厳しいスタート ――臨時役員会――
1月6日、スマートエナジーテクノ社の臨時役員会が開かれた。役員たちは早々に席について大株主となった杏里を待っていた。社長と副社長を失ったことで、彼らの中には将来を案じるそわそわした空気が流れている。
ドアが開き、小夜子が姿を見せると役員たちの表情が引き締まった。
「お入りください」
小夜子に促され、杏里は足をすすめた。白のブラウスに黒のパンツスーツといういでたちは両親の喪に服していることを示すためだ。
役員たちの厳しい視線が、杏里を値踏みするように追った。いくつかの瞳は、まだ若いな、と彼女を軽んじていた。
注目する視線が冷たければ冷たいほど、杏里は顔が熱くなるのを感じた。
「私が……」
声は震え、奥歯が鳴った。深く息を吸って、もう一度、最初から話し始める。
「私が鈴木杏里です。両親の持っていた株の90%を私が相続し、妹の向日葵が10%を相続します。姉妹2人によってSET社の株の60%超。私、単独で54%を保有することになります。株主の権利として、私自信が当社の社長に就任することを臨時株主総会に諮ります」
杏里は弱気な自分を必死で鼓舞した。
役員のほとんどは杏里の能力を疑っていた。若干二十歳の大学生なのだから当然だった。おまけに彼らの中にはホリデーパーティーでファントムに睨まれた恐怖がこびりついている。杏里がどれだけ株を持っていようと、あるいは天才科学者2人のDNAを受け継いでいようと、社員15万人の企業の運営ができるものなのか、と疑うのは当然だった。
杏里の声は前半こそ上ずっていたものの、徐々に落ち着きをみせる。
「……つきましては、副社長にはエネルギー伝送技術を担当している白河常務に就任していただき、常務の席には企画担当の本宮役員に就任していただきたいと考えています。役員会の賛同をお願いします」
杏里は役員一人一人と視線を合わせ、その名を心の内で呼んだ。それから、ゆっくりと頭を下げた。それは小夜子の指示通りの行動だ。
その落ち着いた態度に感心し、姿勢を前傾して注目する役員が現れた。逆にインフェルヌスの意向に従おうとしていた那須の表情が険しくなった。格下の白河が副社長に指名されたのも、その一因だった。
彼は、役員たちを睨み回した。その視線を受けた多くの役員たちが無表情を作った。それで彼は安心したものらしい。突然、口を利いた。
「社長になって、何をするつもりです?」
太く大きな声だった。あの夜の、下手に出るような様子はみじんもない。
杏里は那須の顔をしっかりと見据えてから、並んだ役員たちの顔を一つ置きに見回した。それも小夜子に指示されていたことだ。
「今、私たちがやらなければならないのは、SETの使命と理念を再確認して団結することです。それから、ファントムに対抗するための技術的手段を確立すること。そして、企業として社会貢献し、利益を上げることです」
杏里は、口の中がパサパサに乾いて、これ以上話せないといった感覚があった。それでも気力をふりしぼり、再度役員たちの顔を見回した。3度目なので、堂々とした態度を演じることは出来た。そして謙虚さを示すために頭を下げた。
パチパチパチと軽い拍手が鳴った。ホリデーパーティー前に渡米し、ファントムの恐怖を知らないビクトルの拍手だ。それから昇進の話があって遠慮していた白河と本宮が拍手をした。その音につられ、無表情を装っていた役員たちの多くが、杏里の社長就任と、その人事案に賛同する拍手を送った。
那須の顔が、苦虫を噛み潰したようにゆがんだ。
「ありがとうございます」
杏里が感謝の気持ちを言葉にし、怒りに震えた那須が立ちあがった。
――フォンフォンフォン――
「……」那須の声を、けたたましく鳴る火災報知機がかき消した。
「何事だ」
役員たちは、報知器の音に蹴飛ばされたかのように一斉に立ち上がった。
――フォンフォンフォン……、非常ベルが鳴り続ける。
それは杏里たちの想定外の事態だった。
「待ってください。外は危険です」
小夜子が止めても役員たちは聞かない。彼女を押しのけて逃げ出そうとしていた。特に不利な状況を立て直そうというのだろう。那須が先頭になってドアを開けた。
