ショートストーリ創作工房 21~25
5編のショートストーリズ。信号機の色の並び。労せず金持ちになる方法。夜のジョギングは禁物。ゴキちゃんをやっつけろ。グータラ人間。
目次
21.青→黄→赤→青
22.金持ちになる方法
23.減量の功罪
24.ゴキブリ掃討作戦
25.グータラ
21.青→黄→赤→青
―運転免許を取得したばかりのTが友人Mを誘いドライブに出かけます。
M お前、免許、取ったっばっかりだろ? 運転、大丈夫かぁ? まだ俺、死にとうないからな。安全運転で頼みまっさ。
T ゆっくり走らせるから心配するな。任せとけって。
M 安心して任せられんことがあるから、言うてるんや。
T でもよう毎日、見てるけど信号機って不思議やなあ。
M どうしたんや? 信号機が。
T 向こうの交差点の信号機、あの横になってるやつ。左から青→黄→赤→青の順番で点いたり消えたりするよな。
M そうやな。横型の信号機はみな同じだろうなあ。おいー、横から車が来てるでぇ、しっかりサイドミラーとバックミラーを見るんやで。大丈夫かぁ!?
T ああ、分ってるってぇ、そう心配するなよ。大丈夫だってぇ。 なんで、あの順番なんやろか。
M しょうもないことに関心があるんやな。お前、教習所で習わんかったんか? お前が悩まんでもええがな。
T 考えると、眠れん性分でなぁ。
M けったいな性分やな~。親が生きているうちに治せ。
T でも、不思議やー。どんな理由があるんかいなぁ?
M そりゃあ、どこかの偉い人が決めはったんやろ。お前が心配せえでもええがな。
T でも、よう分からんなぁ。
M まだ、言うとんのかい。しっかり前をよう見て運転してくれよ。
T 難問やなぁ。世界の七不思議の一つや。
M あんなもんは何も難しいことないがな。
T 難しくないかぁ? どういうこと?
M ええかい。ちょっと考えてみい。青の次に赤がきて、その次が黄色やったら、大変やで、忙しいで。
T えっ? 忙しいかぁ?
M 忙しいがな。例えばだな、よう聞けよ。じゃぁっと小便を気持ちよう出してるときに急に止めてみろや。冷や汗かくで、辛いでぇ。走ってる車も同じだ。青の次に、赤で急に停まらんならんとなれば……時速60㎞で走っている車が急にピタットと停まれるかぁ?
T そりゃ、停まりにくい。
M そうやろがぁ。停まれんやろ。どのドライバーも運転するのが上手で気配りができれば信号機なんかいらんわなあ。ましてやお前のように運転免許を取りたての初心者は、まだまだ運転技術が未熟やからな。一人前になってないし。しっかりしいや。運転も生活も。みんなお前のことを心配してるでぇ。
T ああ、おおきに、ありがとぅさん。で、信号機は?
M うん。そこで偉い人が真剣に考えはったんや。青の次に黄、その次に赤とな。そうすりゃ運転している人は黄色でキイつけて、そろそろ赤で停まらなアカンという心の準備ができるやろ。黄色でキイつけて、赤で停まらなアカンとな。よう覚えておけ。
T なるほどぉ、あはっはっはっ。うまいこと考えたな~。さすがは偉い人やな。黄色でキイつけて、赤で停まらなアカンとな。あはっはっはっ。
M おい、しゃべりもええけど、信号、変わるでぇ、黄色に。キイつけや?
T おぉ、黄色。黄色でキイつけて~と。
M ブレーキ踏めよ。
T 分っとるがな。教習所の教官のようなこと言うな。もう免許取ったのに……黄色でキイつけて……。
M まだ、赤や。ブレーキから足離すなよ。しっかり踏んどけよ。ええかぁ。
T 分っとるがな。いちいちうるさいなー。
M おい。青に変わったぞ。アクセル踏めよ。
T 青、青。……そやけど、青はどうなるねん。
M 何がじゃ?
T 青はなんで青なん?
M 青は青のままじゃな。いつまでたっても。おい、よそ見したらあかんてー。
T べっぴんさんが歩道を歩いてるさかい。つい。
M 前を見てや。車間距離、えらい狭くないかぁ。急ブレーキ踏まれたら……。
T でも、黄色でキイつけて、赤で停まらなアカンのやろ。それじゃあ青は、何? 青は?
