最後の戦い
ゼット親子をかくまった湯川麗子の家が警察に取り囲まれていた。
「捜索を解除するよう、頼んだのに……」
戸惑いながら杏里は立ちあがった。窓際に立つまでもなく、警察の大型ドローンが窓の外を横切るのを目にして、何らかの誤解が生じたのだと思った。
「……ここを動かないで」
杏里はゼット親子らに指示して階下におりた。
玄関ドアを開けると、目につく範囲だけでも警察官が30人ほどいた。異種族用に開発された大型拳銃を携帯している。連射機能を除けば、その破壊力は自動小銃並みだ。警察官の背後には2台の装甲車、空には2機のドローンがある。
警察官の元に向かった。
「SETの鈴木です。ここに何をしに来たのです。ファントムの手配は解除するように伝えたはずです」
杏里の言葉に警察官達は耳を貸さなかった。
後方の車両から降りたスーツ姿の男がゆっくり近づいてくる。おそらく彼が指揮官だろう。彼に向かって包囲を解くように言った。
彼は制服姿の警官に並ぶと口を利いた。
「鈴木杏里さんですね。勘違いしてもらっては困りますよ。日本は法治国家です。あなたの一存で何かが変わるわけではない」
「あなたは誰です?」
「失礼、警視庁公安部の岩熊です」
名乗った男は、力をひけらかすように余裕を見せた。
公安部の官僚か? 何か政治的な意図があるのだろう。……杏里は察した。
「誰の命令でここへ……」
杏里の言葉を遮るように、彼が手を挙げる。
「鈴木杏里、あなたを不法移民隠匿容疑で現行犯逮捕する」
彼が手で合図を送った。制服姿の警察官が杏里の両脇に立って腕を取った。
「岩熊さん。自分がやっていることをわかっているの?」
杏里は、あえて感情をあらわにして岩熊をにらみつける。こういう時は先にキレた方が状況を支配できるものだ。小心者なら、命じた者が誰か、その意図は何かを口にするだろう。
しかし、岩熊はその誘いに乗らなかった。
「その言葉は、そっくりお返ししましょう。……勘違いされては困るのですよ。世界企業の経営者であろうと社会貢献していようと、犯罪は犯罪です」
冷静な口調で応じると、侮蔑的な笑みさえ浮かべた。
「形式主義は、社会を腐らせるわよ。世の中にとって何が大事なのか、自分の頭で良く考えてみなさい」
杏里は目の前の官僚に言ってから振り返った。動くなと言ってきたのに、やはり麗子とホワイトの姿があった。
「心配いらないわよ」
声をかけて猪熊に向き直る。
「理想を語るのは、政治家に任せますよ。私は官僚ですから、形式を重んじます」
岩熊がそう答えてから、麗子に目をやった。
「さて、湯川博士。お宅にいる2名の不法移民を差し出していただけるかな。あなただって、あのファントムがどれだけ危険な存在か知っているでしょう。彼らは姿も身体の構造も我々と違うのですよ。考え方だって、宗教だって違うでしょう?」
麗子が答える前に、杏里は口を開いた。無駄とは思ったが、何でもやってみるものだ。
「彼らは正式の手続きを踏んでスラムに住んでいたはずです」
もし警察がバタバタと追跡してきただけなら、住民記録を確認していないかもしれない。それなら、時間が稼げる。
「彼らが届け出た書類には、異種族の旨の記載がありませんでした。身元を偽った書類は正式のものとは言い難い」
どうやら岩熊も、その辺りは手抜かりなく調べたうえできたものらしい。はったりが通用する相手ではなさそうだ。
「スラム地区居住の書類に人類か、異種族かなどと記載する項目はないはずです」
「もちろん。日本は異種族の居住を認めていませんからな。万が一、異種族だと政府が知っていたら、スラムどころか、日本国の土を踏むことさえ認めませんよ。……ファントムとオーヴァル両者の被害にあった日本人のトラウマは深い。異種族の居住が認められるような文化が醸成されるまでには、しばらく時間がかかるでしょう。それまでは断固、移住を認めない。それが国家の方針です」
岩熊は、国連会議での日本代表の発言と同じ応え方をした。
「そんなやり方が、いつまで通用すると考えているのですか! あれから、もう20年も経っているのですよ」
杏里は非難したが、その声が届いたようには見えなかった。
