ファラ
この村ケズデット、ここから南西に行ったところに大きな森「チェルシーグリン」がある。
ファラの母親とは、迷路のように入り組んだ森の奥深くで出会った。
もう20年ほど前のことだ。
父親はいなかった。
母親に名前はなく、当時ヒトビトから彼女は「魔女」と呼ばれ恐れられていた。
魔女の存在は近隣の村や都市でも噂になっていた。
話せば記憶を破壊される悪魔だと、そう噂されていた。
そんな頃にギルドから討伐の依頼が出た。
その依頼を、当時まだ超ド級のウルトラ凄腕NO.1ハンターだった、このわしが引き受けた。
ろくに光の届かない深い森の奥で魔女と出会った時、彼女は赤子を抱いていた。
その赤子がファラだ。
魔女は逃げるでも向かってくるでもなく、諦めた様にただ木の根元に静かに座って、暗く虚ろな瞳で、許しを請うように凄腕NO.1ハンターのわしの目をジッと見ていた。
わしはそんな無害な母親を殺める気にはなれなかった。
魔女は言葉を話さなった。
当然、ファラ同様に、声を聞いた者の記憶を消す業苦を背負っていたからだろう。
自身の業苦がもたらす悪夢を恐れ、傷つけた者達を想い、後悔して泣いていた。
魔女は噂と違って、本当に心の優しい女性だった。
凄腕NO.1ハンターのわしは魔女とファラの声帯をシャラプの魔法で封じ、まだ小さかったファラを魔女から預かることにした。
魔女はそれを一番に望んでいた。
追われる身となった者に子を育てる事など出来ない。
それどころか捕まれば、魔女の子だと、ファラの命まで危うくさせるのは考えるまでもない。
魔女はその後、パタリと姿を消し、噂も途絶えた。
今では生きているかも解らない。
もしかするとアニーク樹海に隠れておるかもしれないが、無事かどうかは解らない。
そして、ファラはどういう訳か、今も母親の行方に固執している。
顔も名前も、影も形も解らぬその母親に、一目会いたいとね。
***
「凄腕NO.1ハンターの、ウン・チー……か。」
明かりの消えた真っ暗な部屋で、ほんの三十分前のチーさんとの会話の中で、一番印象に残っている単語を呟いた。
時折、窓の外から風が吹き込むと、その音が夜の静寂と溶け合って、どこか懐かしい気持ちが、俺の虚無に重なる。
ぐるぐると頭を回しながら仰向けに寝転がる俺のすぐ隣に、無邪気で肝っ玉の大きなファラさんの、呑気で豪快な寝息が「グガーグガーウゴー」と聞こえる。
俺は今、この狭苦しいシングルベッドの上で、騒音女と一緒に身を寄せ合って寝ている。
そして、寝れない。
もちろん、お隣さんが規格外の雑音製造機ということも大きな要因ではあるが、しかしそんなことよりも、起きてから今に至るまでに色々ありすぎて、寝るに寝れなくて、俺だけ起きているというのが現状だ。
寝る直前、俺はファラさんの身の上話や業苦について、チーさんからもう少し詳しい事情を聞かせてもらった。
今はそこで聞いた情報を、たった独り、頭の中で羊の数を数えるように、黙々と整理しているところである。
チーさんの話によると、ファラさんの業苦は、行方知れずとなった母親から遺伝したものだという。
また、業苦には様々な種類がある事も判明した。
例えば、身体的なハンデを伴う業苦だと、視力を失う者や、手足の動かなくなる者。
獣の姿となり他者を襲う者もいるそうだ。
見た夢が現実となる業苦というのが、歴史上、最悪の業苦だったとチーさんは話すが、目に見えて気落ちしたチーさんの様子から、詳しい事情までは聞くことは酷く躊躇われた。
そしてファラさんが行方不明の母親から引き継いだという、その業苦は――。
――その声を聞いた者は、少しずつ記憶を失う。
という、聞いただけでは怖いのか怖くないのか解らない、事の重大さを想像し難いぼやけた業苦であった。
また、業苦が母親から遺伝したという事は、行方の判らないファラさんの母親も、ファラさんと同じ業苦を背負っていることになるのだが。
その行方知れずの母親というのが、かれこれ20年も前に「記憶を奪う魔女」として世界中で指名手配されていたらしく、奇しくもその行方を追っていたのが、当時ギルドハンターなる仕事をしていた凄腕NO.1ハンターのチーさんなのだという。
そして俺は今、先ほどのチーさんとの会話を、脳内に再び思い起こしていた。
