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調圧水槽

 ゼットの剣はシンゴさんを貫き、母親まで刺したように見えた。


「イャー!」


 ルミルは悲鳴を上げた。


 実際、ゼットの剣は杏里に届き、胸をかばうために出した腕に突き刺さっていた。


「やった……」


 ゼットの表情が緩んだ。彼は剣を引き抜く。それは一瞬で腕に戻った。


 ――ゴトッ――


 鈍い音がした。攻撃を受け止めた杏里の腕の肘から先が床に落ちていた。義手だった。ルミルは落ちた義手から目を放せなかった。すると片腕になった杏里に抱き寄せられた。


 シンゴさんは大きなダメージを受けていた。それでも片腕でゼットの右腕を握った。主人を守るために、決してその手を放さない。そんな気迫があった。


「チッ……」ゼットが舌打ちする。左腕を剣に変えると、右腕を握ったシンゴさんの片腕を切り落とした。バランスを失ったシンゴさんが膝から崩れ落ちた。


「あなた、ファントムね」


 杏里が言った。


 ゼットが目尻を上げた。


「エクスパージャーだ……」


 彼の両腕が剣に変わっていた。腰をやや落とし、攻撃態勢を取った。その時だ。「奥様!」と、声がした。


 外からアサさんがスカートの裾を翻して駆け込んでくる。彼女の拳がゼットの頬を打つと、彼の頭がガクンと揺れた。唇の端が切れて血が流れた。


「アサさん、その子を殺さないで」


 杏里が命じる必要はなかった。ゼットは態勢を立て直すと、二撃目を試みることなく背を向けていた。


 風のように走り去るゼットをアサさんが追っていく。


「怪我はない?」


 その声でルミルは我に返った。目の前に不安を湛えた母の顔があった。


「ママ、わたし……」言葉が見つからなかった。視線は金属や人工筋肉がのぞく杏里の左腕断面に釘付けになっている。母親の左腕が義手だと、その日、初めて知った。


「ルミル。彼とどこで知り合ったの?」


 杏里の質問に対して、ルミルは疑問で応える。


「ママ、親の敵ってどういうことよ? エクスパージャーって、なに? それにその義手は……」


 疑問が爆発するように唇からあふれた。


「待って、後でゆっくりと説明するわ。それよりも今は対策を練らないと。ルミル、お願いがあるの。あの男と付き合うのは止めなさい」


 命令口調にルミルの感情が跳ねた。


「嫌よ。友達になる約束をしたんだから……。でも……」


 モゴモゴと言葉を濁して考えた。嫌いとはいえ、母親は母親だ。母親を殺そうとしたゼットも許し難い。母とゼットの間で心が切り裂かれそうだった。答えが見つからず自分の部屋に逃げ込んだ。


 ベッドに横になると、母親の壊れた義手を思った。それはまるでヒューマノイドの腕だ。もしかしたら母はシンゴさんと同じようなヒューマノイドなのかもしれない。だから自分に冷たく当たるのかもしれない。母の肉体のことを想像すると、頭は混乱して気持ちは落ち込んだ。


 しばらく音楽を聴いて過ごした。それは耳に止まることがなかったが、それでも、聞いていると自覚することで、自分という存在を現在につなぎとめることができた。


 気持ちが落ち着くのに比例して、ゼットの存在が大きく感じられた。


「やっぱり、はっきりさせなくちゃ」


 ゼットに恨まれる理由と、身体のどこまでが機械なのかを確認しないわけにはいかなかった。今の自分には、ゼットも母も、自分の一部なのだから……。


 ルミルは部屋を出た。


 母親の姿がリビングにもキッチンにもないので書斎に向かう。そのドアの前で母親の声がした。


「……ファントムがいたのよ」


 誰と話しているのかしら?……耳を澄ました。


「……スラム街よ。被害は確認できていないけれど……ええ、……ええ、……とにかく実態をつかまないと。……最悪の事態も考えないといけないわね」


 最悪の事態?……ルミルはイヤな予感を覚えた。


「……被害?……ええ、腕を少し。でも、大丈夫よ。……うん、これから修理してもらうわ。……それじゃ……」


 盗み聞きしていたのが後ろめたく、ルミルはその場を静かに離れた。最悪の事態とはなんだろう?……そのことをゼットと切り離して考えることはできなかった。


 ファントムが異種族だというのはシンゴさんに聞いた。母はゼットにファントムかと問いかけたが、彼はエクスパージャーだと答えた。それも異種族なのだろうか?