岩熊が冷笑を浮かべ、車に連れていけというように、部下に合図を送った。
「ママ!……」麗子の背後から、ルミルが飛び出した。「……ママを連れていかないで。ゼットを連れてきたのは、私なのよ」
「ルミル、止めなさい」
いつものようにルミルは杏里の言うことを聞かなかった。彼女は夢中になって、母親を拘束する警察官の腕をほどこうとした。
「子供がしでかしたことは、親の責任だ。邪魔をするな。怪我をするぞ」
警察官がはねのけ、ルミルが転倒する。
「子供に何をするの!」
身をよじりながら警官に抗議する。ルミルが怪我をしていないか心配だ。
「公務執行妨害で逮捕するぞ」
抗う杏里に向かって岩熊が声を浴びせた。
ルミルは、ホワイトに助け起こされた。その時、空から声がするのを聞いた。
「止めろ!」
3階の窓から飛び降りたゼットが、目の前に着地する。
「ゼット!」
ルミルの瞳に希望の光が宿っていた。
「戻りなさい!」
杏里は命じた。
警察官たちが、ゼットに銃口を向ける。
「俺はここから出ていく。だから、その人を解放しろ」
ゼットが杏里を指した。
岩熊が一歩前に出る。
「良い心がけだ。だが、お前の罪と鈴木杏里の罪は別物なのだよ」
「どうしてだ? 俺がいなかったら、その人が俺を隠匿することもなかったはずだ」
「法律に理由は関係ない。鈴木杏里が娘とともに、異種族をかくまったことが罪なのだ」
彼はゼットを笑うように教えた。
「クソッ……」
ゼットが憤り、警察官の手から杏里を奪おうと動く。
「ゼット、手を出してはだめ!」
誰の言葉もゼットを止めることはできなかった。彼は強行に及ぶ。杏里の腕を取っていた警察官の腕をひねりあげて投げ飛ばした。
「ゼット、戻りなさい!」
玄関から飛び出してきたレディー・ミラの叫びも届かない。ゼットはもう一人の警察官の腕を握った。
「大人しくしろ、抵抗すると撃つぞ」
「鈴木社長を解放しろ!」
短いやり取りの末に、ゼットはもう1人の警察官も投げ飛ばしていた。
「撃て」
一陣の風が吹くのと、岩熊が冷酷に命じるのが同時だった。
岩熊の隣にいた警察官が引き金を引いた。
――ドン、ドン、ドン……――
打ち上げ花火が上がったような腹の底に響く銃声が鳴った。
杏里は咄嗟に銃口の前に手を伸ばした。ルミルとホワイトは目を覆う。誰もがゼットは死んだと思った。
一陣の風はドローンから飛び降りた朱雀が巻き起こしたものだった。彼女はゼットを守るようにゼットの前に立ちふさがった。弾丸の内、3発が朱雀の体内で炸裂した。3発目はキューブを破壊して、朱雀の姿が粉々になって消えた。宙に浮いていた朱雀のドローンが地面に降りた。
4発目の弾は、銃口の前に伸ばした杏里の義手を砕いた。破片が脇腹に突き刺さり、血が飛んだ。激痛が全身を走り、杏里は地面に座り込んだ。
5発目の弾が、ゼットを押し倒したレディー・ミラの腰を貫通して穴をあけた。
「母さん!」
ゼットが抱き起したレディー・ミラは虫の息だった。
「ゼット……、誰も恨んではいけない。信じるのです。杏里さんとホワイトを信じて生きなさい……」
レディー・ミラはそれだけ言うと意識を失った。
「抵抗したお前が悪いのだぞ!」
岩熊が言った。彼は死んだエクスパージャーが溶けると知っているようだった。レディー・ミラの死亡を確認しようとしなかった。倒れた杏里の傍らに腰をかがめ、部下を呼んだ。
「救急車を手配しろ」
「ふ、不要です……」
杏里は拒否した。
「そういうわけにはいかない。痛むのだろう?」
「……私のことより、……自分のことを心配なさい。……私が、運ばれたら……あなたは終わりますよ」
チッ、と彼が舌打ちをした。
「素手の者に対して、……過剰な武器使用は………職務執行法違反よ」
倒れたレディー・ミラを指し、痛みに耐えながら抗議した。できることなら、自分の怪我と彼女たちの自由を、交換条件にしたいと思った。
「警告はした。訴えられるものなら訴えてみろ。そんなことより自分の心配をするんだな」
彼は悪態をついた。
「母さん……」
レディー・ミラを抱きしめたゼットが涙を流した。その瞳に憎しみの色はなかった。
「ゼット、離れなさい」
麗子が命じた。