***
「記憶を消される? ファラさんの声を、ただ聞いただけでですか?」
「うむ。下手をすれば、世界中を巻き込む最悪の事件になるだろうな。」
チーさんの話では、リンネの業苦がもたらす自身や周囲への影響力は、最初は微々たるものだという。
しかし、時と共にその力は、まるで枷が外れていくように、悪い方向へと解放されていく。
それは20年間頑なに封じてきたファラさんの声も同じ。
仮に今ファラさんが声を発せば、元より記憶のない俺はともかく、チーさんや村の人達は、記憶が修復不可能なレベルまで一瞬で破壊されてしまう可能性も否定できないそうだ。
つまり、ファラさんの声を封じてきた20年という年月を経て、再び解放される業苦の影響力が、世界規模の爆弾になる可能性も十分にあるのだそうだ。
「そして、多くの者は業苦を解消する術を見いだせずに破滅していく。それがリンネの業苦なんだよ。」
チーさんは懺悔するようにそっと瞳を閉じると、半ば諦めたようにゆったりとお茶をすすっていた。
嫌に落ち着き払ったチーさんの態度は、まるで「もうお手上げだ」と白旗を振っている様に感じられて、そのあまりに他人行儀な振る舞いに、俺はなんだか虫の居所が悪くなるのを感じた。
そもそもこれが現実かどうかさえも定かでないというのに、何故だか俺は、口の利けないファラさんの「記憶を消す業苦」というのが、どうにも他人事には思えなかったのである。
「どうにかリンネの業苦を解く方法はないんですか? 例えばなんか……魔王とか、ボスキャラを倒すとか。」
「ボスキャラ? キミはわしらをバカにしとるのかねー! とりゃー!!」
電光石火が如きチーさんの右手のパーを白刃取り、余裕でしたー。
「いえ、そんなまさか。とにかく落ち着いてください。ね、おじいちゃん☆」
「ぐぬぬ。」
――勝った。
この俺相手じゃ勝ち目がないことが解ったのか、チーさんは高ぶった怒りのやり場に困りながらも、物言いたげな表情で俺を睨みつけながら静かに身を引いたのを見て、俺は目に見えてほくそ笑んだ。
「それで、どうなんです? 業苦を退ける方法はあるんですか? ん?☆」
「……業苦を解く方法はあるというが、しかし正しい方法を誰も知らない。どれもこれも当てずっぽうでな、噂の域を出んのだ。実際、業苦を退けた者はほとんどおらんと言うよ。」
どうやら業苦を退けたという前例は、今のところほとんど報告されていないのだという。
極稀に業苦から解放された者の噂もあるそうだが、理由や解消方法については今一つ共通点がなく、また、その噂の真偽に関しても不可解な点が多い為、信憑性は低いのだそうだ。
恐らく、声を封じた20年という月日の中で、そう言った不鮮明な噂ばかりが飛び交うがために、業苦に関して正確な情報を掴めずにいるというのが、チーさんが頭を抱えて半ば解決を諦めかけて、今も目に見えてイライラしている理由だと思われた。
「先ほど『アニーク樹海』の話を少ししただろう。」
「えぇ、アニーク樹海。例の樹海ですね。」
――知らんが。
「多くの者は自らの業苦に呑まれ、精神を蝕まれ、やがて行き場を失う。そうして最後に死に場所を求めて『アニーク樹海』へと足を運ぶのだ。あそこには不思議な力が働いていてね。業苦を背負った者が足を踏み入れれば、自力では出られず、永遠に樹海の暗闇で迷い続けると言われている。」
「つまり呪いの森ね。けど、ファラさんの先行きを本気で考えると、尚更このままという訳にはいきませんよね。それに喋れないというのは、なにかと不便じゃないですか?」
「問題はない。見ての通りハツラツとしているだろう。言葉など無くとも問題ないよ。それにね、宙に文字を書ける『ドロー』という魔法がある。すぐに消えてしまうが、それでも充分だ。そのドローでさえ、この村ではそうそう必要ない。」
「そう、ですか……。」
「……。」
「本当に、そうなんですかね……。」
***
リンネの業苦――それを親から受け継いで生まれてきた女性。
――罪人。
――犯罪者。
――或いは世界を呪って死に、ここへ転生してきた者の、子孫。
夜風が真っ黒なカーテンを不規則にブワリと揺らす、不気味で真っ暗な寝室。
