ジェラシー、そして希望の種
ルミルは、ホワイトとゼットが姉弟だということに嫉妬を覚えた。オクトマンという英雄の血でつながった姉弟。おまけに彼らは、人間にない優れた身体能力を有している。……うらやましくて仕方がない。それでつい、言わずもがなのことを口にした。
「ユリアナの気持ちはわからなくもないけど、そのために異種族まで生みだして社会を壊すなんて、異常よね」
「そうかな?……」ゼットが応じた。「……スラムにいると、あまり空を見なくなる。そこを飛ぶドローンを見ると辛くなるからだ。自分は一生あの空を飛ぶ楽しみも喜びも知ることはない、と絶望してしまう。男を演じていたユリアナは、似たような気持ちを持っていたのかもしれない。彼女は上手く、Gセブンの思惑を利用したんじゃないかな。少なくとも、異種族が暴れたことで人類は生存し続け、金持ちの溜め込んだ金の一部が世の中に出回った。それは小さな復讐だった気がする」
彼もまた、ユリアナの何かに共感しているようだ。
「人を殺してまで、世の中にお金を回す必要があるの?」
「誰かが溜め込むということは、誰かが空っぽになるということだ。お前みたいな金持ちになりたいとは思わないが、自由を体感できる程度の金は欲しいと、みんな思っているさ。少なくともスラムに住んでいたらな」
「そんな……」藪蛇だった。ルミルの顔が曇った。
『人には、お金も自由も大切なのよ。どちらかだけじゃいけないし、どちらも少なすぎても多すぎてもいけないの』
「鈴木家は大金持ちだから、良かったわね」
ホワイトが微笑んだ。それは、ちょっと嫌な感じ。ルミルが友人知人から、よく受ける反応だ。
「あら、私もパパも資産管理会社を作ってないから……」杏里がルミルに向かって話した。「……相続の時は大変よ。莫大な相続税を持っていかれるわ。覚悟しなさい」
「そうなの? 相続税って、なに?」
ルミルは、母が何を言っているのか、全く理解できなかった。
「親が亡くなった時に受け取る財産にかかる税金よ。それを減らすために、大半の富豪は財産を資産管理会社において富を蓄積しているの。子供たちのために税金を減らそうという思いから始まっていることだけど、それが全てじゃない。子供のいない金持ちまでも、税金を払うのは馬鹿な者のすることだと考えて、同じことをやっているわ。……結局、彼らが死ぬと残された遺産は国家に入らない。別の誰か……、ほとんどの場合、その金持ちの最期を看取った終末支援企業のものになっている。それが幸せな死を約束するという、終末支援企業のサービス条件になっていますからね。その影響で、本来あるべき富の再分配という相続税の社会的仕組みが機能不全に陥っている。ユリアナは、そんなものも打ち壊したかったのかもしれないわね」
麗子が説明を加えても、ルミルが理解できないのは同じだった。
「税金が沢山! ママ、それじゃダメじゃない」
ルミルは単純に、強く抗議した。
『ルミル。よく考えなさい。……オーヴァルは亡くなったら樹木に変わった身体を世の中に返す。ところが人間は、自分で使いもしない溜め込んだお金を、自分が死んだ後まで抱え込んだままにする。そのどちらが自然な行為かを。……お姉さんが資産管理会社を作らないということは、お姉さまが亡くなったら、あなたが数兆円の相続税を払うということです。でもそれは、お姉さんもしてきたことなの。私もね……』そこを、向日葵は強調した。『……自分がそうであったように、ルミルにも社会的責任を果たし、自覚してほしいのだと思うわ。それも大切な経験なのよ』
向日葵が無知なルミルに教えた。
「ウーン……」
ルミルは、混乱した頭を抱え込む。
「税の支払いと経営の維持の両立に耐えられないのなら、あなたにはSET社の株を売ってしまうという選択肢もある。それでもスラムに住む人々と比べたら、あなたには十分すぎる財産が残るでしょう」
杏里が諭すように話した。
「そうなのかな?」
『お金はオーヴァルより恐ろしい魔物なのよ。強い意志がなければ、操っていたつもりが、いつのまにか取り込まれてしまう。自分の頭でしっかりと考えてみることね』
ルミルの大好きな叔母が、温かく微笑んだ。
「オーヴァルの出現で世の中も法も、徐々に変わってきた。オーヴァルの国家が国連に承認され、人類一辺倒だった基準が二つの視点から検討されるようになってきた。経済格差は依然として激しいけれど、人類と異種族との交流は、これから益々活発になるでしょう」
麗子はレディー・ミラとゼットを慰めるように話した。
「日本の法律も早く変わればいいのに。そうしたらゼットも逃げ隠れする必要がないでしょ?」
