第37話(第二話•最終話):試される真実の愛と精霊の奇跡(後編)
「不死鳥さま、本当に、本当にありがとうございます……私はこのご恩を生涯忘れません……!」
ムーンは号泣しながら、大きな翼を広げた不死鳥に深々と頭を下げ続けていた。その姿は、王女としての気高さと純粋な感謝が滲み出ているかのようだった。
その隣で、真っ裸のローランは、しきりに自分の身体を確認している。
「すげえな、鳥!お前、本当に精霊だったんだな!」
驚きと感動が入り混じった声でそう言いながら、復活した自分の身体を何度も撫で回している。その無邪気さが、彼の生来の豪放さを際立たせていた。
確かに、ローランは魔王の断末魔の一撃によって絶命していた。しかし――奇跡が起こったのだ。偉大なる精霊、不死鳥によって、彼はこの世に蘇ったのである。
「生き返らせてやったんだから、その呼び方はやめろ、人間。」
不死鳥は不機嫌そうに喉を鳴らし、鋭い目でローランを睨みつけた。
「そんな力があるなら、先に言っといてくれよ。」
サマルがため息混じりにぼやいた。その声には、どこか皮肉めいた響きが含まれている。
「ふん、これは秘術中の秘術だ。力を使い果たして、これから10年は眠りにつかねばならぬ。魔王が健在の時にほいほい使えるものではないわ。」
不死鳥は冷たくそう言い放つと、ふとサマルに視線を向けた。その目は、まるで汚物でも見るような表情をしている。
「それに……死んだのがお前だったら、絶対に使わんかった。」
不死鳥は吐き捨てるように言った。
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魔法使いには大きく分けて二種類のタイプが存在した。
一つは、感覚で魔力を習得し、深く考えずに直感的に使いこなす者たち。そしてもう一つは、理論に基づいて魔力を習得し、研鑽と研究を重ねることで力を高めていく者たちだ。
前者の典型はムーン、後者の典型はサマルと言えた。
普通の世界であれば、前者のタイプは早々に限界にぶつかり、後者のタイプが最終的には大成するのが常だろう。しかし、この世界ではその常識は通用しなかった。
この世界の魔力の根源である精霊たちは、純粋で単純な心を持つ人間を好むからだ。
お転婆で破天荒、感情を素直に表現するムーンは、精霊たちのお気に入りだった。どこに行っても精霊の加護を受け、彼女の周りにはいつも不思議な空気が漂っていた。彼女が持つ圧倒的な魔力と、精霊に好かれる体質は、始祖たる偉大な英雄から受け継いだものだったとされている。
伝説の英雄も、かつて精霊たちに非常に好かれた存在だったと言われている。その血筋を色濃く受け継ぐムーンが、精霊たちの寵愛を受けるのは、ある意味で当然の結果だったのかもしれない。
一方で、サマルのような性格の持ち主は、精霊から嫌われる傾向にあった。彼は計算高く、状況に応じて表と裏を使い分ける慎重な性格だった。それは幼少期からの性質であり、成長するにつれてさらに強くなっていった。
サマルが理論を重視し、魔力を使う際に計算を欠かさなかったのは、精霊に嫌われたからなのか、それとも元々の性格がそうさせたのか――彼自身にもその答えはわからなかった。
彼は幼い頃から精霊に加護されるムーンを見ていた。その光景は、彼にとって羨望であり、どこか遠いものだった。努力と計算を重ねても届かない領域がある――その現実を知ることは、サマルにとって苦くもあり、自分を奮い立たせる動機にもなっていた。
この世界では、理論派の魔法使いが精霊たちの愛を得ることは稀であり、サマルはその不公平さを嫌いながらも受け入れていた。それでも、彼は理論を極めることで自分の価値を証明しようと決意していた。
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そんなサマルだからこそ気づけた違和感だったのかもしれない。
何かがおかしい。
神に近い存在である不死鳥が、ムーンを気に入ったからといって、その秘奥をそう簡単に使うだろうか?
いや、百歩譲って使うことがあるとしても、それは彼女が死んだとき、お気に入りの彼女を救うために発動するはずだ。
さらに言えば、彼女が愛するローランは、精霊たちにとって邪魔な存在のはず。
そんなローランを生き返らせるなんて、どう考えてもおかしい。
そもそも、生き返るなど本当にあり得るのか?