 何でも知っているホワイトはエクスパージャーを知らなかったから、エクスパージャーというのは特殊な存在なのだろう、と考えた。


 ルミルは情報端末を使ってファントムを検索した。その一族は世界中で生きているが、日本にはいないということだった。日本政府が居住を認めていないということだが、その理由は不明だった。エクスパージャーに関しては、一切情報がない。


 翌日、ルミルは誰よりも早く起きた。実際は本人がそう思っているだけで、杏里は壊れた義手を直すためにSET社の研究所に向かっていた。


 ルミルは、母親を出し抜くことに成功したと満足して庭に出た。


「ルミルお嬢さま、どちらに?」


 車庫から新しいドローンを引っ張り出していると、声をかけてきたのはシンゴさんだった。


「シンゴさん、修理が済んだの?」


「これは新しいボディーですじゃ」


 シンゴさんがにんまりと笑顔を作った。


「予備があったのね。向日葵叔母さんのところに行ってくるわ」


「それならかまいませんが、ゼットのところはいけないと命じられていますので」


「わかってる。ひとりで大丈夫だから、シンゴさんは心配しないで」


 ルミルはドローンに乗って大東西製薬ビル跡地に向かった。世間はまだ眠っていて道を走る車も少ない。


 目的地に到着すると、そこにホワイトが待ち受けていた。


「ホワイト先生、どうしたの?」


「それは私の台詞ですよ。昨夜、社長から電話があったのよ。ルミルが、ここで危険な遊びをしているようだと」


 彼女がやれやれとでも言うように首を振った。


「どうしてここがわかったの?」


「シンゴさんのメモリーで確認したそうよ」


「そうなんだ……」


 ヒューマノイドの行動は見たものや会話、移動ルートを含めて全て記録されている。そのデータはあまりにも大きく確認する所有者は少ないが、事態の重要性もあって杏里は確認したようだった。


