第5話:自慰と隠された視線
ローランシアの王子がサマルティア城を訪れたのは、結婚式以来半年ぶりのことだった。
突然の訪問に驚きつつも、サマルティアの王子は彼を自室に招き、ムーンベリクの王女も交えて三人での時間を作った。
「久しぶりだな。お前たち、仲良くやってるのか?」
ローランシアの王子が屈託のない笑顔を浮かべて尋ねた。その問いに、サマルティアの王子は満面の笑みで答えた。
「当然だろう!彼女とは毎日一緒に過ごしているよ。」
そう言いながら、彼は隣に座る王女の肩に手を置いた。その瞬間、王女の身体がほんの一瞬だがピクリと震えた。
それは結婚して半年、毎晩彼の手に触れられ、彼の行為を受け入れてきた身体の反射のようなものだった。王女自身もその震えに驚き、そしてそれが自分の身体が覚え込んだ反応であることに気づいていた。
「お前たち、毎晩ここで一緒に寝てるのか?ぐふふっ。」
ローランシアの王子は部屋の大きなベッドを手で叩きながら笑い、からかうような視線を送った。その何の悪意もない言葉に、ムーンベリクの王女の心に鈍い痛みが走る。一方、サマルティアの王子は笑って応じた。
「君のそういうところは相変わらずだな。」
二人のやり取りを見ながら、王女も自然と微笑んだ。久しぶりに見るローランシアの王子の無邪気な振る舞いに、心が和らぐのを感じた。彼と過ごした冒険の日々が、鮮やかに蘇る。
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ローランシアの王子がベッドを叩きながら笑い、二人をからかう様子に、部屋の空気は和やかなものになっていた。王女も少しずつ緊張を解き、昔の旅仲間としての親しみを感じていた。
しかし、次の瞬間、ローランシアの王子が放った言葉に、彼女は目を丸くした。
「実はな、俺も最近ちょくちょく許嫁のところに夜這いしてるんだよ。」
彼は何の遠慮もなく、明るい声でそう言った。
「ちょっと待て、いきなり何を言い出すんだ!」
サマルティアの王子が即座にツッコミを入れる。
「いやいや、親が決めた許嫁だけどさ、あいつ意外といい女なんだよ。なかなかの名器でな。」
ローランシアの王子はまったく気にする様子もなく、豪快に笑いながら話を続けた。
「女性の前で何を言っているんだ!少しは考えろ!」
サマルティアの王子は呆れた表情を浮かべた。
そのやり取りを聞いていた王女は、何とか笑顔を保とうとしたが、心中では動揺していた。
「あの人も、自分の道を見つけているのね……。」
ローランシアの王子の言葉にこそ驚かされたものの、彼の屈託のない笑顔を見ていると、彼が自分の未来を受け入れ、前に進んでいることが伝わってきた。それが彼女の胸に小さな痛みをもたらしたのは否定できなかった。
「まあ、俺たちはそんなに悪くない人生を歩んでるってことさ。」
ローランシアの王子がそう言い放ち、豪快に笑うと、サマルティアの王子もつられて笑った。
「君は本当に変わらないな。」
サマルティアの王子の言葉に、王女も微笑みを浮かべたが、その笑顔の裏には言葉にできない感情が渦巻いていた。
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「数日は城下町を見て回るつもりだから、また会おうぜ!」
ローランシアの王子は、相変わらず明るい声でそう言い残し、サマルティア城を後にした。彼の無邪気な振る舞いに、王女はどこか懐かしさと胸の痛みを感じていたが、それを表情には出さず、微笑みで送り出した。
一方で、サマルティアの王子は彼が去った後も考え込んでいた。そして、ある悪戯のような計画を思いつく。
彼は王女にこう告げた。
「ローランシアの王子が滞在している間、何かあったらと心配だから、僕も街の警護に加わることにしたよ。しばらく外泊することになるけど、君は気にせずゆっくり過ごしてくれ。」
王女はその言葉に驚きつつも、静かに頷いた。結婚してから半年、夜を共に過ごさなかったことは一度もない。初めて一人で夜を迎えることに、どこか不安定な感覚を覚えた。
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一人になった寝室は、いつもよりも広く感じられた。薄暗い部屋の静けさが、王女の心を落ち着かせるどころか、不安定にさせていた。
ベッドに横たわり、目を閉じても眠れない。昼間のローランシアの王子の姿が、どうしても頭を離れなかった。彼の明るい笑顔、冒険の日々を思い出させる仕草、その何気ない一言一言が、心を掻き乱す。
気づけば彼の名前を口にしていた。
「ローランシアの王子……ローランシアの王子……」
声に出すたびに、彼との思い出が鮮明になっていく。冒険の中で見せた彼の強さ、頼りがいのある姿。そして、今も変わらず明るく振る舞う彼の無邪気さ。それが胸を締め付ける。
王女は思わず、自分の手を動かしていた。彼を思い浮かべながら、心の奥にある抑えきれない感情を解き放とうとしていたのだ。
「どうして……こんな気持ちになるの……」
涙がこぼれる。彼への想いを抱えたまま、自分が今の立場にいることへの後ろめたさ、そしてそんな状況に甘んじている自分への嫌悪感が混じり合う。
それでも彼女は手の動きを止めることができなかった。彼の名前を何度も呟きながら、自分の中で渦巻く感情を慰めるように、一人寂しい夜を過ごした。
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王女が一人寂しい夜を過ごしていたその頃、実はサマルティアの王子は部屋の中にいた。
透明になる魔法のマントを身にまとい、部屋の隅に気配を殺して隠れていたのだ。また、彼はその手に、記録の水晶玉を握っていた。この魔法のアイテムは、周囲の様子を忠実に記録として保存することができるものだった。
「さて、君が一人でどんな夜を過ごすのか、確認させてもらおう。」
王子の目には冷静さと興味が混じっていた。彼は王女に外泊すると告げた時から、この計画を頭の中で練り上げていた。王女が一人でどのように過ごすのかを確かめ、彼女の心の中をさらに深く知りたいという思いからだった。
部屋の中では、王女がベッドに横たわり、じっと天井を見つめている。その表情には迷いや苦悩が浮かんでいた。
やがて、彼女はポツリと呟いた。
「ローランシアの王子……ローランシアの王子……」
その言葉を聞いた瞬間、王子の心は冷たい棘が刺さるような感覚に襲われた。それでも、彼は声を出さず、動きもせず、その場で記録の水晶玉に意識を集中させた。
王女が彼の名前を呟き続ける中で、彼女の動きが次第に変わっていく。その様子を、王子はじっと見守った。
「やはりまだ、彼を想うのか……。」
彼女の行動を見ながら、王子は自分の中で湧き上がる感情を押し殺していた。嫉妬、悲しみ、そしてその裏にある歪んだ満足感。それらすべてが彼の胸の中で渦を巻いていた。
「記録の水晶玉は、すべてを残している。この真実を手にすることで、僕は君の全てを理解したい。」
王子は心の中でそう呟き、静かに彼女の一夜を見届ける決意を固めた。彼がその後、この記録をどのように扱うか、そして彼女に対してどのような感情を抱くのかは、まだ誰にも分からない。