏みにじったんだ。」
彼の言葉は冷たく、重く響いた。その威圧感に、王女の身体は固まり、抗う気力を失っていく。
王女が謝罪の言葉を口にしようとすると、王子は冷たく制した。
「話す前に、まず最初に自分が何者かを認めろ。」
「私は……ムーンベリクの王女です……。」
「違うな。」
彼は声を低くし、鋭い目で彼女を見つめた。
「自分が“メス豚”だと認めてから話せと言っているんだ。」
その言葉に、王女の顔が蒼白になる。
「そんな……お願いです、それだけは……。」
彼女が震える声で懇願するが、王子は微動だにしなかった。
「僕に逆らうのか?」
彼の声が低く響き、さらに言葉を続ける。
「僕がどれだけのものを犠牲にしてお前の国を守ろうとしているか分かっているのか?それを考えれば、お前が僕に従うのは当然だろう。」
王女は目を伏せ、耐えようとするが、彼の威圧感に押され、とうとう力なく呟いた。
「……私は……メス豚です……。」
その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。
「ん?なんて言った?もっと大きな声で言ってみろ。」
聞こえているはずなのに、王子はあえて復唱を求める。
「私は……メス豚です!!」
羞恥と屈辱で顔が真っ赤に熱くなる。
「なんだ、ムーンベリクの豚は二本足で立って鳴くのか?」
王子は意地悪そうに嘲笑う。その言葉の意味を、彼女はすぐに理解した。
脚が震える。彼女はゆっくりと膝を折り、両手を床につけた。そして、搾り出すような声で言葉を紡ぐ。
「……私は……汚いメス豚です……主人を裏切った私を見捨てず、お情けをいただき……本当にありがとうございます……。」
涙が次々とこぼれ落ち、床に吸い込まれていく。部屋には、彼女の震える声と静寂だけが残った。
王子は満足げに微笑み、彼女の肩に手を置いた。
「いい子だ。これからはそれを忘れるな。僕の前では、まず自分が“メス豚”であることを認めてから話すんだ。それが君の役目だ。」
その言葉が、彼女の胸に鋭い痛みを与えた。
王女はただ黙って頷いたが、胸の中では羞恥と屈辱、そして深い悲しみが渦巻いていた。
「私は、“メス豚”だなんて……。」
その言葉を口にするたびに、彼女の中で築き上げてきた誇りが崩れていく感覚に襲われた。王族として、そしてムーンベリクの王女としての自分――それを全て否定されたような気持ちだった。
しかし同時に、彼女は自分がこの立場に追い込まれた理由をはっきりと理解していた。
「そうだ、これは私が招いた結果……。」
昨晩、夫を裏切り、愛するローランシアの王子への想いに流されてしまった自分。それがどれだけ愚かな行為だったのか、今さらながら痛感していた。
「私は自分の立場も、夫の優しさも、すべて踏みにじった……。」
彼女はその事実を認めざるを得なかった。それでも、羞恥と屈辱に押しつぶされそうになりながら、自分を奮い立たせていた。
王子の前で「メス豚」と名乗らされるたび、その言葉が彼女の心をさらに深く傷つけた。しかし、それが彼女の報いだという事実を否定することはできなかった。
「これは私の罪の結果なのだ……。」
涙が止まらない。羞恥と後悔が入り混じる中で、彼女は自分の過ちを悔やみながら、それでもどうしようもない現実を受け入れるしかなかった。