第二章 第四話
その夜、ふと目を覚ますと――。
見た!
見てしまった!
目が合ってしまった!
幽霊と……!
「うわぁーーーーーー!」
俺は絶叫を上げてベッドから転げ落ちた。
幽霊は女の子だった。
悲しげな風情で俯いている。
「孝司! 何時だと思ってるの!」
姉ちゃんが向かいの部屋から飛んできて怒鳴った。
「ね、姉ちゃん! お、お化け……」
俺は這っていって姉ちゃんの足にしがみついた。
いくら化生が見えるといっても、幽霊は怖い。
どうして化生が平気で幽霊が怖いのかなんて分からない。
理屈ではないのだ。
怖いものは怖い。
「寝惚けるんじゃない!」
姉ちゃんは俺を足蹴にした。
「本当なんだ! 見たんだよ!」
「うるさい!」
姉ちゃんの声と共に拳が飛んでくる。
ミケは幽霊がいた場所から胡散臭そうにこっちを見ていた。
ミケが化けていたということはあるだろうか?
男に化けられるのだ。
女にだって化けられるんじゃないのか?
俺に嫌がらせをするためにやったのかもしれない。
こいつならやりかねない。
「こんなうるさいところじゃ眠れないわよねぇ」
姉ちゃんはミケに――俺には絶対向けない――優しい声でそう言うと、抱き上げて部屋に戻っていった。
俺は頭から布団をかぶった。
幽霊のことは頭から閉め出して何も見なかった振りをして眠りについた。
夜明けまで途切れ途切れに目が覚めたが、もう幽霊は見えなかった。
俺は幽霊なんかいなかったのだと必死で自分に言い聞かせた。
姉ちゃんのいうとおり夢でも見たのだ。
女の子に祟られる覚えなどないのだから。
そうだ、そんな覚えはない。
だから幽霊なんか出るはずがない。
あれは夢だ。
夢なんだ……。
四月十日 金曜日
明くる朝、俺は寝不足の目をこすりながら起きた。
ミケはおらず、幽霊も見えなかった。
朝だから当たり前か……。
今日も西新宿の超高層ビル群は眩しく輝いていた。
いい天気だ。
俺は学校へ行く支度をして階下へ降りた。
ミケは鮭を食べていた。
いくら猫だからって毎日同じものはないだろう。
たまには他の餌もやればいいのに。
しかし、それを口にしたら俺のおかずが猫の餌にされるかもしれないから黙っていた。
もっと可愛げのある猫ならともかく、こいつのせいで俺のおかずが減らされるのは割に合わない。
朝食を終えると、俺は鞄を持って家を出た。
今日は数学がある。
夕辺予習をしていたが幽霊のおかげで頭の中から綺麗に消えてしまっていた。
あの幽霊がミケの仕業だったら絶対許さないぞ……。
休み時間、誰かが俺の袖を引いた。
例の白い着物を着たおかっぱの女の子がせっぱ詰まった様子で盛んに俺の袖を引っ張っている。
俺は女の子が指した方を見て目を剥いた。
我が目を疑う。
身長二メートル以上ある化物が廊下を歩いていくところだったのだ。
天井に頭がつかえないのか?
じゃなくて――!
他の生徒には見えないようだから、それだけなら放っておいたのだが、そいつは死に神が持つような巨大な鎌を持っており、その鎌を振り下ろされた生徒はその場で倒れてしまった。
生徒達が倒れた生徒の周りに集まって騒ぎ出した。
俺は女の子の腕を掴むと廊下に出てD組を目指して走った。
見えないものを掴んで走っている俺は奇矯な振る舞いをしているように見えただろうが今はそんなこと気にしていられない。
生徒達が奇妙な動物でも見るような目で俺を見ている。
秀も後から随いてきた。
俺はD組の教室に飛び込んだ。
「高樹!」
高樹は俺の只事ただごとではない様子を見てすぐにやってきた。
廊下の化物を見て目を見開く。
高樹もあんな化物は初めて見たらしい。
後から雪桜も随いてきた。
俺は身振りで雪桜を下がらせる。
化物はまた鎌を振り下ろそうとした。
とっさに高樹と秀、俺の三人は化物に飛び付いた。
しかし秀はすんでの所で避けられてしまいその場に転んだ。
俺は組み付いたものの、あっさり振り払われてしまった。
廊下の壁に叩き付けられる。
息が詰まった。
「こーちゃん!」
「来るな!」
こちらへ来ようとする雪桜を制止する。
高樹だけが化物の腕を掴んで背後に捻りあげていた。
これが半分と四分の一の差か。
俺達の大立ち回りを生徒達が遠巻きにして見ていた。
まぁ、これが正常な反応だろう。
嬉しくはないが普通だ。
しかし、これで小学校の時の二の舞は確実になったな……。
見えないものと戦っているのだから、俺達の方が化物のような目で見られるに決まっている。
まだ二年になったばかりで、あと二年近くここに通わなければならないのに仲間外れで過ごす羽目になるのだ。
さらば青春。
ようこそ孤立した寂しい学校生活。
俺の春は終わった。
夏を飛ばして一気に秋、それも晩秋になってしまった。
冬はすぐそこ。
大学生になるまでの二年間は長い冬だ。
楽しい高校生活もここまでか……。
また三人、いや今回は高樹がいるから四人か?
これから四人だけの学校生活が始まるのだ。
俺が立ち上がりながら溜息を吐いた時、秀がスマホを取り出して動画を撮影し始めた。
そして皆の方を向いて、
「自主制作映画を撮ってるんだよ。これ、芝居なんだ」
と言った。
「高樹君、アクションもっと派手でもいいよ!」
その言葉に雪桜もすぐにスマホを取り出すと秀に調子を合わせて俺を撮し始める。
「こーちゃん、視線こっちに向けて。高樹君はあっちね」
苦しい言い訳だ。
信じる者がどれだけいるか……。
だが体当たりのフォロー感謝する、秀、雪桜。
仲間外れにされたとしても皆一緒だ。
少なくとも独りぼっちではない。
それだけでも大分気が楽になった。
俺達は化物を引っ立てて屋上へ向かう。
〝達〟と言っても高樹だけだが。
俺は組み付いてもすぐに振り払われてしまって役に立たなかった。
秀と雪桜の言葉を――驚いたことに!――信じた生徒達が俺達の後を随いてきた。