臨時役員会が流れる!……杏里は失望した。
廊下に火の気はなかったが、通路奥のエレベーターホール前で騒ぎが起きていた。
§
1階に止まっていたエレベーターのドアが閉まり、役員会議室のあるフロアのボタンが押されたのは5分ほど前のことだった。
警備室の警備員は、役員会があるので、そのフロアへの人の出入りには特に注意を向けていた。すぐさまエレベーター内の防犯カメラのモニターに眼をやった。そこには何も映っていない。
「だれも乗っていませんね」
警備員の一人が言った。もう一人は別の計器を指した。
「見ろ」
エレベーターの積載重量センサーは、そこに何かが乗っていることを示していた。
「やつだ」
緊張した声をあげた警備員は、手筈通りに小夜子の携帯端末に連絡を入れた。
知らせを受けた小夜子は、自立モードのNRデバイス、暗黒の戦士玄武だった。もちろん警備員は、報告した相手が玄武だとは知らない。彼女は炎の戦士朱雀と共に役員会議室用の倉庫から飛び出してエレベーターの前に走った。
向日葵はNRデバイスを操作して髪を赤く変え、顔には赤いマスクを描き、身体には真っ赤なレオタード風の戦闘服模様を作った。
NRデバイスの操作に不安を覚えていた小夜子は違った。ライダー用の黒いゴーグルとマスクで顔を隠し、カーボンナノ繊維の黒いライダースーツを玄武に着せていた。
エレベーターが到着して扉が開く。
「私は炎の戦士朱雀。熱き太陽に変わって、悪を成敗する」
空っぽに見えるエレベーター内にむかって朱雀が名乗りを上げる姿は、風車に挑む騎士のように滑稽な風景だった。
隣に立った玄武は黙って警棒を両手に握りしめた。
すると、黒いボディースーツ姿のファントムが姿を現した。その容姿は男にも女にも見える中性的なもので、顔には海兵隊のような迷彩模様が描かれている。紛れもない。ホリデーパーティーで大和とカレンを殺害したファントムだった。それを目の当たりにして、リンクボール内の向日葵は震えた。怖いのではない。武者震いというやつだ。
「小夜子さん、じゃなかった、玄武、名乗りを」
向日葵は自律モードの玄武に向かって催促した。
「私は……えっと……暗黒の戦士玄武。月に変わってお仕置き、じゃなかった、悪党は無明の闇に落としてくれる」
自律モードの玄武は小夜子の人格をものの見事に写し取っていて、緊張で全身を硬くしているだけでなく、ゴーグルとマスクの下の顔をも赤らめていた。
「聖獣戦隊ユニバース、参上!」
朱雀が宣言し、決めポーズを作る。一瞬だが、広げた両手が赤い翼に変わった。
決まった!……思い通りの演出ができて、向日葵は満足を覚えた。ニンマリと笑みが浮かぶのを抑えられない。ところが、「エッ!」と朱雀。
ファントムが降りる前にエレベーターの扉が閉まった。
「アッ……?」と玄武。
口上が長すぎたのだ。
朱雀は慌てた。急いでエレベーターの昇りボタンを押すと、再びエレベーターの扉が開いた。
「間に合った……」
朱雀が大きなため息をついた。
「風変わりなやつがいるものだ」
ファントムが呆れたように言いながら、堂々とホールに降り立った。
その時、警備室で押された非常ベルが鳴りだした。防犯カメラに写った朱雀と玄武を不審者と思った警備員が鳴らしたのだ。
「そこをどけ」
ファントムが威圧する声は人間のものとは思えなかった。まるで地獄の底から噴火口を通ってきたようだ。
ホリデーパーティーの惨劇が脳裏を過り、朱雀と玄武はひるんだ。朱雀の姿が一瞬、崩れかけた。すぐに復元したのは、自分は死なないという確信があったからだ。
ファントムが歩みだす。
朱雀が回し蹴りを繰り出した。「アチョー」と、かん高い声と同時にしなる脚が空気を切り裂き、ファントムのわき腹に当たった。
「やったわ」
玄武は喜びを口にしたが、事前の不安が確信に変わった。ファントムの足は止まったが、体勢を崩すことがなかった。
『やっぱり体重が軽すぎる』
リンクボール内の向日葵の声はネットワークを通じて杏里にも届いた。
ファントムが、朱雀を睨む。
「アチョ、アチョ、アチョー」
