壊れたキューブ
インフェルヌスとファントムを関連付ける証拠がない中、ひとつ朗報があった。鈴木大和と共にNRデバイスを開発した飯田橋博士が移動式のリンクボールを完成させたのだ。
「待たせたのう。移動用のリンクボール・コンテナが完成したよ」
2人の助手を伴った飯田橋は、杏里たちを得意げに迎えた。そこは資材搬入のための地下倉庫で、様々な資材や容器が山積みにされている。そこに働く人の姿はなかったが、シンゴさん型のヒューマノイドが働いていた。
「この大型コンテナがそれじゃ」
倉庫の中央に、何の変哲もない白色の貨物用冷蔵コンテナが二つ並んでいた。
「貨物コンテナ?」
「しかも冷蔵用」
向日葵と千紘がコンテナの周りを一周する。どこにでもある貨物コンテナだった。
「生物を乗せるからじゃよ」
飯田橋がつまらないジョークを言った。
「説明してください」
杏里の真面目な声に、飯田橋はコホンと小さな咳を返した。
「コンテナにしたのは目立たず丈夫なことと、外部から覗かれる心配がないからじゃ。冷蔵用なのは怪しまれずに換気をするためと、リンクボールの生命維持装置から出る音を隠すためじゃ。まぁー、見てみなさい」
飯田橋は側面の扉を開けた。右側にリンクボールが二つ並んでいて、タンクや電子機器は左奥にあった。タンクに充填する溶液は、冷蔵用のガス同様に外部から入れ替えられるようになっていた。
「一つのコンテナに二つのリンクボールが積んである。使い方も性能もこれまでのものと同じじゃが、生命維持溶液の浄化能力は3日が限界じゃ。それまでにはここに戻って溶液を入れ替える必要がある。機動性を考えれば、コンテナはトラックに積んでおくのが理想じゃが、運転手が必要になるのがネックじゃ」
飯田橋は、不動産屋が物件の説明をするようにコンテナの性能を説明してから、小夜子にウインクを投げた。どうだ、約束は果たした、と自慢するように。
「運転手なら、雇います」
杏里は言った。雇用促進を図っているSETに、人を雇うのに不都合はなかった。問題は秘密を守れる人材を探さなければならないということだ。
「君たちは長ければ丸2日もそこに入っている。その間、運転手を待たせては気の毒、と思うのじゃが」
「それもそうですね」
飯田橋の意見に、頭をひねる。
「1台は、私が運転手を兼ねるわ」
小夜子が手をあげた。
「大丈夫?」
小夜子の運転技術を知っている杏里と向日葵が同時に小首をかしげた。
「失礼ですね。基本的に自動運転なのですから平気です」
滅多に表情を変えない小夜子が、ムッと、頬をふくらませた。
「さて、もう1台はどうしようかのう」
「シンゴさんは運転できないの?」
向日葵がきいた。
「技術的には何の問題もないが、法的には免許がもてないヒューマノイドじゃからのう。検問にでも引っ掛かったら何かと面倒じゃよ。しかし、ガードマン代わりに助手席に乗せておいた方がいいかもしれないな。何も知らない泥棒にコンテナをこじ開けられても困るからのう」
「私が免許を取ればいいのよね」
杏里は、免許を取ろうと思った。年齢的には資格があるし、非常時のマニュアル運転もできなくはないと思う。あの小夜子でさえ資格をとれたのだから。
「杏里さんは、だめですよ」
小夜子が反対の声を上げる。
「あら、私の方が小夜子さんより上手にできるようになると思うわ」
向日葵が、うんうんと、大きくうなずいた。
「免許をとるのは構いません。でも、トラックの運転はだめです。杏里さんは若いSETの社長として世界中に顔を知られているのですから、目立ちすぎます」
「それもそうね」
小夜子の説明に、再び向日葵が、うんうんと、首を振る。
「その役目、私にさせてください」
申し出たのは飯田橋の助手の中で一番若い若松アキナだった。
「アキナ君。君には別の仕事があるじゃろう。自分の研究もしなければならないはずじゃ」
「研究所に余っているリンクボールが一つあります。それを使わせてください」
「君も、ファントムと戦おうというのかね?」
「違います。NRデバイスを自律モードにしてトラックの運転手に使い、身体の方はこれまで通りの仕事をします。リンクの時間だけボールに入ればいいのですから支障はないと思います。……杏里さんが会社の経営をしながら研究所で本を読んでいたので、うらやましいと思っていたんです。運転手が必要ないときは、NRデバイス側も本は読めますから、私にとっては一石二鳥です」