M うるさいヤツやなー。さっき言うたやろ。聞いてなかったんかい。世話やかすなよー。
T ええっ? いつ言うたん。聞いてない。どのへんで聞いたんかいなあ。
M そんなんだから、お前はみんなから、あいつは青い青いって陰口たたかれるんだ。青なんかにこだわらんでもええがな。それより前と後ろ見てしっかり運転してや。お前に半分以上命預けてるさかいな。お前とは心中したくないからな。頼むでぇ、ほんまに~。
T このガキャ、腹立つなー。分からんから、分からんと言うとんやろがー。それを青い青いって言いやがって。……で、青って、何?
M 何を腹立てんねん。だから~、さっき言うたやろ。この未熟者が!(了)
付記。日本の信号機は、横型では左から青色、黄色、赤色と配置されている。縦型では上から赤色、黄色、青色と配置されている。その理由は次のとおりである。横型:日本では、車は左側通行で信号機は進行方向の左側に設置されている。日本車の運転席は右側にあるので、運転をしていて一番見えやすい位置に色を配置している。縦型:赤色が一番上に設置されるのは、背丈の高いトラックの後ろを走っていても一番見えやすいということ。また雪国では信号機に積もる雪を少なくするためでもある。『朝日新聞』(2016)「be」1月23日参照。
22.金持ちになる方法
超少子高齢社会になった日本。若いときから働き、使いきれないほどの金を貯め込んではいるが、血縁、地縁、社縁の途絶えた3無縁の老夫婦世帯と独居老人世帯が全世帯の7割以上を占めていた。こうした老人たちの死後、社会にとって残されて困る難問が2つある。
一つは遺骨である。いかなる人間も自分の骨を自分で処理することだけはできない。3無縁者であれば自治体が葬儀等をすませ、合同墓にでも納骨せざるをえない。もう一つ難問が残っている。
他方、日本人の数が減り続けるなかで、ますます希少価値を高めつつある若者の側にも問題があった。フルタイムの職に就かず、バイトやフリータで食いつなぐ若者が増えるばかりであった。なぜ、この就業を選ぶのか。それは組織や時間に束縛されたくない、責任を取りたくない、というのが大方の理由であった。社会もそんな個人の生き方、働き方を価値観の多様性という言葉で賞賛していた。
個人の問題は必ず社会の問題につながる。この若者たちの多くが社会保険料を納付しておらず、未来の生活保護者予備軍と揶揄されることもあった。しかし、いつの時代の若者も自分なりに人生をしっかり考えている。時代に合った生き方を選び取る能力に長けてもいる。
ここに典型的な3無縁の老夫婦がいた。
ある朝、婦人が朝刊を取ろうとドアを開けると、道路に通じる階段に若者が座っていた。リビングへ戻り、婦人は夫に朝刊を差し出し不安げな声で伝えた。
「見かけない若い男が階段に座ってますけど。会社員だと出勤する時刻ですけどね」
夫は新聞を受け取ると、テーブルに広げて目を落とし、さらっと答えた。
「誰か連れを待っているのだろ。放っておけ」
若者は昼になっても、夜になっても座ったままでした。次の朝、婦人が朝刊を取りに出ると、若者は昨日と同じ場所に座ったままでした。
「どうしたのですかねぇ。丸一日、あの場所に座ったままで、何だか気味が悪いですよ」婦人がこぼすと、夫は「夜には家へ帰って寝たんだろうよ。夜露に濡れるのは辛いもの」と、興味なさそうに返した。
その日、老夫婦は近所のスーパーへ買物に出かけた。夫は不自由な脚をかばうよう杖を突いていた。そのときも若者は座ったままだった。婦人が優しく声をかけたが、真正面を見据えて黙ったままピクリとも動かない。座っている周りには何かを食べたり、飲んだりした形跡は見当たらい。
TVのニュースによると、同じような行動をとる若者は日本の各地でちらほら発見されているようで、すべて老夫婦宅か独居老人宅の前だった。が、たいていは3日もすればどこかへ消えてしまい、老人たちの心配も杞憂に過ぎなかった。しかし、この老夫婦宅の若者は忍耐力があるのか、はたまた鈍いのか、すでに座り込んでから4日が過ぎようとしていました。もちろん、近所ではこの若者が問題視され、老夫婦も警察へ通報した。警察は若者を連行したが、逮捕する理由などなかった。