「ゼットが杏里社長を親の敵と言ったのは本当の話なのね?」


 いつになくホワイトの口調は厳しかった。


「うん。いきなり刃物を出して、止めに入ったシンゴさんを突き刺したのよ」


「シンゴさんを刺すなんて、どんな武器を使ったの?」


 2人はドローンを茂みに隠し、地下大空洞の入り口に向かって歩いた。


「それが、よく分からなかったの。気が動転していたから。彼が逃げる時には、もう武器は隠していたし……」


 ルミルの頭の中にあるのは、母親の義手のことだけだった。


「杏里社長は、ファントムと言ったのよね」


「ええ」


 ルミルは大きくうなずいた。


「それならば、刃物は身体の一部かもしれないわ。きっと、ゼットは異種族なのよ」


「ゼットは、自分がエクスパージャーだと言ったわ」


 ルミルは英雄オクトマンの墓標の前で足を止めた。


 隣に立ったホワイトが厳しい表情でオーヴァルの木を見上げる。


「エクスパージャーとオクトマン。……分からないことが多いわね。それにしてもルミル、スラム街に一人で来るなんて、危険すぎるわ」


「昨日はシンゴさんと一緒だったし、今日は先生が一緒だから平気よ」


「私は社長に頼まれてきたのよ。私が来なかったらひとりじゃない」


「えへっ、ごめんなさい」


 ルミルは両手をあわせて形ばかり謝った。


「でも、スラム街が危険なのはママが悪いのよ。貧しい人に手を差し伸べるとか言いながら、放置しているから」


「SET社は、十二分に困窮者の救済に努めているわよ。そんなに悪く言うものじゃないわ」


 ホワイトの手がルミルの頭をなでた。


「努力が足りないのよ」


 ルミルは口を尖らせた。


 2人は大空洞へ降りる階段の入り口に立った。


「ゼットはここにいるのね」


 ホワイトは暗闇に向かって目を細める。


「まだ来てないかもしれない。待ち伏せしましょう。ライト、オン」


 ルミルは用意してきたヘアバンドとリストバンドのライトをつけた。昨日より視界が広くなる。


「なんだか怖いわね。ゼットは、杏里社長の代わりにルミルを襲うかもしれないわよ」


 ホワイトのライトは帽子についていた。


「ゼットは悪い人には思えません。きっと、悪いのはママの方なんです」


 ルミルは断言した。


「そうかしら……」


 ホワイトはルミルの意見を否定することはなかった。かといって、同意することもない。あいまいに受け流して話題を変えた。


「この中でゼットが何かを掘っているのね」


「シッ……」ルミルは人差し指を唇に当てた。耳を澄ますと穴の奥から、かすかだがカーン、カーンと石を砕くような音がした。


「もう来ているわ。音が聞こえるでしょ」


 ホワイトの耳元でささやいた。


「ええ。……普段の仕事に戻っているのは良い兆候よ」


 ホワイトが言う。ルミルはうなずき、先になって階段を下りた。地下に降りるのは2度目なので不安はなく足取りも早い。昨日のようにゼットの名を叫ばなかったのは、逃げられないためだ。


 昨日歩いた道順を、ルミルは不思議と覚えていて、大空洞の瓦礫の迷路を最短の時間で通り抜けた。廃駅に立つとホッと胸をなでおろした。


「ここまでくれば瓦礫の下敷きになって死ぬことはないわ」


 ルミルは得意げに、ホワイトに向かって言った。


 それから先頭になって地下鉄の線路をたどって歩き、やがて左手に現れた立坑に通じる洞窟に入る。


「この先に大きな立坑があるのよ」


 ホワイトに耳打ちした。


 2人は洞窟を歩き、立坑に出た。いつの間にか穴を掘る音は消えていた。


「気づかれたのかしら?」


「休憩しているのよ」


 言葉を交わし、立坑の梯子に足をかけた。


 音をたてないように細心の注意を払って梯子を降りる。が、古い梯子はギシギシという鈍い音を立て、コウモリがキーキー高い鳴き声を発して舞った。


 立坑の底に立ったルミルは、指を左右に指して東西にあるトンネルの場所をホワイトに教えた。そのどちらかにゼットがいるはずだ。


 2人は耳を澄ましてゼットの立てる音を聞き分けようとしたが、風とコウモリの羽音以外の音は聞こえなかった。


 ルミルは音に頼るのをあきらめ、西のトンネルを目指した。ゼットに出会えるかどうか、確率は2分の1だ。


 トンネルの入り口は直径10メートルの大きさがあるのだが、床は瓦礫や泥が堆積して焼き固められており、残された空間の高さは半分ほどしかなかった。立坑もそうだが、トンネルの足元に固まった鉱物は、この地下の大空間全体で高温を発する火災か爆発があり、大量の何かが溶けて固まったことを物語っていた。ゼットは、その塊の中から何かを掘り出しているのに違いない。


「ここは調圧水槽の跡のようね」


 ホワイトが地図を映したタブレットを示した。


「調圧水槽?」


「古い地図データに重ねて見たのよ。東京を水害から守るために掘られた調圧水槽と一致するわ。それなら、このトンネルの先に出口はない。逃げられることはないと思う」


 2人は足を滑らせないように注意しながら、トンネルの奥へと進んだ。


 ほどなく、ギシギシと梯子のきしむ音が背後からした。


「ゼットが逃げた。反対側にいたのね」


 2人は急いで引き返した。立坑に出るまで10分ほど要した。


 ルミルは階段に光を当てた。今更、手遅れだとわかっているのに。


「逃げられたようね。でも、これで、ここが安全になったわ」


 ホワイトが不思議なことを言い、東側に続くトンネルに向かった。


「ゼットを追いかけないの?」


「今から追っても見つけることはできないでしょう。ゼットを捕まえることができるとしたら、この場所しかないのだと思う。ゼットが逃げた今は、できることをしましょう」


「できること?」


「ゼットが何をしているのか、確認するのよ」


 ホワイトがどんどん先に進んだ。


調圧水槽には、一体何があるのでしょう?

その秘密が明らかになるのは、ずっと後のことになるようです。


読んでいただきありがとうございます。


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