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ファントムとオーヴァル

 天井を支えるコンクリートの柱が林立する巨大空間は、まるで古代神殿のようだった。渋谷川の氾濫を防ぐために掘られた地下調圧水槽だ。川が増水すると、一旦、そこに水を溜めこんで氾濫を防ぐのだ。水槽に溜めた水は、川の水量が減ってからポンプでくみ上げることになる。人は、莫大な資金とエネルギーを投じて、街を守っている。


 そもそもゲリラ豪雨による川の氾濫は、人類が自然を破壊し、天候が極端な変化を繰り返すことになったことが原因だ。そうした人類を粛正すべく、自分は生み出された。……オクトマンは、人間がつくった神殿を自分の隠れ家に使うことに、満足と皮肉を感じていた。


 11体のオーヴァルを案内したのは、そんな場所だった。


「ここは大雨が降らない限り使われない安全な場所だ。君たちが子孫を増やす環境としては申し分ないだろう。私もここに、子供たちを隠している」


 オクトマンはその場所にレディー・ミラが産み落とした3人の子供とレディー・ソフィアの4人の子供を隠して育ている。レディー・ミラの子供たちは半ば野生化してしまったが、それでもレディー・ソフィアの子供らと一緒に暮らすことで、エクスパージャーとしての行動様式を身に着け始めていた。


 オクトマンの心配事は、子供たちが人間に発見されてしまうことだ。子供らは好奇心旺盛で表の世界を見たがるし、調圧水槽の管理のために人間がそこにやってこないとも限らないからだ。


 オーヴァルを地下調圧水槽に導いたのは、彼らによって、子供たちが人間の手から守られるだろうと考えたからだ。数日の動きを見ても、オーヴァルたちの戦闘能力は評価に値する。それ故にスピリトゥスが彼らをソルジャーと呼んだのだと理解していた。


 暗闇の中から真っ白な子供たちが駆けてくる。


「良い子にしていたようだな」


 オクトマンは腰をかがめ、胸元のポケットから取り出した新鮮な人間の肝臓を与えた。


「この子たちを守ってもらえると助かる」


 オーヴァルに話すと、彼らのひとりがジロリと大きな目で見下ろし、「ああ……」と応じた。


 彼らは無口で迫力があった。オクトマンでさえ、見下ろされると脅威を覚える。先人はよく言ったものだ。上には上がある、と。


「そこの薬を使ってくれ。まだ試作段階だが、私が開発したものだ。人間の体液を摂取しなくても、寿命を延ばすことができる」


 オクトマンは、トンネルの隅に積んだ金属ケースを指した。


「そんなものは、いらない。我々は長生きするために人を狩るのではない」


 オーヴァルはオクトマンの用意した薬品を受け入れなかった。


「そうか……、毒ではないから安心してくれていいのだが……。まぁ、自由にしてくれ。ところで、スピリトゥスからSETをかく乱するように指示を受けているのだろう?」


 尋ねるとオーヴァルは首を横に振った。


「我々は、ここで人を狩り、仲間を増やすだけだ。そしてオーヴァルの国を建てるのだ」


「オーヴァルの国?」


 オクトマンは、スピリトゥスがオーヴァルに何をさせようとしているのか、理解できずに困惑した。


 スピリトゥスの意思を知るためには、オーヴァルの重い口を開かせるしかない。


「トアルヒト共和国大使館を襲った件は、スピリトゥスは承知しているのか?」


「もちろんだ。ラグビーチームに紛れて入国した我々が消えていることをごまかすために、遺体を切り刻むように指示したのはスピリトゥス自身だ」


「そうなのか……」


 オクトマンは自国民を犠牲にするスピリトゥスとは何者なのだろう、と初めてスピリトゥスその人に対する疑念を覚えた。


 これまで聞かされたスピリトゥスの言葉を思い出しながら立坑を上り、取水口の金網を外して渋谷川の護岸に出た。


 研究所に戻り、オーヴァルたちに会った感想をレディー・ミラに伝える。


「まったく愛想のない連中だ」


 それは愚痴といえた。


 それをレディー・ミラが笑った。朱雀に切り落とされた腕は不完全だったが確実に成長していて、数か月で元に戻ると思われた。


「可笑しい。愛想が無いのは、あなたも同じです」


「なるほど……」


 オクトマンはソファーに腰を下ろし、レディー・ミラの肩を抱く。レディー・ソフィアを失ってから、彼女だけが唯一の心の支えだった。


「薬はできたのですか?」


 レディー・ミラが話を変えた。2カ月前からオクトマンが新薬を作っていると知っていたからだ。それは、人間の肝臓を食わなくてもエクスパージャーが長生きできる希望の薬剤だった。