その時、一台のワゴン車が猛スピードで突っ込んできた。警察官たちが蜘蛛の子を散らすように散開し、急停車した車に向けて銃を構えた。
自動運転のそれにドライバーはおらず、後部ハッチが開いた。降りてきた人物の姿に警察官たちがあんぐりと口をあけた。
「こら、警察! 無茶は止めないか」
裸にバスタオルを巻いただけの向日葵が息巻いた。
「どきなさい」
再び麗子がゼットに命じる。
「嫌だ、俺も一緒に死ぬ」
「どうして死ぬと決めつけるのです。私が治療します」
「エッ?」
彼の瞳が収縮した。
「いたずらにホワイトを育ててきたわけではありませんよ」
その時には、ホワイトが救急箱を運んできていた。
「本来、異種族の方が回復力は高いのです」
麗子が治療を始める。ふらりと立ち上がったゼットの腕に警察官が手錠をかけた。あまりにも突然で、彼が抵抗することもなかった。
「お姉さん、大丈夫……」
向日葵は杏里のもとに駆け寄った。その杏里にも、別の警察官が手錠をかける。
「怪我をしているのよ。やめなさい」
抵抗する向日葵を彼は押しのけた。
「最初から大人しくしていたら、こんなことにはならなかったのだ。事情聴取が済んだら医者に連れて行ってやるよ」
岩熊の声にも苦いものがあった。
うなだれたゼットが装甲車に乗せられようとした時、「待ちなさい!」と向日葵が声を上げた。
「その子を、すぐに開放しなさい」
彼女は岩熊の前に立ちはだかった。
「どういうことだ」
「たった今、法務省からレディー・ミラとゼットの政治亡命者としての居住許可が届いたわ。20年前の日付にさかのぼってね」
「馬鹿なことを言ってもらっては困る。これでも私は官僚でね。様々な手続きに通じている。法務省が簡単に動くことなどない。……鈴木向日葵、といったな? あなたもSETで働く幹部だ。政府の仕事にも通じているだろう。苦し紛れに嘘を言って恥をかくのはあなただ」
岩熊が鼻で笑った。
「もちろん。私は、日本がどういう国かわかっているつもりよ。手続きが気になるなら、データを確認なさい」
向日葵が髪からヘアピン型のウエアラブル端末を外して岩熊に突き付けた。その勢いで向日葵がまいていたバスタオルが解けて落ちた。豊かな白い胸と尻が白日の下にさらされる。
「ヤダァ!」
向日葵が慌ててバスタオルを拾い上げた。
相変わらずそそっかしいんだから。……杏里は思わず笑った。
赤らんだ顔に不信と困惑を映しながら、猪熊が自分の情報端末を差し出した。向日葵の端末からデータが飛ぶ。法務省が発行した居住許可の写しだ。
「これは……」データが本物だと確認した岩熊が、苦虫をかみつぶしたような顔を作った。
「どうなの」
向日葵が催促する。法務省の居住許可証には、スマートエナジーテクノ社が20年前に保護すると約束したオクトマンの家族の政治亡命を、当時にさかのぼって許可する、とあった。大概の政治家や官僚幹部も、スマートエナジーテクノ社と杏里の名を出せば、素早く対応するのが常だった。それは総理大臣でも同じことだ。人間の世界では、まだ富が幅を利かせている。
「法務省が動いた。……政治家でも使ったのか?」
「想像にお任せするわ」
向日葵は、ゼットと杏里を拘束している警官に鋭い視線を飛ばした。
「手錠をはずせ」岩熊は首を縦に振る。「これだから、金持ちは嫌いだ」
「官僚のあなただって、こっちの側でしょ」
杏里が壊れた義手を岩熊の鼻先に突き付けると、彼は狼狽えた。
「ママ、大丈夫?」
ルミルが杏里に抱き着き、肩を支えた。
「俺たちのことで、立場を悪くしてしまったようだ。すまない」
ゼットが杏里に頭を下げた。
「何を言うの。20年前の、あるべき形に戻っただけよ。私たち家族は、いつもこんな風に生きてきたのよ。それよりも、レディー・ミラが……」
レディー・ミラの治療はまだ続いていた。身体が変色していないから、命に別状はないだろう。ホッとすると、自分の傷がひどく痛んだ。
最後の相手は、自分たち人間だった。そうして解放されたゼット親子。
レディー・ミラと杏里は傷を負ったものの、命に別状はない。
物語は、次回、ほんのわずか。
最後まで、お付き合いください。