アキナの説明に、飯田橋がウーンと唸った。情報リンク時の脳への負担は小さくないと知っているからだ。
「お願いします」
アキナが飯田橋に頭を下げる。
「それほど言うなら、とりあえずNRデバイスの訓練をしてみなさい。自律モードが完璧に使いこなせないと、出先で社長の足を引っ張ることになるからな」
飯田橋がニコリと笑った。
§
――ビー・ビー・ビー……、警報が鳴り、オレンジ色の警告灯が点滅する。
「何があったの?」
小夜子が声を上げ、向日葵と千紘がリンクボールに向かって走り出していた。
『敷地内に侵入者ですじゃ。映像に写らないから、ファントムの可能性があるなぁ』
スピーカーから流れるアサさんの声は、いつもと同じでのんびりしている。
まだ本当の危機的状況ではないのだろう。……杏里は落ち着いていた。
「建物内に入られたの?」
『いいや。生垣の陰で人の出入りを窺っているようじゃ』
状況を聞き、杏里は即座に決断した。
「誰も外に出ないようにしてください。朱雀と青龍も出撃禁止」
『追い払おうかのう?』
シンゴさんの声がする。
「シンゴさんも、アサさんも外出禁止よ」
シンゴさんは本社ビルで刺殺された、いや、破壊された過去がある。ファントムに差し向けるわけにはいかなかった。
『どうしてよ。ファントムが目の前にいるのよ』
向日葵の声がした。同時に、NRデバイスが朱雀の姿を作った。
「たった1体のファントムを倒すより、研究所の所在を知られない方が重要です。ここが基地だとばれたら、ここが戦場になる」
『ここで一気に肩をつければ、世の中が平和になるだろう』
千紘も不満げな声を発した。同時に、青龍が姿形を作る。
「ファントムは1体じゃないのよ。これから増えるかもしれない。ここを知られた上に市民も狙われたら、両面作戦を取らなければならなくなる」
杏里が厳しい口調で説明すると、「へぇーい」と、朱雀が不服そうに答えた。
「朱雀と青龍がパトロールの帰りに、尾行されたのかもしれませんね」
「侵入してこないところを見ると、ここが研究所だという確信はないのでしょう。万が一のために準備はしておきましょう」
小夜子と杏里は話しながら裸になってリンクボールに入った。
4人そろった聖獣戦隊は中央のテーブルに座り、防犯カメラ映像を見つめていた。ファントムが建物内に侵入するようなら、一気に倒すと決めてあった。
モニターに映るファントムは、ぼんやりとした人形に見えるが、見ようによっては樹木にも見えた。一方、高感度赤外線カメラの映像では、ファントムの輪郭は明確だった。
『全然動かないんだもの。つまんない』
映像を見つめていた朱雀が言った。
『おっ!』
青龍が声を上げたのは、ファントムらしき影が動いたからだ。
警報が鳴ってからすでに30分が経過していた。
ファントムの影は、野を走る野生の馬ような速さで移動し、敷地を出て行った。
『あきらめたようね』
杏里は胸をなでおろしたが、向日葵と青龍は違った。
『うぅーん、腹が立つ!』
叫ぶと、リンクボール・ルームを飛び出していく。研究所から離れた場所でファントムに攻撃を仕掛けるという。
慌てて白虎と玄武が後を追った。しかし、4人はファントムを見つけることはできず、無駄足に終わった。
翌日、警視庁からSETの秘書室に連絡が入った。情報交換協定を締結してから初めての通報だった。都内の国際会議場で開かれたアスカ運輸産業の株主総会にファントムが現れたという。その時はすでに、事件は起こっていた。
その日、事務所で働いていたのは自立モードの白虎と通常モードの玄武だった。杏里は大学の授業に出ていた。白虎と玄武はまるで消防士のような素早さで本社ビルの屋上を飛び立った。国際会議場は、数分で到着する距離だ。
朱雀と青龍は授業中のために出動しなかった。向日葵たちは、NRデバイスを授業に出席させ、自分たちは研究所で楽をしていた。
白虎と玄武が国際会議場に到着した時、アスカ運輸産業の社長の肝臓を抜き取ったファントムは広い前庭を移動しているところだった。
『いたわ』
ネットワークを玄武の声が走る。
『どこ?』
『保護色を使っていないのよ。あの紺色のスーツのサラリーマン。変装しているつもりなのね』
『スーツ?』
『私たちと同じ、それっぽく見えるようにしているのね』