ルミルは、面白くなさそうな顔でそこにいるゼットに、同情以上のものを感じている自分に気づいた。
「ゼット、わかったでしょう。鈴木夫婦を敵と狙うのは筋違いなのです」
レディー・ミラが促すと、ゼットはバネがはねたように頭を上げた。
「ああ。鈴木社長もSET社も敵ではなかった。オーヴァルもスピリトゥスに創られた可哀そうな奴らだし、スピリトゥス自身も仲間から追われた可哀そうな天才だ。それなら、……どうして俺の両親は死ななければならなかったんだ……」
「その理由はわからないけれど、その結果ならわかるわ。今こうして私たちが生きていて、人類とオーヴァルが共存する平和な社会がある。それはオクトマンや多くの人々の努力と命を積み上げてできたということよ」
「大手を振っているのはオーヴァルだけだ」
ゼットが目の前のテーブルに憤りをぶつけると、ティーカップが跳ねた。
「レディー・ミラが話したでしょ。私たちの存在価値は仲介者としてあった。人類とオーヴァルが協調している今は、静かにしていた方がいいのよ」
「ホワイトの話は、教育端末の講義のようだな」
「これでも科学者の端くれだもの」
ホワイトは腹違いの弟に向かって微笑んだ。
「フン……」
ゼットが横を向いた。
ホワイトが杏里に向く。
「もし再び人類が地球環境を壊してしまうようなことがあったら、新たなファントムが現れるのでしょうね。オーヴァルが協定を破ることだってあると思います」
「ホワイト先生……」
ルミルは驚いていた。いつも穏やかな彼女が、脅迫めいたことを口にしたからだ。
「向日葵さん、俺も宇宙で働けるかな?」
突然、ゼットが話を変えた。向日葵はNRデバイスを使って、発電衛星のメンテナンスの仕事をしているのだ。
『もちろん。ゼットさんが勉強して、NRデバイスのパイロットの資格を取れば、SET社は歓迎するわよ。ねえ、社長?』
「もちろん、です」
杏里が微笑んだ。
「仕方がないわね。勉強の手助けなら、私がするわ」
ホワイトがぶっきらぼうに言った。
「私もなれる?」
ルミルはゼットと同じ場所にいたいと思った。
『お母様の言うことをきいて、しっかり勉強すればね』
向日葵とホワイトが笑った。
『それでこれからのことだけど……』
向日葵が言った。
「そうね。警察に追われているのだったわね。向日葵から警視庁に連絡してもらえるかしら。私が責任を持って保護すると」
杏里が頼むと、『了解』と向日葵が応じ、通信端末に向かった。
「チェッ」
舌を鳴らしたゼットの瞳が濡れている。
「ママ、一つだけ教えて。どうして、プロレス馬鹿のパパと結婚したの?」
問いかけられた杏里が、ゼットの横顔に目をやった。
「それは、誰かのために無茶をするルミルなら、もう分かっているはずよ」
「そうすることが得じゃないと分かっていても?」
「そうね。たとえ目の前にあるのが茨の道だと分かっていても、誰かを愛することや、誰かの役に立つということは、理屈に変えられない喜びだもの。それは誰かのためだけではないの。同時に自分のためにしているということなのよ。そうでしょ?」
ルミルは、母親の言葉を素直に聞いた。そうしたのは久しぶりのことだった。席を立つと、ホワイトに代わって紅茶を入れ替えた。
「濃すぎたかしら?」
ゼットに向かって首をかしげたルミルを温かなまなざしがつつんだ。
「大丈夫、美味いよ」
紅茶に口をつけたゼットが応じた。それから、彼は照れを隠すように腰を上げた。
「外が騒がしくないか?」
窓際に立った。
ルミルは耳を澄ました。何かが変わったとは思えなかった。やはりエクスパージャーの能力は人間より優れているのだろう。
同じものを見るために、ゼットの隣に立つ。その時は少し幸せな気分を味わった。そうして外に目をやって驚いた。表には沢山の警察車両が並んでいて、無言の武装警官たちが配置につくために忙しく移動しているところだった。
「どういうことだ、警察に包囲されているぞ」
振り返ったゼットの大きな瞳が怒りに燃えていた。
「向日葵叔母さま、だましたのね」
『私はちゃんと伝えましたよ』
彼女のホログラムが揺れた。
若いルミルには理解できないことが多い。けれども、哀れなものに共感する心と愛を育てる心は持ち合わせていた。
さて、レディー・ミラとゼットが隠れたホワイトの家が警察に取り囲まれているようだ。
どうして? それは彼らが異種族だからだ。 誰かが裏切ったのか? それはわからない。
いずれにしてもこのピンチ、どうやったら乗り切れるのだろう?……作者は頭を抱えている。
というわけで、次回をお楽しみに。【 to be continued 】




