魅惑的なゼット
「よお、ゼット」
すれ違ったのは頬にダビデの星を描いたエンジェル団のひとりでルミルを憶えていた。もちろん、ルミルも記憶している。
「お前たち知り合いだったのか?」
ダビデの星の青年は眉間にしわを寄せた。
「違う」
ゼットの言葉は短かった。
「ゼットの女になったのか?」
「違う」
ルミルは無意識にゼットの言葉をまねた。
青年はゼットとルミルに相手にされないことに憤ったのか、腹立ちまぎれにシンゴさんを蹴ろうとした。シンゴさんは彼の蹴りをひらりとかわしてから首筋に手刀を入れた。彼は倒れた。気絶していた。
「お前の知り合いは、強いやつばかりだな」
ゼットが足を止め、道端に伸びた青年の背中に活を入れる。目覚めた彼は、シンゴさんに謝って逃げた。
「そんなことないわよ。ホワイト先生もシンゴさんも特別な人なのよ。きっと……」ゼットも同じでしょ、と言おうとして言葉を濁した。
ゼットは通りの角にある大衆食堂に向かった。昔はファミレスだった建物は傷んでいて、外壁には亀裂が走り、壁全面にわたって黒カビも生えている。入り口や窓のガラスには、大きく書かれたメニューが貼り付けてあった。
昼食時は混雑する食堂も午後4時には暇になる。昼の仕事が一段落した店内には空席が沢山あって、繁盛店独特の脱力感のような空気が漂っていた。
「戦士の休息といった感じね」
ルミルは、脱力感をそう表現した。
「あっ!」
店の奥の席で声が上がった。そこにはレッドヘッドのジェイと青い髪の男が座っていて、焼き肉をアテにビールを飲んでいた。
「いらっしゃいませ」
ジェイたちと一緒に話し込んでいたミニスカートの店員が重たい腰を上げる。
「ジェイじゃない」
ルミルはジェイに向かって手を振った。自分からせしめた金で昼間からビールを飲んでいるのだと呆れながら。
「知っているやつか?」
ゼットがきくので、ジェイ以上にゼットはどうかしていると驚いた。
「超悪魔団のジェイよ。あの時、ゼットが追い払ってくれたでしょ」
「俺は追い払ってなどいない。そうか、あいつ、ジェイというのか」
ゼットはジェイに興味を失って窓際の席にかけた。
小走りにミニスカートの店員がやってきて注文を聞く。
ゼットがお好み焼きとミネラルウオーターを注文したので、ルミルも同じものにした。
「ワシは機械油が欲しいが、あるかのう? コップ半分で十分じゃが……」
シンゴさんが油を注文すると、店員が歯を見せて笑った。
「機械油はおいてないよ」
「それでは、オリーブオイルを」
シンゴさんは笑われても澄ましていた。
「シンゴさんはロボットなのか?」
ゼットが驚いてシンゴさんの瞳を覗き込んだ。
「私のおじいさんが設計したロボットなのよ」
ルミルは、ほんの少しだけ自慢する。
「おじいさんの名前は?」
ゼットが眉間にしわを寄せてたずねた。
「大和よ。鈴木大和」
ゼットが目を細めた。その奥に怪しい光が宿ったことにシンゴさんは気づいたが、ルミルは違った。
「今日、大空洞に行ったのよ。大東西製薬跡地の地下の」
ルミルは、ゼットの気を引くことに夢中だった。
「そうか」
「私が呼んだのに気付かなかったの?」
「ああ」
「あそこで何をやっているの?」
「お前には関係のないことだ」
「英雄オクトマンって、だれ?」
「それも関係のないことだ」
「私は、あなたのことが知りたいのよ」
「俺は知られたくない。どうしても知りたいというなら、お前のことから話せ」
彼の口調はとても慎重なものに聞こえた。
「私はね……」と、ルミルは話し始めた。自分の好きな友達や遊びの話をし、嫌いな両親や勉強の話を……。それは、ゼットが呆れるほど長い話だった。
「両親が嫌いなのか?」
ゼットが不思議そうにルミルを見つめた。
「親を好きな女の子なんていないわよ」
「勉強も嫌いなのか?」
「勉強の好きな子供なんて、いるはずがないでしょ」
「スラムには、勉強がしたくても出来ない子供が沢山いる」
「どうして?」
