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消えたファントム

『A2班、返事をしろ!……誰か、返事を……』


 ファントム殲滅作戦に従事する特殊部隊員のインカムから淡島公安部長の声がする。最初は力強かった声が、見る間に弱まった。短い静寂があった。


『……ファントムがA2班を襲ったようだ。A1班は裏階段を経由してA2班の状況を確認、1階に降りろ。A3班は現在地から裏口に向かって通路、及び研究室内を捜索。順当にいけば1階のどこかで挟撃きょうげきできるはずだ。A4班は裏口から出るファントムに警戒』


 淡島の声に、現場の警官の心臓が鼓動を速めた。


 A1班がA2班が連絡を絶った場所に着くと、裏口から2階に続く狭い階段にA2班の遺体が折り重なるように並んでいるのを発見した。どれも、ほぼ一突きで殺されていた。血痕の状態から、ほぼ即死と思われた。


「くそ!」


 大小の差はあれ、A1班の隊員は憤り、それを声にした。


『どうした?』


「A2班、全員死亡。2階廊下にファントムの姿なし」


 班長の藤川が報告する。


「班長、2体分の血液足跡があります」


 A2班の隊員が流した血で出来た足跡が二つ、並行して階下へと延びている。


「ファントムは1階です」


『A3班、捕捉できたか? 挟み撃ちにできるはずだ。同士討ちに注意しろ』と淡島。


「A3班、ファントムを発見できず。足跡を探します」


 その声は極度の緊張で震えている。


 2階から足跡を追ったA1班は、事務室のドアの前にたどり着いた。血液足跡はドアの前で途切れている。


「ファントムは中央の事務室内」


 藤川は報告するとゴーグルを掛けなおして、そっとドアを開けた。バルコニーに陣取ったA4班のライフルが、事務所の窓に照準を合わせる。


 A1班は内部に警戒しながら足を進めた。サーモゴーグルに映るのは青く映るスチール家具で、赤い色をしているのは稼働している情報機器だ。


 機器の陰はもちろん、天井にも視線を凝らす。


「いないぞ……」


『足跡はどうした?』


 A1班の隊員はゴーグルを外して床を探した。


「ドアの内側で途絶えていたのですが、室内にそれらしいものが見当たりません。血液をふき取ったのかもしれません。鑑識を……」


 藤川の声を淡島が遮る。


『ここに鑑識はいない。よく探せ。ファントムは生き物だ。幽霊のように消えるはずがない。A3班、A1班に合流してファントムを捜せ』


「了解……」


 藤川たちは床を這うようにしてファントムの痕跡を探した。


「あった……」思わず声になる。


 それを見つけたのも藤川だった。拭いきれなかったのだろう。わずかだが血痕らしき汚れがあった。それは床の一点で消えている。床下収納の金具がある場所だった。


 手のひらで合図を出し、隊員を集めて床下収納を指した。そこにファントムが隠れているという合図だ。そうしてから、小さな床下収納にファントムが2体も隠れられるはずがない、と釈然としないものを覚えた。


「こんな所に?」


 部下の1人が首を傾げた。藤川が感じたことと同じだ。


 藤川は人差指を唇に当てた。もし、床下収納に隠れているのなら、……全くそんな小さな場所に、という疑問と矛盾しているのだけれど……、発見したことを知られたくない。


 隊員が銃を構えたのを確認してから、藤川は部下に命じて床下収納のふたを持上げさせた。床下にあったのは収納ではなく、長い階段だった。


「地下室か……」


 階段に足跡らしきものは付いていなかったが、他に隠れる場所はない。地下へ降りたと考えるのが妥当だった。


『地下室があるのか?』


 映像は指揮車にも届いているはずだが、淡島が訊いてくる。


「地下に向かって長い階段が続いています。隠し部屋のようです」


『ヨシ、ファントムはそこだ』


 声が弾んでいた。


「今から、地下室に降ります」


『注意しろ。A3班はバックアップ。A4班は研究所内に入って出入り口を封鎖。警戒態勢を取れ』


 淡島の指示を聞いてから、A1班は1列になって階段を降りた。


 先頭を歩く藤川の前にあるのは長い階段で、そのことだけでも、下にあるのが普通の地下室でないことが分かる。20メートルほど下りると金属製のドアがあり、その陰からモーター音がした。


 藤川の渇いたのどを固まった唾が流れ落ちる。


 ドアを開けると、奥は無人の工場だった。殺菌用の紫外線ランプの青い光の中で、数台の大きな機械が黙々と薬を製造している。


「大東西製薬の地下工場のようです。設備が多く、ファントムを探すのに手間取りそうです」


『なんだと!……大東西製薬ビルの地下にある工場だろう。図面にもある。……そんな所まで繋がっていたのか……。急いで捜すんだ。ビルを通って脱出する可能性がある。おめおめと逃がすなよ』


「了解。できたら、応援を下さい」


 藤川は恐る恐る告げた。一捜査員からすれば淡島は雲の上の人だ。物を頼むだけでも身が縮む思いだ。


『わかった』


 淡島がすんなり受け入れてくれたのでホッとした。


 藤川たちは二手に分かれ、工場内の捜索に着手した。


 ほどなく、配置転換命令があった。


『A4班も工場内の捜索に向かえ。周辺警備のB1班、B2班は、研究所内のA2班の遺体収容に向かえ。C1班、2班はB班の後に入れ。C1班、C2班の配置転換が完了するまで、B・C警備部隊の発砲を禁じる』


 てきぱきと指示する淡島の声を聞きながら、警官たちは作戦が失敗したのだと考え始めていた。


 地下工場内には多くの設備があり、機械があり、いくつものドアがあった。そこで姿を消すことのできるファントムを探すことなど不可能だったが、藤川達15名の隊員は上司の中止命令があるまで探すしかない。


「まいったな」


 藤川がボソッと口にした時、ズン、と鈍い音がして地下室全体が揺れた。


§


 揺れは地上のほうが大きい。


「地震か?」


 地上で警戒していた隊員の間で、同じようなつぶやきがあった。


「爆発音のようでしたが……」


 淡島の隣で、通信担当をしていた緑山みどりやま技官が言った。


「煙が見えます。渋谷川辺りです」


 指揮車を守備していた隊員の一人が、群青色の空に漂う白色の煙を指した。


「自衛隊が調圧水槽でナパーム弾を使ったそうです」


 警察庁から連絡を受けた緑山が報告した。


「ナパームだと……。戦争をやっているのか」


 淡島は自衛隊を批判したのではなく、大火力を使える自衛隊に嫉妬していた。


「ナパームならオーヴァルをやっつけられますか?」


 緑山が訊いた。


「ナパームにもいろいろあるが、高温高熱を出す傷痍しょうい兵器だ。焼くだけでなく、爆発時には酸素を消費して生物を窒息死させる。調圧水槽のような狭い場所で使ったら、たとえオーヴァルでも生き残るのは無理だろう」


 淡島は指揮車を出て白み始めた渋谷川上空に眼をやった。流れる煙が僅かに煌めく星を隠している。その下で全滅したオーヴァルを想像しても気持ちは晴れなかった。


「こっちはファントムを見失ったというのに……、まったく、泣きたいよ」


 時宗警備局長が目尻を釣り上げて激怒する姿を想像して肩を落とした。


インフェルヌスの研究所には、大東西製薬の地下工場に通じる隠し通路があって、公安部の特殊部隊はファントムを見失った。

しかし、ファントム殲滅作戦は終わったわけではなかった。特殊部隊はファントムの逃走経路を発見する……


まだまだ戦いは続きます。次回もお楽しみに。


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