「やっと片付いたわ」
婦人は安堵の声を夫にかけた。
「そうだなぁ。働きもせず、何を考えているのか、やっかいな若者が増えるばかりで、俺たちの若い頃からすると想像もできん。変な世の中になっちゃったなぁ」
夫はやれやれという声音で答えた。
数日後、若者は再び例の階段に座っていた。雨の日も酷暑の日も座ったままだった。
「う~ん。またかぁ。何も食べず、飲まず、何か修行でもしているのかな? そのわりには服装が現代風だけど。あれじゃあ、骨と皮になって、早晩、死んじまうよ。こっちにとっちゃあ、大きな迷惑だ」夫は「ふん」と大きく鼻を鳴らしてから、婦人にこの若者に決して何も施しをしないようクギを刺した。永久に居付かれるのを恐れたようだ。でも、先に死んだのは夫のほうでした。葬儀の日も若者は階段に座ったままだった。
独居老人となってしまい、話し相手もいなくなった婦人は心寂しさに負けて、とうとう見過ごすことに耐え切れなくなり、亡夫の言いつけを破り、若者にパンと牛乳を施した。若者は礼を言うことなく、ぺろりと食べつくした。婦人は毎日、三度の食事を運んだ。
ある日、階段から若者の姿が消えた。婦人が室内へ招き入れたのである。婦人は若者に小奇麗な服を着せ、十分な食事を摂らせた。そんな数ヵ月が過ぎた頃、婦人は亡くなった。老衰で天寿を全うした。
近所では血縁者のいない婦人の遺産をめぐって噂が飛び交った。しかし、他人が心配すべきことはなに一つ起こらなかった。若者は養子縁組を結び、すべての財産を継承していたからだ。働かなくても2世代分の生活費を手に入れたのだった。
このことが事実として確認された次の朝から、街じゅうの独居老人のドアの周辺に若者が座り続ける光景がごく普通に見られるようになった。
若者たちは独居老人(身寄りのない人)たちが死後に残した遺留金が総額でおよそ22億円に及ぶことを熟知していたのだ。これがもう一つの難問であった。(了)
23.減量の功罪
―人間ドックの健診後。
医者 年齢からすると、生活習慣病(高血圧症、脂質異常症、糖尿病)に注意をしなきゃいけないですね。この表を見てみてください。
男 はい。
医者 同年齢の男性と比較した平均的な発症率で説明しますと、あなたの場合、5年後に高血圧症を発症する確率は40~50%です。脂質異常症も同じような確率です。糖尿病については30~40%ですね。おおむね、異常値は観察できていませんが、注意をするに越したことはないです。
男 は~。
医者 次に個別の数値を見ますね。あぁ、その前に胃カメラを見ましょう。これが喉の写真、これが胃の入り口、ここが出口ですが、きれいなピンク色をしています。ところどころに引っかいたような跡がありますが、これは緊張したときに出やすものです。検査を受けることに過剰反応すると、こうなることもあります。異常はないです。それから数値では、視力、聴力、肺機能も問題なし。心電図はと、きれいな波形をしています。胆のう、腎臓、膵臓のエコーもオッケー。肝機能も基準値をはるかに下回っているので、まずは問題ありません。それから腎臓の機能でたんぱくも出ていません。次の、そうかぁ、脂質に少し問題があるかな。中性脂肪とLDL、いわゆる悪玉と呼ばれるコレステロール値が高めですね。それから空腹時の血糖値も高めです。
男 血糖値は若い頃から高いと言われてきました。野菜中心の食事を心がけていますが、どうも下がりません。
医者 長年、高いままであれば体質もあるので、でも注意すべきです。体脂肪率は低くてどちらかと言えば、痩せ気味ですかね。BMI(体格指数)は肥満度を示す数値ですが、ちょっと高いかな~。改善の余地ありです。
男 じゃあ、血糖値と肥満を改善すればいいのですね。
医者 はい。野菜を増やして、動物性の脂肪を減らし、塩分も控えめにして、できればスナック菓子なんかは、間食しない方がいいですよ。あぁ、アルコールは?
男 はい。会社の飲み会があるとつき合いで飲むことはあります。自宅では正月くらいですかね。
医者 え~と、タバコは?