「備え付けの端末で受けられるのは義務教育までだ。そこから先は無理だ。高等教育の学費は無料でも、ここの連中には高等教育用の端末を買う金がない。学校まで通う乗り物もない。だからギャング団をつくって拗ねている」
ゼットはジェイのいる奥の席を親指で指した。
「そうなんだ……」
ゼットが話す貧しい暮らしというものを、贅沢な生活を送っているルミルは想像できなかった。
店員がお好み焼きを運んでくる。
小麦粉とキャベツ、ソースだけの味気のないお好み焼きだった。それを口に運ぶと安いソースの辛味だけが口の中に広がる。
ルミルはミネラル水を飲んで、口の中を占領したソースの味を洗い流した。貧しい暮らしというものが、少しだけ理解できたような気がした。
隣ではシンゴさんが酸化した安いオリーブオイルを舐めるようにして飲んでいる。酸化した油を飲むのも、貧しさゆえだとルミルは考えた。
「ゼットも学校に行かないの?」
ルミルは箸をおき、不味いお好み焼きを美味そうに食べるゼットを見つめる。
「俺は不法移民だからな。学校など、行く資格もない」
「不法移民?」
「怖くなったか?」
視線をあげたゼットに向かって首を横に振る。
「べつに……。学校に行きたい?」
「学校に行かなくても、やりたいことはできるさ」
「ゼットの夢はなんなの?」
「夢?」
「夢を持つのは自由だもの」
「確かにそうだ。ここいらの連中は、一発逆転を夢見て絵を描いたり歌を創ったりするやつが多い。芸術なら結果を出しさえすれば金持ちになれるからな」
「ゼットも金持ちになりたいの?」
「そんなものには興味がない。やりたいことが夢だというのなら、俺の夢は……。止めておこう」
ゼットが口を閉じた。
「教えてよ。私が手伝えることかもしれないわ」
「そうかもしれないが、俺は人の手を借りるつもりはない。第一、うまくいけば俺の夢はもうじき叶う」
「そうなんだ。良かったわね。それって、大空洞と関係があるの?」
ゼットは眉間に皺を寄せ、首を左右に振った。
「俺の夢の話は終わりだ。それで、お前の話は何だ。話があるから、わざわざスラムまでやって来たのだろう?」
ルミルはゼットの夢を知りたかったが、初対面で……実際は2度目だが……、心の内のことまで聞くのは図々しいと思ってやめた。
「お友達になってほしいの」
「お友達?」
ゼットは笑わなかったが、首を縦に振ることもなかった。
「だめ?」
ルミルは甘えるようにきいてみた。大概の男はそうした態度に弱い。
「俺は友達などいらない」
ゼットがきっぱりと拒んだ。
「友達は、たくさんいた方がいいのよ」
「それは善人ぶった人間の言うことだ。仲間がいれば力を借りて成功できると考えているからな。お前は、友達をたくさん作ってどうしたいんだ?」
ルミルは、舞い上がっていた気持ちが沈むのを感じていた。
「どうもしないけど、たくさんいたら楽しいでしょ?」
「友達の中には悪いやつもいるだろう。そんな友達が沢山いたら面倒なことに巻き込まれるかもしれない」
「変なことを言うのね」
ルミルの感情がけば立っていた。
「ああ。俺は変人だから友達はいらない。お前とも友達にはならない」
「そんなの普通じゃないわよ」
「俺は普通じゃないんだ」
「だから大空洞に潜っているの?」
「それは関係のないことだ」
「何か、目的があるのでしょ?」
「もちろんだ」
「金鉱でも探しているの?」
「まさか……」ゼットが苦笑する。「……さっき、同じことを話したぞ」
笑われたのに、ルミルの気持ちが落ち着いた。不思議だった。
「ごめんなさい。私、なにも分からなくて」
「お前、天然だな」
ルミルは顔を赤らめてうつむいた。
「お前の祖父が鈴木大和なら、母親は杏里、父親は本宮地大だな?」
「そうだけど、どうして知っているの?」
「SET社の社長夫婦といえば、世界一の金持ちだからな。誰でも知っているさ」
「そうなんだ……」
ルミルは、母親の澄ました顔を思い出して嫌な気分になった。
「そうだな」
何かを思いついたとでもいうように、ゼットがつぶやいた。
「俺と友達になりたいというなら、母親に会わせてくれ」
「ママに?」
