政界という戦場
『まずは大東西製薬の敷地内にある研究所に行ってみましょう。それから、例の調圧水槽よ。警官が襲われた地下鉄駅周辺も見ておきたいわ。私と玄武は本社から先行します』
『ひえー、大忙しだね』
杏里の計画を聞いた千紘が素っ頓狂な声を上げた。
『地下鉄のほうは、警察と自衛隊に任せておいても良いのではないですか?』
小夜子がいう。
『オクトマンとオーヴァルには、何らかの関係があるはず。オクトマンが見つからないのなら、オーヴァル側から探す手があると思うのよ』
杏里は自分の推理を説明した。
『オーヴァル側からアプローチするのもいいけれど、ファントムの姿をどうやって探すの? 聞き耳?』
朱雀が訊く。
『うん、聴覚頼りだね』と、千紘。
『きっと雑音が多いわよ。自衛隊や警察がうろうろしているのでしょ?』
『他の探し方があったら、教えてくれ』
『〖求む、ファントム〗って、広告でも出してみる?』
『冗談を言っている場合じゃないわよ』
杏里が注意すると、向日葵と千紘が『ハーイ』とおどけた返事をして、朱雀と青龍のスピードを上げた。
先行した白虎と玄武は、大東西製薬のビル周辺に黄色のテープで規制線が張り巡らされているのを確認する。その内側にある研究所周囲にも別のテープが張られていた。沢山の警官が歩き回っているのは、そこが特別な場所だという証拠だ。
月曜日の昼間にもかかわらず、規制線の周りを沢山の野次馬が取り囲んでいる。大東西製薬の社員だけは、その規制線を越えてビル内に入ることが許されているようだ。
『みんな暇なのね?』
野次馬の数に、白虎は驚きの声を上げた。
『さあ、……彼らの興味が何にあるのか、私にもわかりません。……とりあえず、この周囲は安全なようですね。問題は研究所の規制線の内側です』
そこには大東西製薬の社員も入れないようだった。
2人のドローンを見つけたメディアのカメラが一斉に上を向いたが無視し、研究所の建物の外部と警官隊の配置を確認、聴覚センサーと赤外線センサーを駆使してオクトマンの気配を探した。
しかし、建物の隙間にも、植え込みの影にも、オクトマンが潜んでいる気配はない。
『隠れているとしたら、研究所内ね』
『大東西製薬ビルはどうでしょう?』
『その可能性は、否定できないけれど……』
インフェルヌスの研究所には銃撃戦が行われたような跡もなく、ブラインドが下ろされていて室内は見えなかった。
『やはり、外からでは分からないわね。警視庁のサーバーに記録はないかしら?』
杏里が頼むと、玄武がアサさんの量子コンピューターを使って警察庁のサーバーに侵入した。
『まだ、昨夜の実績はアップされていませんね。ファントム殲滅作戦の計画書があるだけです。警察庁と総理府の方も見てみますが、その前に浜村長官に頼んで研究所に入れてもらいましょうか?』
『今は信用できないわ。まず、自分たちで出来るところまで調べてみましょう』
慎重な杏里は、白虎と玄武を研究所上空で旋回させた。遠くに朱雀と青龍を乗せたドローンが見えたのはその時だ。
『それなら、内部は私が見て来るわ』
到着した朱雀の陽気な声はトラブルを楽しんでいるように聞こえたが、深刻に考えがちな杏里の精神をリラックスさせるのに役立っていた。
『どうやって入るつもり?』
『まぁ、見ていてよ』
朱雀は身体を灰色に変えて急降下し、研究所の隣にある大きな温室の陰に飛び下りた。すぐさま人間の形を構成しているナノマシンの数を8%まで減らして小人に変化する。
『まさか、森の妖精を気取って入るんじゃないよな?』
千紘が訊く。
『当たり前でしょ』
小人の朱雀は「エィ」と気合を入れると猫の姿に変わった。
『化けるのがうまいな』
『本当に……、うらやましいわ』
白虎たちは、猫に化けた朱雀が研究所に向かって走るのを上空から見守った。
猫の朱雀が、研究所に出入りする特殊部隊員の隙をついて内部にもぐりこむ。毛の色を壁の色に合わせると、壁伝いに研究所内を移動するのは簡単だった。
『ファントムが酸で溶けた形跡はないわね。臭いがないもの』