男 吸いません。
医者 そうですか。年齢からすると、どうしても運動量が減って、代謝が弱くなりますので、食べた分のカロリーが消費できないのですよ。でもなんとか血糖値を下げて、体重も減らしましょう。
男 は~。
医者 肥満は大病の原因となりますから。まずは体重を5kg減らしてください。その過程で血糖値も下がりますから。
男 どうすれば、減らせますかね。
医者 やはり、運動が一番よいですよ。食事はしっかり摂って、定期的に身体を動かすことです。スポーツジムに通う方も多いですよ。
男 ジムですかぁ、時間が取れないなぁ。
医者 じゃあ、生活の中で、運動を取り入れてみる。通勤を徒歩や自転車にしてみるとか。
男 職場までの距離が、遠くてぇ、車じゃないと……。
医者 それじゃあ、夕食後、30分後くらいに40分から1時間ほどのウォーキングをしてみてはどうでしょうか。ただし、さっきも言いましたが、しっかり栄養も補給してくださいよ。食べずに運動すると逆に身体を悪くしちゃいますから。
男 はい、分かりました。しっかり食べてウォーキングをやってみます。
―その日の夕食後から、1時間ほどウォーキングを始めた。1カ月後。
医者 どうですか。ウォーキングをしていますか。
男 はい、毎日、夕食後に1時間ほど町内をウォーキングしています。
医者 そうですか。でも、体重は減ってませんね。BMIも前回と同じ数値だし。まだ、効果は出てないですね。このままウォーキングは続けてください。あぁ、そうだなぁ、ウォーキングの時間を延ばしてみてはどうですか。ただし、栄養のある食事をしっかり摂ってくださいよ。
男 はい、延ばしてみます。
―助言どおり時間を延ばしてみたが思うように体重は減らない。がしかし、数カ月後には確実に減らすことができた。
男 体重は5キロ以上減ったと思いますが。
医者 そうですね。一気に8キロほど減ってますね。よく頑張りましたね。BMIも血糖値も標準値に近くなりましたよ。運動量を増やしたのかな? でも、顔色が冴えないですね。
男 はい、ウォーキングの時間を2時間に延ばしたのですが……。
医者 いいことです。長いほど、効果も出ますから。
男 いいえ、よくありません。実は3回の食事が2回になってしまいました。
医者 どうしたのですか? 栄養を補給しつつ運動するようアドバイスしましたよね。でないと……。
男 はい、それが夕食後に毎日、ウォーキングに出るものですから、さらにその時間を延ばしたものですから女房に浮気をしているんじゃないかって疑われて。そんなことは絶対にない、体重を減らすためだ、健康を維持するためだって説明を繰り返したのですが、1カ月前に離婚をされてしまいました。そのためかつてのように栄養たっぷりな食事を摂ることができなくなってしまったのですよ。この歳で自炊はきついです。身も細る思いです。
医者 ……?(了)
24.ゴキブリ掃討作戦
屋内にいる生き物のなかで一番嫌われている悪者は何か。それはゴキブリであろう。原始の時代から生き延びてきた兵で、人類と格闘しつつも寝食をともにしてきた仲である。長年の付き合いから今や、ゴキちゃんの愛称で呼ばれることもある。
このゴキちゃん、人類以外に天敵などいないのかと思いきや、実はいた。それも屋内で、かつゴキちゃんと同じ生息域にいた。その勇者の名はアシダカグモ。このクモは網を張って餌がかかるのを待つのではなく、自分で歩き回って獲物を取る。クモのなかでも、日本で最もいい体格をしている。体長は雌が20から30ミリメートル、雄が10から25ミリメートルで頭の先から脚の先までは100から130ミリメートルもある。寿命は5年から7年。長命である。
人類はこれまでにゴキちゃんをやっつけようと色んな科学兵器を発明してきた。その代表格はゴキブリホイホイであろう。しかし、これは長く使っているとゴキちゃんもすっかり慣れてしまい、スルーされてきた。なかには頬ずりするものまでいる。人類として悔しい! ゴキちゃんを撲滅させる兵器の発明はノーベル賞級とも言われている。それほどゴキちゃんは人類にとって永遠のおじゃま虫なのであった。
ところが21世紀になり、ミクロの世界における技術革新の成果は研究者魂に火を点けた。研究者は天敵であるアシダカグモをサイボーグ化し、ゴキちゃん掃討作戦の前線兵士にしようと考えた。そう昆虫サイボーグの誕生である。よくやったー、ブラボー人類!