そんなやりとりをしながら、距離を詰める。
ファントムは表皮でスーツ姿を装い、ビジネス鞄をぶら下げていた。
『そうね。血の臭いがする』
NRデバイスのセンサーが空気中を漂う微かな臭いを検知していた。
『白虎、ちゃんと名乗りを上げるのよ。不意打ちは卑怯よ』
向日葵の声がした。
『わかっているわよ』
白虎が苦笑を浮かべて応じた。
『進路をふさぐわよ』
『了解!』
白虎と玄武は飛び降りた。ファントムとの距離は5メートル。
「ファントム、逃がさないわよ。冷酷な戦士白虎、私が相手する」
「暗黒の戦士玄武、悪党は無明の闇に落としてくれる」
2人が名乗りを上げる。それは恥ずかしいことだが、言わないと、後から向日葵に文句を言われるからしかたがない。
ファントムの顏はY市の廃工場で見たものと同じだった。白虎はあの日の屈辱と恐怖を思い出しながらリングを作り出した。武器を作れない玄武は、通信販売で手に入れた琉球古武術のサイという十手に似た武器を構えた。
周囲を捜索していた2名の武装警官がファントムの後ろから駆けつけて、挟み撃ちにするかたちになった。
「小癪な」
どこで覚えたのか古臭い表現を使ったファントムは、大きく深呼吸するとビジネス鞄を投げ捨てて姿を消した。
スーツも皮膚を変形変色させたものだったと、改めて感嘆する。さっと地面に視線をやったが、曇り空はファントムの影を映していない。
『ファントムは戦闘中に姿を消せないはずなのに……』
『まさか、逃げる?』
白虎と玄武は戸惑った。とはいえ、赤外線センサーと聴覚センサーの感度を上げてファントムを認識した。
「あなたたち、気を付けて!」
武装警官に向かって玄武が叫んだ。彼らの方に向かうファントムがぼんやり見えていた。
その時、ファントムが2人の武装警官の面前に姿を現し、あっという間に彼らを刺殺。警察官たちは呻く間もなく地面に突っ伏した。
すると、ファントムがライフル銃を拾い、銃口を白虎に向けた。
『白虎、ライフルよ』
『わかってます』
玄武の声を聞きながら、白虎はジグザグに走ってファントムに迫る。ライフル銃が相手なら接近戦が有利だ。
――ドーン――
ライフルの発砲音にも白虎は動じなかった。玄武は違った。その姿が煙のように宙で消えた。上空に浮かんでいた彼女のドローンも落ちた。
白虎は脇目も振らずファントムに飛びかかり、リングを振って攻撃を仕掛ける。
ファントムはライフルの銃身で白虎のリングを受け止め、時折、脚を刃物に変えて応戦した。
白虎はライフルを持ったファントムに間合いを作らせまいと、近接攻撃を繰り返す。
パトロールカーのサイレンが近づいてくる。それをファントムも聞いて集中力を欠いたのだろう。攻防の末に、白虎のリングがファントムの脇腹をえぐり、小指を切り落とした。
――ググッ……、不気味な音を発してファントムは姿を消し、ライフル銃がゴトッと地面に落ちた。
「エッ!」
逃げるファントムを追跡しようとして初めて、白虎は玄武がいないことに気づいた。
『玄武……』
周囲を見回し、最初に着地した場所に玄武が身に着けていたライダースーツをみつけた。それを拾い上げるとキューブがゴトリと地面に転がり、僅かに残っていたナノマシンが風に吹かれて散った。
拾い上げたキューブには大きな穴が開いていた。不運にも、ライフルの銃弾が直撃したのだとわかった。
『小夜子さん聞こえる?』
白虎がネットワークで呼びかけても返事はない。玄武は通常モードのはず。白虎のAIはログをさかのぼる。わかるのは、小夜子が入ったリンクボールは稼働しており、玄武は自立モードではなかったということ。通常モードで起動したまま外にいるのだとしたら、システムエラーに違いない。
『お姉さんどうしたの?』
向日葵の声がした。
『玄武のキューブが銃弾で破壊されたわ。小夜子さんはリンクボール? 外にいるの?』
白虎は、壊れたキューブとファントムの小指などを手にしてドローンに飛び乗った。
キューブを破壊されて消滅した玄武。そのオリジナルの小夜子はどうなったのか?
ファントムはどうして人間の肝臓にこだわるのか?
まだまだ聖獣戦隊の戦いと謎解きは続く・・・
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
次回もぜひ、アクセス、よろしく!