ネットワークを通じて朱雀の視界をはじめ様々なセンサーのデータが共有された。
『朱雀、建物のどこかに潜んでいないか調べて』
『お姉さんったら、気安く言うのね。猫サイズだと、研究所は広いわよ』
『僕が手伝いに行こうか?』と千紘。
『沢山の猫が走り回っていたら、不審に思われるわ』
『ネズミの姿ならいいのかい? 猫とネズミ、それなら絵になるだろう』
『冗談が過ぎるわよ。研究用のハツカネズミに間違われて、飼育箱に入れられたらどうするの』
言いながら玄武が笑った。自立モードの玄武は、生身の小夜子より冗談をよく言った。
『ふざけないで、集中しなさい。……』
千紘たちの軽口を、杏里は叱った。
『……千紘も猫の姿で見てきなさい。キューブはネズミになるには大きすぎるから。トラックが本社に到着したから、私はSETの事務所に上がるわ。白虎は自律モードで玄武と上空から監視します』
『了解』向日葵、千紘、玄武が応じた。
杏里はリンクボールを出ると身体を乾かし、簡単なメイクをしてコンテナを下りた。小夜子が座る運転席のドアを叩いて呼んだ。
「警察庁のデータはどうでした?」
小夜子は隣に掛けたアサさんから受け取ったデータをタブレットに表示する。
「1週間以上前から、ファントム殲滅作戦の計画が進んでいたようです。総理の指示のようですね。今のところ、ファントムの死亡も捕獲も確認できていません。警察側の死亡は5名。行方不明者15名……」
小夜子の報告に、杏里が顔をしかめた。
「死者を出しては、警察も手を引けない状況に陥ったということですね。私は上で情報がないか確認します。朱雀と青龍が猫に化けて研究所にもぐりこんだけど、暴走しないか心配なの。むちゃをしそうだったら、注意してあげて」
「猫に、ですか?……。あの2人、お似合いですね」
「そうかしら?」
胸の内がざわつくのを感じた。
「ええ、2人とも影がないというか、天然というか……」
「そういうところは似ているかもね」
杏里は、最後まで話をせずに高層階行きのエレベーターに向かった。
§
杏里を見送った小夜子はコンテナのリンクボールに入り、玄武の自律モードを解除した。
玄武の記憶が、頭の中に流れ込んでくる。その中には向日葵と千紘の無邪気な会話もたくさんあった。その屈託のない無邪気さに、杏里は嫉妬のようなものを感じたのだろう、と思った。
『たいへん、ファントムはここで警官を5人も殺しているわ』
それは朱雀の声だった。
『もう人は殺さないといっていたのに……』
小夜子は、警察庁のデータと一致したことに納得しつつ、信頼した浜村とオクトマンに裏切られた杏里が、どれだけ悲しんでいるか、と想像して切ないものを覚えた。彼女には、信頼できる何かが必要なのだ、とも。
§
杏里が社長室に入ると、浜村から連絡があった。聖獣戦隊チームに出動してほしいというのだ。
「すでにインフェルヌスの研究所近くにいるはずですが。……聖獣戦隊を動かす前に、本当のことを教えてください。問題を起こしたのは、ファントム側ではなく公安ではないのですか? 私と長官の信頼関係がなくては、彼女らが動くのも難しいでしょう」
『……あなたのおっしゃる通りです』
杏里の指摘に対して、浜村が、昨晩のファントムとオーヴァルの殲滅作戦についての概要を正直に語った。
『……君たちを騙したようになったのは申し訳ないと思っている。しかし、政府の決断だったのだ。総理は、君がファントムとの共存を強く推し進めるので焦っていたのだろう』
「焦る?」
『SETがこの国のリーダーシップを握っていると、国民や諸外国に見られることに、だよ』
「それだけのことで、ファントムとの平和交渉をつぶしてしまおうとしたのですか?」
『それだけのことが、政治家には重要なのだ。権力とは、そういうものだ』
「馬鹿な……」全身から力が抜ける。「……それだけのために、我々が、人間を信じろと言えない状況を作ったわけですね」
嫌味を言っても杏里の気持は晴れなかった。次にオクトマンがどんな態度を示すのか、ここに至っては会って見ないと分からない。