体長の大きい雌のアシダカグモの背中に無線の受信機を組み込んだ電子回路や小型の充電式電池を載せた。これらの装置の重量は2グラムほどである。クモにとっても軽い! 無線で指令を送ると、目や口、脚の根元に埋め込んだ電極を通じて神経を刺激し、サイボーグ化する前よりも一層、ゴキちゃんを見つける機会が増えた。
研究者にとって、次なる課題は実践で成果を出すこと。この作戦に協力してくれる家屋を探した。日本中を隈なく探しに探しまくった。その結果、独身のある中年男に白羽の矢が当たった。この男、ずんぐりした小太りで顔は酒焼けしてどす黒く、おまけに猫背であった。頭部はと見れば、満月のごとく一点の曇りさえない見事なハゲ頭。ツル天ピーカー、逆ボタル、オツルの方様、無限砂漠、ハエの滑り台、いずれの呼称も当てはまった。おっとォ、ミラーボールもある。
男はゴミ屋敷ならぬゴミ箱の中で生活していた。ゴキちゃんを培養し、飼育する箱の中とでも言えようか。ゴキちゃんたちは昼間から、体全体をテカテカ油光させながら、台所で徒競走をし、ジャングルジムのようなゴミ袋と残飯入れ器の中では追いかけっこをして遊んでいた。夜にはゴキちゃんどうしの縄張り争いの喧嘩が耐えず、騒がしかった。その音を気にすることもなく、男はまさにゴキちゃんと同居している、いや男がゴキちゃんに同居させてもらっている、と言うのが正しいだろう。部屋にはごたぶんに漏れず、外装が腐敗したゴキブリホイホイがいたる所に置かれていた。しかし、かかっているのは天敵であるアシダカグモであった。われらが勇者、味方を捕まえてどうする? アホかぁ、おっさんー!
研究者たちは異臭への対処として防毒マスクを2重に着用し、さっそくすべてのゴキブリホイホイを撤収した。そして5匹のサイボーグ・アシダカグモを放し、研究室から遠隔操作を始めた。クモは台所の流しの下、ゴミ袋の中へと侵攻し、首尾よくゴキちゃんを捕獲した。その捕獲スピードは目にもとまなぬ速さであった。わずか2日間で30匹のゴキちゃんが餌食となった。この間も男は毎晩、ビールを片手に焼き鳥、焼肉、ギョーザ、カップラーメンを平らげては、空き缶や残飯をそこら辺に投げ捨てていた。
すべてのゴキちゃんを掃討するのに15日かかった。なぜならクモは食い意地の張った人類とは違って毎日、腹八分目の食事を貫くからである。科学をもってしてもクモの胃袋を拡張することはできないのだ。その頃になると、いくら指令を送ってもクモはゴキちゃんを探そうとはしなくなった。大きく膨らんだ腹を上にして寝転がり、微動だにしない。もう、ゴキちゃんはいないのか?
研究者たちはこの部屋の掃討作戦を終了するための確認として最後の指令を送った。するとそれまで寝転がっていたクモたちがいっせいに動き始めた。まだ捕食されていないゴキちゃんがいるのか? きっと大物だろう。そいつはどこだ! 思う存分、喰ってくれ!
クモたちが向った先には今夜もドロンと腐りきった目でビール、焼き鳥、揚げ物を口に運んでいる男がいた。クモたちは静かに男の背中を登り、テカテカ光る頭のてっぺんで止まった。アルコールで麻酔漬けになった男は気づかない。おぉ~、食後の運動? お頭をゲレンデとして滑降を楽しむ気か?と思った、次の瞬間、モニターには頭皮をかじり始めたクモたちの勇姿が映っていた。(了)
25.グータラ
―真夏の昼過ぎ、リクルートスーツ姿の2人の学生が公園のベンチでアイスクリームを舐めている。
T 暑いなあ。どう?
M だめだ。そっちはどうなの?
T 完敗だ。おっと~こぼしちゃった。おぉーすげえ! 蟻ンコが集まってきたぜ。
M お宝、いただきってかぁ。
T こんな欠片に群がって。まるで俺たちと同じだぁ。
M そうだな。一部上場の説明会っていえば、やけに集まってくる。ガキの頃からずーと思ってんだけど、蟻ンコって超音波を出して仲間と情報交換し合ってんじゃないかって。
T 集団的自衛? 仲間よりも、やっぱ大型が強いって。
M いざとなれば集団で生命を維持するんだよ。だから、アリクイがいくら喰っても消えないじゃん。
T それは違うだろ。アリクイは自分の命を延ばすために、適度に残すんじゃないの? でも、日本にはアリクイいないし。
M そうだけどな。はっはっはっ。蟻ンコって空気中の気温が10度くらいになってようやく巣穴から出て動くそうだ。
T 変温動物だし。
M 日本には蟻ンコが2種類いてさ、ミミズや虫の死骸などなんでも食べる雑食性とアブラムシが分泌する蜜を好む吸蜜性とがいるんだ。
T やけに詳しいじゃん。
M だから~、ガキのころから興味があってさ。俺が蟻なら吸蜜性がいいな。
T どうして?