彼の身体の大半は塵となり、残った部分も黒炭と化していた。
不死鳥は、一体どのようにして彼の身体を集め、元に戻したというのか。
その時点で、サマルにはある種の確信があった。
『――ローランは生き返ってなどいない。』
目の前にいるローランは、姿こそ彼にそっくりだ。
いや、身体も同じで、記憶も引き継いでいるのなら、それは本人と言えるのかもしれない。
だが――圧倒的に、何かが違う。
サマルは無意識に拳を握りしめていた。
疑念が確信へと変わる。
精霊たちが彼を蘇らせる理由はない。
不死鳥が秘奥を使ったのなら、その目的は彼の復活ではなかったはずだ。
――では、目の前の"ローラン"は何者なのか?
サマルの背筋に、冷たいものが走る。
言葉も、仕草も、記憶も――すべてがローランそのもの。
『だが、強いて言うなら、魂が違う。』
何の根拠もない。
証拠もなければ、説明できる理屈もない。
それでもサマルにはわかる。
幼い頃から共に剣を交え、戦場を駆け抜けてきた親友だからこそ。
目の前の"ローラン"は、もはや別の何かだ。
サマルは息を呑み、一歩後ずさる。
本当の"生き返り"などではない。
何かがすり替わっている。
そして、それを知るのは今のところサマルだけだった。
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不死鳥は最後にローランへと目を向けた。
「次はないぞ、人間。」
そう告げると、再び翼を広げ、静かに空へと舞い上がった。その姿が光に溶け込むように消えていくと、祈りの間には静寂が戻った。
ローランはその光景を眺めながら、しみじみと呟いた。
「まったく、命を救われたんだ。感謝してもしきれねえな……それにしても、服はどこにあるんだ?」
その場にいた全員が力を抜くように息を吐き、それぞれの表情に複雑な思いが浮かんでいた。
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「なんで! なんでお前なのよおおおおおおおお!!」
ムーンの叫びは、苦痛と混乱が入り混じったものだった。彼女は狂ったように自分の首を掻きむしり、その行為は止まる気配がなかった。
「お前たち!彼女の腕を抑えろ!」
サマルの叫び声が神殿内に響く。すぐさま祈りを捧げていた者たち――サマルの家来たちが駆け寄り、ムーンの手足を押さえ込んだ。サマルは事前に神殿を一般人から閉鎖し、内部を自らの家来たちで固めていた。まさに、こうした事態に備えてのことだった。
「ばあや、状況を確認しろ!」
サマルの指示に応え、一人の老婆がムーンに近づく。老婆は深々と頭を下げながら静かに言った。
「姫様、失礼をば……」
老婆は懐から短刀を取り出し、ためらうことなくムーンの上着を下着ごと切り裂いた。ムーンの白い肌と、その膨らみがあらわになる。老婆はその膨らみと膨らみの間、心臓の位置に手を当てると、低い声で呪文のような言葉を唱え始めた。
すると、その部分からドス黒い闇が渦を巻くように湧き上がり、周囲に不穏な気配を漂わせ始める。
「くっ……闇の汚染が、さらに強くなっているな!」
サマルが歯を食いしばる。
「ばあや、もうよい、閉じよ!」
老婆は短くうなずき、再び言葉を紡ぐ。すると、ムーンの体から放たれていた闇は徐々に弱まり、やがて完全に消え去った。
「やれやれ……やっぱり僕じゃ役不足ってことか。」
サマルはぐったりと肩を落とし、力なくつぶやいた。その疲れた様子は、彼の心の中にある無力感を如実に表していた。
しかし、その落胆も束の間のことだった。サマルはすぐに近くに控えていた家来に声をかける。
「急ぎ、ローランシアの王子のもとに使者を送ってくれ。可及的速やかに日程を調整して、サマルティア城に来てもらうよう伝えろ。」
「はっ!」
家来は即座に敬礼をし、指示を受けて神殿を出ようとする。その前に、念のため確認を取る。
「伝えるのはそれだけでよろしいでしょうか?」
サマルは少し考えた後、静かに付け加えた。
「……親友2人が待っているんだから、早く来てくれ、頼む……と伝えてくれ。」
家来が神殿を出ていくのを見届けた後、サマルは横たわるムーンの方に視線を向けた。彼女は既に意識を失っており、並べられた椅子の上で静かに眠っているようだった。その顔には苦しみの色がかすかに残っている。
サマルはそっと息をつき、胸をなでおろした。とりあえずはムーンが無事であることに安堵しつつも、自分の無力さに改めて気づかされ、肩を落とす。
「ローラン……早く来てくれよ。」
彼はそう呟きながら、静かに妻の手を握った。