朱雀は頭部を狙って2撃、3撃を繰り出したが、それはいなされた。
「ハッ」
小さく息を吐いたファントムが手刀を振る。それは朱雀の胸を切り裂いた。赤いコスチュームが裂けてパックリと開いた傷は黒い影をつくった。
朱雀が飛びのいて態勢を整えたとき、その胸の傷は消えていた。ファントムが目を細めて首を傾げた。
朱雀は、自分の胸元に視線を落とし、かつ、そこに触れた。ファントムが触れた胸の感触が気持ち悪かった。
ファントムが一気に間合いを詰める。刃物と化した手刀や蹴りが何度も朱雀を貫く。僅かずつではあったけれど、ナノマシンが砕けてNRデバイスの性能が低下していく。
このままではやばいかも。……考えながら正拳と前蹴りを繰り出してファントムを押し返した。
「お前、不死身か?」
ファントムの声に朱雀は応えない。
一瞬のすきをつき、「エイッ」と玄武が警棒を振り下ろした。
気合を声にするのが早すぎた。ファントムが僅かに体を逸らし、警棒はヒョロヒョロと空を切った。
ファントムは玄武に向かって後ろ回し蹴りを繰り出す。ヒュンと空気を裂いた。
蹴りを受け止めようとした警棒が半分に切断され、玄武の腰も大きく切り裂かれた。彼女は驚きのあまりに尻餅をついた。
「何だ、あれは?」「何が起きている」
廊下がざわついた。エレベーターホールで繰り広げられる戦いを目にした役員たちの声だった。
彼らの発する騒めきと感情の波が、ファントムを刺激したようだった。
「邪魔だ」
ファントムは、激しく繰り出される朱雀の蹴りをかいくぐるようにして彼女の背後に回る。
「危ない!」
役員たちが朱雀に声をかけた。後ろを取ったファントムが、彼女を攻撃すると思ったのだ。
ところが、ファントムは朱雀には見向きもせず、役員たちに向かって走り出した。その距離を詰める時間は一瞬で、会議室に逃げ込む余裕などなかった。
最前列に立っていた本宮の腹に鋭い手刀が突き立てられる。
「えっ?」
驚いたのは、自分が狙われていると考えていた杏里だった。狼狽えながらも反射的にファントムを突き飛ばした。
よろけたファントムの後頭部に、追ってきた朱雀が踵落としを決めた。
ファントムはグラリと揺れたが、すぐに態勢を立て直して杏里の胸元に向かって水平に腕を振った。
刃物に代わっていた手が彼女の胸を切り裂いた。こうした事態を想定し、その日の杏里はNRデバイスだった。切られた肉体はすぐに復元したが、スーツとブラウスは本宮の血液で赤く染まった。
「うぁー」
役員たちが無様な悲鳴を上げながら、会議室に逃げ込んだ。
会議室の出入り口に玄武が立ちはだかり、朱雀が執拗に攻め立ててファントムが会議室に入るのを阻止した。
チッ。……ファントムが舌打ちした。役員が退いてひらけた通路を走り、非常階段から逃走を図った。僅かに遅れて朱雀と玄武がファントムを追った。
非常階段には、あらかじめシンゴさんが配置されていた。しかし、ファントムの鋭い手刀がシンゴさんのボディーを貫通し一瞬で機能が停止した。
朱雀が倒れたシンゴさんを隅に寄せるころには、ファントムの姿は幻のように消えていた。
役員たちが会議室に退避した後も、杏里は廊下にいた。懸命に本宮を助けようとしていた。彼は刺されたものの、肝臓を取られておらず、息があった。
「本宮さん! しっかり!」
声をかけながら腹の傷口を素手でふさいで出血を押さえようとしたが、本宮はほどなく絶命した。それからは蘇生処置を試みた。心臓マッサージを続けたが、背中に達した傷口から流れる血液が床に広がるだけで、彼の息が吹きかえすことはなかった。
ファントムが逃げた後、小夜子が機転を利かせ、臨時役員会ではすぐさま決がとられた。
役員たちはファントムの脅威を痛感していた。本宮の血で赤く染まった杏里を前に、ファントムに立ち向かった彼女の勇気と責任感を認めざるを得なかった。ほとんどの役員は杏里が社長であることに納得し、杏里と共にファントムと戦う覚悟を決めた。正義か妥協かという選択の中で、わずかに突出した良心に従ったのだ。
杏里は、臨時役員会を乗り切れたものの本宮を失い、その胸には苦いものが残った。