相変わらず俺のすぐ真横では、剛毅なファラさんが怪物のような雑音を四角い暗闇中に捲き散らしている。
先ほど出会ってから今までのファラさんを振り返ると、確かに彼女は、今のままでも十分に幸せなように思えた。
およそ闇とか穢れを知らない、純粋無垢なまま、これからも変わらず過ごしていければ、実際それで良いのではないだろうか。
俺は窓側に寝返りをうった。
真っ黒い影みたいなファラさんの後頭部が、俺の視界に映る。
ファラさんがグォーとかブモーとかウシガエルみたいにイビキを掻くたび、しっかり首元まで掛かった布団がふっくらと穏やかに隆起する。
思えば、俺をこのベッドまで引きずっていたのも、最初に目を覚ました時に俺を覗き込んでいたのも、このボンヤリとした亡霊の影だったような気がする。
まぁ、真偽は定かでないけれど――。
俺は夢うつつの中で見た、ぼやけた黒い翼を背負った、牛の影を、ファラさんの影に重ねて思い出していた。
ファラさんは喋れなくても別に困らないと、先ほどチーさんは言っていた。
もしかするとそれは、わざわざ命の危険を冒す必要はないという、ファラさんに対するチーさんなりの優しさだったのかもしれない。
けれど、ファラさん自身の本当の気持ちというのは、どうなのだろうか。
本当にそれで良いのだろうか。
「俺はどうだろう、もし喋れなかったら……。」
急に声帯が、息が詰まるようにぎゅっと苦しくなった。
これは、チーさんに掛けられたシャラプの魔法のせいではない。
なにか大切なものが、この胸の奥でつっかえたような、奇妙な息苦しさ。
とにかく、「喋れない」というネガティブな言葉の響きに、眩暈にも似た重苦しさを上からズッシリと感じていた。
それは、記憶を持たない今の俺にとって、唯一の自分の手がかりともいえる、大切な「負の感情」だった。
「やっぱり、良くないだろ……。」
やがてこの息苦しさは、鋭い刃のような、清く正しい感情へと裏返る。
この胸の内のどこかで、俺は「なにか」を諦めたくなかった。
それがなんなのかは見当もつかないが、ある種の信念にも似た閃光の残影は、紛れもなく俺の意志から生まれ育ったモノらしかった。
――ファラさんの、力になりたい。
柄にもなくそんな事を胸の内に誓いながら、ふいに眠るファラさんの頭を、俺はそっと撫でた。
それは、夢にしてあまりに温かく、柔らかで、まるで本当に生きている人間のようで――恐怖にも似た胸騒ぎで脈打つ速度がドッと速くなるほどに、残酷なほどリアルな質感だった。
――おかあさん、元気かな。
そして、知らない女性の■が、ふんわりと■の中に響くと――。
――おかあさんに、会いたい。
なんだか急に、ねむくなって■■――――――――――――――――――― . ・ 。
ピルバーグ作、キャラクタープロフィール
ウン・チー
83歳
身長 138tm(およそ138㎝)
体重 60tg(およそ60㎏)
利手 左
異性のタイプ
亡き妻
好きなもの
ピアノ、作詞作曲、お茶、饅頭、人と話すこと、人を馬鹿にすること、子供、笑い話、誰かの笑顔、よく笑う人、賑やかな食卓、平和な世界、亡くなった妻、亡くなった親友
嫌いなもの
災害、冬、寒い日、孤独、業苦(業苦そのものであって、業苦を背負った人の事ではない)。
ピルバーグのインタビューと見解
ウン・チーというドルイドのお爺さんは、現役時代にギルドハンターをしていたという。
インタビューの間、一緒にお茶を飲んでくつろぎながら饅頭を食べるというのが、なんとも老人らしい平和な趣味に思えた。
ハンターを引退した後は、ピアノ曲の作詞作曲を手掛けているという。
ウン・チーといえば闘技場アンセムの代表曲「闘えファイティング・マン」が有名だが、いやはやまさかこんな所で名曲の作者様に出会えるとは、人生、長生きしてみるもんだな。
彼は家族との時間をなによりも愛している。
そんな彼には奥さんがいたようだが、残念ながらケズトロフィスの大災害が原因で、災害のあと間もなく亡くなってしまったようだ。
なおケズトロフィスで実際に被災したのは奥さんではなく、彼の親友だったそうだが、そこにはなにやら深い因縁があるらしく、多くは語りたがらなかった。
どこか物憂げな彼は、なにかとてつもないドラマを秘めているように思う。