ゼットの態度が突然変わったのでルミルは首をかしげた。が、距離が縮まった感覚の嬉しさが先に立ち、ゼットの悪意を察知することはできなかった。
「ああ。SETの社長の顔を拝んでみたいんだ」
「止めといたほうがいいわよ。きっと、がっかりするわ」
「どうしてだ?」
「ただのおばさんだもの」
「ただのおばさんでも、SETの社長だ」
ルミルはウエアラブル端末で時間を確認する。
店にも掛け時計はあったが、壊れているらしくちょうど1時間遅れていた。
「それなら、家まで送って。今日の夕方なら家にいると思うから」
「了解。父親もいるのか?」
「パパは、今頃はメキシコよ」
「メキシコ?」
「先週から武道大会が開かれているの」
「スポンサーに、挨拶にでも行っているのか?」
「パパは、覆面プロレスラーなのよ。だから知られていないけれど。会社の仕事はママと叔母様にまかせっきりなの。今度はマスカラス3世と戦うんだって、張り切っていたわ」
「そうか、うらやましいな」
「私も好きなことだけをしているパパがうらやましいわ」
食堂を出たルミルたちはロボット・タクシーに乗った。
「東部新都心の鈴木杏里宅へ」
ルミルが告げると『了解しました』とタクシーの自動運転システムが応えて車が動き出した。
「俺は金を持ってないぞ」
ゼットが少年のように伏し目勝ちで言うので、ルミルは優越感で嬉しくなった。
『乗車料金が無いのですか?』
自動運転システムが質問し、タクシーは減速する。無賃乗車ならすぐに降ろすか、警察ロボットを呼ばなければならないからだ。
「それは心配いりません。私が払います」
ルミルが腕輪に埋め込まれたチップを料金パネルにかざすと、『ありがとうございます』と音声が流れてタクシーは加速した。
「悪いな」ゼットがぼそりと言う。
「代金のことはいいけど、ママにはちゃんと挨拶してね」
ルミルはゼットに念を押す。友達として付き合うからには、母親に嫌われると何かと都合が悪いからだ。
「わかったよ」
ゼットは一言だけ口にすると流れる景色に目をやった。
有料奉仕作業以外でスラム街を出ることはない。まして、高級住宅街のある東部新都心地区に足を踏み入れることはなかった。そこに至る沿道に広がる緑豊かな景色には、嫉妬を超えた憎悪の気持ちが掻き立てられた。
「綺麗ね」
ルミルがゼットの視線を追って景色をほめた。
「そうか?」
ゼットが同意しないので、ルミルは話すのを止める。男にはロマンチックな乙女の気持ちなど分からないと思った。
30分ほど走ると、大きな屋敷の立ち並ぶ東部新都心地区に入った。そこに住むのは大金持ちばかりで、他のエリアとは景色もセキュリティーも異なっている。
タクシーは鈴木家の広い敷地に入り、エントランス前に止まった。
「こっちよ」
ルミルは喜びを隠さずに誘ったが、ゼットは足を止めて美術館のような屋敷を睨みつけていた。
普段なら自分の仕事場に戻るシンゴさんがそうせずに家の中に入ったのは、シンゴさんの量子コンピューターが未来を予測したからだ。
「どこに行っていたの?」
杏里が奥から顔を出すのと、ルミルを問い質すのが同時だった。
「あら、お客様?」
ルミルの背後にゼットの姿を見つけ、娘に向けた憤りを胸の内に収める。
「ゼットさんよ。新しいお友達なの」
ルミルは無邪気に笑った。
「そうですか。仲良くしてくださいね」
杏里は微笑みを浮かべて頭を下げたが、ゼットはそうしなかった。
「あんたが、鈴木杏里……」
ゼットに呼び捨てにされた杏里は、ゼットの顔をぽかんと見つめた。ゼットの顔が怒っているように見えた。
「親の敵、死ね」
叫ぶのと杏里に向かって突進するのが同時だった。
ゼットの伸ばした右腕が変形し、剣のように鋭くとがって杏里の胸めがけて伸びた。
その時、ゼットよりもさらに早く動いたのがシンゴさんだった。
ガツンと大きな音がした。
ゼットの腕は、杏里との間に立ちふさがったシンゴさんのボディーを貫いていた。
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