M セレブじゃん。
T でも雑食性の方が生命力、あるって感じだぜ。現実は厳しいから。
―Tはアイスクリームの心棒の裏を確認して、足元に落とした。そこに蟻ンコが群がる。
M それ当たりじゃなかたったのか?
T その手のアイスじゃないから。
M 蟻ンコってさあ、よくキリギリスと比べられて働きものの代名詞のように言われるじゃん。
T この動きをみれば、納得できるよ。
M でも、巣穴の中にいる7割はグータラで、働かないそうだ。
T へーっ、3割しか働いてないのか?
M そうみたい。内勤と外勤じゃ大違いだよ。こんなこと知ってる? 勤勉な蟻だけの集団と怠け者の交じった集団で実験してみると、怠け者の方が長生きするんだぜ。
T そりゃあ、楽しくてぇ、ストレスなんかないもの、当然だろ。
M でもな、普段、サボっている蟻も仲間が疲れると代わりに働くそうだ。卵の世話もするんだってさ。
T 短期的にはサボっていても、長期的にはちゃんとお役に立っている。グータラにも取り柄はあるんだ。はっはっはっ。
―Mもアイスクリームの心棒の裏を確認し足元に落とす。
T それ、外れか?
M これもその手のものじゃないよ。ガキの頃、この当たり外れが気になったよな。当たると、すげー嬉しかったよな~。
T で、よく言うじゃん、蟻ンコの社会も階級制で、女王様を頂点に足軽まで家臣団が分かれてるって。地下の7割がグータラしてるんじゃあ、地上勤務の3割は重労働だよな。こいつらを見て働きものという印象を持たれてんだ。ズリ攻撃を受けることもあるのに。
M 何だ、そのズリ攻撃って?
T やったことない? つま先で踏んづけたまま足を上げないでそのまま後ろに引いたり、つま先を回転させて完璧に潰すのよ。例えば、ここにいるこのはぐれ蟻ンコを、こう踏んづけても……(足を上げて)しばらく放っておくと、ほら復活するだろ。踏まれる瞬間に身を縮めてんだ。だから、こうやって踏んづけてズリって足を引くんだ。ほら完璧に潰れて汁が出てる。これで復活不可能さ。
M そうかぁ、やったことはあるが、ズリ攻撃と呼ぶのは初めて聞いた。はっはっはっ。話を戻すけど、巣穴の中も安住の地ではない。ほら、ガキの頃に、ホースの口を巣穴に突っ込んで水道の栓を全開にして、えーい、水でも喰らえ!って。これを受けたときは女王様はじめ家臣団は可愛い卵を守るために悪戦苦闘するんだ。
T そうかぁ。グータラの7割はその攻撃時に備えて待機しているんだな。専守防衛要員ってことか。はっはっはっ。なるほどね。ところで、蟻ンコって立ち止まってキスをしているときがあるよな。あれ何してるの?
M あれはフェロンモンを出して互いに仲間だってことを確認し合ってんだ。俺が考える超音波の他に化学物資まで発してんだぞ。
T そっかぁ、そっかぁ。あれだけ数がいれば敵味方の区別つかない。暗号は必要だな。
M 俺が思うには、あれはクーデターを未然に防いだり、獲物の在り処とかを知らせたり、あるいは巣穴の中のグータラたちへの不満をしゃべったり、グチってんじゃないかな。何せ、働きっぱなしだし。やっぱ営業はきついよ。事務系はいいよな。夏はクーラー利いてるし。
T シィー。大きな声を出すと蟻ンコに聞かれちゃうぜ。まだアイスを舐めてんだから。超音波も出してんだろ。総攻撃を受けるかもしれないじゃん。
M 映画じゃあるまいし。喧嘩を売られれば、買ってやる。こっちはズリ攻撃で反撃だ。
T 俺らは2人いるもんな。負けねえよな。あはっはっはっ。
M おぉ、見ろよ。こっちの6匹が互いに顔を寄せて、情報交換してるぜ。
T もっとアイス喰いたいって? ほんと面白いな、こいつら。たまんねよ~。あはっはっはっ。
―すでに夏の太陽は西に傾いていた。(了)