『既に20人やられたのだ。現状を打開するには君たちの力が必要だ』
懇願されると嫌とは言えなかった。聖獣戦隊を地下鉄トンネル内に入れると約束して電話を切った。
杏里は疲労を覚えていたが、休むことなく地下駐車場に降りた。トラックからシンゴさんを追い出し、アキナのNRデバイスの隣に掛けた。アキナは読んでいた本を膝に置いて「なにか?」と、小首をかしげた。
「みんなに伝えて。浜村長官から聖獣戦隊チームへの協力要請があったわ」
杏里は、ファントムとオーヴァルに対する殲滅作戦が密かに実行されたことと、ファントムとオーヴァルの群れが地下鉄トンネル内に逃げこんだことを手短に伝えた。
「それでどうするの?……とのことです」
朱雀の質問をアキナが代弁する。
「オクトマン他、ファントムを保護。オーヴァルとは対決」
杏里は応えた。
「オクトマンは、警官を5人殺している、……とのことです」
「人間が約束を破って襲った。正当防衛だと思うわ」
「それはそうね。……オクトマンが襲ってきたら?……とのことですが」
「私が話をします。話が通じないようなら、……やむを得ないわね」
「言葉が通じることを祈る、……とのことです」
「朱雀、研究所内の様子はどうなの?」
「オクトマンの気配はなし。寝室に別の気配がある。警察は気づかなかったようだ、とのことです」
「子供たちかもしれないわ」
杏里は推測を言った。
「子供たちにしては静かだった。保護するのなら元の身体に戻る。猫じゃ、食われちゃう、……とのことです」
朱雀の冗談を、アキナはそのまま言葉にした。
「警察がいる間は連れ出さない方がいいわ。隠れているように伝えて」
必要な指示を出した杏里は、再び社長室に戻って電話を掛けた。相手は総理官邸の河上だ。
「総理、オクトマンとの平和交渉から、何故、逃げるのです。研究所から警察を引き上げてください!」
杏里は感情のままに要求していた。それに対して、政治家の河上は淡々としていた。
『犯罪者と取引するつもりはありません』
――ガチャン――
電話を切る音が、やけに大きく聞こえた。
自分が若いから、河上が侮るのかもしれない。そう思い、日本人の弱点である外圧を利用することを考えた。
ルイスを呼ぶと、オクトマンとの交渉をアメリカ政府から日本政府に要請するよう、命じた。これまで接触した国々の中で、最もファントムによる被害の大きいアメリカが動かしやすいと考えてのことだ。
ところが、事態はそう単純なものではなかった。アメリカ政府は、アメリカを拠点とする世界企業の権力者グループであるGセブンの圧力を受けて、SETの依頼を拒絶したのだ。
「Gセブンが、何故、ファントムの脅威を容認するのでしょう?」
「推測ですが……」ルイスが説明する。「……アメリカ国内では永く人種間の反目があって、銃の乱射事件、暴動などの暴力事件が日常化していました。ところが、ファントムという新たな敵の出現以来、そうした事件は減っています。人種対人種、民族対民族といった対立構造が、人間対ファントムに変わってアメリカの市民社会は安定したように見えます。不思議なことに、ファントムによって殺された富裕層も多くはリベラルな者たちで、Gセブンの中でも保守的な者は殺されていないのです」
「まさか、……インフェルヌスとGセブンが繋がっているの?」
「その、まさかです。私は、日本国内では大東西製薬がインフェルヌスの代理人であるように、アメリカではGセブンこそがインフェルヌスのスポンサーで、ファントムやオーヴァルを世界に送り込んだ張本人だと推察します」
Gセブンがファントムどころか、オーヴァルを使って大虐殺を行っているのかもしれない。そう想像しただけで、全身が凍る思いだった。
「どうしたら……」
Gセブンと折衝するにしても、戦うにしても時間がない。杏里は頭を抱えた。
行方知れずのオクトマン……。非協力的な日本政府、Gセブン……。
頭を抱えた杏里……。彼女に何ができるのか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。次回もお楽しみに!