「ああ。大東西製薬の研究者たちは、免疫抑制剤だと信じて開発してくれた。こと研究においては優秀な科学者ばかりだが、政治的センスはゼロだ。さっき、オーヴァルたちにも薬を分けてきた。あれで彼らが凶暴にならずに済んでくれたらいいのだが……。彼らの暴力性は、人類との交渉の邪魔になる」


「あなたが政治のことを言うなんて、不思議です」


「そうか……。我々は、個の能力では人類に勝っているが、社会的連携、歴史、人口という面では劣っている。そんな中で生き残るためには、政治が必要だと考えることが多くなった。オーヴァルの連中を見たら、その思いを更に深くした。彼らは無知だが、仲間で寄り添いあっている。彼らと共存するためには、彼らの力に勝る知恵が必要だ。それが政治なのだと思う」


「男の人は、戦うことばかり考えるのですね」


「スピリトゥスが、そうあることを我々に求めているのだ」


「言う通りにすれば、私たちは幸せになるのでしょうか?」


「それは違う。スピリトゥスは、自分の頭で考えろと言った」


「でも、私たちはスピリトゥスの望む者を殺し続けています」


「君は賢いな」


 オクトマンは、レディー・ミラの言葉をかみしめた。


 翌日、オクトマンが調圧水槽に下りると、オーヴァルたちが背を向けあって円陣をつくり、座り込んでいた。壁際には、人間の遺体が無造作に置かれていた。


 何事か、と思って円陣の内側を見ると、おびただしい数のオーヴァルの卵が並んでいた。直径20センチメートルほどの卵は白色で、コンクリートのような質感をしている。オーヴァルは円陣を作って卵を守っているのに違いなかった。


「子供が生まれるのだな」


 オクトマンは、称えるように話しかけた。が、オーヴァルは小さくうなずいただけで答えなかった。


 面倒な連中だ。……彼らと話すのはあきらめて、子供たちを呼んだ。食事を与えるためだ。ところが、子供を呼ぶ声は暗闇に反響するだけで、普段なら、呼ばなくても駆け寄ってくる子供たちが顔を見せない。何か怖い思いをして、隠れているのだろうと想像した。


「私の子供たちを知らないか?」


「知らないな」


 オーヴァルは語らなかった。


 その時、白い物体がコンクリートの柱の影から飛び出してきてオクトマンに抱き着いた。


「ゼットじゃないか」


 それはレディー・ソフィアとの間に生まれた子供だった。


「ト・ウ・サ・ン」


「どうしたのだ。兄妹たちはどこに行った?」


「ク・ワ・レ・タ」


 小さなゼットは、オーヴァルを指した。


「お前たち……」


 オクトマンは怒りに震えたが、彼にはオーヴァルを裁く権限も腕力もなかった。その時になって初めて、「エクスパージャーといえども呑みこまれてしまう」とスピリトゥスが警告していたことを思い出した。


 地上の研究室にゼットを抱いて戻り、自分の過ちで子供たちが死んだことをレディー・ミラに告げた。


「すまない。私の判断ミスだ」


「私の子供たちが……」


 レディー・ミラが、幼いゼットを抱きしめて泣いた。


 オクトマンは泣かなかった。ただ、身体が勝手にワナワナと震えた。子供を殺されながら、復讐することも、謝罪を求めることもできない。これほどの屈辱と悲しみが、他にあるだろうか……。


 その日一日、家族は6人の子供を失った悲しみを分け合った。


 夜になり、ゼットが眠りについてから、オクトマンは立ちあがった。


「彼らこそエクスパージャーかもしれない。放っておけば、全ての生命を食い尽くすだろう」


 それは目の前に突き付けられた現実だった。


「スピリトゥスが、そんなことをするかしら?」


 レディー・ミラが仁王立ちでいるオクトマンを見上げていた。


「人類の粛清というなら、オーヴァルだけで十分だ。我々に富めるものだけを襲わせるのは不合理。スピリトゥスには、別の意図があると思わないか?」


「スピリトゥスは、私たちに子孫を増やせと言いました」


「エクスパージャーは文明国を襲う。企業を支配下に置き、その力を利用して陰から国家を支配する。それが私たちの使命だ。……オーヴァルは不安定な社会を襲い国民を無差別に殺してきた。根絶やしにはしないまでも、暴力と恐怖で国家を支配するつもりなのだろう」


「それならば、オーヴァルが日本に派遣された理由は?」


「インフェルヌスの傘下に入れば安心だと分かってもなお、SET社は我々に屈しない。そのことに業を煮やして、日本国そのものを破壊しようと決めたのかもしれない。私の力不足の結果だ」


 オクトマンは天を仰ぎ、レディー・ミラはスヤスヤと寝息を立てているゼットを抱きしめた。その時から、オクトマンの苦悩は深くなった。


ファントムとオーヴァル、そして人類。三つ巴を思わせる事態。

スピリトゥスは、何をもくろんでいるのか?


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

引き続き、御贔屓に、よろしくお願いします。

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